願い-08
「謙遜は時として相手を深く傷つける事を、エンドラス殿は知っておいた方がいいでしょう」
「謙遜ではない。……確かに私は昔、それなりに名を挙げたが、今は随分と魔術回路に劣化が訪れていてね。きっと、君の方が強い」
「ヴァルキュリアが聞けば、随分とショックを受けそうでありますが」
「あの子はもう、とっくの昔に私を越えているんだがな。……妻が死んだ日、手合わせをして、その時に私は負けたんだ」
初めて曝け出した自分の恥――否、本来恥ではない。あくまで子供が親を越えるに相応しい実力を手にし、また自分も衰えたというだけの事。
けれど、歳を取ったという実感を湧き上がらせると共に、どこか無情な想いがエンドラスの心を蝕んでいた事は確かだ。
ヴァルキュリアに敗北した後に、エンドラスは自分の魔術回路が現状どんな状態であるか、全盛期と比較した事もある。
勿論日々の鍛錬も怠っていないが故に、冴え自体は残されているが、しかし経年劣化とも言うべき魔術回路の品質劣化は避けられておらず、昔より圧倒的に出力という点においては、ヴァルキュリアの何割にも満たない性能へと下がってしまっていた。
思い出すと、どうにも悲しくなってくるものだと、少し遠い目をしながら見据えた、アルスタッド家の窓から見える景色に、変化があった。
恐らく二階から降りてきたのだろう女性がキッチンに立って笑顔を魅せ、幾つかの食材を手に取りはじめた。
女性……レナ・アルスタッドを見て、エンドラスは思わず (変わらないな、彼女は)と、率直な感想を抱いた。
エンドラスはレナと、顔見知り程度の関係であるが、それでも昔から美しい女性だと認識していた。
それも彼女の場合は、多くの女性に訪れる老化と共に訪れる年輪を感じさせる美しさではなく、昔から彼女が持つ魅力というのを引き継いだような、可愛らしさに近い美しさがある。
「……そうか。レナ君の子が、第七世代魔術回路を持つ少女、という事なのか」
エンドラスが、僅かにガルファレットを警戒しながら放った言葉を聞いて――ガルファレットは目を細めながら訝しむように、エンドラスへと問うた。
「レナ・アルスタッドの事をご存じで?」
(引っかかってくれた)と、エンドラスは内心祝福する。
あの家がレナの家であった事は元々知っていたが、しかし彼女の子供が本当に第七世代魔術回路を持つという情報は無かった。 (ガルファレットが護衛しているという時点である程度そうなのだろうという確信は持てていたが)
だからこそ、カマかけという意味合いで言葉にした意図が強かったのだが、彼の場合は第七世代魔術回路を持つ、という点にではなく、レナ・アルスタッドの事を知っているのか、という点に引っ掛かりがあったようで、特にエンドラスの言葉を訂正しようともしなかった。
フェストラやガルファレットに情報を与える理由は薄いが、しかしそうして白状してくれたのだからと、エンドラスは正直に問いへ応える事にした。
「向こうは私の事を、名前位しか知らないだろうけれど」
レナはエンドラスとそう話したわけではないし、そもそも元々彼女の事を知っているのも、ラウラの給仕であり……ラウラと恋人関係であったからこそ、彼女の事も守らなければならない立場であったからだ。
もしかしたらレナはエンドラスの事を忘れているかもしれないし、帝国騎士の名前など、所詮王の愛人関係であった女が覚えている筈も無いだろうと、少し彼女の事を下に見ていた事もある。
「どういう関係なのです?」
「かつて私が仕えていた主と、少しね。個人の情報を話す事は好かんし、これ以上は言わんよ」
必要な情報は手に入った。クシャナという子供が出来てからは、ラウラとレナの間に関係がない事は調査済み。となれば、第七世代魔術回路を持つ子供はクシャナという子供に間違いないだろう。
エンドラスは傘を差し直し、エンドラスの下から離れようとするが……しかしエンドラスへと向けて、ガルファレットは言葉を投げ続ける。
「貴方は何を知っているのです?」
答える理由はない。先ほどレナの事を伝えたのは、彼がある程度の確信をエンドラスにもたらせてくれたからであり、これ以上何を知っているか、それを口にする必要もないし、あった所で、エンドラスは何も知らない。
「貴方は何を知っていて、何とどう関わっているのか――それを、ヴァルキュリアの目を見て、語れますか?」
面白い事をいうモノだな、と……エンドラスは僅かに笑ったけれど、しかしその笑みがガルファレットに見える事は無い。彼に見えるのは背中だけだ。
けれど、確かにエンドラスは、自分が何を知っていて、どう関わっているか、それをヴァルキュリアに打ち明ける事は出来ないだろう。何せ、自分でさえ何をするべきかも理解できず、ただ娘と妻と戦友との間にある願いの壁に、挟まれているだけの中年男性に過ぎないのだ。何も語れる筈も無い。
「貴方の娘は、前を向いています。貴方は、しっかりと前を向けているのですか?」
――前を向けているのか。
その問いには、返したくなるが、しかし心中に収めてでしか、言葉にする事は出来なかった。
(ガルファレット君。君は【前】という言葉を、どういう意味で言っているのだろうな?)
