願い-12
エンドラスには、ラウラの言葉が悪魔の囁きにも聞こえたけれど――しかしそれと同時に、神からの福音である様にも聞こえた。
むしろ、悪魔の囁きに思えた気持ちは一瞬の内に消え去り、ラウラという存在が正に神として見えて、その言葉が何よりも正しいものに思えて……彼グラスパーの刃を下ろし、手を離して、地面に落ちる事でカランカランと乾いた音を奏でた。
「……私に、何をしろと言うのですか?」
「簡単だ。帝国の夜明けとフェストラ達……シックス・ブラッドという組織には、そろそろ活動を縮小してほしくてね。その為には、君に動いて貰う必要がある」
エンドラスが手から離したグラスパーの刃を手に取って、その柄を彼に向けて差し出したラウラ。
「メリーがアスハを使い、レナ君の身柄を拘束した。狙いはファナであり、君の娘が二人の身を守る為に行動している。だがそちらの対処には、ルトが動いてくれている。彼女に任せれば良いだろう」
後に詳しく聞いた事だが、メリーはファナという存在の特異性に感付き、彼女を殺せとアスハへ命じた。
アスハはその為に、レナ・アルスタッドの身柄を拘束してファナとヴァルキュリアを誘き寄せ、ファナを殺めようとしたが、しかしその作戦に気付いていたルトが妨害、また同様に、事態の深刻さに気付いたフェストラがアマンナを派遣、ルトとアマンナによってファナとレナが、プロフェッサー・Kによって、アスハの固有能力に囚われたヴァルキュリアを救出。
アスハはファナの暗殺に成功するが――しかし、ファナは新種のアシッド因子を持つが故に、アスハが殺したと認識してその場を後にした直後、再生を果たして、生還する事となった。
「そして現在、帝国城にて愚弟であるドナリアが、フェストラとガルファレット君の二名と交戦中だ。しかし、如何に優秀な二人であっても、ハイ・アシッドであるドナリアと、ゴルタナを装備した無数の兵を相手に戦線を長らく維持はできない。そこで――君の手で、ドナリアを退けてくれ」
「……わたしの手で、ドナリアを?」
「そうだ。そうなれば帝国の夜明けは、君というカリスマの求心力が敵に回った事に混乱する事となろう。特に、かつて君と同じ志を掲げた愚弟やメリーは、強く動揺するだろうな」
かつての同胞を、友を、エンドラスの手で斬る。
そうした時に、ドナリアは、メリーは、どんな表情を浮かべるだろう。
以前、少し考えた邪心。あの時は、友情と倫理によって邪心を振り払う事が出来た。
けれど今――エンドラスは選択を迫られている。
妻の願いか、かつての友か。
ラウラが手に持つグラスパーを手に取れば、それで友を斬る事となる。
そんな事はしたくない。けれど、しなければ妻の命は蘇らない。
「かつて志を共にした戦友を斬れと、我は君に命じる事となる。それがどれだけ残酷で、君の心を蝕む事になるか、それは理解できる。我としても心苦しい」
その言葉に、どれだけ彼の本心があるか。それはエンドラスにも分からないし、恐らく本心などあるまい。
彼には、人としての感情が欠落している。もし彼に僅かでも感情があるとすれば――それは、自分の思い通りに動かぬ愚か者への怒りと、レナ・アルスタッドや彼女の子供達へ向ける愛情だけだ。
「けれど、その先に君が、ガリアが求めた未来はある筈だ。ヴァルキュリアという娘を守り、そして恒久的な平和を我が作り上げた後の世界で、君達は最愛の妻であり、母であるガリアと再会を果たす――愛する者を有する者同士、その想いも痛い程に理解できる」
この言葉には、彼の本心が込められていたのかもしれない。語調は僅かに上がって、声の勢いも僅かに増した。エンドラスの想いを――そして、ガリアの願いも理解できると、そう言わんばかりに。
「理解できるからこそ、我は君に言おう。迷うな。悔やむな。家族を守れ。それが出来ぬのならば――君はヴァルキュリアの父を名乗る資格も、ガリアの夫を名乗る資格も、二人の幸せを守るという願いを掲げる資格も在りはしない」
僅かに、力が込められたからか、グラスパーの刃を持つ手が、その鋭利な切れ味を有する刃によって斬れ、血を流していく。それだけ、エンドラスへ語り掛けるラウラの想いが強い事を証明している。
エンドラスは、もう何が正しくて、何が間違っているか、それを考える事の出来ない混乱した頭で身体に命令し――ラウラが差し出した、グラスパーの柄を、手に取った。
「――私は」
手に取った瞬間、もう頭に混乱は無かった。
鞘に刃を収め、帝国軍司令部を飛び出したエンドラスは、帝国城へと向かっていく。
(私は、もう迷わない……ドナリア達を、斬る。その為の力が、私にはある)
帝国城周囲は既に閉鎖されていて、エンドラスは舌打ちをしながら、ガラスの割れた窓まで跳び上がって侵入し、そのまま廊下へと出ると――恐らくドナリアによって打倒されたのであろうフェストラが、ドナリアの手によってアシッド・ギアを挿し込まれようとする光景が目に入った。
