役目-09
そうしてアシッドを対処するアマンナに助けられていると十分に理解できていないであろうアスハ。
彼女はドナリアの爪によって剣を弾かれ、無防備となった体を晒し、その身体にドナリアの右足が振り込まれ、身体を壁まで吹き飛ばされる。
「ッ、のォ――」
声を満足に上げる暇も無く、ドナリアの指先から伸びた爪四本がアスハの胸元に突き刺さり、その爪を持ち上げるようにして掲げた腕に連動し、彼女の身体も高く舞い上がった。
「ぐ、ぅうっ」
そんな情けない声しか出せるものはなく、高く放り投げられた身体を制御しようとしたが、次の瞬間にはドナリアも地面を蹴って高く舞い上がり、彼女の身体に右足の踵落としを叩き込み、高所から彼女の背中を地面に突き落とした。
落下した衝撃で地面がひび割れる程の威力で叩き付けられ、尚も背骨の折れる感覚を感じる事も出来ず、アスハはただ自分の口から吐き出される血を浴びる事しか出来なかった。
普段ならば痛みも無く、すぐに立ち上がる事が出来る身体。しかし感覚が無いだけでは、脳全体を揺らしたのだろうダメージを前にすぐ動く事は出来ない。
「マズ」
「GAAAAAA――ッ!!」
空を蹴る様に、高所からアスハに向けて駆け出してくるドナリアの姿が見える。一瞬の内に彼はアスハの顔面なり腹部なりに、その爪を突き立て、アスハは喰われる事となる。
それを避け、対処しようとしても、身体が動かなければ意味はない。
(……ここまで、か。アイツを止める事さえ出来ず、私は何をしているんだろうな……)
アスハは半ば諦めに近い感情を抱きながら、しかしどこか、心の中ではこれでいいと思っていたのかもしれない。
ドナリアという男を止める事が出来ずに死ぬのは心残りだが、しかし彼と最後に出会う事が出来て、彼の顔を見る事が出来た。
こんな再会になってしまった事は嫌悪すべき結果なのかもしれないが、しかしそれでもいいと、納得する事は出来る。
目は閉じない。ドナリアに食われる最後の時まで、目は開け続けよう。
そう考え、僅かに微笑みを見せた、その時。
アスハへと迫ろうとするドナリアの頭部に、ナイフが一本飛来して、その額に突き刺さった。
本来、それだけではドナリアのようなアシッドは死ぬ事など無いし、そもそも高スピードでこちらへと突撃してくる存在に、ナイフが突き刺さっただけで失速する事は無い。
だが、そのナイフに仕込まれていたらしい符のようなものが、ドナリアの頭部に突き刺さった衝撃によって真っ二つに裂け、その瞬間燃え盛りながら爆発を起こした。
おおよそ人間の頭を吹き飛ばすには十分な威力の爆発、熱量。感覚が無いアスハだからこそ、その爆発に対して目を逸らしたりはしなかったが、しかし何が起こったか、それを理解できずにナイフが飛来した方向を見据える。
広間を一望できる二階廊下、そこにはナイフを構えていた女性……ルト・クオン・ハングダムの姿があり、彼女はドナリアの身体が吹き飛んだ光景を見据えた後、吹き抜けとなっている二階廊下から飛び降り、着地した。
「諦めちゃ駄目よ、アスハ」
「ルト・クオン・ハングダム……?」
「貴女が死んだら、兄さんは悲しむ。……貴女を殺した存在がドナリアだとすれば、尚の事ね」
頭ごと吹き飛ばされたドナリアの身体は、地面に力無く倒れていると思いきや、ゆっくりと立ち上がりながら、その焼け爛れた頭部や身体の一部を次々に再生させていく。
だが、流石に視界情報が無い状態で動けるわけもなく、僅かに作れた時間を使い、ルトはアスハの身体を起こした。
「もし彼が、まともな思考回路を有していたのならば、再び蘇った彼と戦わない道を選ぶ事も良いでしょう。けど、今の彼は……自分の意志さえ伴わない屍となってしまっている。死者の尊厳も名誉も無い、ただの操り人形でしかないのよ」
ラウラという存在によって殺された筈のドナリアは、しかし自分を殺した筈のラウラによって甦らされ、その思考回路さえも奪われた。
仲間を傷つける事さえ、国を再建するという自らに課した使命さえ、フレアラス教徒としての尊厳さえも消され、ただ肉を求めて暴力の限りを尽くす事しか出来ない彼を、ルトは「操り人形だ」と言った。
けれど――アスハの言葉がそう放たれそうになった時、ルトもその想いを理解しているかの如く、頷いた。
「ええ。彼がドナリアであるという事実は変わらない。でもだからこそ――貴女が、ドナリアの事を終わらせてあげるべきなのよ」
再生を進めていくにつれ、声を出す事も出来るようになったのか、ウゥ、と呻き声の聞こえるようになったドナリア。
