願い-05
それから時は進む。
ヴァルキュリアは順調に年を重ね、元々ガリアが考えていた、聖ファスト学院へと入学。
六学年までは魔術学部に通わせる予定であったが、フェストラの圧力を受けて聖ファスト学院魔術学部五学生であったヴァルキュリアを、剣術学部に編入させる事となってしまった。
――しかしエンドラスは特に、これと言って彼に逆らうつもりもなければ、圧力に対して何と思う事もなかった。
ヴァルキュリアを普通の女の子として育てる事が出来ぬのならば、せめて汎用兵士育成計画の体現者としてだけでも育てたいと考えたからかもしれないが……エンドラスも自分自身の考えを、しっかりと理解していたとは言い難い。
学生として日々の変化が訪れるヴァルキュリアとは違って、エンドラスと言えば、ガリアが死ぬより前から、特に何も変わらない生活を、ただ続けているだけだった。
けれど変わった事と言えば、その変化しない日々に対する受け取り方だろう。
ガリアが生きていた頃は、何気ない日常が続く事を願っていた。変革は願っていたけれど、それによって平穏が壊される事は、エンドラスもガリアも望んではいなかった。
けれど今は違う。ガリアという女性が亡くなったにも関わらず、自分も、娘も、世界だってあり様は変わらなくて、何も考えていない時には、ふと頭の中で思考するのだ。
何故ガリアが死んだにも関わらず、世界は何も変わらないのだろうか、と。
自分の妻は、そんな些細な存在でしかなかったのだろうか、と。
そんな誰もが理解しているだろう事を、エンドラスはこの齢になってようやく気付いたといわんばかりに、そんな虚しさが心に巣食って、平穏を嫌うようになった。
いっそ、思い出も何もかも、心だって壊せるのならば……そう考えて、他の女性でも抱いて、肉欲にでも溺れてみようかと考えた事もあった。
そうしていれば、何時かヴァルキュリアが父の愚行に気付き、彼女から父の下を離れていくかもしれない。
そんな事さえも楽しそうに思えて、興味もない女性を口説き落としてみた事もある。
好きでもない女を口説こうとするのは随分と苦労したが、彼の有する財産や家庭状況を知る者ならば、意外とついてきてくれる女はいた。
けれど、抱けなかった。女性を抱こうとした瞬間、頭に過るのは、かつて抱いたガリアの柔肌。それがどうしても脳裏にチラつき、女性を抱きたいと考える事が出来ず、女性に顔を叩かれながらも、関係は終わりを告げる。
もしかすれば、商売女ならば男を喜ばせる方法も知り得ているだろうと考えて、売春通りへと向かった事もある。
けれど今度はヴァルキュリアと同じ年程の少女達が、自分に尻を向けて振るってくる光景があって、吐き気を覚えてしまった。
何もかもを壊してしまいたいと願いながら、しかしこれまで自分を形成してきた存在によって、何も変える事が出来ない自分が、いかに小さい存在であるかを認識しながら、早朝日課の素振りをしていた、ある日の事。
ヴァルキュリアと共に、素振りをする事となった。
剣術学部へと編入して二日目の朝、彼女へフェストラという男がこの国を支配し得る王であると語った時、ヴァルキュリアは初めて、父である自分の考えに疑問を呈した。
「父よ、拙僧には分からない。貴方は拙僧を、帝国魔術師にするつっもりではなかったので?」
そう問われた時、彼は口を開かなかった。
当然だろう。何せヴァルキュリアのいうような事実など無い。帝国魔術師にする予定など一切なかった。
ヴァルキュリアが入学してから魔術学部に編入されていたのは、魔術学部での勉学を早い内に済ませた方が良いだろうと計画していたガリアの考えだった。エンドラスはそれに口出しをするつもりも無ければ、かと言って彼女の計画を必ず守ろうとしていたわけでもない。
あくまで六学年時に剣術学部に編入させる予定だった所を、フェストラの圧力に従い、五学年の途中から編入という形になっただけだ。
「父が目指した、帝国魔術師で在りながら剣術にも優れた、汎用兵士育成計画……その完成形に、拙僧が至る事を望んでいるのではありませんか?」
その言葉は確かに正しい。確かにエンドラスもガリアも、彼女がそうなる事を、望んでいた。
けれど、今は別にその願いを無理に果たそうと考えていたわけでもない。既に汎用兵士育成計画などと言う計画は机上の空論に成り下がり、ラウラ王とてそれを実現する気など無いだろう。
もしそれを果たす事が出来るとすれば……フェストラという男だけであるとは思う。
だから――エンドラスは娘に向けて、この言葉を口にした。
「己惚れるな。お前にそんな大それた事など望んでいない」
確かに、汎用兵士育成計画という存在は、ガリアとエンドラスを結び合わせた大切な計画であった。
けれど、その計画のせいで、この娘は……ヴァルキュリアという子の人生は、もう既に狂ってしまっている。
未来の事なんてどうでもよくて、ヴァルキュリアがこの先の世界で、幸せに暮らしていける世界が欲しいと願うだけだ。