エンドラスは、迷うことなくドナリア背後から――彼の腕をグラスパーの刃で叩き切る。
宙に浮かぶ腕、その軌跡を目線で辿るドナリアとフェストラの事など意に介さず……エンドラスは刃を鞘に納めた。
「……な、何が」
「何が、では無いだろう。――君を斬りたくはなかったのだがね、ドナリア」
ドナリアの声には、混乱していると察する事が出来る程の、震えと戸惑いが込められていた。
「エンドラス……? 何故……お前が、何故……ッ!」
「何故、でも無いだろう。私は、帝国騎士としてこの国に仇成す者を斬る役目がある――レナ・アルスタッド君を危険に晒した君達を、許す事が出来ないという理由もあるがね」
自分が、どれだけ残酷な言葉を口にしたか、それをエンドラスは理解していなかった。
同胞として、友として、エンドラスを認めていたドナリア。何時の日か、自分たちの理想に共感し、共に戦ってくれる筈だと信じていたドナリアにとって――エンドラスという男が下した決断は、その振るった刃は、叩き切られた腕の痛みよりも強く、彼の心を蝕んだ筈だ。
けれどエンドラスは、その真意を理解させぬ程に、冷たい目付きで、ドナリアへと忠告を口にする。
「私としても、同志であった君達をこれ以上斬りたいわけではない。――投降してくれないか?」
「う、嘘だ……っ、お前が、お前が俺達に……お前の理想を体現しようと、命を懸ける俺達に、刃を……刃を向けるのか……!?」
嘘だと、こんな現実はあり得ないと、そう嘆くドナリアの姿を見ても、それでもエンドラスは、何も感じる事は無い。
ただ、自分のすべき事をすると、そう言わんばかりに、警告を口にし続けた。
「ドナリア、そしてかつての同志諸君……許してくれとは言わない。恨んでくれて構わない。だからせめて、私にこれ以上、刃を抜かせないでくれ」
「嘘だ――ッ!!」
ハンドガンを抜き、エンドラスへと銃口を向けて構えるドナリア。そのままトリガーが引かれ、銃弾が射出されても、エンドラスはその射線を見据えて刃を抜き、放たれた銃弾を刃で斬り裂いたと同時に、ドナリアの両腕を切り伏せ――彼の首を、両断。
「刃を、抜かせないでくれと、言ったじゃあないか」
――その言葉には、もしかしたら本音が含まれていたのかもしれない。けれど、その言葉に本音が含まれていたとしても、結果は変わらない。
彼が刃を再び鞘へ納めると同時に、ドナリアの首から上にあった筈の頭が、床に落ちて、ゴロリと転がる。
だが、頭だけになった状態でも……ドナリアは言葉を、まるで怨念のように綴り続ける。
「……なんで……なんでなんだよ、エンドラス……お前は、俺に……正しい、力の在り方を……戦争っていうものを、教えて、くれたじゃ……ないかよ……」
彼の言葉は、間違いなくエンドラスの心を蝕む、呪いの言葉。
心を閉ざして、目的の為に、妻と娘の幸せを求めて友を売った筈のエンドラスの心を喰らう、狂気の言葉だった。
そして――その言葉は、エンドラスの背後からも、同様の想いを込めた言霊として放たれる。
「私も、その理由をお伺いしたいですね。エンドラス様」
背後には、何時の間にか見知らぬ男が立っていた。しかしそれが、メリー・カオン・ハングダムであろうという検討はついている。
「君は、メリーで構わないかな?」
「はい。貴方を信仰し、貴方と同じ世界を志した、メリーにございます」
「そうか――君も、斬らねばならないというのかな?」
メリーと向き合い、柄に手を振れ、何時でも抜けると示すエンドラスに、彼も冷や汗を流して、どうするべきかを思考しただろう。
既にエンドラスは、かつての同胞を斬る事に迷いはないと、その真意を理解しているからこそ――理解しているからこそ、彼が止まらない事も同様に察したのだ。
しかし――エンドラスの心を、揺さぶる少女の声は、またも背後から聞こえた。
「……父、上……? 何故……父上が、ここで……?」
近くの部屋、その扉が開かれ、一人の少女が身体をふらつかせながら、姿を現して、声を発した。
その少女は――ヴァルキュリア。
エンドラスの娘であり、彼女は自分の父が戦う理由を知らず、困惑を込めて「父上」という敬称を呼んだ。
(ヴァルキュリア。お前はきっと、私が何をしているのか、それを理解できず、悩むのだろう。それを、私は理解できる。お前の悩みを払える程、私は口達者ではないし、語る気も無い)
娘が目を見開き、見てはならないものを見てしまったと言わんばかりに驚嘆する姿を、エンドラスは顎を引いて、真っ直ぐ見据えながら、捉えている。
(けれど、それでも構わない。お前が、私の事を理解できずとも……私は、お前の事を……お前の命を、守る為に、お前の父親である事と、ガリアの夫である事以外の全てを、投げ出してやる)
――そしてその末に、幸せな未来へと共に行こう。
――お前にとっての幸せも、その先にあるのだから。
――何時か、この思いを、理解してくれると信じているよ。
――ヴァルキュリア、ガリア。





