失墜-11
十八年前と十六年前、ラウラはレアルタ皇国アメリア領首都・ファーフェの技術実験保護地域の最高責任者である前アメリア領主へ極秘裏に接触し、愛人であったレナの卵子情報と、自分の遺伝子情報を用いた試験管ベイビーの生産……つまり、クシャナとファナを産み出したという疑惑。
これには勿論、極秘裏にそうした生産以来を受け入れてしまったレアルタ皇国側にも責任はあるが、しかしラウラ王が前アメリア領主へと多額の金銭を流していた事も記録として確認されている。その確認についてである。
しかもこの件はどこから漏れ出したか、既に何社かのゴシップ社が(若干尾びれのついたものも存在したが)記事としており、民衆からも注目が集まっていた。
グロリア帝国外務省長官を務めるウォング・レイト・オーガムはこの件について「そんな事実は確認されていない」と否認したが、紛れもない事実である。
ラウラとしては「事実である事を否定してしまった場合の影響」に加えて「レアルタ皇国側から証拠提示等の追及があった場合には外交問題にも抵触しかねない」という事態を鑑み、ウォングが有する顕現を用いて、ウォングの返答をレアルタ皇国まで届ける国際機密便による文書輸送をせき止めていた。
――だが、ラウラやエンドラスは、失念していた。
カルファス・ヴ・リ・レアルタという女は、確かにこれまでシックス・ブラッドや帝国の夜明けという組織に表立って協力しては来なかった。
プロフェッサー・Kという別人になりすました行動か、もしくはカルファスとして動いていたとしても内政干渉とされない範囲での僅かな協力、つまりラウラに社会的・物理的なダメージを直接的に与えるような事は行わなかったのだ。
だが今の現状は、内政干渉と簡単に断ずる事の出来ない国家間における信用問題へと発展している。
故に今のカルファスは、その小さなレアルタ皇国領事館の中だけとは言え、ラウラと敵対する行動に移る事も出来るし、ルト達を支援する事も可能だ。
「我が方の大使から伝わる筈の連絡を待つのにも飽きたので、こうして私自らが遠路はるばる訪れたのです。そのついでに、友人と少しばかりお話がしたいとする事等、自然な事ではないかしら?」
部隊長の男は、それ以上何も言う事は出来ないと言わんばかりに、僅かに右手を上げた。剣を降ろせ、という合図であり、その合図に従い、全員が剣をゆっくりと下ろして、ルトは冷や汗を僅かに流しながらカルファスへその腕に抱える記録を見せた。
「こちらが、お納め頂きたかった記録です」
「ありがとう。中で預からせて頂きます。どうぞこちらへ」
パチン、と指を鳴らした瞬間、レアルタ皇国領事館の正門に背筋を伸ばして立っていた、銀髪の髪の毛を逆立て、眼鏡と端正な顔立ちが印象強い執事服を着た男性と。
栗色の髪の毛を後頭部でまとめ、団子状にまとめた幼げで可愛らしい印象を抱く、少しスカート丈の短い給仕服を着込んだ女性が、素早くルトの抱える記録を預かった。
「ああ、それと。問題はないかと思われますが、一つだけ御忠告を」
手空きとなったルトをカルファスが領事館まで誘導し、その後ろをついていくように、二人の給仕がその斜め後ろからついていく。
そんな彼らの事を見ていた、外交防衛部隊の者達だったが……彼らの目に留まらぬスピードで、執事服の男は腰に携えた一丁の刀を、メイド服の女は左手にフリントロック式の古びた拳銃を抜き放つと、彼らに冷たい視線を寄越した。
先ほどのカルファスが向けた視線よりも、込められた殺気量は圧倒的に多い。
ここにいる先鋭の兵士たちを相手取っても……恐らく殺し得ない、むしろ皆殺しにされてしまうという恐怖さえ感じ、彼らは胸の奥から胃酸が込み上げるような感覚を覚え、思わずグッと胸を押さえた。
「もし領事館への侵入が確認されれば、この二人が責任を以て排除します。現在のレアルタ皇国で一、二を争う武人であり、荒事のエキスパートですから、ご注意を」
元より存在などしていなかった思考を、そもそも巡らせる事さえも失わせる程に恐ろしい何かを感じ、誰も返答をする事が出来ない。
その整った機能美にも溢れる館内へと入り、銀髪の青年が重い扉をしっかりと閉めた所で……カルファスは深く息を吐きながら、それまで着ていた王服を脱ぎ散らかしていき、今乱雑に乳房を外界へ曝け出した。
「あーもう、熱い! おっぱいが蒸れるんだってば王服って! 何だってお偉いさんは沢山重ね着する事が当たり前なの? 意味わかんない!」
メイド服を着た女性がニコニコと笑いながら、薄手のシャツを手渡した。地球でカルファスが購入したTシャツで、その胸元に「SUGOI DEKAI」とプリントされていたが、カルファスにはその文字を読む事は出来ずにいる。
なお、執事服を着ていた男性はカルファスが王服に手を付け始めた時点で顔を逸らしていたので、恐らく女性の身体というのに免疫が無いのだろう事は簡単に見て取れた。
