失墜-09
メリー・カオン・ハングダムとルト・クオン・ハングダムの二者が帝国城の廊下を駆け抜ける姿は、多くの人間に確認されている。
現状、二者は認識阻害魔術の展開を抑え、多くの人間に声をかけられながらも無視し、その腕で抱える行動記録の運搬に意識を集中させている。
もうすぐ、帝国城の正門出入口。そろそろ敵が大掛かりな行動を仕掛けてくると予想していた二者は、そこで顔を合わせた。
「ルト、そろそろ作戦の第二段階に入るぞ」
「ええ。援護をお願い」
五冊ずつ持っていた二人が、そう言葉を交わすと、メリーはルトに五冊の本を上乗せさせ、空いた身体を動かして、先んじて帝国城正門の陰に隠れ、様子を伺った。
今、正に正門を抜けた先にある大広間で、ガルファレットとシガレットによる戦いが始まったばかり。
その強い衝撃波がメリーを襲うが、しかしそれに堪えながら、ルトへ一度足を止めるように指示した。
「戦闘開始が、想定よりも早い――こうなってしまえば、妨害の可能性が僅かにも高まる、か」
「けれど、この記録を守る為には、あそこがどこよりも安全よ」
「分かってる。ルトは何があっても、迷わず走れ」
腰に備えていたベレッタのスライドを引いたメリーの言葉に、ルトも遠慮はしないと言わんばかりに駆け出した。十冊の記録が足枷となり、普段よりも遅くはあるけれど、しかし常人には追いつく事が出来ぬ程のスピードで駆けていくルトを、背後から追いかけていくが――しかし彼女達が商業区画を抜け、少々特別なエリアへと足を踏み入れようとした次の瞬間。
ルトの首を目掛けて、刃が振り込まれた。
その刃が襲い掛かると予想していたかのように、メリーがベレッタのグリップを持ち上げ、そのトリガーを引いた。撃ち込まれた銃弾がルトの首筋スレスレを横切り、彼女が思わず身を引いた瞬間、銃弾が剣を振るった男の手首に着弾し、その衝撃と威力に手が止まる。
「……やはり、貴方が来ましたか」
銃弾の撃ち込まれた右手首付近から大量の血を流しつつも、しかし既に銃弾が貫通し遮るものの無くなった傷口は、次第に再生を果たしていく。
その者の姿を、表情を見据え、声を挙げようとしたルト。けれどその前に、メリーが再びトリガーを引き、三発の銃弾を男の頭部と腹部、脚部に向けて放ち、男はそれを飛び退きながら避けていく。
「ルト、迷わず走れと言った!」
銃弾を放ちながら駆け出したメリーは、そのマガジンに装填されていた銃弾を全て撃ち尽くしたと同時に、空のマガジンを落としながら新たなマガジンを装填し直し、かつポケットから取り出したアシッド・ギアを首筋に挿入。
ボゴボゴと、肉体が僅かに肥大化する感覚を楽しむ暇も無く、彼は敵対する男の顔面に向けて拳を振るい、だが男の構えた剣の柄が、それを受け止めた。
ルトは思わず足を止めていたが、しかし今は止まっている場合ではないと言わんばかりに、唇を噛みつつ前を向き、走り出す。
ルトに向けて目線を向けようとした男だったが、しかしメリーが彼の手を握る事で、その動きは抑制された。
「邪魔をするな、メリー」
「いいえ、そうはいきません。かつて貴方を信仰した私だからこそ、貴方を止めなければならない――ヴァルキュリア君には悪いが、貴方は私が喰らう」
男の名は、エンドラス・リスタバリオス。その冷ややかな視線を受け、メリーは冷や汗を流す。
ヴァルキュリアを前にした彼の姿についてはある程度伺っていたが、しかし今はその様子も見えない。
覚悟を決めた男の目だ。そう感じながら、メリーは右手に握るベレッタの銃口を額に押し付け、トリガーを引こうとする。
だがそれよりも前に、エンドラスは自分の手首を掴むメリーの手を強引に振りほどいて、その下半身に向けてグラスパーの刃を振り込んだ。
慌てて回避運動をするも、しかし死角への攻撃だった事もあり、右足首は綺麗に切断され、メリーは地面を転がりながらも何とか立ち上がり、足の再生を待つ。
「っ、ガリア様の蘇りを求めるとは、貴方も実に女々しい御方だった、というわけですか」
「君とそんな話をする為に、ここへ来たわけじゃない」
「いいえ、言わせて頂きます。貴方が誰に愛情をを持たれようと貴方の自由ではある。けれど、その結果として貴方を慕った部下が多く、無為に命を失った。同じ軍拡支持派の人間として……ドナリアの友人として、私は貴女を許せない……!」
メリーの怒りを込めた言葉に、エンドラスは何と返す事も無い。ただフゥ――とため息をついた後、周囲の環境を見据え、確認するかのように口を開いた。
「各国大使館地区、か。ラウラ王の記録をレアルタの大使館にでも持ち込む気だな」
グロリア帝国首都・シュメルは、国土の大きいグロリア帝国の首都にありながら、最も規模の小さな市であると言っても良い。首都防衛機構上の観点から大規模な防衛作戦を優先したが故の判断であり――また故に、各国大使館の場所も、シュメルの中で最も防衛に特化した特権階級居住地区より少し離れた場所にある、大使館地区という非公式の立地が、今いる場所である。
