獣-06
「いいや……ちがう……あなたは……たたかいの、ない世を、望むなら……たたかうべき、じゃ……なか、た」
治癒魔術と再生魔術の恩恵か、僅かに声色が戻りつつあるガルファレット。しかし、口を開けば溢れる血によって、幾度も言葉を途切れさせ、呼吸もし辛そうである事に変わりはない。
「再び、得た命で……今度は、上手くいくと……今度こそ、間違えないと……そう、妄執した……望んだ……その、結果が……これだ」
「でも、でも私は……私は……ッ」
「戦う、以外に……方法なんて、なかったと……そう、言いたいのなら……それも、違う」
瓦礫を足場にして、何とか立ち上がったファナが、今目を見開いて、ガルファレットの無残な姿を、見た。
ヨタヨタとした足取りでガルファレットに駆け寄り、その血だらけの身体に触れて……歯軋りしながら、詠唱を唱える。
「イタイノ・イタイノ・トンデイケ……イタイノ・イタイノ・トンデイケ、イタイノ・イタイノ……トンデイケ……ッ!!」
だが無駄だ。確かに彼女の手から僅かに光が発しても、しかしすぐに、光は収束し、消えていく。
既にファナの中には、遠隔発動でなくとも蘇生魔術を行える程のマナは残っておらず、その補給を大気中に漂うマナから補うしかない。
しかし、体外に存在するマナが体内のマナ貯蔵庫に補充されるまでにかかる時間は、個人差もあるが満充足で丸一日、蘇生魔術が出来る程の補充でも数時間はかかるだろう。
そして……ガルファレットの命は、もう数分という時間も在りはしない。
そもそも今こうして、言葉を語る事が出来ているだけで、奇跡に近いのに……その状態を維持する事など、無理難題と言ってもいい。
「そもそ、も……戦い、なんて……人が、人の命を、脅かす行為、だと……そう語ったのは……貴女だ」
かつて、ガルファレットという男が、シガレットという老婆とした語らいの中で、彼女が語った事である。
「力を以て……他者を、抑え込む……それが、どれだけ野蛮な、行為か……理解していた貴女が……戦う、以外の方法を……模索しなかった……それこそが、二度目の生を、得た……貴女の罪……だ」
ガルファレットという男は、両親から授かった才能を以て、国に仇成す者達を殺す事だけが、自分の存在意義と語った。
けれど、そんな存在意義を決めるのは何より自分自身であると。
もし、そんな在り方とは違う、誰かを守る為に生きる事が出来る存在になりたいと願うなら、年老いた婆である自分を守ってほしいと。
そう願った彼女に……ガルファレットの心は、救われたのだ。
――何故そんな女性が、間違えてしまったのだろう。
――戦いという概念を終わらせる為に、自らが戦いに赴く。そこにある矛盾を、彼女は何故、理解できなかったのだろう。
「俺は死ぬ……貴女の手で、殺されて……二度と、蘇る事は……無い……蘇りたくも、ない」
愛するべき騎士、自らの事を守ってくれた存在であるガルファレットに現実を突きつけられ、シガレットは言葉を発する事さえ、出来ずにいる。
そんな彼女と反する様に、ガルファレットは、残り少ない命を使い、どれだけ彼女に言葉を遺す事が出来るか……そう憂うように、言葉を止めず、語り続ける。
「勿論、それを仕組んだのは、俺です……けれど、戦いは……そうして、誰かの命を、終わらせる事の、出来る……行為であったのだ、と……思い、出して……ほしい」
身体を震わせながら、強く咳込んだ瞬間、彼は全身を劈く鋭い痛みに、背筋を逸らして呻き声を挙げる。
彼の残った左手を強く握りながら……少しずつ冷たくなっていく感覚を実感しながら……シガレットは、彼の手を頬に押し付けた。
「もう……俺は、逝きます」
「イヤ……っ、イヤよ、ガルファレット……っ! 貴方は、貴方はそっちに、そっちに逝かないで……!」
「ごめんなさい……貴女の、二度目の生、を……苦しまないように、する事が……出来なかった……こんな、方法しか取れない……愚かな、騎士を……許して、ください……」
最後に、ガルファレットは――涙を浮かべた。
嬉しいという気持ちではない。悲しいという気持ちではない。
ただ、悔しかったのだろう。
師であり、守るべき主であったシガレットが得た二度目の生を、悲しみに満ちた生にしてしまった事が。
それがシガレットの自業自得だとしても……彼は心の底から、シガレットの騎士であったからこそ。
何か、言いたかったのかもしれない。
最後まで、蘇生魔術の詠唱を呪詛のように続けていたファナの方を、一瞥したガルファレットだったが……それ以上何を言う事も出来ず、彼の心臓は、完全に止まった。
既に血液を運ぶ術も無く、脳の活動も停止し、瞳孔も開いて、喉も空気を取り込まなければ、排出する事も無い。
これから彼の身体は、少しずつ冷たくなり、固くなっていく。
アシッドという存在や、シガレットのように蘇った存在が多く居る世界であっても……彼は普通の人と同じ、一つの命しかない人間で在り続けた存在だからこそ……そうした終わりを辿っていく事になる。
「あぁ……あああ、ああああ――ッ!!」
既に正気を失ったと言ってもいい、シガレットの嘆きが、一面の荒廃した空間に蔓延った。
大粒の涙を流し、瞬きを忘れて乾いていく筈の目を潤すけれど……しかし絶叫する喉の渇きは潤さない。
何故、何故自分は生きている?
