失墜-07
「誰しもが、誰かを不幸にし、自らの幸せを望む……だから、戦いという誰かに幸を、誰かに不幸を与える戦いを、毛嫌いする事を傲慢と……レナちゃんは言うの?」
「ええ。人生とは、生きる事は戦う事と同義です。命を奪い合うだけが戦いじゃなくて、ただ生きている間にも、私達人間は多くを失い、失った分、どこかの誰かは幸を得る。そうした世界を生きている。だからこそ私は戦う事を好きになれず、容認も出来ないけれど、それを嫌う事はまさに、人の生を拒絶する在り方です」
「じゃあ何でレナちゃんは、クシャナちゃんやレナちゃんの為に戦わないの? 貴女はこれまで、沢山の人間に幸を授けようと生きて来た筈よ。そして……結果として確かに、貴女は誰かを幸せにしようとした分の不幸を、与えられた」
かつてラウラが彼女との間に子供を望んだ結果、彼女はその望みを受け止め、クシャナという子を産み出した。
だがその先に待っていたのは、クシャナという幼い命を失うかもしれないという恐怖や絶望。
彼女はラウラの幸せを望んだが故に、そうした不幸を与えられた。
なるほど、確かにレナが望み、誰かが幸せとなった分だけ、彼女へ不幸は訪れている。けれど彼女はそうした「幸せを望んだ先に不幸がある」という世界の容を理解していた筈だ。
ならば……自分や子供が幸せとなる為に、どう動くべきかを、彼女は理解できている筈なのに……どうしてそうしないのか。
その答えを求めようとした時、レナはクスリと笑いながら首を横に振った。
「簡単です。……私が、ラウラ王を愛しちゃったから。そして、あの人と一緒に産んだクシャナや、あの人が産み出したのであろうファナが、良い子に育っちゃったから」
身体さえ重ねる事は出来なかったラウラの事を心の底から愛し、彼との子供を欲した。だから、彼の幸せを叶えたいと願い、その末に確かな不幸はあったけれど……しかし、その不幸を飲み込めた。
クシャナが生まれ、ファナを授かり、子供達の母として、レナは歳を重ねる。しかし歳を重ねていくと、二人が良い子に育ち、他者の不幸を決して望まなかった。
クシャナは、レナの幸せを守ろうと、自らが程々に良き姉であろうとして、ファナを導いてきた。
そしてファナも、自分の幸せを望んでくれる母や姉に囲まれる事で、自分が得た幸せを他者へと与えたいとする、強い心を持つようになった。
「……もしかして、レナちゃんはずっと」
「ええ。私はずっと、クシャナとファナに幸せを与える為に動いていました。けれど、それで誰も不幸にならなかったのは……あの子達にとっての幸せは、誰かを不幸にする事じゃない。私も含めて、皆が幸せの中で生きる事だったのですよ」
そんな事出来る筈がないと、そう断言したレナであった筈なのに、彼女は「娘がそれを望んでいるのなら」と、出来る筈の無い道をいとも容易く選んだ。
結果としてレナには大きな幸せも無く、小さな不幸が少しずつ積み重なっていく。決して誰も不幸にはなっていないけれど、しかし確かな幸せさえも掴めない。
けれど、子供たちはそんなレナの姿を見て、レナを支えようとしてくれた。
そんな母だからこそ、子供達はレナの事を母として愛してくれた。
それを知っているから――レナは【母】として、子供を裏切る事をしないと決めたのだ。
「ねぇ、シガレットさん。一つ、聞いても良いでしょうか? どうして貴女は、突然そんな事をお尋ねになったのです?」
答える事は出来ない。その答えが、レナという女を戦いに巻き込んでしまう事に繋がるから……そういう考えも勿論ある。
けれど何よりシガレットが恐れたのは――彼女が恐ろしい母であると、理解したからだ。
「……やっぱり、クシャナやファナは、何かと戦っているんですね」
何も答えて等いない。表情も先ほどから変えていない筈だ。にも関わらず、彼女は笑みを崩し、引き締めた表情を以てナイフとフォークを置き、まっすぐにシガレットを見据える。
「クシャナは、ファナと一緒に危険な事に巻き込まれていると言っていました。これから国内もバタバタしちゃうかも、とも。それと同時期に貴女が私の護衛となり、あの子達は私の前から姿を消した。……私を守りたいとする人間と、クシャナ達は敵対してるんじゃありませんか? つまり、貴女とも」
そして、帝国城においてレナを守ろうとする人間など、限られる。
限られるなんて言葉で着飾るべきじゃない。……一人しかいないのだ。
――ラウラ・ファスト・グロリア。かつてレナを愛し、レナに愛された男。
「答えて下さい」
「……それを答えた所で、レナちゃんはどうするっていうの?」
「決まっています。もし、クシャナやファナが、ラウラ様と戦っているのなら、あの子達の母として、私はラウラ様を……ラウラ王を許さない」
「理由も聞かずに、貴女はラウラ君を許さないと? それは少し短絡的すぎやしないかしら」
「私はクシャナとファナの母です。あの子達の事は、ずっと近くで見てきました。あの子達がどうしてラウラ様と戦うのかなんて知らない。けれど、あの子達が何の理由も無く誰かと戦う道を選ぶ筈なんてない。そう信じているからこそ――あの子達と敵対する者を、私は決して許しません。かつて愛した男であろうとも、帝国王であろうとも」
