願い-07
ドナリア主導による、聖ファスト学院襲撃事件が起きた日の夜。エンドラスはその報告を、一人の男から事細かに説明を受けていた。
かつて帝国軍指令部第四諜報部の部隊長を務めていた男性であり、軍拡支持エンドラス派に属していた、メリー・カオン・ハングダムだ。
彼の顔はエンドラスが一瞥した時には昔と全く異なる顔立ちをしていた。それがハングダムの有する認識阻害術を越えたものであると理解は出来たが、仕組みが良く分からなかった。
けれど、そんな事はどうでもいい。襲撃事件によってドナリアが捕らわれた事も、気にはなるけれど死んでいないのならば構わない。
そもそも帝国軍司令部の人間であるエンドラスにさえ、聖ファスト学院襲撃事件の顛末が事細かに入って来ない事にも思う所は在るが……重要な部分は一つだけ。
「……あの子は無事なのか?」
「アスハが対応しております。流石はリスタバリオスの血を継ぐ者。アスハと二度も対峙し、その首が繋がっているとは、私も驚きました」
それには、エンドラスも驚いていた。
アスハ・ラインヘンバーは、エンドラスが知る限り、白兵戦という点においては最上位の剣士であったと言ってもいい。
盲目と触覚失認という障害はあるが、しかし視覚情報に頼らない戦闘スタイルの確立によって、当時八歳、九歳という幼子であったにも関わらず、エンドラスとまともに渡り合える実力を有していた。
ガリアもアスハには相当入れ込んでいて、幼いアスハに「拙者の娘が何時か汎用兵士育成計画の体現者となるのであります!」と言い触らし、アスハもそれを喜び、妊娠して僅かに大きくなったガリアのお腹を優しく撫でていた事を思い出す。
そんなアスハと、ヴァルキュリアがまともに戦い合い、ヴァルキュリアは勝利とてしなかったが、しかし生き残ったという。
戦いにおける最優先事項は、何よりも「生き残る」事だ。死ねばその瞬間、戦力という枠から外される。しかし生き残ってさえいれば、如何な怪我を負っていようと戦線復帰の望みはある。
――意図した事では無いだろうし、そう育てたからこそではあるが、ヴァルキュリアはもう既に、実戦慣れしているアスハと同等レベルにまで、経験も積み重ねていたという事だ。
「エンドラス様は、ドナリアの野望に何故加担せずにいたのでしょうか?」
メリーの問いに、エンドラスは目の前で焚かれる囲炉裏の火をジッと見据えた上で、何と返すべきかを思考し、その上で……当たり障りのない事を口にした。
「彼が望んでいたのは、今の世の崩壊だ。それは、私としても本意ではない」
この言葉も本意ではないのだが……エンドラスはそう思いながら、フェストラに捕らわれたというドナリアに、内心で罵倒する。
(何が、ヴァルキュリアがフェストラ様に利用される、だ。お前が、お前達が、ヴァルキュリアを戦いに引き込んだ。お前達がいなければ、あの子は……戦いになんて出向く事なく、大人になる事が出来たのに)
かつての友であるドナリアを、罵る思考は止まらない。そんな彼の表情から何かを察したのか、メリーも言葉を止めなかった。
「ドナリアは貴方の語る理想を崇拝していました。そして私も、アスハもそうです」
――崇拝、か。
それがどれだけ、恐ろしい言葉か。
崇拝とは、崇めて信仰を捧げる事をいう。信仰とは、それを絶対視し、信じ尊ぶ事をいう。
けれど、その末に待つ未来は、何だ。
その信仰している間は、崇拝している時は、自分の心を満たす事が出来るだろう。けれど信じ尊ぶ時間が長ければ長い程、裏切られた時の絶望感は強く、その崇拝を捧げた者に襲い掛かる。
――ガリアもかつて、フレアラス教という存在を崇め、尊び、だからこそ汎用兵士育成計画という世迷い事に執着して、しかし最後には、最愛の家族と幸せに暮らすという望みさえ果たす事が出来ず、絶望の淵に沈んでいき、死んだ。
もしエンドラスが「もう汎用兵士育成計画などと言う存在は机上の空論だ」とでも言って、彼らを拒絶したらどうなるだろう。
その時、彼らは崇拝していたモノを失い、どんな表情を浮かべるのだろう。
そんな邪心が心に産まれかかった所で、エンドラスは思わず自分がどんな惨い事を考えたのか、そう思いながら首を横に振るった。
如何に悪質なテロを敢行しようと企んでいても、メリー達はかつて自分の存在を頼りにしてくれた。それを、何よりも望んで受け入れ、彼らと共に歩もうとした自分が、何故そんな事を……と。
やはりどこか、おかしくなっている自分の存在が、それこそ本当に可笑しく思えて、思わず苦笑を漏らした。
「……君達は若いな」
「というと?」
「理想とはね、現実とかけ離れた遠い場所にあるものだ。故に、その理想と現実との差異を埋めるには、どうしても過激な方法をとる他ない。……それが難しい程に、私も年老いてしまったのさ」
そう、今エンドラスが考えた事のように、現実のエンドラスなんて存在は取るに足らない存在で、年相応に誰かの事を妬みもするし、妻という存在を失い、失意の中で破滅的な思考さえ巡らせるような、言ってしまえば阿呆でしかなかった。
エンドラス・リスタバリオスという男は、彼らが信仰するような存在ではないんだぞ、と。
彼らが信仰する、理想となるエンドラスと、現実のリスタバリオスの差異を埋める方法など無い。
