失墜-10
「この状況となる事を君は……フェストラ様は、予見していたというのか?」
「むしろ考えぬ方がおかしいでしょう。ラウラ王は既に我々が行動を起こすと知り得ている。彼の能力を適切に見極めているフェストラ様が、そんな事に思考を及ぼさないと?」
「ならば何故、愚直にもここへと訪れた?」
否、ラウラやエンドラスとしても、この状況を予期した上で大使館区画へと訪れるだけならば、まだあり得るとは踏んでいた。
だがその場合は公務を全うする帝国軍人達を押し退けるだけの戦力を割き、レアルタ皇国大使館へと無事に辿り着く事が出来るだけの人材を寄越すと考えていたのだが、しかし現状、その戦力を割いているとは思えない。
既にクシャナとフェストラは帝国城への侵入。アマンナとヴァルキュリアの動向はラウラ達にも読めていないが、ガルファレットやアスハという一線級の実力者達は聖ファスト学院占拠を行った後、帝国城前の大広間への移動が確認されている。ファナは戦力として不十分でこちらへと配備される事は無いと踏んでいたし、事実彼女はガルファレットと共に居る。
メリーとルト、二人の戦力に加えて姿の確認できていないヴァルキュリアやアマンナが居たとしても、大使館区画の防備を突破する事は難しいだろう。
「これだけ言って、まだ分かりませんか?」
思考を回しても、彼の言いたい事が理解できない。エンドラスはそこで、先ほど切り裂いたメリーの足を見据えると、その足首がまさに再生を終えかけ、もう動く事自体に支障がない所まで進んでいる事を理解する。
「なるほど、再生までの時間を稼ぐ為のブラフか」
「……そう思われるのも致し方ありません。事実、再生時間の確保が、このお話しにおける意味であった事は否定出来ない」
「だが無意味だ。以前までの君が有していた実力も、ハイ・アシッドへと覚醒した君の実力も把握しているが、その上で判断しよう。君を殺す事は出来ずとも……倒す事は容易いとね」
本来、リスタバリオス家に引き継がれてきた剣型は、壱の型・ファレステッドを中心とした抜刀術だ。故に彼が本気を出す時、それは鞘へ剣を収める事が証である。
けれど今、彼は剣を鞘に納めない。それは慢心でなく、メリーというハイ・アシッドの実力を判断した上でファレステッドを使用する意味が薄いと理解しているからだ。
僅かに両足を滑らせるようにして足を慣らした後、エンドラスの姿が消えたようにメリーは感じた。
しかしそれは間違いだ。彼は消えたのではない、人間の目に留まらぬスピードで、ただ愚直に真っすぐ駆け抜け、彼の視界外である真後ろへと回っていたのだ。
気配でそれを察し、振り返ろうとした事が仇となる。
振り返った瞬間、エンドラスの姿を見た時には、既にベレッタを握る右手は斬り裂かれ、痛みに耐えながら右足で彼の首筋を蹴り付けようと足を上げた時には、左足を引っ掛けて彼を後転させた後、その顔面を蹴りつけた。
鼻の折れる感覚、そして右手が無い事で受け身を取る事も出来なかったメリーは後頭部を強打し、一瞬失いかけた意識を何とか保ちつつ、左手を軸に右足を強く振るい、エンドラスを遠ざけた。
しかし僅かに距離が開いた所で、理はまだエンドラスにある。彼が剣を構えて次なる攻撃へと移ろうとする前に――正四角形のキューブを取り出し、正四角形のキューブを放り投げた。
「ゴルタナ、起動……!」
メリーの身体に展開されていく、黒い装甲・ゴルタナ。レアルタ皇国における兵装システムを面倒と感じたエンドラスは、真っ先に彼の首を落として展開を解除させてやろうと思考したが――彼が駆けた瞬間に、地へと転がったものがあった。
M67破片手榴弾。地球におけるアメリカ軍やカナダ軍で使用されているグレネードの一種で、その形は黄土色のリンゴのように思える。
それがエンドラスの足元に転がった時には、既に安全ピンが抜き放たれており、彼がその意識を向けた時には――強烈な破裂音と共に、弾けて爆発した。
周囲五メートルを襲う強烈な爆風と手榴弾そのものの破片。エンドラスは身体を吹き飛ばされ、かつ破片が彼の身体を襲う事となる。
既にゴルタナを展開していたメリーは衝撃によって転がりはしたものの、ダメージはなくすぐに立ち上がった。
「ぐ、――ッ」
「誰を……倒す事は、容易いと……ッ!?」
ゴルタナが全身に展開され、その表情さえ窺う事は出来ないが、確かに怒りを込めた声を放つメリーの、ハイ・アシッドとしての優れた腕力に加え、ゴルタナが有する堅牢性を併せ持った拳を振るっていき、エンドラスの身体を殴り飛ばそうとするが、しかし拳を器用に避けつつ下段から降り込んだエンドラスの一刀が、メリーの展開するゴルタナを斬り、その衝撃で彼は後退せざるを得なかった。
「確かに、少々驚いたが……道具の性能を以て、ようやく私の足元程度、という所か」
爆風と破片が襲った事により、彼の顔面は爛れているし、その肉体も一部は焦げている。
しかし、新種のアシッド因子による再生の恩恵は大きく、通常ならば死亡しなくともすぐに動けなくなるような衝撃にも、再生しながら立ち直るエンドラスには、メリーも称賛を送る他ない。