答えは語られる事など無いが、しかしシガレットの言葉を聞けば、全貌は見えたと言わんばかりに、レナは立ち上がり、部屋から出て行こうとする。
しかし、それはさせられない。シガレットは素早くその手をレナへと向けると、彼女は指先をピクリとも動かす事が出来ぬように固まり……その視線だけを、シガレットに向けた。
「行かせてください」
「行かせられない」
「娘達が戦っているのでしょう?」
「ええ、ええそうよ。けれど、だからって貴女が戦いに向かう必要なんてない。誰もがそんな事を望んでなんかいない。ラウラ君も、クシャナちゃんもファナちゃんも、私だって」
「望まれていないからと、ただ静かにベッドで横になり、ただ待つだけの弱い母でいる位なら――私は望まれていないお節介を焼いて、クシャナとファナの力になりたい」
「レナちゃんに出来る事なんて何もないのよ! お節介を焼くって言ったって、貴女に何が出来るっていうの!?」
「――クシャナやファナの近くに居て、あの子達を信じる事は出来る。あの子達の選んだ道を信じて、ラウラ様の道を間違いだと叫ぶ事が出来る。それが、私にとっての【戦い】です」
自分の胸に手を当て、力強く語られる言葉に、シガレットは何と返す事も出来なかった。
「確かに私には何も出来ないけれど、それ位は出来るんです。娘達の望む世界を、幸せを、共に願い続ける事は出来る。……私は、娘達が、家族が大好きだから」
……その言葉は、かつてファナがラウラに向けて叫んだ言葉に似ていたから。
『何も出来ないかもしれない。でもお父さんが間違ってるっていうのは分かる。だからアタシはお父さんに対して「間違ってる」って言い続ける。それが、アタシにとっての戦いだ』
『少なくともお姉ちゃんの傍にいて、お姉ちゃんの幸せを望み続ける事は出来る。お母さんだってきっとそうする筈だ。だってお姉ちゃんもお母さんもアタシも、皆家族が大好きだもん』
シガレットは、ファナの言葉を、心を、正しいと認識していた。だからこそ彼女をあの時助けたルトに加担し、彼女達を逃がす事にした。
けれど……そのファナという少女の心を作ったのは、他の誰でも無い、ファナの母であろうとしたレナという女性だ。
そしてレナの娘にしてファナの姉であるクシャナが、そんな二者と意見を違える筈も無い。
まさに――力が及ばなくとも、その心だけを言うのならば、最強の家族を敵にしているという事も同義なのだ。
母としての在り方に身を委ね過ぎてしまったレナ。
姉としての在り方に身を委ね過ぎてしまったクシャナ。
妹としての在り方に身を委ね過ぎてしまったファナ。
それがこれから、ラウラの敵になるというのだ。
まだ家族にすらなれていない、あの孤独なる王の敵と。
(ラウラ君は、勝てない……ラウラ君に、レナちゃん達家族を、止める事なんて……出来っこない)
だが、それでもシガレットは、ラウラの下で戦う道を、選んでしまったのだ。
ならば少しでも彼が有利となるように、少しは手をこまねいてやらねば、と。
ダラリと下ろした手、シガレットはレナの身体に展開していた金縛りを解きながら、彼女へと一歩一歩近づいて、レナの手を取った。
「ごめんね、レナちゃん」
「え」
一瞬の間にレナの全身へと流し込まれた、微弱な量のマナ。そのマナが彼女の身体を強制的に昏睡状態へと誘い、その細くも柔らかな体をシガレットへと預けた。
「……アマンナちゃん。覗き見は感心しないわよ」
レナの身体を抱き寄せながら、シガレットが天井を見据えてそう言葉にすると、天井に僅かな切れ込みが入り、その屋根裏から一人の少女……アマンナが身体を出して、部屋の床に着地した。
「何時から……気付いて?」
「さっきからずっとよ。貴女は認識阻害術の精度が高すぎるから、むしろ私なんかは違和感を覚えちゃうのよ。でも、丁度いいわ。レナちゃんはしばらく目を醒まさない。だから、救い出そうとした貴女の動きは、フェストラ君の狙いは無駄となった。……安全な所に寝かせておいて頂戴」
アマンナは僅かに驚いたような表情をしながら、しかしシガレットの差し出すレナの身体を受け、背負う。
「……何故、ですか?」
「きっとレナちゃんが、クシャナちゃんやファナちゃんと一緒に居れば、あの子達を鼓舞し、ラウラ君と敵対する道を選ぶ。そうなったら、ラウラ君が勝つ事なんて出来ないからよ」
これからシガレットとガルファレット、ファナの三人は、戦う事となるだろう。
その時にシガレットがレナを連れていれば、レナとファナが同じ空間に居れば……きっとファナの心を鼓舞し、よりあの子は強くなる。
もしこの部屋にレナを閉じ込めていたとしても、きっとフェストラやクシャナは真っ先にレナという女性の身柄確保に移る。
そしてそうなった時……レナという存在はラウラにとってのアキレス腱となる。
きっとフェストラは、それを狙い、アマンナにレナの身柄を確保しろと命じたのだろう。
ならば、彼女の身柄を開放する事となってでも、戦いの場から遠ざけるように仕向ける事は、戦略上の観点から見ても悪くない。





