弔い-05
エンドラス・リスタバリオスはその日、久しぶりにラウラ王の命令ではなく自らの公務で帝国城に立ち寄り、国内情勢悪化における帝国城警備及び首都防衛作戦立案会議の参加を余儀なくされていた。
ラウラ王に関するゴシップ記事が多く出回り、今後も口コミなどで広がっていく根も葉もない噂によって、各ゴシップ社は勢いを見せる事だろう。それによる民衆のデモやストライキだけでなく、暴動という手段が発生する危険性を鑑みた会議ではあるが、これはつつがなく終了、防衛編成の見直しと人員配備の調整は部下に一任した状態で、彼は帝国城内を理由なく歩き回っていた。
否――本来は少し、話したい人間がいると考えたが故に、帝国城内十王族用の居住エリアへと向かっている筈なのだが、その足取りは重く、複雑な造りをしている帝国城内部を歩き回って、一向にその部屋へと辿り着く事が出来ずにいる状態だ。
だが帝国城内は各諸問題の解決と火消しの為に、帝国政府の人間が走り回っている。既に幾人と肩をぶつけたか分からない。このままでは彼らの仕事に支障を来たしてしまうだろうと頭の中で納得した彼は……レナ・アルスタッドのいるだろう部屋へと出向き、その扉の前で立ち尽くした。
「……今更、彼女と何を話そうというのだろうな」
自分の心に自問しつつ、その意味を探る。
レナ・アルスタッドとエンドラス・リスタバリオスの関係は、あくまで同じ主にかつて仕えていたという関係だけでしかない。共に名前は知っているし、それなりに人となりも知っている。話した事も幾度かはあるが、特別仲が良かったわけでもない。
けれど、彼女は一時とはいえヴァルキュリアと共に暮らした人だ。そしてエンドラスには分からない、母親としての考えを持つ、この騒動に巻き込まれた中で、数少ない真人間でもある。
彼女と話す事で何か、自分の中にある迷いに結論が出せるのではないかと考えるも……しかし、彼女をこれ以上巻き込めば、ラウラの怒りをより買う形になってしまうのではないか、そんな事まで脳裏に過って、ノックを躊躇っていると……。
『美味しい~っ! レナちゃんお料理上手ねぇ。お婆ちゃん全然お料理なんてしなかったものだから、同じ女として羨ましいわぁ』
『ふふ、お口に合ったようで何よりです』
エンドラスの葛藤など知りもしない、呑気な声が聞こえた。現在、ラウラの命によってレナ・アルスタッドの護衛を行う人物は一人だ。つまり、この中にいるのは……そう考え、その場から立ち去ろうとしたエンドラスだったが。
『エンドラス君もこっちおいで~。ヴァルキュリアちゃんが食べてたご飯、一緒に食べましょう!』
『? エンドラスさん、ですか?』
扉一枚程度の隔たりで、レナの護衛をする女性から逃れる事は出来なかったようで、エンドラスはため息をつきながら、その扉を軽くノックした後、扉を開けた。
「……以前、お会いした時以来ですね、エンドラスさん」
「ああ。娘が、お世話になっておりました」
ニコリ、という陳腐な表現が似合う程に、柔らかい笑みを浮かべるレナと、僅かに視線を逸らしながらも苦笑するしかないエンドラス。
そしてエンドラスをこの部屋に呼び込んだ人物は……美しく調理された数々の品をナイフとフォークで食べ進めながら、美味しそうに表情を綻ばせる、シガレットだ。
「シガレット様。貴方はレナ君の護衛を仰せつかっていた筈でしょう」
「護衛をするには何よりも、護衛対象者の近くに居るべきなのよ。安心なさいな、重要な事は喋ってないわ。昨日なんかはレナちゃんに編み物を教わったもの。ね~?」
「ええ。シガレットさんはちょっと大雑把な所がありますけれど、私が何をしても素直に驚いて頂けるので、教える側としては嬉しいです」
そして今はレナに料理を作ってもらい、その料理を口にしながら楽しく談笑していた、という所だろう。
「もう一人分、ご用意しますね」
「気にしないでくれたまえ、レナ君」
「ならお茶だけでも。以前お会いした時はどちらも忙しかったですし、ゆっくりと娘さんについてお話ししたい事もありましたもの」
備え付けのキッチンへと向かい、紅茶の準備を進めるレナ。昔から彼女は他者との間にある距離を詰める事に長けていたと思い出す。
やはり部屋に入ってしまったことは失敗だったか、と思いながらシガレットを睨むように見据えると、彼女はニヤニヤと笑いつつ、立ち上がった。既に、机に広げられていた料理は残さず完食されていた。
「エンドラス君、少しの間レナちゃんの護衛、お願いするわね。どうせ今は暇でしょう?」
「……シガレット様はどちらに?」
「ルトちゃんと、少しお話ししてくるわ」
「ルト――」
その名を聞いて、ルト・クオン・ハングダムという女性の事を思い出す。彼女やアマンナ、メリーという存在は、常に気にかけていないと存在さえも忘れてしまいそうになる。それだけ彼女達は、自分たちの存在認識を阻害する術に長けているのだ。
