願い-02
エンドラスとガリアが交際・婚姻を果たし数年、既にガリアはリスタバリオスへと性を変え、そのお腹に子供を授かっていた。
子供が出来てからはある程度、落ち着いてきたようにエンドラスも思う。出会った頃やただの同僚であった時に比べると、極端に口数は減ったが、しかしそれでも彼女特有の明るさ、のような物はそのまま残っていたと思う。
「貴方。そろそろ子供の名前を決める時期であります」
「まだ、男の子か女の子かも分からないのに?」
それまで朝の日課であった、二者並んで行われる素振りの時間。今はお腹の子供に影響を与える可能性もあるという事で、ガリアは縁側でゆっくりと腰を据えながら、一人木刀を振るうエンドラスにそう声をかけた。
「何故かは分からないのですが、拙者はこの子が、女の子な気がするのです。とは言え、貴方と拙者の子であります故、性別等そほど重要ではないのですが」
これから生まれる子供は、汎用兵士育成計画の体現者として育てられ、その先に待つ未来は、国防の在り方を問う為の存在でしかない。
祖国の為に戦い、祖国の為に子を作り、そして技術を繋いでいく。
エンドラスとガリアの技術を引き継いだこの子が果たすべき役割は、そうした次世代への道繋ぎでしかなく、それにエンドラスは何と思う事は無かった。
……けれど、ガリアはどうだったのだろう。それは、エンドラスには分からなかった。
「もし、本当にこの子が女の子であれば……拙者はこの子に【ヴァルキュリア】という名前を授けたいのであります」
「ヴァルキュリア……『戦いを見据える者』か」
ガリアがその名前に込めた意味を、エンドラスは全て理解する事など出来ない。出来る筈がない。彼女はそれ以上、その名前にしたいという理由を述べる事無く、ただこの名前が良いとだけ言った。
けれど、確かにその名前は、エンドラスとしても好ましい名前だった。響きもそうだが、その名に込められた意味も。
ガリアのお腹に宿る子供は、これから多くの戦いを見据え、国の未来を担う存在となる。戦乱の世に無くとも、未来における戦いを知り、それを子に伝え、さらにその子供が伝え続ける役割を担うのだ。
ならば、ヴァルキュリアという名は、この子の未来を指し示すに相応しい。
「でも男の子だったらどうすればいいでありましょう? 貴方の息子なのですからカンドラスとか? あ、オンドラスとかいいではありませんか?」
「……君は相変わらず、興味の無い所は適当になるね」
男の子の名を真剣に考えるつもりがないのか、生まれる子供が必ず女の子であるという余程の確信でもあるのか、その適当な名前付けに苦笑しながら……エンドラスは彼女の膨らんだお腹を軽く撫でる。
母であるガリアは、そうして撫でられると目を細め、口元を緩めたが……しかしエンドラスは彼女の笑みを見ていなかった。
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ヴァルキュリア・ファ・リスタバリオスが生まれ、五年という月日が流れていた。
既にヴァルキュリアは五歳。まだ幼児と言える小さな体ながらも、エンドラスから教わった剣術と魔術における実力を我が物としつつあったが、エンドラスは彼女に技術を教えていく中で、教育を施していく中で、一つだけ懸念があった。
「父上、どうなされたのですか?」
「……何でもない。剣を止めるな」
「失礼しました!」
ヴァルキュリアの素振りを見据えながら、ぼぅ、とした表情を浮かべていたからか、ヴァルキュリアがそんなエンドラスに「父上」と呼び、どうしたかを問う。
けれど、ヴァルキュリアには関係の無い事として何でもないと首を横に振ると、彼女は深く考える事なく、納得したように素振りへと戻る。
エンドラスが懸念していたのは、数年前までエンドラスが仕えていたラウラが現帝国王へと着任し、彼は政教分離政策の撤廃を公約として掲げ、それを推し進めているのだ。
国際社会化の進む中で人の多様化も同時に進むべきである。その考え方に則する形で、宗教の自由化というのも勿論、選択肢の一つであるべきだとは、考えていた事だ。
しかし、そもそもグロリア帝国という国がこれまで国民性を統一してこられたのは、フレアラス教という宗教の下で一体となり、王がその代弁者として国民を率いる事で果たせていた。
今までフレアラス教の下で一つとなり、この国の繁栄と安寧を求めて戦おうとしていた帝国軍人や、信仰深いフレアラス教徒は、果たしてどう動くか。
――特に、これまでフレアラス教の下で、祖国の為として生き続けてきたガリアという妻が、その変化を受け入れる事が出来るのだろうか?
