弔い-08
――何か、違和感がある。
ヴァルキュリアがそう気付いたのは、アジト襲撃より三日経過したとある日の早朝。まだ太陽の光も昇り切らず、低所得者層地区周囲で家庭農園を営む平民たちが、疎らに姿が見える程度の時間に、ヴァルキュリアは現在住処としているアルスタッド家の裏手で、日常生活に用いる薪割りに精を出していた。
薪を用意して、斧を振りかぶり、下ろす。割れた薪に代わる新たな薪を切り株に立て、再び斧を振りかぶり、下ろす。
そうした作業を繰り返しているだけでもそれなりに腕の筋肉を使用し、朝の目覚めに相応しい疲労を感じるべき筈なのに……彼女はどれだけ薪を割り続け、既にアルスタッド家に貯蔵されていた玉切りさえも無くなるまで割り続けた彼女は、自分が無意識の内に魔術的な身体強化を施しているのではないか、と邪推する。
魔術的な身体強化は確かに肉体の疲労度を軽減させる効果もある。故に無意識的な魔術強化を行っている場合であれば疲労感を感じぬという事に納得は出来る。
しかし、体内貯蔵されているマナの総容量は変わっていないように思う。加えて元々彼女の貯蔵マナ量は常人より僅かには多いが、しかし垂れ流す程に有り余っているわけでも無ければ、無意識的に魔術強化を行ってしまう程、魔術使役に不慣れな訳でもない。
「気のせい、であるかな」
もしかすれば、連戦における連戦によって、これまでの人生で行ってきた訓練以上に身体が鍛えられ、僅かな疲労も感じぬ程に成長した可能性もある。そう納得する事で、彼女は朝一番の風呂に入る為、辺り一面に転がっている薪を集め、薪棚へとしまっていく。
「……おはよう、ございます。ヴァルキュリアさま」
声に張りがないのはいつもの事であるからして、寝起きなのか否かさえハッキリとしていないアマンナの声が背後から聞こえ、ヴァルキュリアが振り返りながら「うむ」と頷いた。
「おはよう、アマンナ殿。目覚めが早いのであるな」
「普段から、この時間には目を、覚ますようにしてます」
軽い世間話をしながら、薪棚に全ての薪をしまい終わったヴァルキュリアは、早速沸かせてある筈の風呂へと出向こうとした時……アマンナが目を見開き、ヴァルキュリアの手を取った。
「な、なんであるか?」
「顔色……凄く悪い、です」
「え?」
アマンナか見たヴァルキュリアの顔色は、まるでステロイドを長期間使用し続けた肌のように赤く変色し、また彼女を止める為に取った手に触れて、アマンナはその体温が高い事を感じ取る。
そのままヴァルキュリアの脈に手を当て、その脈拍を測ると、おおよそ平常とは言えぬ程に脈動が速い。平常の人間よりも倍は早い脈拍が、身体機能に影響を及ぼしていない筈もない。
「脈拍も、異常と言っていい程、速い……急ぎ、ファナさまに診断してもらって」
「ま、待つのだアマンナ殿。拙僧は別に体調を壊して等いない。むしろ、身体は普段よりも軽く、動きやすいと感じる程で」
「でも」
「問題無いのである」
軽い力でアマンナの手を振りほどこうとしたヴァルキュリア。
しかし――そこでアマンナの軽い身体が、振るわれたヴァルキュリアの手によって強く吹き飛び、彼女は地面を転がりながら、先ほどまでヴァルキュリアが斧を振るっていた丸太に、身体をぶつけた。
「っ、」
「……え」
ヴァルキュリアは、本当に力など込めていなかった。ただ心配性なアマンナを安心させる為、身体を少し動かして自らが平常である事を示す為に振るった手が、強い衝撃を放ちアマンナの身体を吹き飛ばした、としか思えない。
「こ……れは」
身体をぶつけて、僅かに痛みを感じるアマンナ。吹き飛ばされる寸前に身体強化を施していた事が幸いして大怪我には至っていないが、強く丸太に身体をぶつける衝撃が背中にダメージを与えていた可能性は高い。
「ア、アマンナ殿、申し訳ない!」
「いえ、問題、ありません……それより、やはり何か……何かがおかしいです」
心配する様に駆け寄るヴァルキュリア、未だに彼女の表情は赤く変色し続け、言ってしまえば先ほどよりも赤い事が見て取れる。
加えて今の力は、魔術強化を果たしていない通常の人間が振るえる力じゃない。それはまるで――何か人間を越えた存在が持つ力のように感じ、アマンナがその異常性に恐れすら感じた、まさにその時だ。
――ドクン、と。
ヴァルキュリアは不意に胸元辺りを襲う違和感に、胸を強く押さえた。
「あ、っ……! な……これ、は」
ふらつく体、乱れる思考、霞んでいく視界。それによってヴァルキュリアはフラリと身体を揺らしながら前のめりに倒れて、アマンナの身体に覆いかぶさった。
「ヴァ、ヴァルキュリアさま!? ヴァルキュリアさま!」
普段のアマンナが出す事のない叫び、しかしそれさえも遠い場所で響いているかのような反響に感じつつ、ヴァルキュリアは身体を丸めながら胸全体を襲う強烈な痛みに、悶えた。
「が、あ、! がぁああ――っ!」
