弔い-12
帝国城正門へと群がり、雄叫びを挙げる民衆たちの罵声、それは首都中心部から数キロは離れている筈の低所得者層地区にも届き、クシャナはガルファレットが淹れた茶を静かに飲みたいと感じる。
「なぁ、メリー」
「何だい、クシャナ君」
同じくガルファレットの淹れた茶を飲みながら、クシャナの契約している各経済誌を読み進めるメリーは、そのいつ見ても形の違う顔をクシャナへと向け、クスクスと微笑んだ。
「フェストラ、アイツってば何やってるんだ? アイツがいなくなって、もう一週間にはなる。その間私たちは、この家に閉じこもってばかり。何か行動を起こすとしたら、混乱している今がチャンスなんだろう?」
「焦らない方が良い。フェストラ様はじきに返ってくるさ」
「お前は何か聞いているのか? アイツがこれからやろうとしている事、ここまで国を混乱させて、どうやってラウラを失墜させようとしているのか」
「君はどうにも逸っているね――ファナ君や、レナさんについてかい?」
ピクリと、僅かにクシャナの頬が動いた。
各経済新聞もゴシップ紙も、その一面トップは一週間経過した現在も変わらず、ラウラ王についての記事が掲載されていた。
経済紙はラウラ王に関する疑いが原因で国内情勢の悪化が懸念され、外国為替取引においても国内産業においても、悪化の一途を辿っていると報道され、ゴシップ紙は相変わらずラウラ王に対する疑いだけを広め、その事実確認についてはおざなりだ。とはいえそうした事実確認は、元々公的捜査機関が動くべきであり、彼らゴシップ紙は捜査機関が動かぬ事についてを民衆に対して煽り立てる事しか出来ぬのだが。
だがクシャナの懸念はそこじゃない――ゴシップ紙面には大きく、レナやファナ、そして自分の事であろう、ラウラ王の家族に関する事が書かれている。
「レアルタ皇国側が、動いたんだってさ。私やファナを生み出した、技術実験保護地域って所でやってた研究にラウラが秘密裏に関わって、自分の子を産ませた証拠があるって」
「とはいえ、そうした情報に詳しいという一部外務省関係者が漏らした証言しかない状態だ。それを鵜呑みにするのも、個人投資家としてはどうだろうねぇ」
「その証言が本当か否かは放っておいて、事実である事に変わりはないだろう。その事実が面白可笑しくネタにされて、国家転覆に利用されているなんて、ファナやお母さんが知れば二人は悲しむ。私は……二人の悲しむ姿は、見たくない」
彼女の握っていた湯飲みに、僅かながらのヒビが入る。メリーはその様子を見て、クシャナへ問いかける。
「君も何か隠しているのかい?」
メリーの問いに、クシャナはヒビが入って僅かに零れて手にかかる茶の流れを見据えた。
「……隠してるわけじゃないよ。ただ、言う必要はないだろうと思っただけさ」
「例の、ブーステッド・フォームとやらが持つ力の影響かい?」
「分かってるなら、聞くな」
「以前の戦いで、私は現場に居なかったからね。だが話を聞いている限り、君の持つ能力は確かに拡張されたと言ってもいい。……しかし強すぎる力は、それ相応のリスクが伴う」
あのカルファスという女の渡した技術なら尚更ね、と。メリーは茶を飲み干しながらそう続けた。
「アシッド・ギア内部に残る因子を動力として利用し、その分だけ自立駆動型の分身を産み出す。それだけでなく、残留エネルギーを活用した破壊力の向上――ああ、確かに【ブースト】の名に相応しい能力じゃないか」
これまでクシャナ……否、幻想の魔法少女・ミラージュが持つ戦闘能力は、言葉を選んだとしても平均的な兵士よりも強い、程度の技量でしかなかった。
しかし、ブーステッド・フォームという存在になる事で、その戦闘能力は応用力という意味も含め、破格的なパワーアップを遂げたと言ってもいい。
「だが一つのアシッド因子が持つ力でさえ、通常の人間は正気を失う。ハイ・アシッドへと覚醒した君でさえ、通常の因子に加えて養殖の因子を埋め込めば、その固有能力を暴走させかかっていたそうじゃないか。……一度に大量の因子を、全てエネルギーとして変換・利用すると仮定しても、それによる影響が無いとは思えない」
メリーの言う通り、クシャナはこの一週間近く、殆ど理性と戦い続けていたと言ってもいい。
クシャナはこれまで、どんな形であれ肉を喰わない生活を続ける事で身体を慣らし、アシッドとしての食人衝動を抑え込んできた。元々採食家である彼女に肉を喰いたいという欲求が強くなかった事も理由ではあるが、肉を喰わない生活に慣れていた事が主な要因である。
しかし、それも通常の因子だけが体内に存在し、力が全盛状態でない場合のみだ。
ブーステッド・フォームへの変身以後、彼女は常に全盛期以上の力が体内に宿り続け、その食人衝動も強まっている。むやみやたらと他者の深層意識を覗かずに済んでいるのも、その食人衝動の排除に集中力を使い、疲労困憊の状態で睡眠するからであろう事も想像に難くない。
