獣-04
「私の勝利条件は、ガルファレットの無力化、及びファナちゃんの確保。ファナちゃんさえ確保出来れば、どれだけ時間がかかろうとラウラ君の権力は絶対的なモノとなる。今この状況は、それにふさわしい状況と言えるんじゃなくて?」
「まだです。アタシは、諦めてません。先生も」
「諦めなかった所で何があるというの? ……ファナちゃん、理解して頂戴。私はね、貴女に人殺しなんてして欲しくないし、傷ついても欲しくない。これは、私の本心だって理解してくれるでしょう?」
ファナはガルファレットへ一瞬だけ目配せを行う。彼は現状、魔術相殺及び魔導符による拘束という事態に陥っているが、まだ残っているマナを用いて狂化魔術を発動する事さえ出来れば、魔導符の拘束から逃れる事は可能だろう。
問題は、魔導符の拘束から逃れた後……既にファナが戦術の要であると理解しているシガレットは、以後ファナの身柄確保を目的として動く。先ほどまで行われていた、ガルファレットとシガレットによる戦いではなく、今度は双方にとって重要なファクターとなるファナを、如何にして確保するかという攻防になる。
そうなれば、圧倒的に有利なのはシガレットに他ならない。ガルファレットは確かに優秀な人間であるが、しかしシガレット程に多種多様な魔術に精通しているわけでもなければ、狂化魔術を発動させていない状態では、容易くシガレットに窘められてしまう。
(どうしたらいいの……? 先生は、この状況で何か手はあるのかな……?)
一か八か、ファナがシガレットに飛びついて、彼女に二度目の生を与えている蘇生概念の解除を試みる、という手もあるが、一度捕らわれたが最後、もうファナにもガルファレットにも、抵抗する術は完全になくなってしまう。
「そもそも、前提条件として可笑しかったのよ。ガルファレットも、ファナちゃんもね」
「……可笑しい?」
「私をそんじょそこらの魔術師と同じだと思った? 今でこそこんな、めんこい姿してるけど、ファナちゃんを除く第七世代魔術回路持ちと一回ずつ戦った事もある、歴戦の婆なのよ? マナの量で劣ろうが、魔術回路が劣っていようが、戦い方なんて幾らでもある」
ファナもガルファレットも、読み違いをしていたわけじゃない。シガレットの能力については、殆ど未知数であると理解した上で、しかしマナの総量には限度があると考えたた。
彼女に単純な力量勝負で叶わないのならば、力量以外で上回らなければならないと、そう思考したからこそ、こうして体力及びマナの総量で上回ろうとしたのだが……今、こうして敗北という文字に抵触し掛かっている。
もし、ファナとガルファレットが読み違いをしていたとするならば……それは【歴戦の婆】という当人の呼び名に違わぬ、年齢を重ねたが故に冷静沈着な判断を下せる思考能力であるのだろう。
「……最後、に……一つ、聞きたい」
そんな中、ガルファレットは上手く動かせない身体を落ち着かせ、深呼吸を幾度も繰り返した後……そう言葉を溢す。
狂化魔術が解除され、既に理性を取り戻しているガルファレットに、もうシガレットは殺気など溢さない。
これ以上の戦いに意味は無いと、そう理解しているからかもしれない。
「最後、なんて言う必要はないわ、ガルファレット。貴方はこれから先の未来も生きていく。……まぁ、ひょっとしたら悲惨な未来が待っているのかもしれないけれど」
「悲惨な、未来……か……何故、そう考えながらも……ラウラ王の、幸せを……貴女は求めた……戦いという、貴女が何よりも、嫌悪した概念に、再び……身を委ねるような、事を……」
先ほど問うて、しかし「今更それを語った所で」と、答えては貰えなかった事。
今ならば、シガレットは勝利を確信し、戦いは終わったと考えている。
その問いに対して答えてくれると、ガルファレットは思っていたし……事実、シガレットは太陽の光が昇った先、綺麗な光に照らされながら目を細め、一筋の涙を流して、心の底から浮かび上がる言葉を、口にする。
「……そうね。そんな大それた目的が、あったわけじゃないけど……強いて言うのなら……私は、戦いをやり直したかったのかも、しれないわね」
戦いをやり直す。そう口にした彼女に、ガルファレットもファナも、何を言う事もない。
「戦争は終わった。けれど私の戦争はずっと続いていた。……何十年経っても、私の心中で、ずっと」
それは、ガルファレットにとっては懐かしい嘆き。
車椅子に腰かけ、何時も笑みを浮かべながらも、しかし時々遠い目で空を見上げ……涙を流す彼女の、嘆き。
「だから私は、暇になりたかった……心の中に平穏が訪れて欲しいと願って、でも訪れる事が許される筈ないと、私は理解している」
それだけの命を、自分の手で殺め続けてきた。
そんな彼女の心に平穏が訪れる筈も無いし、その事実を忘れて心に偽りの平穏を訪れさせた所で、意味はない。
そうしてしまえば、人はまた過ちを繰り返す。
