獣-01
ガルファレット・ミサンガとシガレット・ミュ・タースによる戦いによって、グロリア帝国首都・シュメルの大広間を中心とした半径数キロは、既に死地と化していると言っても良い。
全身に青白い光を纏いながら、地面を蹴りつけて空を舞うシガレットに向けて拳を振るうガルファレットの攻撃を、軽やかに避けながらカウンターの一撃を確実に叩き込むシガレット。
それと同時に胸元より取り出した三枚の札、シガレットがそれを無造作に投げると、札は虹色の光を発した次の瞬間、その表面に光を一点集中させた上で、その光を弾として射出し、ガルファレットの身体へと叩き付けていく。
その衝撃によって吹き飛ばされ、地面へと落ちるガルファレット。だが、その身体が地面に叩き付けられると、むしろその勢いを利用するかのように地面を転がりつつ立ち上がる。
追撃と言わんばかりに襲い掛かる光弾を、ガルファレットは真っ直ぐ見据えながら、マナを大量に注ぎ込んだ右腕を振り込んで、光弾に叩き付ける。
ガルファレットの拳によって殴られた光弾は、反射するかの如く弾かれてシガレットへと向かっていくが、彼女も目の前に展開した新たな札を光弾に向けて投げると、それが爆ぜる事によって光弾を巻き込み、その威力を拡散させた。
二者の間に舞う爆風に向けて、ガルファレットもシガレットも地面と空を蹴り、一直線に駆け出した。
爆風の只中、視界も定かではない煙の中で、ガルファレットが振るう拳を寸での所で回避しつつ、シガレットは彼の頭に自分の額を叩き付けた。
ゴウン――と周囲に響き渡る、頭蓋と頭蓋がぶつかる音。その音がまるで反響したかの如く、二人を中心に暴風のようなものが吹き乱れ、爆風を拡散させていく。
だが、そこでシガレットには一つ誤算があった。
叩き付けた額の威力によってガルファレットの身体を地面へと叩き付ける予定であったにも関わらず、彼は空中で両足にマナを溜め込み、その力場を足掛かりとする事により、地面へと叩き付けられる事を回避し、そのままシガレットの頭を両手で掴んだのだ。
「ゴァアアアアア――ッッ!!」
「チィ――ッ!」
そのまま頭を潰さんかと言わんばかりの握力だったが、しかしシガレットは頭部に最大出力の強化を施す事によってそれを回避し、潰す事が出来ないと分かった瞬間、ガルファレットは勢いよく地面へと向けて彼女の頭を投げつけようとする。
その為に両腕を振るい上げた彼の動きに合わせ、シガレットはガルファレットの首に自分の足を巻きつけ、首を絞める事で彼の動きを抑制、かつ呼吸がし辛くなった事により、ガルファレットが両手にかける力を弱めさせたタイミングを見計らい、彼の腕を払いのける。
体勢を立て直し、そのまま両足で首を絞めつつ身体を回転させたシガレット。落下するガルファレットの巨体が地面に落ちる寸前で彼の身体から離れると、彼は瓦礫の中へと身体を埋もれさせていき、シガレットも瓦礫の上を転がった。
「ぃ、つぅ……!」
既にガルファレットと、どれだけ殴り合っているのか、それを意識さえ出来ずにいた。
しかし、今こうして瓦礫の上で転がる事によって、自分の身体を守るべき、狂化魔術の展開が弱まっていると理解した。
「く、マナが、持たない……ッ!」
ガルファレットとの戦いにおいて、何よりも重要な存在は二つ。
まずはガルファレットという、疲れ知らずの漢と相対するに必要な体力だ。しかし、これについては相当の自信がある。
そもそもシガレットは、かつて第七次侵略戦争という地獄をその身一つで生き残ってきた猛者だ。動きを止めれば死ぬ、ただ動いていても死ぬ、死にたくなければ止まらずに敵を殺して前を開けろ、という戦場を生き残ってきた全盛期状態の彼女だからこそ、その体力は生半可な輩には負けないという自負があった。
事実、ガルファレットが暴れまわる今の状況において、冷静に対処を行いながらも息を切らす事なく戦い続ける事が出来ているのも、身体を動かす為の思考能力が冴えている証拠であり、思考能力を冴えさせるものは、何よりも経験と体力だ。
ガルファレットという巨漢の暴れ馬を窘めつつ戦い続け、最終的に勝利へと誘う為には、体力を可能な限り温存しつつ、ガルファレットのマナが枯渇するのを待つ必要があった。
しかし、彼との戦いにおいて重要なもう一つの要素が――マナの総量だ。
マナは全身の強化にも用いられる上に、ガルファレットを牽制する為に必要な護符魔術の発動にも用いられる。これを切らしてしまえば、シガレットは年相応の女性としての力しか非ず、この状態となってしまえば、ガルファレットという凶暴性の塊を相手にしてはコンマ秒という時間さえ必要とせず、捻り潰されて殺される。
勿論、マナを枯渇させぬように出力を調整する事は可能であり、ここまでの戦いで、通常の魔術師ならばガルファレットに数十回と殺されているべき状況を生き残り、尚もマナは枯渇していない。シガレットは十分以上に健闘していると言ってもいい。
だが現時点で、マナの総消費量は全体から見て三分の二。本来ならばこの状況における消費量は全体比率三分の一程度に収まると想定していたにも関わらず、予想を遥かに超えてマナを消費している。
勿論、シガレットの想定から外れれば外れるほど、ガルファレットが想定よりも多くのマナを消費し、戦闘を繰り広げている事の証でもある。ガルファレットもそれだけ、マナが枯渇するスピードも速くなっている筈なのに……彼は、現時点でそうした不利を感じさせない。
