失墜-03
『民衆の皆も混乱している事と思う。しかしラウラ王が糾弾されるべくはそこじゃない。秘匿された子供の存在も、彼が一人の女性を愛した事も、糾弾などしてはならない。それは、皆と変わらぬ人である限り、誰もが望むべき事だからだ』
ラウラも、民衆の誰とも変わらない人であるという事。それは、誰もが認識していなかった事でもある。
王とは、人の上に立つ者とは、人と違う存在である事が求められる。それは立場だけでなく能力であったり、人としてではない『王』としての在り方を強制される。
しかし、人という生命体である事は変わらず、欲も在れば望みもある。
一人の男として女を愛し、その女との子を望みたいとした彼の願いは……糾弾されるべきではないのだと、アスハは説いた。
それは……確かにそうだと民衆も、声を下げてしまいそうになる程の現実。
だがそれでは、人々にやり場のない怒りが、振り上げられた拳が残ってしまう。
この拳が、どう振るわれるべきなのか、それを求めて押し黙っていたが……それを示すかのように、アスハは続けた。
『彼が真に裁かれるべきは、非道な未来へと向かう野望。それこそが、皆の掲げる正義の鉄拳が振り下ろされる先だ』
正義の鉄拳。振り上げられて、しかしやり場のなくなった拳の行きつく先。アスハはそれを示すと言った。
『皆、空を仰ぎ、天を見ろ。天に向けてそびえ立つ、帝国城の頂点、そこには一人の少女がいる筈だ』
民衆の目線が、アスハの示す空を見据える。
太陽が昇り、雲さえかからずに白い球体が眩い光を発する中……帝国城の天辺に立つ、一人の女性が確かに立っていた。
その女性は、クシャナ・アルスタッド。
彼女の姿を見て、民衆は「あれ、誰だ?」と声をあげるが、しかしその答えが示されるよりも前に……彼女はフッと息を吐きながら、帝国城の天辺を蹴り、空へと向けて跳んだ。
あげられる悲鳴、男女の隔たりも無く「堕ちる」、「死ぬ」という恐怖を実感させる女性の行為。
その恐怖はまさに現実となり……クシャナ・アルスタッドは、帝国城の天辺から跳んで、重力に従い落ちる事で、その身体をシュメルの大広間、帝国城城壁前の硬いコンクリートに叩き付けた。
グシャ――と、頭から落ちた彼女の脳からは血飛沫が舞い、地面を彩る。それと同時に強打された肉体の骨はボキボキと折れて肌を貫通して外へ飛び出し、その肌からも血が舞い散る。
無残にも死した少女の姿を、誰もがその眼に焼き付けながら、しかし彼女が何をしたかったのか、それを混乱した頭で、皆が考える。
――だが、思考は全て、無に帰する。
少女は、その死している筈の身体をゆっくりと立ち上がらせ、その関節が折れて肌を貫通する右腕を左手で握り、引き千切る事で、皆の前に立ちはだかった。
周囲が漏らした声は、悲鳴というより奇声という言葉の方が適していたかもしれない。
無残に死しているように見えて、その実生きているクシャナ・アルスタッドの姿を見据えながら、民衆も、軍人も、警備隊員達も、皆がクシャナから視線を外せずにいた。
『今、帝国城より飛び降りて肉体を拉げさせただろう少女は、ラウラ王の子だ。ラウラ王によって作られた異形生命体【アシッド】。人間の四十八倍以上も優れた遺伝子と肉体を持ち得、本来人間が持つ以上の生命力を有する存在……【死ねない】身体を有する者だ』
その意味を理解できる者がどれだけいた事だろう。
しかしアスハの言葉は確かに、その場に集う者達の脳に届き、クシャナという存在が「バケモノだ」という現実は、受け入れただろう。
『しかし、少女はただ生まれただけだ。祝福されるべき命に罪は無い。だがもし、そこに罪があるとしたら――彼女を生み出した存在、ラウラ・ファスト・グロリアにある罪なのだろう』
潰れた頭も、引き千切られた左腕も、折れ曲がった両足も、その脅威の再生能力を以て癒していくクシャナ。
彼女の姿を皆は恐怖しながら見据えるが……しかし、アスハの言葉を受けて、民衆は彼女が「ラウラによって作られた存在である」という現実を知るのだ。
『ラウラ・ファスト・グロリアは彼女を生み出し、彼女と同様の存在に自らがなる事で、皆の前に「死なぬ王」として君臨し、この国を永遠に統治する事を企んだ。彼女はいわば、その為に生みだされた実験体……君達が救わねばならない、救済されるべき忌み子というべきだ』
クシャナの事を、恐怖の目で見ていた者達の視線が、今一斉に帝国城へと向けられ、その身体が真っすぐに、帝国城を守るべく立ち塞がる警備隊や帝国軍人の人間達に向けて駆け出された。
――命を弄んだ存在である悪逆・ラウラを許すな、と。
――こんな事を神は許しはしない、と。
――俺達が正義を執行するのだ、と。
そんな、正しさという盾を与えられた暴徒達。
しかし、だからこそ帝国軍人達や警備隊の人間達は、恐れながらも暴徒達を防ぐ。
彼らの暴挙を許せば、それ即ち国家の崩壊、国家の崩壊が招くは、無秩序なる混沌だという現実を知るからこその、秩序ある行動だ。
……だがその秩序ある行動も、一つ何かが食い違えば、混沌に誘われる。