その高い外壁で囲まれた建物が乱立し、その内部へと侵入する事は何人であっても許されないとする情景。
確かに各国大使館へと記録が持ち込まれれば、その記録を奪取する方法は無い。それがもし仮想敵国であるレアルタ皇国大使館という事になれば尚更だ。下手に大使館への襲撃でも起こせば、其即ち戦争の引き金を引く行為に外ならない。
「だが、失敗だったなメリー。いや、フェストラ様の見通しが甘かった、というべきだな」
「何を」
「既にこの地区は、帝国軍外交防衛部隊による防衛体制に入っている。国家情勢不安定化における各国大使の安全確保、という名目でね」
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ルト・クオン・ハングダムが大使館地区に向けて駆け出していく姿は、既に何人もの帝国軍人が捉えていた。
耳元の無線機に声をかけ、女性の風貌と脚力、そして武装状態の報告を告げると、各国大使館前の防備に当たる者達以外が、一斉にその装備を整えながら駆け出し、彼女へと迫る。
すぐに、ルトの四方を数人ずつの帝国軍人達が囲み、その手に剣を構えながら少しずつ、彼女の退路を塞ぐかのように近付いていく。
「警告を。これより先は各国大使館が密集する地域です。許可の無い立入は一切禁じられております」
ルトが冷や汗を流しながら周囲を見渡しても、次々と兵士たちの数は多くなる。逃げようとしてもそれだけの数を相手に逃げ切る事は難しい。
「警告は一度のみです。退去なされぬ場合は殺害も容認されております。……十秒以内に、お引き取りをお願いいたします」
優しい口調と裏腹に、その全身から漲る殺気はルトを殺す為に放たれている。
ゴクリと息を鳴らしながら、しかし引き下がる様子の見受けられないルトを見据え……兵士たちは剣を握る手の力を強めるのである
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外交防衛部隊は、戦時下や内乱時に各国大使の安全を守るべく編成された帝国軍部署であり、こうした国家情勢の不安定化が見込まれた場合に各国大使館を防衛する目的で配備される。
外交防衛部隊における職務は如何なる存在であっても排除を行う事が優先される。
もしそれがグロリア帝国における重要人物であろうとも関係なく、防衛体制発令中においては上層部の命令が無くとも殺害さえ容認される。
つまり――現状ハングダムの人間を排除する事が出来ない通常業務の帝国軍人や帝国警備隊の人間に代わり、ルト・クオン・ハングダムという女を排除する事においては、何よりも最適な人材配置であるという事だ。
「君達ハングダムが行動記録を奪取し、それを仮想敵国であるレアルタの大使館に持ち込むという流れは正しい。レアルタ大使館もそれを大手を振って受け入れた事だろうよ」
かつてラウラ王は、レナ・アルスタッドの卵子をレアルタ皇国アメリア領首都・ファーフェに持ち込んで、極秘にクシャナ・アルスタッドという命を生み出した。
またその二年後、再度ファーフェへと訪れたラウラは自らの遺伝子を用いたクローニング体としてファナ・アルスタッドを生み出している。
その情報は現在レアルタ皇国外務省からも追及があり、その情報を基に外交カードとしたいレアルタ皇国は、ラウラの行動記録を受け入れ、その処分を行う等もしないだろう。
「確かに各国大使館は、我々にとっても聖域であり立ち入る事は如何なる理由があっても許可されない。けれどそれは、内乱時におけるテロリストも同様なのだ。――あまり、ラウラ王を舐めるなよ」
つまり、ウォング・レイト・オーガムへと下した命令はあくまでその前段階で防げるのならば防ぐ方法でしか無く、本命はこちらの防衛体制を敷いた上での情報流出防止。
そしてこの作戦における情報奪取と移送は、ハングダム家当主であるルトによるものであるだろうという予想も、既に立ててあったのだ。
「――ふふ」
そんなエンドラスの言葉に、メリーは先ほどまで浮かべていた怒りを含んでいた表情を一変させ、微笑みを浮かべた。
「何が可笑しい」
「……いえ、おかしいという程でも無いのですがね。どうにも上手くいき過ぎていると、困惑よりも笑いが出るのだなと思いましてね」
メリーが何を言っているのか、それをエンドラスには理解できなかった。
ルトはアシッドとしての力を持ち得ず、また彼女の実力という点においては、帝国の夜明け、シックス・ブラッドの面々と比べれば、流石に下から数えた方が早い。外交防衛部隊における先鋭達数人に囲まれるだけでも、十二分に殺されかねない。
それにこの状況において、ルトが追い込まれる要因はまだある。現状の警備体制では、ハングダム家の有する認識阻害魔術は効果を発揮し辛い。
ルトの特徴である認識阻害魔術が作用し辛いという事は、それ即ち彼女の死にも直結しかねないのにも関わらず……メリーは「上手くいき過ぎている」と口にしたのだ。





