失墜-04
ラウラ王や次期帝国王候補の、行動記録魔導機によって記されているハードカバー製本された記録。それが何十、何百冊と並べ立てられている光景を見据え、ウォングはその中からラウラ王の記録が記されている本を漁り、床に落としながら、震える手で指を鳴らし、その指先に火を点す。
簡易的な着火魔術、それでこの本を燃やし尽くせば、ラウラの計画や野望は明るみになる事は無い。
その指先を崩れた本の山に近付け、今その先端がハードカバーを焦がし、焼くかと思われた……その時だ。
ウォングの手を、強く握りしめて止める者が、一人。
そして今、彼が燃やそうとしていた本を一つ一つ回収する者も、一人。
自分の手を握り、その指先に点った火を自分の手で握り、乱雑に消火する者の顔は初めて見たと思われる。しかしその体と顔を一瞥するだけで、その者が男であるとは理解できる。
そして、本を回収して丁寧に脇へと抱えた人物は女性だ。一つ違う所があるとすれば、男と異なり女の方は、ウォングも見知った顔であった事だろう。
「困りますね、ウォング・レイト・オーガム。ここに並ぶ記録は、帝国王やその候補者が、自らの為に働いてくれる民衆たちへ、不義理をせぬようにする防波堤だ。……我らハングダムの英知を結集し、開発した行動記録魔導機の在り様を否定し、隠蔽しようとは、愚の骨頂だ」
「ええ、そうね。この記録は我々、ハングダムが責任を以て閲覧し、ラウラ王のこれまで犯してきた過ちを正す為に使わせて貰うわ」
男は、メリー・カオン・ハングダム。
女は、ルト・クオン・ハングダム。
両者は十王族や帝国王の内偵を主な職務とし、必要であるのならば王であっても討つという役割を与えられた者――ハングダム家の人間だ。
「な、なぜ……何故ここに……!?」
「貴方のような人間が、ラウラ王の記録を隠蔽する為に動くと予想していたからですよ。我々としてもこの記録はラウラ王の悪業を世に知らしめる為に必要なモノだ」
「兄さん、きっとウォングはこう言いたいのよ。『何故お前達がここに入れたのか』とね。けれどそれも簡単な事で、貴方のような男がここまで一直線に来れた事と一緒よ。この混乱状況なら、まともに厳重警備が働くはずもない。私達ハングダムの持つ認識阻害術があれば、簡単に侵入は出来る」
ウォングの足をかけ、彼を床に寝そべらせながら、メリーはウォングの両手を縄で結び、身動きが取れぬようにする。
それと同時に、メリーは肩の力を抜くかの如く、フゥ、と息を吐いて、その眼前に手を当てた。
すると、それまでウォングに見えていた端麗な顔立ちが一変し……顔面が随分と歪み、口や鼻の位置も若干ズレているようにも思える、奇形の顔が見えた。
「お、お前、もしや……メリー・カオン・ハングダムか……ッ!?」
「お久しぶりですね、ウォングさん。……とは言え、この顔を見られて私だと認識されるのは、やはり気分が宜しくない」
「お前は、帝国の夜明けとかいう組織を、率いていたんじゃ……!?」
「おや? 何の事でしょう? 帝国の夜明けとは聞いた事のない組織だ。ルト、君は知っているかい?」
「いいえ? そんな組織、存在が認められている公的記録もないわ。兄さんは以前から行方不明扱いになってたけれど、実は生きていただけでしょ?」
帝国の夜明けという組織が存在する事は、公にされていなかった。これは多くの民衆がそうした反政府組織による活発な運動が行われているという事実を知った場合、国内情勢の悪化を懸念して公表されなかった事であるが、故に主要メンバーとして名を連ねるメリー・カオン・ハングダム、アスハ・ラインヘンバー、ドナリア・ファスト・グロリアという三人は、あくまで行方不明者として記録に残るだけだ。
つまり……表向きにメリーは『帝国の夜明けを率いる男』ではなく『ハングダム家の嫡子であり十七年前から行方不明であった男』という存在でしか無く、彼がハングダム家の人間として、ラウラによる行いを白日の下に晒す為に動いても何ら不思議な事ではないと言っているのだ。
徹底した隠蔽による弊害、国家に仇成す者が堂々と公務に与し、今まさに国家の形を壊そうとしているのだと、ウォングは歯を鳴らした。
ドタドタと聞こえる足音、それに三者は耳を澄ます。幾人もの帝国警備隊員が押し寄せ、その手に剣を握りながら、三人に「動くな!」と警告を発した。
が、しかしその声に顔を青ざめさせるのは、ウォング一人だけだ。
剣を構える六人弱の警備隊員。彼らに向けて、率先してルトが「落ち着きなさい」と声を上げながら、胸元より一つの手帳を取り出した。自らの身分を証明する帝国軍人証明手帳だ。
「私は帝国軍司令部第四諜報部隊長、ルト・クオン・ハングダム。十王族の一つ、ハングダム家当主よ」
「同じく、元帝国軍司令部第四諜報部隊部隊長、メリー・カオン・ハングダム。ハングダム家の当主候補であった人間だ」