「ヴァルキュリア君の例もある。君も可能な限り、ブーステッド・フォームへの変身は控えた方が良いだろうね。戦いが終わった後も、人間社会で生きていきたいのなら、ね」
「……なぁ、何でお前は、そこまで私の心配をしてくれるんだ? 私達は、ラウラとの戦いが終わったら、また敵同士に戻るんだろ?」
立ち上がって、ティーポットで茶のお代わりを淹れようとしていたメリーが、動きを止めた。
「ブーステッド・フォームを使いまくった私が暴走でもして、簡単に対処出来るようになった方がよっぽどお前達にとっても楽な筈だ。なのに、なんで」
「その必要が無いからだよ。……既に私とアスハにとっての理想は、フェストラ様が思案してくれている。ラウラ王との戦いに勝つことが出来れば、誰にとっても幸せな世界が訪れるのだから、君が敵になる事を心配する必要もない」
「フェストラが……お前達の理想を汲む?」
「そうだ。彼はそう私に約束し、既に行動へと移っている。今彼がこの場に居ないのは、その為の準備をしているから、とでも言っておこうか」
何か、引っかかるものを感じる。クシャナは彼の言葉が何を意味しているのかをより深く問い質そうとしたが、そのタイミングで小さな足音が聞こえて口を閉ざした。
「お姉ちゃん、ちょっと……お話、良い?」
足音を聞いて既に判断がついていたが、上の階から降りてきていたのはファナである。メリーはティーカップをキッチンへ置いて軽く水で濯いだ後、テーブルの上に置いてあった紙面を軽く片付けた。
「なら私が席を外そう。買い出しにも行っておきたいしね」
「あ、ごめんなさい!」
「構わないさ。私も妹を持つ身として、可愛い妹との時間がどれだけ尊ぶべきものかを知っているからね」
ファナの頭を撫でながら、買い出しへと向かっていくメリーの姿を見届けた後、ファナはクシャナの方を向いて「良いかな?」と首を傾げた。
「お話しって、何かあったのかい?」
「えっと、そんな大した事じゃ、ないんだけど……」
先ほどまでメリーが腰かけていた椅子に座り、クシャナと向き合おうとしたファナだったが、言い出し辛いと言わんばかりに表情を幾度も変えていた。
だが、そうしていては何も変わらないと分かっているからか、やがて覚悟を決めたように、クシャナと視線を合わせたのだ。
「ヴァルキュリア様の様子、最近変なの。アタシと、あんまり一緒に居てくれない、というか」
「……それは」
先日、マジカリング・デバイスの影響で一時的なアシッド化を果たしたヴァルキュリア。彼女もいずれああなる事を想定していたそうだが、ここまで副作用が早く出るとは予想出来ていなかったのだ。
また暴走した時、もしファナがヴァルキュリアの近くに居たら、ファナが危険に晒される。故に今はファナとの距離を開けるように努めているのだろう。
「お姉ちゃんは、何か知ってるの?」
何と答えるべきか、それさえも分からない。
きっとヴァルキュリアは、ファナへ伝えて欲しくないと考えているだろう。
彼女はこれまで、ファナの事を想い、何時だって共に戦ってくれた。
か弱い少女の命を守る事を、心を守る事を、何より一番に考えてくれていて、ヴァルキュリアの真実を伝える事は、その心を傷つけてしまう事に繋がるかもしれない。
何も知らないフリをした方が、良いに決まってる。
――けれど、似たような事が前にもあった。
ファナの真実を、クシャナの真実を、ラウラ王の、レナの真実を伝える時、クシャナはファナの真実を意図して制限した状態で伝えた。
そして子供が真実を受け入れる事の難しさを、真実を受け入れる為には諦める心が必要なのだと説いた事を。
だが……ファナは結局ラウラから真実を聞き、それでも心を傷つける事無く、むしろその心を滾らせて、成長してくれた。
「……ヴァルキュリア様は何か隠してて、お姉ちゃんもそれを知ってるんだね」
勿論全貌は理解していない。しかし、限りなく正しい答えに辿り着いていたファナ。
彼女は少し寂し気な表情こそ浮かべていたけれど、しかし傷ついているという様子ではなかった。
「じゃあ、一つだけ聞かせて。……その隠し事は、アタシを騙す為のモノ?」
「違う。……そうじゃない。ヴァルキュリアちゃんが、ファナを騙すものか」
その言葉だけは、すぐ口にする事が出来た。
騙す為の隠し事じゃない。彼女を守る為の隠し事で、その秘密を打ち明けるか否かは、ヴァルキュリアの意志が決めるべきだ。
だからこそ、クシャナはその隠し事について、知らないフリをするべきであったのに、それが出来なかった。
ファナはそれを問い質そうとしてくると思っていたのに……ファナは「違う」というクシャナの言葉を聞いて、柔らかな笑みを浮かべた。
「分かった。それが分かれば、大丈夫」
「……本当に?」
「うん。ちょっと寂しいのは本当だけど……でも、アタシも成長してるんだよ? ヴァルキュリア様がしてる隠し事は、良い隠し事なんだろうって、何となく分かるもん」





