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願い-04

生憎の雨模様、というべきだろうか。


天より降り注ぐ大きな雨粒は屋根や地面、土に打ち付けられると同時にそれぞれ音を奏で、流れていく。


その雨音を感じるように、屋根が設けられた縁側の隅で正座をしていた彼女……ヴァルキュリア・ファ・リスタバリオス。


雨音は良い。風呂と同じく、心を洗い流してくれるようだ――なんて事を、彼女は感じていた。


確かに外へ出て剣を振るう事は出来ない。けれどこうして一人で心を静めて正座をしているだけでも、遊びや趣味を知らぬ彼女にとっては有意義な時間であり、その時間が永遠に続けばいいのにとさえ感じてしまう。


その時――バシャリ、と。


彼女の耳に水溜まりを蹴るような音が聞こえ、目を開けてその方向を見据える。


傘を差さず、ただ俯きながらびしょ濡れの姿で邸宅へと帰ってきた男の姿が、そこにある。


エンドラス・リスタバリオス。彼女に数多の技術を叩き込んでくれた、尊敬すべき父が、そんなみすぼらしい姿で、よろよろと足をもつれさせながら、帰ってたのだ。



「父上……?」



 もう遅いかもしれないが、少しでも濡れない方が良いだろうと、ヴァルキュリアは急ぎ立ち上がって、玄関口にある傘を適当に一本手に取り、それを差しながら父へと駆け寄った。



「父上、何故傘も差さずお帰りになられたのです? 風邪を引いてしまいます!」



 声を強くしながら、傘の下にエンドラスを入れようとしたヴァルキュリア。


しかし、エンドラスは娘の手を払い退け、そのまま覚束ない足取りのまま玄関へと向かい、靴のまま家内を行き、唖然としながらも追いかけるヴァルキュリアに声をかける事もないまま……自室に飾っていた愛剣・グラスパーを手に取った。



「父、上……?」


「ヴァルキュリア。剣を持ち、外へ出ろ」


「しかし、外は大雨で」


「出ろ」



 有無を言わせぬ、という圧力が言葉に込められていた。


ヴァルキュリアは (元より冗談を言う人ではないが)父が本気で言っているのだと理解し、自室の剣置きに置かれ、日々整備も怠らずにいたグラスパーを手に取り、表へと出た。


強く降り注ぐ雨の中、ただ一人立ち尽くす父親。


しかしその目には明らかな力が込められていて、ヴァルキュリアは彼の目の前に立つと、その圧力に当てられ、今にも逃げ出したくなる程の恐怖さえ覚えた。



「本気で来い。私を殺すつもりでな。もし、お前が私に勝てたのならば、お前を一人前と認めよう」


「何があったか、それを教えて下さらぬのですか」


「ガリアが、お前の母が、死んだよ。――これからは、私一人でお前を育てる事となった」



 母が死んだ。その言葉が、本来は娘にどれだけの影響を与えるか、エンドラスも理解していた筈だ。


まだヴァルキュリアは十一歳、色恋さえ分からぬ年頃で、近しい人物として、本来ならば同性の親である母を慕っているべき頃合いだろう。



「……そう、でしたか。母上とはもう少し、お話しを出来れば良かったのですが」



けれど……ヴァルキュリアは僅かに俯きながら、しかし確かな面持ちと声で、あっさりとそれを受け入れたのだ。


まるで、名前だけは知っている他者の死を、受け入れるかの如く。



(……それだけ……なのか?)



 エンドラスは、心の中でヴァルキュリアにそう問いかける。


だが心の中で放たされた問いかけが、本当に伝わる筈もない。ヴァルキュリアは、それ以上何も言う事無く、ただ黙祷をするように目を閉じた。



(お前にとって……ガリアという女は……母という存在は、その程度の存在でしかなかったのか……ッ!?)



 湧き上がる怒り、しかしその怒りも、一瞬で掻き消える。そもそも、ヴァルキュリアにそうであるように育てたのは、誰だ?


他の誰でも無いエンドラスとガリアの二人であり、そうであって欲しいと願ったにも関わらず、それを怒るというのは余りにも自分勝手だ。


しかし……自分の家族は、こんなにも歪な容だったのかと、改めて突き付けられたような気がして。


エンドラスは思わず涙を一筋流したが、しかし涙は雨に隠れ、ヴァルキュリアに気付かれる事は無かった。



「もし、お前が私に勝てぬのならば……もうお前を、兵として育てる事は無い。これまでの学びで勝ち取れぬのならば、お前はその程度の器だったという事の証明となる」



 ガリアの願いはなんて事の無い、ありきたりな夫婦娘の三人で、家族として生きる事だった。


けれどガリアは、もうこの世に居ない。既に死した。


だからこそ、残されたエンドラスと、ヴァルキュリアだけでも……そうして当たり前の親子として生きるべきなんだと考えた。


しかし、ヴァルキュリアはこれまで、普通の生き方を選べなかった。ガリアの言う通り、ヴァルキュリアはこれまでの教育によって、幸か不幸か父や母という存在が身近にある命であるという認識さえ薄く、ガリアの死さえ、深く悲しまなかった子供だ。