在るとしても――ヴァルキュリアの父親として、ガリアの夫として、そして何よりも人としての在り方から離れ、全てを捨てた存在にでもならない限り、その差異を埋める事など出来ないだろう。
もうエンドラスは、そんな自分勝手を許される人間じゃない。否、許されたとしてそれが出来る筈も無い。
――しがらみに囚われ、何も行動する事の出来ない中年オヤジに、これ以上の期待を向けないでくれ、と。そう願いながら、彼はメリーから離れていくのである。
**
それは、ガリアが亡くなった日と同じく、強い雨の降り注ぐ日だった。
聖ファスト学院襲撃事件から四日後。ヴァルキュリアが第七世代魔術回路を有する魔術師の護衛に就くとして家を離れてから五日が経過している。
エンドラスはレナ・アルスタッドの所有する持ち家の住所を調べ上げ、その上で彼女の家にヴァルキュリアが世話になっているのか――本当に彼女の娘が、第七世代魔術回路を有する子供なのかを調べる為、低所得者層地区へと向かおうとした。
けれど、低所得者層地区を一望できる、伐採区画に簡易的な監視所を作り、レナの家を監視する一人の大男の存在に気付いたエンドラスは、そちらへと向かった。
背後から近付くが、しかしエンドラスには分かる。
大男は、エンドラスが近づいている事に気付いている。
「……冷えるな」
大男は、そう言ってポットに淹れていた熱いお茶を飲んでいるが、しかし雨粒と冷気が入り込む伐採区画では、それだけで寒さを解消させる事など出来ないだろう。
「そんな冷える雨の中、一人婦女の家を監視するとはどういう事なんだい、ガルファレット君」
「少し、諸事情がありましてな」
ガルファレット・ミサンガ。エンドラスも知り得ている、優秀な帝国軍人の一人。しかしかつて、シガレット・ミュ・タースという帝国魔術師の騎士となった後、彼女の言葉を胸に刻み、教員という道を選択した事で、今はヴァルキュリアの所属する五学年担任だと聞いている。
そんな彼が、レナ・アルスタッドの家を監視する――つまりガルファレットもまた、フェストラの息がかかった人間である、という事だろう。
「あそこが、例の第七世代魔術回路を持つ少女の……娘が護衛をする子の家、という事か」
雨除けのタープが張られている故に、差していた傘を下ろしたエンドラスは、まぶたに触れて視覚強化を行い、真っ直ぐレナ・アルスタッドの家宅を見据えた。
少し家の様子を見ても、しかし中には誰もいないように思えるが、しかしリビングに居ないだけだろうとは思う。
「とても、第七世代魔術回路持ちの住まう家には思えんな」
「何故、こちらにいらっしゃるので?」
「父として、娘が世話になっている家を知る事が意外かな」
「意外ですよ。……エンドラス殿はヴァルキュリアの事について、無関心かと思っておりましたが」
「否定は出来んな」
無関心ではなかったが、どう接するべきか分からなかった、という言葉が正しい。
娘の安全や幸せは常に考えているし、それがガリアの望みではあるが、しかしどうすればよいかが分からないだけだ。
そんな事は口に出さず、ガルファレットと視線を合わせようとすると……彼は既に背負う巨大な剣の柄を握り、エンドラスを見据えていた。
「私は随分と警戒されているね」
「申し訳ありませんが、護衛対象が護衛対象ですので、どんな立場の方であっても、警戒対象となります」
「剣を握るからには、それ相応の覚悟がある――そう考えて良いのだな。ガルファレット・ミサンガ君」
名を呼びながら笑みを失くし、グラスパーの柄に手を伸ばすエンドラスが、自ら放出できる殺気を、ガルファレットに向ける。
今でもそうして殺気だけを向け、他者を威圧する術には長けているつもりだ。
生半可な兵であれば、殺気だけで従えさせる事も出来るし――殺気を感じ、剣を抜いて斬りかかる輩であれば、それはそれで御しやすい。ガルファレットという男の実力を計る上で、これ以上無い状況だろうとした。
が、ガルファレットは確かに殺気を感じて顎を引き、思わずその柄に込める力を強めたようだが……しかしそれ以上は動かず、ただ警戒をするだけだ。
しかし――彼の放つ殺気は、エンドラスをどのようにして止めるか、それを感じさせるほどにまで強く、激しくエンドラスを襲う。
(噂通り、ただ優秀なだけの男ではないようだな。……ヴァルキュリアを守るには相応しい男でもある、か)
完全に計る事は出来ないが、しかし殺気からある程度の実力は計れた。エンドラスは納得し、柄から手を離して、両手を挙げた。
「冗談だ。警戒を解いてくれ、とまでは言わないが、せめて殺気を抑えてくれないか? 君という優秀な騎士と、この老体がまともに渡り合える筈も無いし、君の殺気は心臓に悪い」
この言葉は事実だ。エンドラスは自分の殺気で他者を従えさせたり、むしろ相手の動揺を誘ったりする術に長けていると認識しているが、しかし予想以上に、ガルファレットの殺気は心臓に悪い。
彼が本気になったら、自分は幾度殺されるか分からない。そんな想像さえ働かせる程に、彼の身体から溢れる殺気が、エンドラスに冷や汗を流させた。
――中年には堪える殺気だと、苦笑しながら。