「先ほどは私が再生の時間を頂いた。ならば今度は、貴方の再生時間を与えましょう――先ほどのお話を続けましょう」
メリーの言葉に、エンドラスは表情を僅かにひそめながらも、しかし体内に入り込んだ手榴弾の破片が再生を遅らせている。それを一つ一つ取り除きながら、エンドラスは考えた。
今のメリーはゴルタナに加えて、エンドラスの知らない地球の武器を用いる。ゴルタナだけであれば対処方法など幾らでもあるが、地球における武器はどのようなモノが出てくるかも分からない。
万が一の可能性もあり得るとして、万全の態勢で彼を殺し得るのならば彼の口車に乗る事も悪くはない。
「先ほどの話というと――君達が、フェストラ様が外交防衛部隊の存在に気付きながら、君とルトを寄越した事についてかな?」
「ええ。貴方はブラフと踏みましたが、ブラフなどではない。……まだ気付かないのであれば、貴方は外交の事を知らな過ぎる。ラウラ王であれば、恐らく先ほどの会話をするよりも前に気付いたでしょう」
外交の事を知らないとは、メリーも言い切ったものだが、確かにその評価は正しい。
エンドラスが主に外交における情報取得を行うのは、主に他国の防衛システムや防衛機構についてだ。勿論それ以外の経済や国交問題にもある程度の気をかけてはいるが、本職の人間やある程度の知識以上は重視しない面がある。
これはリスタバリオス家が根っからの軍人家系である事も理由ではあるが、そもそもそうした他国における国家情勢ついてを、グロリア帝国軍人である彼が深く知り得る理由があまり無かったから、という事も関係している。
だからこそ押し黙ってしまったエンドラスだったが――しかし、押し黙り、メリーの方を見据え、その表情を合わせようとした所で。
彼の顔を覆い隠す、とある国の兵装システムを見る事で、そもそも外交等関係なく、既にそのヒントは幾多にも、エンドラスに与えられていたのだと思い至った。
「まさか……!」
「ようやく気付きましたか。ええ、その通り。彼女がいる。彼女は確かに表立って我々に協力する事は出来ないが――しかし、今回においては重要なファクターになり得る。あの、人でなしの女が、ね」
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「あー、ちょっとちょっとー。どいてくれませんかぁ~」
ルトを覆い囲むようにして陣形を組む、外交防衛部隊員達の肉壁。その肉壁をどかすように、一人の女性が笑みを浮かべながら歩んでくる光景が見えた事で……ルトがホゥ、と息を吐き捨てた。
美しい金髪、その紺色を基本色にした美しい王服。そして何よりその端正な顔立ちが帝国軍人たちの目を一気に引いたが……そこで部隊長を務めているのだろう、胸に勲章を付けた男が、その女性に声を上げた。
「が、外出は現在お控え下さいと申し上げたではありませんか!」
「だって、ウチの大使館に招きいれる予定だったルトさんが兵隊さん達に囲まれてるんですもん。そりゃあ外交の為に訪れた私としては心臓キュッと引き締まるってモンですよ。客人を呼び立てた結果、殺されちゃったんじゃ後味も悪いですしね」
その女性がルトまで一直線に歩み寄ると、ルトは女性に対してペコリと頭を下げ、女性もそれに応じて両足を揃えて姿勢を正し、綺麗な角度のお辞儀をした。
「この度はお招き頂き、誠にありがとうございます。そして、こんな形でのお会いとなってしまった事をお詫び申し上げます、カルファス・ヴ・リ・レアルタ第二皇女様」
「いえ、こちらも十王族の方にわざわざご足労頂く事となってしまい、申し訳ありません。情勢が不安定とお聞き致しましたので、私の方から出向く事が出来ませんで」
レアルタ皇国第二皇女、カルファス・ヴ・リ・レアルタ。彼女は柔らかな笑みを浮かべるとルトの背中を僅かに押し「さぁどうぞ」と、レアルタ皇国大使館へとルトを誘導する。
しかし、侵入者を阻む事が目的として配備されている外交防衛部隊としては彼女をそのまま素通りさせるわけにはいかない。先ほど声を挙げた男が「お待ちください!」と声を荒げると、カルファスがギロリと彼を睨み、男はその視線に含まれた冷たい印象に、思わず身震いしてしまう。
彼女の人ならざる視線、その視線は見る者全てを凍り付かせてしまう程の冷たさと共に、殺意さえも含まれているように感じた。
彼女には、逆らってしまってはならないと本能的に示す感覚。だが、職務を全うしなければと、男は喉に溜まった唾を飲み込みながら、問いかける。
「ほ、本日、レアルタ皇国大使館へ来賓のご予定があるとはお伺いしておりませんが」
「そりゃそうですよ。何せ急遽決め、ハングダム家へとご連絡させて頂いた事ですのでね。でも致し方ない事ではありませんか? 何せ――レアルタ皇国として再三、ラウラ王に関する疑惑についてを確認させて頂いておりますのに、その返答が海の向こう側まで全然来ないのですもの。だから私自らが乗り込み、こうして事情をお伺いしようとしているんですよ」