忘れてはならない――忘れてはならないのだと、シガレットは胸に秘め続けてきたのだ。
「でももし、もしよ? 私のしてきた罪は消えなくとも、これからこの国に、戦争も内紛も無い、恒久平和が訪れさせる事が出来たら……そんな未来を勝ち取る為の戦いが出来たとしたら、私はあなた達に、そんな戦いの末に産まれた未来を、生きて欲しい」
もし、例えばの話であると強調しているけれど、しかしそれは、盲信に近い考え方だと、ファナは思う。
「私の新たに蘇った命に、この婆という使い捨ての命に価値があるのだとしたら、この人殺しに特化した力を以て、ラウラ君の望みを果たす。この戦いを最後に、恒久平和を勝ち取る。その末に待つ未来を、貴女達が生きるべき未来を……安寧秩序がもたらされた未来にする事よ」
戦争によって鍛えられ、戦争の只中を生き、戦争の嘆きを積み重ねながら死んだシガレットという女性にとって、自分の心を蝕む苦しみを晴らす方法が、分からなかった。
彼女に出来るのは、戦争の仕方だけ。
人の効率的な殺し方だけ。
それ以上何もする事が出来ないからこそ……そのやり方を以てして、もう二度と、戦争の無い平和な世界を作り出せないかと、再び蘇った命を使い、願うのだ。
「――それがもし出来たのならば、私の心にもようやく、平穏が訪れて良いのかもしれないわ」
「それが……貴女の、再び蘇って得た、戦う理由か」
「ええ。勿論、無為に命が死ぬ事を望んでなんかいない。私の手が届く場所の命は、全て守る。もしそれが出来ないのならば……それこそが、私にとっての敗北なのかもね」
「そう、ですか――残念な答えだ。俺は今、本当に幻滅している」
ガルファレットの口にした、幻滅という言葉に。
シガレットは目を細めながら、彼の方を見据える。
「貴女は……俺に『暇であってほしい』と願ってくれた……その願いを、最初は理解できなかった。けれどその想いを、貴方の死と共に理解したから……俺は貴女のようになりたいと思えた。子供達を導く男になり、生徒の命を、心を、守る為に戦うと決めた」
シガレットは、争いしか知らない女じゃなかった筈だ。
戦争という命のやり取りしか知らない、歪な婆などではなかった筈だ。
何故なら、戦う事にしか自分の価値を見出せなくなったガルファレットという男の心を救い、人が生きる上で大切な心を取り戻させてくれた、優しい心の持ち主こそが、シガレットであった筈だから。
その心がいくら戦争によって歪んでしまっていても、優しさだけは歪まなかった強さに、ガルファレットは心の底から憧れていたのに。
今の彼女は……その心の強さを揺さぶられ、過ちを犯してしまっている。
忌み嫌い、彼女の心を歪めた筈の、争いを再び引き起こしてしまっている。
シガレットという女性の事を尊敬し、敬愛し、信仰していたガルファレットにとって……それ以上に手酷い裏切りは無い。
「今の貴女は、戦いしか知らないと、牙を剥くだけしか出来ないでいる……獣だ」
「……ガルファレット」
「そんな獣の命……殺したくもない。ファナという聡明な子供にも、殺めさせる必要もない……俺は今、心の底から……貴女という女が、そんな獣に至ってしまった事を憎む……っ!」
歯を食いしばりながら、全身から放出されたマナの力場。それによって、シガレットは思わず目を一瞬塞いでしまう。
その隙を見計らい、ガルファレットは自分の胸元に足を乗せるシガレットから逃れようと、全身の魔術回路を稼働させ、自らを捕縛する魔導符を強引に破り、逃れると、彼女の軽い身体を押し退けながら立ち上がる。
「ッ、ガルファレット先生――ッ!」
「ファナ、最後のを、頼むッ!!」
恐らく、先ほどの魔術相殺に合わせ魔導符による捕縛が原因か、ガルファレットはドッと力の抜ける身体に何とかマナを籠め、その右足をシガレットの腹部に叩き込む。
防御は悠々と間に合い、しかしその力強い一撃を受けて、シガレットは勢いよく後方へと吹き飛ばされた。
その瞬間、ファナは残る全てのマナを投じるかの如く……遠隔発動魔導機の送信機に力を入れた。
「――イタイノ・イタイノ、トンデイケッ!!」
彼女の詠唱が唱えられるよりも前に、ガルファレットは駆け出した。
その地面を蹴りつける力を利用した高速移動と、先ほど吹き飛ばされたシガレットの二者が接近すると、既にガルファレットの肉体は蘇生魔術の適用によって復活を遂げ、右手の拳に狂化魔術を注ぎ込んだ上で、叩き込もうとする。
しかし、シガレットは歯を食いしばりながら両手でその拳を受け止め、ガルファレットと額を合わせた。
「安心しろ、本気は出さん。こちらとしても、ファナを痛めつけたくはない」
「、本気じゃない貴方に、私を止める事が出来ると思っているのッ!?」
「そもそも狙いに気付かれた段階で、俺達は貴女に逆立ちしたって敵いはしない――だが、貴女を止めるという事に関しては、出来る。してみせるッッ!!」