一度死した筈の自分が生きて、何故今を生きる筈だったガルファレットが、無益に死ななければならない?
そんな嘆きを込めた叫びを、一身に聞き続けていた筈のファナは……ガルファレットの身体から手を離し、目を開いたまま死んだ、彼のまぶたを……優しい手付きで、閉じさせた。
「……アタシ、逃げ遅れた人が、いないか……見てきます」
のっそりとした動きで立ち上がり、ふらつきながら足場の悪い瓦礫を歩んでいこうとするファナ。
そんな彼女の細腕を、シガレットが掴んだ。
「ファナちゃん……私を……私を殺して……お願い……っ、私をガルファレットと同じ所に……逝かせて……っ」
「……イヤです」
手を振りほどこうとしても、シガレットの手は、痛い程にファナの腕を掴んで離さない。
「私が、間違ってた……私は、私はどうして……どうしてこうなっちゃったの……? 今度こそ、間違えないって……皆の幸せを、誰かの幸せを、求めた筈なのに……私は、誰の幸せも、手に入れる事、出来なかった……っ」
ラウラはきっと、クシャナ達を前に敗北する。レナという女によって育てられ、正しさと向き合い続けた彼女の手によって、敗北する。
それを理解しながらも、しかし彼の求める未来に賛同したが為に、その悪足掻きに付き合ってやるか、という思いだけで、ガルファレットと戦っていた筈だ。
しかしそこに、彼と最後まで果たし合えるという願いがあったのだろうか?
それとも……『もし』や『仮に』という言葉で誤魔化したが、本当にラウラの願いを果たし、望んだ未来を、恒久的な平和や安寧とした世界を手に入れたいとする、欲求があったのだろうか?
その混乱した心には、分からない。
そもそも最初から、彼女には何も理解できていなかったのかもしれない。
「お願い、ファナちゃん……私の命なんて、こんな命なんて、どうでも良い……でも、でもガルファレットは、ガルファレットは生きているべき子なの……だから、だから……この子を蘇らせて……っ、貴女の力があれば、それだってきっと可能に」
「命を……命を侮辱すんな……ッ!」
涙と嗚咽の交った声で、ファナは心の底から湧き上がった罵倒と、シガレットに向けて叫ぶ。
その願いは、戦う前にファナさえ感じた事だ。
最後まで後悔を遺した人を蘇らせ、その後悔に決着を付けさせる。それだって、一つの考え方なのだろうとした。
けれど、ガルファレットと最後まで戦おうとするシガレットを見て、ファナは学んだ。
そして今まさに、ガルファレット・ミサンガという男の、ファナやクシャナ……否、シックス・ブラッドの皆に正しさを教えようと努力し続けてきた、教師の死を以て、学んだのだ。
ファナの力は、誰にでも一つしか与えられない、しかしだからこそ、少しでも懸命に生きようとする、命の在り方を侮辱するものだと。
「ガルファレット先生は、自分の命を捨ててでも、最後までシガレットさんに示したんだ……っ。懸命に生きようとする事を……自分が例え、誰を殺そうとしなくったって、大切な人を守る事は出来るんだって……どんな高尚な目的があって、どんな理想が、どんな未来が待っていたって、その為に誰かの命を脅かそうとするのは、絶対に間違ってるって……ッ!」
シガレットだって、知っていた筈の事。
きっと、かつて老婆となった彼女は、知っていた筈なのだ。
けれど今の彼女は、ラウラという男の手によって蘇り、若い頃の肉体と老いていた頃の魂のチグハグ状態となった事で、その行動に整合性を取る事が出来ずにいたのかもしれない。
そんな彼女に……ガルファレットは、思い出させようとしてくれていたのだ。
――その命を終わらせてでも、かつての師に、主に、思い出して欲しかったから。
「アタシは……絶対に、忘れない……ガルファレット先生の、伝えようとしてくれた事……そうやって忘れない限り……先生が生きた証は、意味は、ここにある……っ」
自分の胸を指さしながら、ファナは誓う。
絶対に彼の死を忘れない。
彼の想いを忘れない、と。
「シガレットさん。アタシは、貴女の事を許さない。だけど、だからこそ……その新しい命を、殺してなんかやらない。自分勝手に終わらせる事だって許さない……新たに得たその命が、自然と朽ちていくまで……苦しみ続けるのが、先生を殺した、貴女の役目だ」
ファナの言葉を聞き続けたシガレットの手に、もう力などない。
彼女の手を振り払い、ファナはよろよろと瓦礫の山を進んでいき、逃げ遅れた人が、戦いに巻き込まれた人がいないか、その命を探しに行く。
力なんてなくたって、彼女にはそれを果たす為の命があるから。
「ガルファ、レット……ガルファレット……ミサンガ……っ」
シガレットは……ただ、死したガルファレットの身体に手を乗せながら。
少しずつ熱が抜けていく彼を想いながら、ただ嘆きと共に、彼の名を口にするだけだ。
――再び得た生によって、手にしたもの。
――それは愛する男の名を、自分が殺した者の一人として、脳に刻んだという結果である。