恐らくガルファレットは「正しさ」という意味を以て【前】という言葉を使っただろう。
その倫理は今の世においては理想的で、エンドラスも昔は、前を向いて物事に対して突き進む事ができただろう。
(確かに、ヴァルキュリアは正しさを求めて、前を向いているだろう。そういう子供にと、かつて私とガリアが望んで育てたのだから、当たり前だ)
けれど、今はエンドラスもガリアも、そんな願いを持っていた頃とは異なり、別の【前】を向いたのだ。
今のエンドラスにとっての【前】とは、正しさじゃない――「願い」だ。
(私にとっての【前】は、もう正しさなんてものじゃない。正しさなんてモノでガリアの願いが果たされない事は、既に彼女の死を以て証明されたんだ。……私は、ガリアの願いを【前】と見据え、歩いている。だからこそ私は、これでいい。これでいい、筈なんだ)
あの日を思い出す、雨の日だからだろうか。
エンドラスは頭に過る考えに、僅かながらに逡巡を馳せる。
これで良いのだと思いながらも、しかし本当に正しいのかと、自分の心が問いかけているような気がする。
(もし……ヴァルキュリアに全てを打ち明けたら……あの子は、私と同じ【前】を、向いてくれるのだろうか……?)
答えは分からない。けれど、そうであってくれたら、きっとエンドラスは悩む事無く、前を見る事が出来るだろう。
けれどそうじゃないから、そうは出来ないという思考に囚われているからこそ……エンドラスには、今の【前】がどちらかを、断言する事が出来ずにいるのだった。
**
「……どういう事だ」
エンドラスは、帝国軍司令部が閲覧する事の出来るデータベースの中から国民の管理データを閲覧しており、レナ・アルスタッドとの血縁関係にある者の調査をしていた。
もし第七世代魔術回路を持つという子供が本当にいるというのなら、帝国軍司令部の人間としても捨て置けない。
メリーやドナリア、アスハの率いている【帝国の夜明け】なる組織もそうだが、それ以外の反政府組織に拉致でもされた場合、ラウラ王に関する情報を奪われる事と同義でもある。だからこそ、フェストラ達だけに任せるのではなく、帝国軍としてもその身を守る術がないかを調べる為であったのだが……問題が浮上。
クシャナ・アルスタッドは確かに、レナ・アルスタッドの子供である事に間違いない。その出産記録においてもクシャナを産んだ産婦人科の記録も出て来たし、その上で彼女が産まれたばかりの頃、どれだけ多くの病を抱えていたかも知る事が出来た。
病の治療には多くの帝国魔術師が駆り出され、アフターケアも行われている為か、現在は聖ファスト学院の剣術学部五学年に在籍している。
一介の帝国民、それも当時から給仕の職より離れていたレナに、それだけ多くの帝国魔術師を動員できる財力があるとは思えない。必ずラウラ王による財政的なバックアップがあった事に間違いは無いだろうが……しかし、問題は別にある。
記録上、クシャナ・アルスタッドには魔術回路が一切ない事が記述されている。もし何らかの形でラウラ王の有する遺伝情報が書き込まれた場合、彼の第七世代魔術回路に関する情報が遺伝し、彼女にも最低、第五世代魔術回路相当の魔術回路があってもおかしくない筈だ。
ある筈の魔術回路が無い、という情報隠蔽がなされている可能性も否定し切れないが、しかし魔術回路の有無は見る者が見れば明らかだ。もし隠蔽をする場合でも、第二世代から第三世代というありふれた世代数をあてがって隠蔽する方が現実味を増すというのに、それさえ行われていない事から、隠蔽の可能性は低い。
「となると――こっちか」
それまでエンドラスも知らなかったが、レナには記録上、もう一人の娘がいる。
ファナ・アルスタッド。血縁上の繋がりは無く、あくまで記録では養子となっているが、よくよく情報を拾ってみると、捨て子を自分の子供として迎え入れた戸籍情報が記載されている。
ファナには第二世代魔術回路が存在するという記録があったけれど……こちらが隠蔽されている可能性の方が大きいと、エンドラスは踏んだ。
「という事は……このファナという子供は、ラウラ王の子……いや、王は非閉塞性無精子症だ。子供を作れる筈も無い……という事は、まさか……クローニング?」
元々レナの卵子情報のみを使って、クシャナという子供を造り出す為に利用した技術は、レアルタ皇国アメリア領首都・ファーフェの【技術実験保護地域】が有する技術だ。そして技術実験保護地域では、クローニング研究も行われていたという情報は知り得ているし、もしラウラが自分の遺伝子情報を基に作り出したクローンという事なら、生まれた子供の性別以外は辻褄が合う。
――けれど、それは何故? なんのために、そんなクローンを作り出す理由があった?





