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失墜-06

「……なんだか、外が騒がしいような気がしますね」



 ラウラ王に対する民衆の罵声、帝国軍人や警備隊員達による怒号、果てはアスハの声明と、国家の転覆さえ考えられる事態において、レナ・アルスタッドがそうした言葉を口にしたのは、彼女が呑気だからではない。


シガレットが騒音遮断の魔術に加え、外の光景を違和感が無いように受け取る認識阻害魔術が窓や壁に展開しているからこそ、彼女は外で何が起こっているのかを知る術がないのだ。


むしろ、騒音遮断魔術に加えて認識阻害魔術が展開されている状況で、彼女が僅かにでも騒がしいと感じるようであれば、外は阿鼻叫喚の様相を呈しているに違いない。


シガレット・ミュ・タースは、朝食の準備をするレナに対し何をするでもなく、ただ椅子へ座って呑気に朝の読書をしているように見せるが、しかしその実、読んでいる本の文字など、一文字も追えていない。



(どうしましょうねぇ、本当に)



 シガレットとしては、ラウラの計画がどうなろうと特に構わないと考えている。確かにラウラの企てた計画に一部だけとはいえ加担した過去もあるし、彼によって甦らされたが故に従ってはいるが、それ以上の義理は無い。


しかし、シガレットとしてもレナを守りたいという気持ちは変わらない。元々レナという女性については知っていた筈だが、その事前知識が全て無駄になるほどに――彼女には、母性と慈愛に満ちている。



(これから、帝国城を巻き込んだ戦いに発展する事は間違いない。そうなってしまえば、流石に誤魔化しきる事は難しい)



 情報は集めている。このまま事態が進行しても、ラウラが何か手を打って出るとしても、帝国城という場所そのものが戦いの場となる事は避けられない。


このままシガレットがレナを近くで守り続ける事も出来るが、しかしそれでは――彼女を戦いに巻き込む事となる。



(ガルファレットは、必ず私の所に来る。そして……私を唯一、安らかに終わらせる事が出来る、ファナちゃんも共に)



 それはこれまでの事を……ファナ・アルスタッドという幼い少女が、ミハエル・フォルテという男の蘇った命を終わらせたという事実を知れば、容易に想像できる。


ファナという子供は、どこまでも真っすぐで、どこまでも純粋だ。故にミハエルという男の蘇った命を、確かに存在した命を終わらせた事に対し、ある種【責任】と言っても良い感情を抱いている筈だ。



――ラウラが、自分の父が蘇らせた命を、自らの手によって終わらせる。


――それこそが、自分のするべき事なのだ、と。



 そうなれば、シガレットの守るべきレナと、ガルファレットと共に自分の下へと訪れるファナは、必ず顔を合わせる。その結果、レナがどんな反応をするか……それは、シガレットにも分からない。



(ビックリするだけならいい。けれどレナちゃんはきっと……戦いという存在にファナちゃんが誘われている事に、驚きながらも受け入れる。レナちゃんには、それだけの度量がある。全てを受け入れ、包み込む程の度量が)



 香ばしい匂いが漂い、シガレットは本から顔を上げ、テーブルの上を見た。いつの間にか置かれていた鮭のムニエルと、その上にかけられたソースは、僅かに酸っぱさを感じさせるレモンの香りがして、既に死している筈のシガレットに食欲を感じさせる。


 両手を合わせ、神に……フレアラス様に祈りを捧げるレナの姿は、美しい。女性であるシガレットが思わず目を惹かれる美しさは、その外見だけでなく、彼女の神秘的な魅力が溢れ出るからかもしれない。


こうして祈りを捧げる姿を見ているだけで、心が洗われるようで、シガレットはしばし彼女の事を見据えていたが、そこで視線を感じたのか、レナが顔を上げて首を傾げた。



「シガレットさん?」


「……なんで、ラウラ君がレナちゃんに惹かれるか、分かる気がするわ」


「もう、帝国王様のお名前を君付けなんて」


「ねぇレナちゃん――貴女は、戦いって好き?」



 何もかも噛み合わない会話であったように、レナも感じただろう。シガレットも会話の流れなどもう考えていない。


問いかけたかった。レナが戦いという存在を、どのように受け止めるのか。



シガレットにとって、戦いとは【地獄】だ。


かつてその地獄を生き抜き、多くを殺してきたシガレットは、その地獄を決して誰にも経験してほしくないと願い、生きて来た。


けれど彼女は……戦いしかなくて、そしてシガレットの身体も、戦いという地獄に最適化された、強者の概念とも言うべき姿として、再びこの世に生を得た。


だからこそ、戦う事も、戦いの先で再び死ぬ事も、怖い等と考えた事はない。


けれど……レナは違う筈だ。


彼女は戦いにおける「た」の字も知らぬ女性。故に戦いを恐れる事が当たり前である。


けれど……レナは、僅かにシガレットが問うた意味を考えながら、しかし彼女がどんな答えを求めているか分からないからこそ、ナイフとフォークを手に取り、ナイフの音を鳴らす事なく、静かにムニエルを切っていく。



「どんな戦いという形であっても、好きだなんて言えないです。戦いっていうのは、誰かが傷つく事を余儀なくされる。決して、容認できる筈も無い。――けれど、それはとても傲慢な考え方にも思うんです」



 ……傲慢?