まるで無尽蔵にマナがあるのではないか、そう邪推してしまう程に、ガルファレットは暴れ回っている。
今、瓦礫の中から身体を無理やり這い出させて、痛む体に鞭を打つかの如く、再び青白い光を放出。
「グルルゥ――」
肉体に出来た傷が、青白い光に当てられながらジュゥ……と煙を立てて再生していく様は、アシッドのようにも思えるが、しかしそれは、彼の放出する狂化魔術によって肉体が自然治癒力を高めているが故だ。
「貯蔵できる、マナの総容量は……増えてない筈なのに、どうして……っ」
魔術師の体内には、普通の人間とは異なりマナ貯蔵庫と呼ばれる、世界中に蔓延るマナを収拾し、貯蔵する器官が存在する。
この器官は肉体の成長に合わせて肥大化する。つまり、成長期を越えた段階でマナの最大貯蔵量は変動しなくなり、むしろ老化による縮小化を果たしていく事の方が多い。
ガルファレットはもう三十七歳、如何に屈強な肉体を維持するために鍛え続け、かつ生まれが要因で常人よりも優れた身体機能を有しているとは言っても、老化に抗う方法はない筈だ。
「ルルゥ――ガァァアアッッ!!」
瓦礫の山を吹き飛ばすようにして、光の如き速さで駆け出すガルファレット。
それと同時に振り込まれる拳に対し、シガレットは避けきれないと判断した上で魔術相殺を展開。彼の拳に込められている狂化魔術を相殺しながら受け流すと、その屈強な肉体が自身に襲い掛かり、血反吐を吐きながら飛ばされる事に。
だが拳が一直線に身体へと叩き付けられていれば、それこそ死は避けられない。数トン程の圧力を有する威力の肉体に吹き飛ばされながらも五体満足で立ち上がる事が出来たシガレットは、そのまま勢いを保ったまま襲い掛かろうとするガルファレットに向け、五枚の札を放出。
腕を回すようにして五枚の札に指を付けていくと、それぞれの札が自立駆動を開始。
ガルファレットの顔面と四肢にそれぞれ張り付いた札が瞬時に爆ぜると、彼は僅かに動きを抑制させた。
その隙を見計らって地面を蹴り付け、宙を舞うと、寸での所でシガレットはガルファレットの突進を避ける事が出来、また次の攻撃への時間稼ぎが出来る。
「――死なないでよ、ガルファレット。それだけ貴方を買ったという事なのだから」
その綺麗な肌艶のある腕の脂肪、多くの擦り傷こそあるが、出血の果たしていない腕に突然噛みついたシガレット。その腕の肉を食い千切り、吹き出す血。しかし彼女はそちらに目を向ける事などしない。
対して、止まらない暴走列車と化したガルファレットが、建物の一つに衝突する事で動きを止めたものの――既にシガレットは行動を開始している。
「……オマリャ・チャプシル・ヴァルキュフォニャスチャ」
一瞬の内に、シガレットの口から放たれるのは、彼女が何十年と唱える事のなかった、魔術詠唱。
詠唱を唱えると共に胸元から取り出すのは、先ほどまでとは異なり三十枚の札。その札一枚一枚が動き出し、先ほど食い千切った腕の肉から噴き出す血を塗れさせていく。
「リャンニャ・ガルチャルファリャ・ヴァルキュフォニャスチャ」
魔術の使役には三種類、存在する。その内の二つは魔術師が戦闘の際に用いる事の多い、短縮詠唱と無詠唱だ。
両者共に戦闘時における汎用性と即時性に特化させた使役方法であり、瞬発的な発動が出来る反面、威力や精度としては弱まる傾向が存在し、また十二分にマナを出力する事が出来ずに不発となる可能性もあり得る。
故に無詠唱もしくは短縮詠唱を持ち得る魔術師は、相対的に実力者が多い。シガレットも本来は、無詠唱や短縮詠唱の魔術を用いて戦場を勝ち抜いてきた強者である。
「ルー・ギリアス・フォニャスニチェ・ニャ・ルーオンギャム……ッ!」
その二つに対し、詠唱魔術は詠唱時間が長く、その詠唱に込められたマナと声量が多い程に威力と精度を増す反面、即時顕現が難しい事に合わせて隙が多く産まれてしまう。
だが、それだけのリスクを負ったとしても……シガレットには、詠唱魔術を使役する必要があると、そう考えていた。
理由は明白だ。無詠唱や短縮詠唱によって多くの戦火を挙げてきたシガレットが、詠唱魔術を唱える事は、それ即ち――これまでよりも強大な魔術を使役する事の証明。
「――ガデッザ・シャーンッ!!」
三十枚余りの札に塗れた血から放出される高出力のマナが一点に集中して、宙に人の目では認識し得ない光を放つ。
光は一瞬の内に空を駆け、鼓膜を破壊するかの如き轟音を周囲にまき散らしながら、ガルファレットの突っ込んだ建物目掛けて莫大なエネルギー派を放出した。
亜光速で空を駆けるエネルギー波。その破壊力は周囲を熱で焼きながら、ガルファレットのいる筈である建物へと着弾、建物の窓を全て破壊し、爆風を挙げながら、天へと向けて熱を放出しながら、爆ぜた。
世界から音が失われたのではないか、そう誤認する程に、鼓膜を刺激する爆発。
通常、人間が生きている筈も無い破壊力があった爆風の中から……ドシン、ドシン、と。足音を立てながらこちらへと歩んでくる男がいる。
「ホント……冗談も大概にしなさいよ……っ」
口から黒い煙を吐き出しながら……それでもガルファレット・ミサンガは、その眼に光を失わせていない。
彼はまだ、健在だ。





