弔い-10
ラウラ・ファスト・グロリアはその日、思いがけない空白の一時間が生まれた事に若干の驚きがあった。本来は外務省長官を務め、かつ十王族の一人であるウォング・レイト・オーガムとの会談が必要であったのだが、彼が大使館員との緊急な会議があるという事で、ラウラとの会談が延期となったのだ。
本来であれば帝国王であるラウラとの会談が優先されるべきであるが、しかし緊急会議が必要な国がレアルタ皇国大使館では話が異なる。ラウラも彼にそちらが優先であると指示し、この時間が空白となったのだ。
そして次なる会談は一時間後となり、空いた時間に他の会談をねじ込む事も難しい。故に彼は玉座に深く腰掛けた後、目頭を揉みながら思考を回した。
「……貯蔵されている、蘇生魔術用の肉体ベースは残り一体、か」
彼が用いる蘇生魔術は、蘇らせる対象の肉体を擬似的に作り上げ、その肉体に死者に関する魂の代替えとも言うべきデータを注ぐ事により、準備を終える。
その偽りの肉体に偽りの魂が注がれたベースに、ファナの魔術回路を模した擬似魔術回路からファナのマナを注ぎ込む事により、蘇生魔術は偽りの心身を本物であると誤認識し、偽りの肉体と偽りの魂が、蘇らせる対象を全盛の状態で造り上げる。
これはシガレット・ミュ・タースがいい例だろう。彼女は元々九十代にも及ぶ齢の女性だったが、しかしその年に至るまで魔術の研鑽を積み、第七世代魔術回路を有するラウラさえも唸らせる最強の魔術師に近い位にまで君臨した。ラウラの蘇生概念は、彼女が死する直前までの魂を模したデータを擬似肉体に注ぎ込んだ。つまり、それだけの知識と技術を知り得た状態で彼女は蘇るという事。
しかし生前の彼女でさえ、肉体の老化には勝てなかった。特に魔術回路は加齢と共に衰え、技術の冴えはあれど進化は無かったが故に、彼女は八十代前半から車椅子に頼るようになり、また魔術も大魔術の使役は最低限に抑え、基礎魔術の応用を重ねる形で使役してきた。
だがラウラの蘇生概念は、肉体の老化が起こる前、彼女の魔術回路が最も発達と進化を果たした十七歳頃の肉体として、偽りの肉体を作り替えた。
故に彼女は十七歳の肉体に九十三歳の魂が注ぎ込まれ、当人さえも心身の齟齬に戸惑いつつ、少しずつだが適合していた。
そして、その蘇生魔術用の肉体ベースは、ラウラという男の技術を用いたとしても、一つの生成に一年近くの年月が必要となる。これまで五年の月日を積み重ね、研究と魔術式の構築を繰り返し、三年前に初めて実用化を果たしたのだ。
それから三年間、シガレット用の肉体ベースとミハエル・フォルテ用の肉体ベース、そしてエンドラスとの取引に用いるガリア・リスタバリオス用の肉体ベースを造り上げたのだが……思いの外、エンドラスはラウラの思うような活躍を果たせず、また重要戦力として用意していた筈のミハエルも、アスハによって倒されてしまった。
「こちらの手札は、エンドラスとシガレット様、そして……残り一つの死者、か」
対して向こう……シックス・ブラッドと帝国の夜明け、フェストラとメリーの有する手札は皆、優秀かつ多彩だ。
「まずは何より、本来の彼女でさえも厄介であるのに、魔法少女の力を手にしてしまった、ヴァルキュリア・ファ・リスタバリオス、か」
魔法少女形態時における再生能力は、恐らく一時的なアシッド化による影響であり、このまま変身を遂げ続ければ、いずれ完全なるアシッドと化し、同じアシッドかラウラでしか対処は不可能となり得るだろう。
「まぁ、彼女の対処はエンドラスに任せれば良い。もし彼女を対処しきれず殺されるような事があれば、我が後を追わせるだけの事」
ヴァルキュリアは元々、エンドラスの野望を叶えるという約束の元、生かしていただけの事だ。もしエンドラスがヴァルキュリアに殺された場合、彼に義理立てする理由はない。
ラウラとしても、もう少しエンドラスは役立つ男だと思っていたが、これまで彼は一度もラウラの命令を果たした事がない。
ヴァルキュリアを止める事は出来ず、またヴァルキュリアに固執し過ぎ、他の者を排除するという思考にまで至る事も出来ずにいる。そうした彼を見ていると、義理立てするのにも疲れたと内心で考えていた。
「続いて、アマンナ・シュレンツ・フォルディアス――我が最も警戒する女が、まだ健在である事も気に食わん」
アマンナという少女の戦闘能力は、ヴァルキュリア程高いというわけではない。技量としては確かなものだが、それ自体は対処もしやすい。
だが、もし彼女が本気でラウラを殺そうと企んだ場合――彼女だけがラウラの背後を、首を獲る事が出来る人間である事も確かなのだ。
それこそ、彼女が【不干渉の魔眼】と【時間停止の魔眼】という、二つの魔眼を有するが故である。
ラウラは確かに空間魔術などを筆頭に、第七世代魔術回路を有する者として最上位の魔術師である事を自負している。だが、他者の時間停止能力を防いだり、同様に時間停止能力を持つ事も出来ずにいる。