やがてその視界が復活すれば……また敵となる全てを殺す為に、周囲を傷つけていく事だろう。
しかしアスハは、ドナリアにそんな事をさせたくないと、理解している筈だ。
「もし本当に彼がドナリアだと理解しているのなら……彼がどんな想いで暴れているかも、理解できるでしょう?」
そう、こうして戦う事を、ドナリアだって求めている筈も無いのだ。
彼が成したいと願った事、死して尚、果たしたいと祈った想い。
それを、アスハは知っている。
彼は――死の瞬間まで、誰かの糧となれる事を、望んだのだから。
「周りのアシッドは、私とアマンナに任せなさい。……貴女は、貴女の役目を果たすのよ」
その役目とは、十王族関係者の護衛などと言う、この戦いにおける必要な事ではない。
――ドナリアの仲間であったアスハが、自らの意志さえも無くしている彼を受け入れ、終わらせる事こそが、今の役目だ。
まだ迷いはある。けれど、迷いながらも覚悟を決める事は出来る。
息を吸い込み、剣を拾い上げて握った。
「……すまない。周りのアシッドは、任せる」
「ええ」
ルトは、ゴルタナを展開して周囲のアシッド達を対処しているアマンナへと向けて駆け出し、今彼女に襲い掛かろうとしていた一体の首を背後から斬り、蹴り飛ばす事で彼女と隣接した。
「ルトさま」
「遅れちゃってごめんなさいね、アマンナ」
「……いえ。嬉しいです、こうしてまた、一緒に戦える事」
ゴルタナを展開していると、その顔を見る事は出来ない。けれど、今のアマンナが言った声は、僅かにはにかんでいたような聞こえて、ルトは思わず言葉を詰まらせる。
「……腕、落ちてたら再訓練だからね」
「失礼ですが、今はルトさまより、強い自信があります」
「本当、言うようになったじゃない!」
襲い掛かるアシッド達と相対し、それでも臆することなくナイフを振るい、投げ、時に殴りと繰り返す、アマンナとルト。
二人が戦う事で、多くのアシッドはそちらを見据える。
恐らくラウラの与えている命令によって、ルトとアマンナの排除優先度が高い事も理由にあるのだろうが……今はそんな事、どうでも良いとアスハは思う。
「なぁ、ドナリア。私とお前は、これまで何度喧嘩をした事だろうな」
ドナリアは答えない。ただ、小さく呻き声を上げ、再生を待つだけだ。
「お前は、馬鹿で、考えなしで、その癖してメリー様の立てた作戦等にいちいち口を出す。私が盲目である事も、感覚が無い事も容易く弄ってきやがって、本当にムカついていたんだぞ」
言葉の内容はともかく、アスハは僅かに笑みを浮かべていたけれど、その笑みを、ドナリアは見る事は無い。
「でも、お前は死まで利用されるほど、ゲス野郎だったわけでもない。他者の事を見て、他者の言葉を聞いて、自分の良いと感じたモノに対しては素直になって……そんなお前の事を、今では少しだけ、尊敬できるような気もする」
語る口は止まらない。ドナリアが聞いていようがいまいが、関係ない。
彼は今、こうして彼が生きているという事実は確かなのだ。
ならば――その想いだけは、先に言葉としておくべきだろう。
「だから私は、お前の尊厳を守る為に、今のお前を殺す。それが――お前に出来る手向けであり、私がしなければならない役目だ」
アシッド・ギアを一本取り出し、彼女は自分の首筋に突き刺した。
クシャナやドナリアと同等の、真なるハイ・アシッドという存在に至っているアスハだが、養殖のアシッド因子が持つドーピング効果はそれなりに有効だ。
ボゴボゴと僅かに肉が肥大化する感覚と同時に、その強い食人衝動が彼女を襲った。
けれどそれを噛みしめ、堪えながらドナリアを見据えたその時、彼も再生を終わらせ、正面にいるアスハと視線を合わせる。
互いに口から溢れる涎は、相手の肉を見て、それが如何に高純度な動物性たんぱく質を有しているかを、本能的に理解しているが故。
そうして本能のままに、肉を喰らうという目的を有した獣同士の戦いは……時に、想像を絶する争いとなる事もある。
真なるハイ・アシッドへと達した者同士の戦い、それはこの世界において、クシャナという少女でさえも経験した事のない、壮絶なモノとなるだろう。
「行くぞ。私が――お前を喰うッ!!」
「Uuuu、GaaaaaaAAAAAAAAッ!!」
アスハの叫び、ドナリアの絶叫。
二者は愚直にも互いへと襲い掛かり、ドナリアの爪はアスハの肌を裂き、そしてアスハの剣も、ドナリアの肉を斬っていく。
血飛沫と絶叫の飛び交う混沌とした空間の中で、二者はただ相手を殺す為だけに、互いの牙を振るうのである。