フェストラには、そんな世界を創る素養がある。そしてその時、フェストラの傍にヴァルキュリアがいれば、彼女はその恩恵を受ける事が出来る。もし、彼がヴァルキュリアの幸せを創れなかったとしても、汎用兵士育成計画を達成できれば、それはそれでガリアへの手向けとなる。どちらに転ぼうが、エンドラスとしては都合がいい。
どれだけ「圧力に屈した」と罵られようが、構わない。
世界や自分を変える事が出来ないならば、せめて娘の幸せだけでも勝ち取る為に――自分はどんな泥でも被ると決めたからこそ。
**
そうして同日。エンドラスにとっても懐かしい男が、来客として訪れた。
十七年間行方不明であった、ドナリア・ファスト・グロリアだ。
「エンドラス。俺が、俺達だけが、この国の退行を食い止める事が出来る、防波堤であると理解して欲しい」
如何な要件だろうかと問うたエンドラスに、ドナリアはそう頭を下げたけれど……しかしエンドラスは、穏やかな表情とは裏腹に、腸の奥から煮えくり返るような怒りを覚え、思わず言葉を止めた。。
――国の退行を食い止める防波堤だ、等と偉そうな事を言うな。お前程度に何かが出来るのなら、私やガリアはとっくに世界を変えただろう。けれど、その末に迎えた世界など、ただこの国の破局でしか無くて、そこにガリアやヴァルキュリアの幸せなんてある筈がない。
そう叫んで、帰れと罵声でも浴びせたかった所だが、しかしエンドラスとしても、彼と久しぶりに……かつての同志であったドナリアと、久しぶりに会えて、彼がテロリストに下っていたとしても、生きていた事を祝福し、言葉を飲み込んだ。
「お前の妻……ガリアの願いを叶えたくはないのか?」
エンドラスは……エンドラスを知る者は、死したガリアの願いが「ヴァルキュリアという娘が汎用兵士育成計画の体現者として大成する事である」と思っている。
かつて彼女がそう口にしていたのだから当たり前かもしれない。けれど、そうして「お前は亡きガリアの願いの為に動かないのか」と聞かれる事に、殺意は湧く。
「叶えるともよ。その為に私は、フェストラ様へ忠義を尽くすと決めたのだ」
「フォルディアス家の嫡子……あの天才か。しかし、奴はフレアラス様の教えを信仰してなどいない」
――ドナリアよ、お願いだ。私はお前の事を、友として見ている。だからこそ、自分本位な言葉を連ねる事だけは、やめてくれ。
――私だってもう、フレアラス様の事など、信仰していない。神を信仰して、神の名を守ろうとしていたガリアを救わず、最後に心を壊した神に、どうして信仰など出来ようか。
「奴がこの国を治めた時、確かに国は動く事になるだろう。が、それは我々の望んだ国の在り方では無いだろう」
違う。フェストラがもし全ての民に安寧と秩序をもたらせば、ガリアの望んだ世界の一端だけでも手に入る。それが彼女の望みだからこそ、エンドラスは彼を王として忠義を尽くすと決めたのだ。
もしそんな世界が作れなかったとしても、せめてヴァルキュリアにとっての幸せだけでも望む、私の在り方を理解してくれ、と。
エンドラスはドナリアに、そんな無言の願いを心中に秘めた。
「今の私はただ、亡き妻の願いを成就する為に、この国を守る一刀であるだけの事」
「お前が動けばより良き方法で、ガリアの願いを叶える事が出来ると言っている」
――私が動けば、か。
エンドラスは僅かに、ドナリアの言葉を受けて苦笑しながら、彼に退去を願い出る。
けれど、今の言葉は確かに妙案かもしれない。
ドナリアたち『帝国の夜明け』なる組織に加え、エンドラスが国盗りに参加すれば、もしかしたら国の変革を迎える事が出来るかもしれない。
もし、ヴァルキュリアという娘を巻き込まないで済むのならば、そうして自分勝手に生きてみるのも、一つの手かもしれない。
この国の全てを破壊し、ヴァルキュリアが幸せに暮らせる世界を一から造り上げる事が出来るのならば、それも……と。
そう考えて、しかしドナリアに退去を命じると、彼も渋々それに応じながら、こう言葉を残した。
「お前の娘は、フォルディアス家の嫡子によって利用される事となるだろう」
どういう意味か、一瞬理解できなかった。目を見開いて動きを止めた一瞬の間に、ドナリアは手を伸ばしても届かぬ場所に歩を進めていた。
追いかけて問う事も出来た筈だが……しかし、エンドラスは手を伸ばす事が出来なかった。
(ヴァルキュリアが、フェストラ様に、利用される……それはつまり、帝国の夜明けと、ヴァルキュリアが……戦う……?)
それを認めたくないと思う反面、しかしヴァルキュリアという娘が帝国の夜明けを降ろす事で、フェストラを王として君臨させる事が出来れば、よりヴァルキュリアの未来は安泰であろう。
けれど、その結果として、ヴァルキュリアがもしドナリアに殺される事になるかもしれない。それは絶対に、認める事は出来ない。
ドナリアの背中に、何という事も出来ず、ただ背中を見据える事しか出来なかった。
少なくとも、エンドラスが帝国の夜明けなる組織に加わる気はこの時点で既に無かったと、そう断言できるだろう。