時間概念に関してはカルファスが主に研究を続けていた事ではあるが、ラウラはそれを専攻としていなかった上、興味のある題材とも思っていなかった。
故に彼女を含めフェストラを味方に引き入れておきたいと考えていた筈なのに、フェストラもアマンナも敵となったまま、今もまさに生きている。
「アマンナについてはシガレット様に任せておけば問題は無い。彼女の性格上、アマンナを殺しはしないだろうが、痛めつけてさえくれれば、後でどうとでも対処は出来る。……しかし、それ以上にシガレット様における懸念事項が、ガルファレット・ミサンガだ」
ガルファレットという男は、その体内に有する改造された魔術回路を用いて、自らの身体を狂化状態にする事が可能だ。そしてこの狂化状態が最大出力時の彼を相手にする事は、ラウラでも難しいと言ってもいい。狂化状態となれば、ラウラの用いる空間消滅魔術さえも展開できぬ程にマナの斥力場が発せられ、加えて空間消滅魔術以外の魔術式も、殆どがかき消されてしまう。
だからこそ彼を味方に引き入れる算段としてシガレットを蘇らせたというのに……ガルファレットはむしろシガレットを蘇らせた事に怒り、ラウラを敵として認識してしまった。これは、ラウラにとっての大きな誤算だった。
加えてシガレットは否定するが、彼女はガルファレットに入れ込んでいる。元々自分の騎士として仕えてくれた者であったという事で、その気持ちはラウラとて理解できる。故に彼を味方に引き入れておきたかったのだが……。
「……本当に、これほど予定通りに動かぬ存在とは、面倒なモノだったか」
思えば、フェストラ達にラウラの正体を明かした時から、全てが狂い始めた。
その時まで、彼らは想定通りに動いてくれていた。
否、違う。フェストラやメリーという、自分の思考回路と近しい存在が互いにどう動くか、盤面上を見て予想出来るからこそ秘密裏に彼らを動かす事が出来ていたのだ。
だが彼らは、ラウラを敵と認識し始めたからこそ、ラウラの予想を越える行動に出始めた。
メリーはアスハとドナリアという仲間へ、自由に行動するよう求めた。アスハの価値観も、ドナリアの価値観も理解できぬラウラにとって、二人がどう動くかを予測する事は出来なかった。
結果としてドナリアは、何より気に食わないと考えていたエンドラスを止める為に戦いへと出向き、エンドラスが殺そうとしていたアマンナを助けた上で、エンドラスを打ち破る事に成功。
アスハはラウラによってアシッド・ギアの製造が牛耳られている事を知ると、ラウラの手先となった部下達を皆殺しにし、アシッド・ギアの製造ラインを八割方破壊し、自分たちの装備ともなり得るギアの最大数を減らす代わりに、ラウラに亘るアシッド・ギアも減らした。
どれもこれも、可能性としては考えられるとしながらも、しかし彼らにとっての利益も少ないと可能性を切り捨ててきたが故に、裏をかかれた形となってしまった。
「だが――メリーやフェストラは、時に益となり得ない行動を採る人間の心理を理解し、奴らへ自由に行動させる事が突破口になると、理解していた。そこが、我よりも優れている部分と言えるだろう」
ラウラには至らぬ思考、その思考に二人は辿り着いたという事だ。
それだけ彼らはラウラと違い人の在り方を見ていて、ラウラはそうした人の在り方から離れた場所に居続けてしまった、という事でもある。
「やはり世界を動かす者は、一握りの策略家でも、聖人でも、天才でもなく、大多数の阿呆という事か。そこを読み違えた我が、ここまでフェストラとメリーにしてやられた事も、無理はないという事だ」
この世の殆どは阿呆によって動いていると、幼い頃からラウラは考えていた。
今ある利益や自由、そして平和を当たり前のモノとして享受し、自分が生きている間は常にそうしたモノがあるモノと思考を止め、自分たちが自由を謳歌する為だけに生きる者達。
自分たちに不利益が被るかもしれないと考えれば、例えそれが無関係な事であろうと糾弾し、糾弾する事こそが正しい事と、正誤を自覚せずに引っ掻き回す。
そんな阿呆達を見続けてきたからこそ、彼はその阿呆達に対して嫌悪感を募らせ、阿呆では無い者達による政略を目指した。
一握りの策略家、一握りの天才、一握りの聖人を束ね、彼らのカリスマ性によって阿呆達を従える事により、阿呆達を動かす。
その先に待つのはこれまでの世界が形作ってきた「無秩序なる自由」ではなく「秩序ある不自由」だと。
だが、フェストラやメリーは違った。
彼らは「阿呆達が世界を動かすと知っているからこそ、阿呆達がどう動くのか」を重要視したのだ。
「我には阿呆の気持ちを理解できぬ――そして、阿呆どもの行動原理や心理を理解して動く、フェストラやメリーの気持ちも、理解できん」
だからこそ、彼は頭を抱え、目を瞑る。
フェストラやメリーが、ラウラにとって懸念事項となる者達を使い、これからどう動くか。それが理解できぬから。