呼吸がしにくい、けれどそれによって恐怖すらも感じない。まるで呼吸という存在が無くとも生きていける事を、自分自身が理解しているかのような感覚は――彼女の意識を途絶えさせた。
糸の切れた人形のように、不意に意識を失って動かなくなるヴァルキュリア。彼女の身体を横たわらせたまま喉に手を当てたアマンナは、まだ僅かに呼吸している事を確認したまま声を上げ、誰かに助けを求めようとした。
だがその前に……ヴァルキュリアは、ゆっくりと両足の土踏まずを地面につけ、身体を揺らしながらも立ち上がり、心配するアマンナの方を見て――口元から涎をダラリと垂らす。
「ヴァルキュ」
名前を呼ぶよりも前に、ヴァルキュリアである筈の彼女が、その両手でアマンナの両肩を掴み、大きく口を開いて、彼女の首筋を目掛けて疾くその歯を立てようとした。
あまりの出来事に反応すら出来なかったアマンナ。その寸前――音さえも置き去りにする程のスピードで飛来した一本の刃がヴァルキュリアの足へと突き刺さり、その衝撃によって姿勢を崩した彼女の顔面に。
「ごめんヴァルキュリアちゃんッ!」
少女の……クシャナ・アルスタッドの拳が叩き込まれた。
クシャナの華奢だが確かな力を込めて振るわれた拳がヴァルキュリアの頬を捉え、彼女はアルスタッド家の庭を転がった。
何が起こっているのか、混乱しているアマンナの身体を抱き寄せるクシャナが、ダクダクと冷や汗を流しながら、マジカリング・デバイスを構える。
「何が、何が起こってるんだよ……!? この、この匂いは……!」
「どうもこうも無い。……ヴァルキュリアが、アシッドと化している。そうとしか言いようがないだろう」
二階から飛び降り、綺麗に着地したアスハ・ラインヘンバーが、クシャナに殴られて地面に転がりながらも、まるで何もなかったと言わんばかりにのっそりと起き上がる、ヴァルキュリアを見据えた。
その正気を失ったかのように、視線の先さえも定かではない眼球の動き。
身体をよろめかせながら歩き、獲物を探すように足を前に出す姿。
そして――食い物を求める生物的本能かのように、ボタボタと涎を垂れ流すその姿は。
アスハの言う通り、ヴァルキュリアはアシッドと化しているとしか、言い様の無い姿に変貌を遂げたのだ。
「が……がぁ……アアアアアアッ!!」
理性の無いケモノ、その表現が似合う表情で、クシャナとアスハに向けて駆け出した、ヴァルキュリアである筈のモノ。
その素早くも愚直の動きを見定めて、大きく躱す事で彼女の振るった腕を避ける二者は、そこで短い間隔で二発の銃声が、朝の空気を張りつめさせたと気付いた。
アルスタッド家の屋根に昇っていたメリー・カオン・ハングダムが握っていたベレッタM9の銃口から放たれた銃弾が、ヴァルキュリアであるモノの両膝を正確に撃ち抜き、その姿勢を崩れさせる。
「メリー、何を!?」
「問題ないさ。……今の彼女が本当にアシッドならば、すぐに再生するだろう」
ヴァルキュリアであるモノは両手を動かして無理矢理立ち上がる。メリーの言葉通り、立ち上がると同時にジュウゥウ――と音を立てて血を蒸発させながら、その傷口が急速に再生していく。
「アスハ、クシャナちゃん! ヴァルキュリアちゃんを取り押さえてッ!」
再生を始めるヴァルキュリアの両膝に驚くクシャナとアマンナ。そんな二人の意識を呼び覚ますように聞こえた女性の声と同時に、再び銃弾を放ったメリー。
それによって再び姿勢を崩したヴァルキュリアの両手をクシャナが押さえ、両足をアスハが取り押さえる。
すると、どこからか現れたプロフェッサー・K……カルファス・ヴ・リ・レアルタが、取り押さえられて足掻きながら「ガァアアアアッ!!」と奇声を上げるヴァルキュリアの、胸ポケットに手を伸ばす。
胸ポケットには、ヴァルキュリアのマジカリング・デバイスがしまわれていた。マジカリング・デバイス【シャイニング】を取り出したカルファスは、そのデバイスをクシャナが取り押さえるヴァルキュリアの右手に握らせると、その指を側面の指紋センサーに乗せた。
〈いざ、参る!〉
その機械音声に対し、本来ならばヴァルキュリアが「変身」と音声入力を行う筈である。しかし今の彼女は正気を失っている状態だ。
だからこそカルファスは、その音声認識に向けてコードを発音した。
「代理入力、変身」
〈いざ、変身! 現れよ、魔法少女ォ!〉
機械音声を放つマジカリング・デバイスに向けて、コツンと拳で軽く叩いたカルファスに、それは反応した。
ヴァルキュリアを中心に発せられる光、それがカルファスやクシャナ、アスハを遠ざけるような力場を放つ。
それと同時に光の中に包まれたヴァルキュリアだったが――光が散ると、変身を終えて煌煌の魔法少女・シャインとなった彼女は、その全身から強い熱量を放出しつつ、鎮静化した。
「……まさか、こんなに副作用が早く出始めるなんて」