ウォングの身柄を拘束しながら、メリーとルトはそれぞれの名と身分を明らかにし、その言葉を聞いた警備隊員一同は、ギョッと表情を変えながら、しかし剣は降ろさない。
メリーはその行為に対して微笑みながら、天井の方を見て、一番近くにあるカメラを顎で示す。
「職務に忠実であるのは良い事だ。君達はあの混乱の中、地下施設への侵入者を映像で見るや否や突入を果たしたのだろうが、それこそ記録を見て、誰が不法侵入者かを判断してほしいものだ」
「私達はあくまで、ラウラ王の記録を不当に破棄しようとするこの男、ウォング・レイト・オーガムを取り押さえ、こうして記録を保護しただけ。それでももし貴方達が我々を不法侵入として逮捕・拘束しようというのなら――それは国家情報保護法違反の可能性もあるとして、私達の方が貴方達を検挙しなければならないわね」
国家情報保護法とは、帝国王から一国民までの人間についてを記録してある情報の適切な保管を帝国政府が管理する兼ね合いもあり、その情報が不当な処分や破棄が行われないようにする法律である。
帝国政府内の内偵を主な職務とするハングダム家の人間は、この国家情報保護法の埒外に置かれ、数多の個人情報を集める事が出来るとされており、本来であればこの帝国城地下施設にて保管される行動記録についても閲覧できる権限こそあるが、その使用が適正であるかどうかが問われる事が多い為、滅多にこの帝国城地下施設への入所はない。
だが……今はその行いが、不当なモノではないと、その場にいる警備隊員達は知っている。
ラウラ王の行おうとしていた悪行、その実態を明らかとし、赤裸々にする事もハングダム家の人間が成すべき職務であり、その為に必要な記録をウォングが不当に破棄しようとした所を確保したのだから、それを咎める事など出来る筈も無い。
「し、失礼、しました」
剣を降ろし、彼女達に頭を下げた者達へ、ウォングを差し出したメリーは、ルトと共に床に落ちていたラウラ王の行動記録を拾い集めていく。
「……あの」
そんな中、ウォングの確保を他の人間に任せていた一人が、恐る恐る口を開き、メリーとルトに問うた。
「何だい?」
「この国は……一体、どうなってしまうのでしょうか?」
「……さてね。それは我々にも全貌は見えないよ。けれど、そう悪いようにはならないと、私は思う」
「それは、何故?」
「この国には彼がいるからね。どれだけ混沌としていようが、どれだけ崩壊に近い国であろうが、彼さえいればこの国は、いくらでも立て直せる筈さ」
彼と言われた男の名を、メリーも口にする事はなかった。
時間はない。今すぐに離脱しなければ、ラウラがどんな強行に出るかも定かじゃない。だが一冊一冊がそれなりの丁数を有する記録は重たく、全冊を持ち運ぶのは、それこそラウラの強行があった場合に対処し辛くなり、都合が悪い。
故にメリーはルトに目配せをしながら、四十冊近い記録の内十冊程度を素早く厳選し、彼女へと渡していく。
厳選する内容は、主に四つ。
一つはラウラ王によるアシッド因子研究について行っていた過去の記録。
一つはレアルタ皇国アメリア領首都・ファーフェの【技術実験保護地域】における、ファナ・アルスタッドの製造に関与した部分の記録。
一つは研究して生み出した養殖のアシッド因子を込めたアシッド・ギアの製造を行い、帝国の夜明けへと横流しを果たした記録。
最後の一つは……ラウラ・ファスト・グロリアという男が、この国の王としてではなく、神として統治を果たそうとする行動の記録だ。
「もし君達がこの国の事を憂うのならば……そうだな。君達が民や仲間を、必ず守る事だ。ラウラ王やウォングのやり方は、国を守る最善の方法ではあるかもしれないが、しかし国に生きる民を真に守るやり方ではないと、私は思う」
記録の内五冊、つまり半分を確保したメリーが、ルトと共にその場から立ち去ろうとする前に、メリーは国の未来を憂う若者に、そう語り掛ける。
「国の在り方が間違いだろうが、国を統治する者が過ちであろうが、国を守らんとする者達の想いは本物である筈だ。その行動もまた、正しい筈だ。なら、国がどんな形となろうが、民や仲間の命を守り、生き延びる事……そうして一人でも多くの民が残っていれば、自ずと国は再建できる筈さ」
国とは民の住まう地の事を言う。国が在るから民があるのではなく、民が在るから国がある。
ならば、どれだけ国が混沌としていようと……その中で強かにでも生きる事が出来た民がいるのなら、その民達による国も出来るだろう。
それだけを語ったメリーは、その両手に抱える本を持ちながら、帝国城地下施設から脱する為に駆け出していく。
メリーの言葉を聞いていた青年は……彼の言葉を胸に宿し、ラウラ王より支給されていたアシッド・ギアを、強く地面に叩き付けた。