「父上」
ふと聞こえた声に、エンドラスが面を上げると、そこには首を傾げて無垢な顔を見せるヴァルキュリアの姿があったけれど……しかし一瞬、彼女の顔が昔のガリアにも似ていると感じ、思わずギョッと目を見開いてしまう。
「素振り、終えました! 次は打ち込みに入ろうと思います!」
「……いや、それはいい。遊んでいなさい」
「あ……あそんで……? か、かしこまりましたっ」
少し動揺があったようだが、ここから先は娘の自由時間だ。それを邪魔するわけにもいかないとその場から離れ、エンドラスはガリアの自室へと出向いた。
夫婦の部屋は離れている。婚姻を結んでからは何度出向いたかは分からないが、少なくとも両手の数は要らぬだろう程、少ない数という事は覚えている。それだけ、夫婦の間で会話も無ければ、ヴァルキュリアが産まれてからは夫婦らしいこともしていない、という事だ。
「ガリア、入るぞ」
返事を待つ事無く扉を開けると……ガリアは、少し離れた庭の先で、ヴァルキュリアの姿を見据えながら縁側で腰掛けていた。
「どうなされたのでありますか? 貴方」
ヴァルキュリアが産まれてから、ガリアは少し変わった。
勿論、彼女の中で国防の意識や祖国に対する忠誠は変わっていないし、ヴァルキュリアの教育方針についても、生まれる前どころか身籠る前から離し合っていたものと、何ら変わらない。
けれど……彼女は帝国軍を退役し、エンドラスが仕事の日にヴァルキュリアの教育を受け持つようになり、そして彼女に言葉や礼儀作法を教える役目も請け負った。
結果として、ヴァルキュリアは子供ながらにして堅苦しい口調になったし、彼女を真似てかは分からないが、一人称を「拙僧」になってしまった時には、エンドラスも思わず「ガリアに任せるべきではなかったかな?」と考えたものだ。
「いや。ただ少し、お前と話しておきたいと、そう思ってな」
「ヴァルキュリアの事でありますか?」
「それもそうだが、お前の事でもある」
「……拙者の、でありますか?」
彼女がかける隣に腰を下ろし、ヴァルキュリアの方を見据えながら、エンドラスは何を話すべきかをその場で思考し、整理のついてない言葉を投げかける。
「その、汎用兵士育成計画の事だ。確かに、ヴァルキュリアは計画の体現とも言うべき子供として、成長するだろう。あの子は、後十年もしない内に、私を超える逸材となる」
「けれど、既にあの子を必要としない世の中が……汎用兵士育成計画などという存在を、許容しない世界を迎えようとしている、という事でありますね」
既に前帝国王・バスクによる軍縮条約、植民地支配を行っていた七つの小国を属領扱いとして返還する事を決定し、グロリア帝国における軍拡支持派は肩身の狭い想いを味わっている。
それに反発する者の声もそれなりに大きく挙げられているが……しかしヴァルキュリアが生まれるよりも前、ドナリアやメリー、アスハという声を挙げていた者達が失踪してからは、その勢力を落としていた。
汎用兵士育成計画という存在は、一部の帝国軍人のみが知るただの空論となり、ヴァルキュリアを筆頭に今後、この国の防衛を担うと考えていたエンドラスやガリアの願いは……もう、殆ど意味のなさないものとなっていると言っても過言じゃない。
「勿論、ラウラ王には今後も、汎用兵士育成計画の優位性を訴え続けるつもりだ。ヴァルキュリアという存在が何時か、この計画が正しいモノであると裏付ける筈だと。これは、何より私を慕ってくれた者達の……私と共にこの計画を推し進めようとしてくれた、君に出来る唯一の声だからだ」
だが、既に空論となりかけている、十年程前から提示している論文について等、ラウラは目にも留めないだろう。
彼は自分の弟であるドナリアがどれだけ声を大にして訴えたとしても、それについて「利益が無い」という理由だけで却下し続けてきた人間だ。
国の為に、国防の為にと声を挙げ続けてきた人間が、黙殺される。
そんな事、歴史を鑑みれば何時だってあり得る事で、エンドラスにも虚無感が無いといえば嘘にはなるけれど……しかし、エンドラスよりも、この計画を信じ、愛してもいない男と連れ添ってくれた女が、隣にいる。
――それはあまりにも、酷い事だ。
――自分の人生を、子供の人生を蔑ろにされて、それでも怒らぬ女はおらぬだろう。
「貴方」
「なんだ、ガリア」
「ヴァルキュリア、困っているみたいであります。行ってあげてくださいませ」
はぐらかされたようにも思えたが、ふと庭先にいるヴァルキュリアの方を見ると、本当に何か困っているように、先ほどまで素振りしていた場所で、うろうろと動きながら、何かを探すように首を傾げている姿が、目に入る。
縁側から庭へと出る為の下駄を履き、ヴァルキュリアの下へと向かう。
「ヴァルキュリア、どうした」
「っ、父上!」
いきなり声をかけられたからか、それとも普段の口調では無く、静かに声をかけたからかは分からないが、ヴァルキュリアは驚いたように顔を上げると、その困惑を表現した表情で、何と言ったら良いかといわんばかりに目を逸らした。
「どうした、何かあったか?」
「……その、あそんで、とは、なにか……わからなくて……どんな訓練なのでしょう……?」
……遊びという、五歳児ならば誰でも知っていて、喜びそうな言葉さえも知らず、それを訓練の一つと勘違いしたヴァルキュリア。
エンドラスは「そんな事も知らんのか」と思いながらも、しかし彼女の周囲には同世代の子供も、遊び道具も、遊びというモノが何かを示す書物さえない事を理解して……けれど自分も、小さな子供が何をして遊ぶものかを理解しておらず、それをどう説明すればよいか、少し混乱してしまう。
――そんなエンドラスとヴァルキュリアの姿を見てクスクスと笑いながら。
けれどどこか悲し気な表情をガリアが浮かべているとは、二人も知らなかった。





