役目-04
アシッドが出現し、シックス・ブラッドという組織が生まれる前から、プロフェッサー・Kはアマンナという少女と多く接触を図っていた。
勿論、そこにファナ・アルスタッドを守るという目的や、カルファス・ヴ・リ・レアルタとしてラウラ王への警戒という目的が無かったとは言い難いが……そもそもアマンナという少女が、フェストラという兄から離れ、アマンナなりの生き方を模索してほしいと、そう願っていたこそ、アマンナと接触を図っていた所もあったのだ。
「私にも二人の妹がいる。お兄ちゃんとかお姉ちゃんって存在は、妹の事を大切に想ってるからこそさ、今の妹をずっと可愛がっていたい気持ちと、妹に独り立ちして欲しいって矛盾した気持ちが渦巻いちゃうものなんだ。……勝手だよね、ホントに」
純粋なる存在、自らと血を分け合った存在が、何時までも変わらないままでいて欲しいという想い。
未来に向けて歩を進め、その先で生きていけるように強く、太く育ってほしいという願い。
兄や姉という存在は、そんな矛盾した想いを抱きながら、どんな未来を妹が辿ろうとしても、それを認め、受け止める事が出来るようにしていようと願う存在である。
「だから私は一人のお姉ちゃんとして、フェストラ君のやり方を、アマンナちゃんが一人で歩んでいけるようにするって考えを、認める事は出来ないけど、理解は出来る」
フェストラはアマンナという妹を突き放した。けれどそれは、アマンナを愛していなかったからじゃない。
むしろ、アマンナを愛していたからこそ、自分とは違う生き方を望み、その為には自分が生き方を、在り方を教えるべきではないとした。
「フェストラ君は結局、アマンナちゃんに自分で考えて、自分で選択できるように成長して欲しいって、願ってるんだ。……こんな大勝負の時でもね」
だからこそフェストラは、戦いの前に言ったのだろう。
――作戦が始まった後の事は全て、各々の判断で事に当たれ。各々が、正しいと思う行動をすればいい。
あの言葉は、勿論他の者に当てた言葉でもあっただろうが、その中で一番、誰に伝えたかったか。
それは、アマンナに対してであったのだろう。
「アマンナちゃんは気にする事なんてない。もしアマンナちゃんの選択が間違いで、事態が悪い方向に行ったって、貴方のお兄ちゃんは全部覆すだけの力と知恵を持ってる。お兄ちゃんの力と自分の選択を、信じれば良いんだよ」
まだ、迷いはあるだろう。その迷いは、きっと晴れる事なんてない。
誰にだって迷いはあるし、その迷いを完全に振り切る事が出来て、悩む事のない人間などいるとしても、それは思考の停止でしかあり得ない。
アマンナはこれまでの人生で、そうして迷う事さえ放棄してきたのだ。
思考を止め、ただフェストラという兄の、自らが影として生きるべき彼の言葉を呑み、ただ従うだけの存在としてしか、生きてこなかった少女だ。
――けれど、迷いを振り切るだけの何かを、信じる事は出来る。
――迷いを抱きながらも突き進むだけの、覚悟を決める事は出来る。
アマンナはゆっくりと立ち上がり、プロフェッサー・Kの事を見据えて、彼女に頭を下げるのだ。
「……貴女に、こんな事をお願いするのは、非常に心苦しいのですが」
「いいよ、アマンナちゃんのお願いだったら聞いたげる」
「この人を……レナさまを、お守り頂けますでしょうか?」
下げていた頭を少しだけ上げ、プロフェッサー・Kを見据える瞳がそこにある。
愚直なまでに真っ直ぐな瞳。そこには、ただの役目を越えて果たしたい願いがある。
迷いながらも前を向き、自分の守りたい、自分の果たしたい、自分の在り方に正直でいたいという想いが重なり合って、その眼を作っている。
彼女の持つ魔眼など――この目に比べれば、欠片程も価値は無い。
プロフェッサー・Kは、その瞳とアイマスク越しに自分の瞳を合わせた上で、ニッと口角を上げる。
「任せて。私の大量にある命に代えてでも、絶対守ってみせるから!」
顔を上げて、微笑みを見せたアマンナ。彼女はアルスタッド家の二階窓から勢いよく飛び出していき、そんな彼女の背中が見えなくなるまで、プロフェッサー・Kは眺めていたが……そこで、アイマスクを外しながら、今ゆっくりと目を開けたレナ・アルスタッドと、顔を合わせる。
「はじめまして、レナ・アルスタッドさん」
「……えっと、はじめまして」
ここがどこか、自分がどうしていたのか、それを理解しながらも、しかし目の前にいる人物がどう言った人間なのかもわからず、身体を僅かに起き上がらせたレナが、とりあえず挨拶を返した。
「どこから聞いていました?」
「……その、アマンナちゃんが、クシャナ達の事を、仲間という辺りから」
「あー、結構前から目を醒ましてたんですねェ」
元々、レナの身体にはシガレットの魔術が展開され、結果として昏睡状態となっていたのだが、その魔術展開を解除したのは彼女……カルファス・ヴ・リ・レアルタだ。