「まさかルトはレナ君を」
「ええ、監視をしてる。クシャナちゃんと約束してるから、彼女が手を出してこない限りは、排除しないようにしてるけれどね」
「何と呑気な事を。フェストラ様が何かを企んでいない限り、彼女をレナ君の監視など」
「約束は大事よ。子供にそう教えるべき大人が約束を守らないなんて事、したくないもの」
ね? とウインクしながら、シガレットはレナの身体を後ろから抱き締めた。レナもそれには「ひゃっ!?」と声をあげて驚きながらも、笑みを浮かべて「もう、危ないですよ」と軽く叱るだけだ。随分、二人は数日という短い時間の中で、友好を築いているようだ。
「レナちゃん、私ちょっと出かけてくるから、その間の護衛、エンドラス君に任せちゃうわね」
「はい、お気をつけ下さいね」
「ええ。お茶、用意してて待ってて頂戴」
手を振りながら、窓から飛び出してどこかへと向かっていくシガレット。彼女の姿を見て「本当に不思議な方ですね」と微笑を浮かべるレナは、あらゆる出来事に対して物分かりが良すぎるような気もしなくはない。
ストップウォッチを使ってしっかりと時間を計測した上で、紅茶を淹れたレナが椅子へかけて、カップに紅茶を注いでいく。
優雅な気品漂う香りと共に、未だ立っているエンドラスへと手を出して「お掛けになってくださいな」と、優しい声をかけてくる。
自分は何をしているのか、それをイマイチ納得できぬまま、彼女に促されるよう椅子へ掛けたエンドラス。茶には手を付けず、その茶に映る自分の顔を見据えた。
「随分とお疲れのご様子ですね」
「……そう、見えるかな」
「ええ。最近帝国城内もバタバタとしているらしいですし、何かあっただろう事は理解しています。……シガレットさんは何が起こったか、教えてくださいませんけれど」
レナとて、頭の悪い女性ではない。クシャナやファナ、フェストラ、ヴァルキュリアの不在、そしてヴァルキュリアの父であるエンドラスの疲労など、それらを紐づけて色々と感付いているのかもしれないが、しかしそれを裏付ける情報が何もない。
そして、この部屋を見る限りでは、ラウラのゴシップに関する記事についても見受けられない。加えてエンドラスが識別できる限りでも外部からの大声や奇声などが部屋に入らないよう、騒音遮断の魔術が展開されているように思える。そう難しい魔術ではないが、窓からだけでなく帝国城廊下の足音や声なども殆ど聞こえないようにされている。
恐らくシガレットが、レナにそうした情報を与えないよう、手をこまねいたのだろうと理解できる。
「ヴァルキュリアちゃんとは、お話しできましたか?」
「……ええ、少しは」
「お疲れのご様子からして、親子喧嘩でもなさったのではないのかと思いましたが」
「ご明察だよ」
結局、そうした話になる。勿論エンドラスとしても、それを悩みはしているが、しかし全てを彼女に語れぬ中で、どれだけ露呈し、どれだけ悩みを解消する事が出来るのか、それさえも分からない中で、この話を切り出す勇気はなかったのだ。
「娘は、ヴァルキュリアは、私の事を『強い父親だ』と、勘違いしていた節がある。あの子は既に、私を越えている。先日手合わせを行い、みっともなく負けてしまったのだが……それを、あの子は受け入れてくれなかった。弱い父親を……受け入れて、くれなかった」
言葉は濁しているが、ヴァルキュリアはエンドラスを本気で殺す為に戦いを挑み、事実として、エンドラスは完膚なきまでに叩きのめされた。
煌煌の魔法少女・シャインとしての力を用いて――否、恐らく使わずとも、今のヴァルキュリアが本気を出せば、きっとエンドラスを倒す事は容易いだろう。あくまで、彼を殺す事が出来ぬだけの事。
しかしエンドラスが殺される間際、みっともなく涙を流しながらヴァルキュリアの名を呼んだ時……彼女はエンドラスの事を見逃し、そればかりか「拙僧の尊敬した父ではない」と、拒絶までされた。
「私はこれまで、あの子の傍に居る事を避け続けてきた。そんな私が、今更あの子に寄り添おう等と、自分勝手な事だとは理解している。けれど……けれどあの子は……ガリアと私の血を受け継いだ、たった一人の娘なんだ……っ」
情緒が不安定になっていると、自分でも理解できる。何時もなら抑える事の出来る涙を、堪える事が出来ない。
言葉も……抑える事が出来ているとは、言い難い。
「どうしたら……どうしたら、今の私を、娘は受け入れてくれるのだろうか」
「私は、ヴァルキュリアちゃんじゃありません。だから、本当の事は彼女にしか分からないかもしれない――けれど、人から見た他人の印象なんて言うのは、そういうものなのかもしれないですね。朧気で、自分の理想と異なれば、幻滅もする」
他人。その言葉に、エンドラスが顔を上げる。
顔を上げた先には……笑みを浮かべていない、真顔のレナがいて、エンドラスは彼女のそうした表情を、初めて見たかもしれない。