思いがけない答えに、シガレットは手に取ろうとしていたナイフを思わず落としかけたが、しかし操作魔術で慌てて止め、空中に浮いた所でキャッチした。



「人は、生きている限り何かを傷つけている生き物です。誰かの幸せは、誰かの不幸によって成り立っている。例えばクシャナはお金の動かし方を知っている子ですけど……そのお金を動かし、利益を生んだ事と反対に、どこかで不利益を被ってしまう人もいる」



 株式や金融商品という存在には疎いシガレットやレナでも、それ位は理解できる。例えば株の取引において、クシャナはこれまで多くの利益を上げてきた。けれど、その利益を得たクシャナの口座に振り込まれた金は、元々どこから発生した金であるか……それは、株式取引を行っている中で、取引に失敗し、自分の金を犠牲にした者の不利益だろう。



「他にも、戦争。勝者も居れば、敗者もいる。戦争に勝利し、資源や土地を得た国が富や名声を得る裏に、人々の死や涙、そして奪われた富や土地がある」



 ミクロの視点から見ても、マクロの視点から見ても、争いという存在は誰かに勝利という幸せを与え、誰かには敗北という不幸を与える。


けれど……勝者は勝利を望んではいけないのか?


幸せを、望んではいけないのか?



「私は、勉強もろくに出来なかった田舎者の平民です。だから、詳しい歴史は知りません。けれどこの国にかつてあったとされる侵略戦争において、グロリア帝国は勝利を果たし、富や土地という幸せを得た。けれど、その裏には失くした者の富や土地……悲しみが、不幸があった筈でしょうね」



 かつて、シガレットとミハエル、その他多くの英雄と呼ばれた者達が凱旋パレードで手を振りながら、見て見ぬフリをした光景が思い出される。


幸せのフリをして、グロリア帝国国旗を振る者達の壁、しかし彼らの壁を越えた先には、戦争を勝利に導いたシガレット達に罵声を浴びせる者達の叫びがあった。


彼らは、後に処刑された。不幸のまま、死して逝ったのだ。



「でも、グロリア帝国という国は、幸せを望んではいけなかったのかしら」


「違う。……違う。そんな事、分かってる」



 そうだ。グロリア帝国だって、ただ無益に殺し合いを望んだわけじゃない。その時々に応じ、求めた幸せがあったのだ。


その幸せを欲したから、他国を侵略し、奪い……そして、事実としてそれを手にした。


そんな事は分かってる。かつてその戦いにおいて戦火を上げたシガレットだからこそ、その戦いが無意味な事であったと、その先に何も幸せなんてなかったと、言える筈も無い。言っていい筈もない。


けれど――割り切れる筈も無いのだ。



「自分の幸せが欲しいからって理由で、他の人を蹴落として良い筈がない。そんな事が、許される筈がない。……得られた幸せがあったからと、非道を許せる程、人間は慈悲深くなんてないのよ」


「ええ、その通りです。でも私は、もし誰かを不幸にする事で、クシャナやファナという自分の子供が、掛け替えのない幸せを得る事が出来るのなら……きっと誰でも不幸に陥れる。それを、決して迷いはしません」



 レナらしくない言葉である筈なのに、しかしその言葉が、とても重々しく感じた。


シガレットはレナと顔を合わせ……彼女のニッコリとした柔らかな微笑みを見据えながら、ただ耳を傾ける。



「不幸にしてしまった人には許される筈も無い。けれど私は、私を【母】でいさせてくれるあの子達の為なら、どんな非道でもするでしょう。……結局、戦争や争いなんてものは、そうして誰を幸せにするか、誰を不幸にするかでしかなくて……人間は、決してその在り方から脱する事なんて出来ない」



 柔らかな笑みを浮かべながら、彼女は自分が母として抱く決意を、まるで他人事のように語っていく。


 シガレットは初めて、戦争や争いという存在以外に、恐ろしいモノを垣間見たような気もする。


彼女は、自分の子供に拒絶される事を恐れ、涙を流すような脆い女性、だけれど心に強いモノを持つ人間だと、ずっと思っていた。


けれど――けれど、それは違う。彼女が涙するのは、彼女が懸念するのは、何時だって母として思う【子】の事でしか無くて、その実は【子】の事以外等、気に留める事も無い存在。



彼女は、あまりにも【母】であり過ぎるのだ。



子供の幸せを望むのならば、何事さえも不幸にしても構わないとする、究極なる母の具現。



なるほど、確かに彼女の中に神秘的な魅力とて感じよう。


全ての生命は母から産まれる。故に誰もが【母】という存在に対し、特別な感情を抱くものだ。



そんな母という存在の体現である彼女を前にすれば、どんな老人だろうが、どんな赤子だろうが、例えその存在が神であるのだろうが……きっと彼女の胸に抱かれ、静かに寝息を立てるのだろう。

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