眠っている彼女に触れながら、対魔師である筈のアマンナに気付かれないよう、何重にも魔晶痕が残らないように隠蔽しながら魔術相殺を行うのは流石のカルファスでも骨が折れたが、やれない事ではなかった。
だが昏睡状態にする魔術展開を解除しただけなので、どの程度で目を醒ますかは分からなかったのだが、彼女はこうして目を醒まし、プロフェッサー・Kとアマンナの会話途中から聞いていた、という事になる。
「私を、守ってくださる……という事なのですが」
「そうですね。本来はその役割に無い筈ですが、アマンナちゃんに頼られちゃったので」
「でもごめんなさい、私、行かなきゃ。あの人の所に」
ベッドから身体を起こし、立ち上がろうとしたレナだったが、しかし両足を地面について身体を支えようとした所で、彼女はフラリと身体を倒れさせる。
倒れるよりも前に、レナの身体に腕を回して抱き留めるカルファスは「ファナちゃんとかクシャナちゃんにソックリだなぁ」と苦笑しながら感想を漏らす。
「しばらくは動かない方が良いですよ。無理に昏睡状態へ移行させられた後、その展開を解除されたんだ。睡眠導入剤を推奨使用量以上の投与されたにも関わらず、無理矢理起こされたみたいなカンジです。身体がまともに動く筈もありませんから」
「で、でもっ、クシャナ達は、ラウラ様と戦っているんでしょう!? アマンナちゃんだって、クシャナ達を助ける為に……っ」
「ええ」
「だったら私は、行かないと。あの子達のお母さんとして……年上の女として、若い子達が傷ついて、苦しんでいる所を、のうのうと寝ているなんて事、出来ない……っ」
母としての信念か、それとも意地なのか。それはカルファスにも分からない。
けれど、抱き留めるカルファスの手を、痛い位に握りしめて剥がそうとするレナの想いは、文字通り痛い程伝わってくる。
カルファスはレナの足を引っかけながら、彼女をベッドに押し倒して「落ち着いて」と声にした。
「クシャナちゃんとファナちゃんのお母さんとして、貴女が必死になる気持ちも分かります。私も、貴女の想いを尊重したい。けれど、どうせ身体が思うように動かないのなら、動くようになるまで、私とお話しをしましょう」
「、お話しする事なんて、何も」
「いいえ、ありますよ。……貴女は色々と、知らなきゃいけない事があるでしょう?」
押し倒したレナの身体は細くて美しい。けれど力も強く無ければ、特殊な力があるわけでもない。
そんな彼女が外に出て、帝国城へと一人で向かった所で、ただ危険に晒されるだけだ。
そもそもシガレットが彼女に展開していた昏睡魔術を相殺し、彼女の目を醒まさせる必要があったわけでもない。
しかし……それでもカルファスは、レナという女性の目を醒まさせた。
「クシャナちゃんやファナちゃんが、どこで、誰と、どう戦っているのか。クシャナちゃんとファナちゃんが、どうして戦わなければならないのか――貴女はあの子達の母親として、かつてラウラ王を愛した者として、それを知る義務がある、でしょう?」
レナには、全てを知る義務がある。権利ではなく、義務だ。
レナはかつて、ラウラを愛した。それは良い。しかし結果として彼を愛した事によって、クシャナという少女の命を人の手で作り、危うくその尊ぶべき命を落としかけた。一命は取り留めたが、結果として赤松玲という女性の魂までをも巻き込み、クシャナという存在をこれから長きに亘り苦しめる要因を作り出した。
ファナという人物は、ラウラという男がレナに自分の遺伝子を持った子供を育てて欲しいという願望を抱き、彼女に新種のアシッド因子を埋め込んだ上で産み出した。レナは直接関わってこそいないが、そもそもレナという女性がいなければ、ラウラはファナという子を産みだそうとはしなかっただろう。
そして――この戦いにおいても、ラウラとファナという存在が生まれた事で、アシッド因子という存在がこの世にもたらされたからこそ、起こった出来事だ。
――レナに直接の罪は無いけれど、しかし彼女が、彼女の愛したラウラが引き起こした結果として、今がある。
だからこそ、レナにはその事実を受け止める、義務があるのだ。
「どうせ何時か知る事になる。だとしたら、これから自分が何と立ち向かおうとしているのか、娘さん達がどうして戦うのか、それを知ってからにして下さい」
長い話になる。そしてその間に戦いは激化し、話終わる頃にはレナの身体も元に戻り――そして、全てが終わる。
その時に、立っているのがラウラなのか、クシャナなのか。
それは、今の所誰にも分かりはしない。
けれどどちらが立っている事になろうとも、レナは事実を受け入れてさえいれば、どういう選択をする事も出来る筈だ。
「――教えてください」
決意を固めるように表情を引き締め、自分を押し倒す者の手をギュッと握りながら、教えを乞う。
カルファスは、語り始める。
まずは全ての始まり、十七年前から続く――赤松玲の魂と特性を受け継いで産まれた、クシャナ・アルスタッドという少女のお話しを。