「それで、ルトさんはこれからどうするのさ」
渡されたシャツの袖に腕を通しながら、そう問うたカルファスに、ルトは「決まっています」と溜めずに答えた。
「すぐに戻ります。確かに私の技量は、他の面々と比べれば微力にしかならないでしょうけれど、しかしそれでも」
「アマンナちゃんを放っておけない……そうでしょ?」
ルトの言葉をカルファスが先んじて予想して答えると、彼女はグッと言葉を飲み込んだ。
彼女が言おうとした言葉ではないものの……しかし本心は何より、その言葉が正しかったのだろう。
「フェストラ君はさ、ルトさんにここで退避しておいて欲しかったんでしょう?」
「……作戦では、記録をここへ持ち込んだ後、ここで事が終わるまで待つようにとされておりました」
「あの子も甘いよね。結局あの子は、心の底からアマンナちゃんのお兄ちゃんで……アマンナちゃんの近くに、ルトさんが一緒に居て欲しいって思ってるんだ」
「カルファス様は、私の事を」
「知ってるよ。全部知ってる。だからこそアマンナちゃんの事を……貴女達の事を、放っておけなかったんだから」
苦笑しながら、エントランスに用意された客用の椅子に腰掛け、近くのテーブルに置かれたラウラの記録へと手を伸ばす。
「お節介かもしれない。余計なお世話かもしれない……でも、アマンナちゃんは、ルトさんの口から本当の事を聞きたいと思う。もし行くのなら、それだけは覚えておいて」
「……あの子は、受け入れてくれるでしょうか」
「当たり前だよ。だってアマンナちゃんは、他の人から愛される事とか、好意を抱かれる事とか、友達が出来たり、信頼し得る人達と共に居る喜びを、十八歳なんて歳になってようやく知る事が出来たんだ。今のアマンナちゃんは……きっとルトさんを、受け入れてくれる」
それ以上、カルファスはルトを引き留める事などしなかった。
フェストラは、この作戦を始める前に「各々が、正しいと思う行動をすればいい」と言葉にした。
そしてルトは、彼の言葉に従い……自分自身が、正しいと判断した道を行く。
ただそれだけの事。それ以上の事は戦いに参加する事の出来ないカルファスに、出来る事など無い。
カルファスは左手に霊子端末を取り出しながら、右手の指をルトへと向け、軽く振るった。
その瞬間、ルトの身体が粒子のように細やかで青白い粒となって消えていく。
その姿が消える時まで――カルファスは苦い表情で、しかし笑みだけは崩さなかった。
「さて、じゃあ私も行くかな。ワネットちゃんとサーニスさん、この資料、お願いね」
「了解いたしました」
「いってらっしゃいませ。カルファス様」
「やだなぁワネットちゃん、今の私はカルファスじゃなくて、プロフェッサー・K。愛を守る正義の使者――なんて、ガラじゃないけどね」
取り付けた銀色のアイマスクと不敵な笑み、カルファス……否、プロフェッサー・Kと言うべき姿を取った彼女は、先ほどルトを転移させた時と同様に、霊子端末を操作しながら、その身体をどこかへと転移させていく。
その行方は従者達二人にも分からなかったけれど、しかし分かる必要も無いのだと、そう理解していた。
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エンドラスの振るった刃がゴルタナの装甲を深く斬り裂き、メリーはその衝撃を受けつつもエンドラスの顎に向けて拳を振るい、彼の拳を殴打すると同時に振り切られた刃の勢いに押された。
地面を転がる二者。エンドラスは僅かに外れかかった顎の骨を強引に掌で戻しつつ、アシッド因子による再生を待ちながら立ち上がる。
メリーの方は、与えられたダメージと衝撃を受け流したゴルタナの展開が解除され、生身で硬い地面に転がった。
痛みは耐えられる。しかし肉体に蓄積する疲労は簡単に回復しないと、立ち上がるまでに時間がかかると予想したが――そこでエンドラスは、グラスパーの刃へとマナを投じた。
「伍の型」
マズいと、流石にメリーも焦燥に駆られ、地面に転がったゴルタナに手を伸ばそうとする。
このままではやられると、それだけは避けねばならないと、必死に手を伸ばした願いも行動も虚しく、エンドラスはその逆手に握るグラスパーの刃を、地面へと突き立てようとする。
だがその寸前……エンドラスのグラスパーを握る右腕を間接ごと、ナイフが斬り裂いた。
「ッ、ルト――ッ!?」
「やらせない……ッ!」
そのナイフを握った人物は、ルト・クオン・ハングダム。その尋常ではない痛みと攻撃の為にある刃を失っている事によって思考が乱れ、判断を遅らせたエンドラスの股間と脇腹を、ルトは蹴り付けた。
「兄さん、立って!」
「っ、ルト、何故……!」
「何故も何もない! ――兄さんにはまだ、やるべき事があるでしょう? こんな所でやられて良い筈がないの!」