これから普通の家族として生きよう、私はお前の事を父親として愛している、ガリアという妻の事も愛していたと……どれだけ言葉にしても、それを理解してくれやしないだろう。



――ならば、娘を降し、剣を取り上げ、その上で一人の女の子として、育て上げる。



そうする事が出来れば、ガリアは少しでも報われてくれる筈だ。


そんな期待を込めて……エンドラスは剣を引き抜き、その上でヴァルキュリアへと斬りかかり、彼女も鞘から剣を抜いた上で、それに応じた。



銀の刀身が雨に濡れて光を反射し、二人の剣舞を映えさせるようだった。


無駄のない動き同士による剣戟は見る者を魅了する程の美しさに満ちていて、ヴァルキュリアはそうして戦えることに喜びを見出していた。


剣士として尊敬する父と、自分自身が斬り合い、果たし合えている事に。


けれど……エンドラスはそうじゃない。


彼は、本気でヴァルキュリアへと斬りかかっている。勿論、リスタバリオス型を発動していない現状では真に本気とは言えないまでも、しかしこれまでの剣戟で、少なくとも幾度かはヴァルキュリアを降せると踏んでいた筈なのに。



(なぜ……何故だ……ッ!!)



 幾度も幾度も、この剣は防げぬだろうと振るおうと、ヴァルキュリアはその剣を躱し、むしろ追撃する余裕すら感じられ、エンドラスは次第に自分が攻撃する余裕すらなくなっていく。


そうしていると、ヴァルキュリアも何か様子がおかしいと気付いたのか、僅かにその剣筋を弱め、父へと問いかけようとした瞬間――エンドラスは最後のチャンスだと言わんばかりに、剣に込める力を強めた。


エンドラスが、全力を込めて振り込んだ下段からの一閃。


もしかしたら剣を止める事さえ出来ず、彼女を斬ってしまうかもしれない。そんな事さえ頭に過らせる事なく、エンドラスが全力で振り切った一閃だったのだが……


ヴァルキュリアは、僅かに自分の刃をエンドラスの剣に当て、軽く受け流す事でそれを避けた。


それだけで、避けられてしまった。


むしろ余計な力を込めて、下手な姿勢で振るってしまった剣によって、エンドラスは足をもつれさせて前のめりに倒れ、泥に塗れる。



「あの……父上?」



キョトン、とした表情。


ヴァルキュリアは、父親がそうして醜く地面に倒れ、泥に塗れている姿が、冗談か何かなのかと思ったのだろう。


こんな容易く、娘に降される父では無いだろう。


きっと、何か深い理由がある筈なのだと、信じてやまない表情で、彼を見ているけれど……しかし、エンドラスはその表情を見て、ゾワリとした何かを感じた。


恐怖にも近い感覚だが、しかしそれは違う。


自分たちが、何て娘に育てあげてしまったのか、自分たちの在り方が如何に歪だったのか、その事実に嫌という程気付かされたから。



(この子は、もう私を越えたのか……?)



純粋な殺し合いならば、まだ勝機はあったかもしれない。リスタバリオス型剣術における壱から七の型までを用いた本気の殺し合いならば、エンドラスとて負けぬのかもしれない。


けれど、そうではない、単純な剣術だけの勝負において、ヴァルキュリアは十一歳という若さで、エンドラスを超えていた。


 いや、もしかしたら、リスタバリオス型剣術同士による戦いにおいても、ヴァルキュリアの方が強い可能性も否定は出来ない。



けれど、当然と言えば当然なのかもしれない。


エンドラスもガリアも、ヴァルキュリアにそれを望んで、彼女を育ててきた。


剣術と魔術にのみ人生を費やさせ、友と切磋琢磨させる事も、一人の少女としての人生を歩ませる事なく、ただ兵士としての実力だけを求めて育てあげてきた彼女だからこそ……これまでヴァルキュリアの三倍以上の歳を生きて来たエンドラスでさえ、容易に超える事が出来たのだ。



――そう、今の彼女が歪だったのではない。


――今の彼女を、そんな兵士として育てようとしたエンドラスとガリアこそ、本当に歪だったのだ。



立ち上がり、泥だらけの身体を歩ませる。


心配そうに見据える娘に、ただ一言「お前の勝ちだ」とだけ残して。



……後々分かる事だが、ヴァルキュリアはこの事を、覚えていなかった。


十一歳という歳の出来事、六年前の出来事だからこそ忘れているという考え方も出来るが……きっと「父の情けない姿を忘れたい」と願ったからでは無いだろうかと、今にして思う。


彼女の心の中に、娘によって倒れさせられ、泥だらけとなったエンドラスの情けない姿が、本当の彼であるという現実を、受け止めたくなくて……幼い頃に見た、夢とでも思っているのかもしれない。



――だからこそ。ヴァルキュリアは六年後、敵となった父の情けない姿を見て、その姿を否定したのだろう。


――記憶の奥底で何かの間違いだと、忘れたいと考えていた姿を見せつけられ、否が応でも「これが現実だ」と、突き付けられたのだから。

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