『そしてもう一つ、ラウラ王には罪がある。国を守るという責務、正しき道を歩もうとする、職務に忠実な兵士諸君。君達はラウラ王から、人差し指大の直方体型デバイスを貸与されている事と思われる』
帝国城を暴徒達から守ろうとする者達に届く、アスハの言葉。その声に、警備隊員や軍人達も一斉に顔を上げた。
――まさに彼らは、ラウラから直方体型デバイスを「管理キィ」として貸与され、肌身離さず持つ事を強制された者達だから。
『そのデバイスは【アシッド・ギア】。その先端部分を肉体に挿し込めば、君達の肉体は、彼女のように変質し、常人の四十八倍以上もの力を有する、死なぬ怪物へと変貌を遂げる。その力を、ラウラは君達に何の説明も無く貸与し、君達が職務を果たせなくなった場合、自動的にそれが挿し込まれるシステムとなっている』
兵士たちの、警備隊員達の動揺もまた、大きいモノとなった。彼らはそれぞれポケットやホルスターに入れていたアシッド・ギアを慌てて取り出し、それを乱雑に放棄した。
そんな恐ろしいモノなのかと放棄されたアシッド・ギア。
それが地面に転がると、まさにアスハが口にした通りの実物を見た民衆たちも恐怖しながら、そのデバイスから遠ざかる様にして騒ぎ出す。
『勿論、今の段階で私の言葉が真実であるという証拠は、どこにもない。けれど、それを証明する手段はある』
パニックは、もう収める事も出来ない。正義の盾を与えられた暴徒も、その暴徒達を押さえるべく働く者達も、皆濁流のように押し寄せるアスハからの言葉に踊らされ、どう動けば良いか、何をすれば良いかも理解できずにいる。
『民衆にはあまり知られていないが、帝国城の地下には、帝国王やその候補者達に埋め込まれた行動記録魔導機によって、産まれてから死ぬまでの記録を纏めてある。その記録さえ押さえる事が出来れば、ラウラの罪を白日の下に曝け出す事が出来る』
――そしてその間に、混乱の只中を駆け抜ける、二人の男女。
再生を終えた、クシャナ・アルスタッド。
遠巻きから様子を窺っていた、フェストラ・フレンツ・フォルディアス。
二者が帝国城内部へと突入していく様子を、しかし誰も確認する事が出来ぬ程、状況は混沌としていたのだった。
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十王族の一人であり、外務省長官を務める男であるウォング・レイト・オーガムは、混乱を通り越して混沌と化している帝国城の人混みを押し退けつつ、血相を変えて走っていた。
震える両足を何とか前に出し、時に転がりながらも突き進む彼の姿を、誰も止める事はない。そんな余裕すら、周囲にはなかったのだ。
(フェストラめ……何て事を仕出かしてくれたんだ……ッ!)
青白い表情をそのままに、駆け出す彼が目指した先は、帝国城地下へと続く道。アスハの言葉に混乱する、その先へと向かう者を止めるべき兵士たちは、しかしウォングの姿を咎める事無く、彼をそのまま素通りさせてしまう。
(ラウラ王が言っていたのは、こういう事か……フェストラは、この国を、ラウラ王による統治を瓦解させる為に動いている……ッ!)
帝国城地下には、その地下全体を覆い尽くす程に大量のハードカバー状に形成された本が並んでいる。その殆どが過去の帝国王、もしくは帝国王候補であった者達で、今も尚、記され続けているラウラ王やフェストラ、他帝国王候補たちの記録が眠る奥へと突き進む。
(ラウラ王は、方法はともかくとして、この国の完全なる統治を目的として動いていた……自らの遺伝子を用いた死なぬ忌み子の製造、そして自分と同じ遺伝子を持つ存在を実験体とする事で、ラウラ王そのものが死なぬ存在として君臨させるべく、レアルタ皇国の力を借りた……!)
この認識には多少食い違いがあるものの、しかし概ねラウラの野望を少ない情報から理解したウォングは、確かに優秀な男なのだろう。
そして、優秀な男であるからこそ……フェストラの企んだ、ラウラ王の失墜という行為が、この国さえも崩壊させる手段であるという事も、理解していた。
(ああ、私もそのやり方が正しいとは確かに思えない。だが、だがな若造、国はそんな道理や人道なんぞに従うだけで立ち行かせる事は出来んのだ……事実、お前がしようとしている事は、どんな大義名分をかざそうが、この国を破壊する行為なんだよ……!)
この事実が、証拠が明るみに出れば、ラウラという存在が企てた野望は、民衆に認められる事など無いだろう。
彼の下で、彼を支える者達の代表である、十王族という存在さえも、民衆たちが振りかざす正義という盾によって、失墜させられる事は間違いない。
だからこそ、ラウラは彼に、ウォングに命じたのだ。
――ウォングの判断で、帝国城地下にある『ラウラに関する行動記録帳を全て破棄せよ』、と。
(疑惑のままであれば、証拠さえなければ、混乱状態程度で収める事が出来る。ラウラ王が関与していたという証拠さえなければ……私の子供も、孫も、皆が永遠に安寧なる世界を生きる事が出来るのだ……私は、私はそれを守る為になら、死罪をも受け入れてやる……ッ!)





