決別-14
ドナリア・ファスト・グロリアは、自分の身体をもたれ掛からせている木のゴツゴツとした感覚を僅かに楽しみながら、紙巻き煙草を一本取り出して、その口に咥えた。
普段は火を点す魔術を用いて火をつけるのだが、疲労と合わさり、懐かしさに駆られてポケットよりジッポを取り出した。
久しぶりに使うジッポ、オイルが乾いていないかだけ気になったものの、僅かにオイルが残っていたのか、小さく火が灯った所で、煙草のフィルターを吸い込み、煙草の先端を焼く。
肺の奥底まで、ニコチンの浸透する感覚。思い出せば、彼が初めて煙草を吸ったのは、秋音市に転生し成田正吾という名前で生活をしていた十五歳の頃、自分の父親であった筈の成田玄太が吸っていたラッキーストライクを無断で吸った事が出会いだったと記憶している。
その頃からメリーの転生した遠藤怜雄、アスハの転生した山口明日葉とは付き合いがあり、三人でグロリア帝国へと戻る方法を幾度も話し合った事を覚えている。
明日葉と二人で怜雄の合流を待つ時、既にニコチン中毒状態になっていた彼が明日葉の隣で煙草に火をつけると、彼女が思わぬ反応を示したのだ。
『……いい匂いだな』
『お前、変な趣味してやがる。コイツがいい匂いとはな。副流煙で肺が死んでも知らねぇぞ』
『目と触覚が機能していないと、こうして鼻で嗅げる匂いというのは、何でも新鮮なんだ』
『そうかい』
それまであまり明日葉と二人で話した事は無かった。彼女は正吾の事を尊敬もしていなければ、人間として好いていたかも分からない。
けれど、煙草の匂いは嫌いじゃなかったらしく、明日葉の前で煙草を吸うと、彼女は自分で気付いているかも分からないが、微笑みを見せたのだ。
「……あぁ、変な事思い出しちまった」
煙草を吸いながら、左手で携帯電話を取り出した。
電話帳からアスハの持つ携帯電話にかけると、ツーコールで彼女は電話に出て、声が聞こえる。
「もしもし」
『ドナリアか。動けぬ程負傷でもしたのならば、少し待っていろ』
「いや。こっちは既に片付いてる。オメェ等を待つと時間が却ってかかるだろうが。先に戻ってるから、オメェ等はまっすぐアジトに行け」
『……了解した。可愛げのない男め』
「オメェ程じゃねぇよ、盲目女」
ブツッ、と電話が切れる音が。アスハは元々無駄話を嫌うので、そうして内容を伝え終わったらすぐに切るのも、昔からだ。
ドナリアはすぐに携帯電話を切る事なく、その端末を木々の近くに置いた。
「……さて、アンタにもそんな優しさがあったとは思わなかったよ。吸い終わるまで待ってくれるとはな」
立ち上がりながら、煙草をフィルター付近まで吸い終わり、ドナリアはそれを落として足で踏みつけた。
「吸い終わるのを待っていたのではない。貴様がその通信を切るのを待っていただけだ」
ドナリアが声をかけた相手、その男から返答があった。
鬱蒼としている木々の間から現れた男――初老の男性であり、その仰々しい程に着込まれた王服と白髪、そして髪と同じ色の髭を蓄えた音は、その手に持つ杖をカツンと強く打ち鳴らした。
――ラウラ・ファスト・グロリア。ドナリアの兄だ。
「どっちにせよだ。アンタからしたら、アスハも同様に邪魔者だろう? なら俺とアイツが合流を果たした所で、両方とも始末すりゃ良いじゃないか」
「確かにその通りだ。しかし、アスハの戦闘能力はお前より高く、さらに彼女の能力は私の戦闘方式と相性が悪い。お前達を相手取り負けるとは言わんが、それでも万が一を避けるべきと判断した」
「つまり……俺は簡単に殺せるって言いたいんだな」
「そう。今まで貴様を殺さなかった理由は――まぁ、兄としての温情とでも思えばいい」
温情ね、とドナリアが苦笑する。彼に最も似合わぬ言葉であると理解しながら、ドナリアは兄を睨みつける。
「そんな温情深い兄貴が、今更俺に何の用だよ」
「少し、気が立っていてな。この気を紛らわす為にも……まず最も目障りなお前から、消してしまおうと言う判断だ」
ラウラがドナリアを見据える眼力は、およそ弟に向ける目とは思えぬ程に、怒り狂っていると思われた。普段であればドナリアも睨み返し、激しい戦いへと至る所だったのだろうが……彼の視線に、思わずドナリアは驚き、目を見開いてしまう。
「……本当に驚いたよ。アンタ、そんな表情出来たんだな」
「そうだな、我も少し驚いている。ここまで我の気持ちが昂った事など、それこそレナ君と出会った時以来かもしれん……誰も彼もが、己の思い通りに動かぬ事に苛立つだけではなく、愚弟であるお前を見ていると、心の底から嫌悪感が募る」
彼が強く、地面に杖の先端を叩きつけ、カツンと乾いた音が闇夜に響く。
それと同時に、ドナリアは自分の身体が左方向に傾き、倒れかかっている事を認識し、右側に体重をかけたが……しかし、どうにもバランスが取れない。
下半身に視線を向けると、そこには先ほどまであった筈の左足が太ももの辺りから消失し、その綺麗に切り取られた断面は、ほんの数秒程血を流す事さえも忘れていたように感じられた。
「っ……!?」
「この世には、ファナを含めずに言えば四人、第七世代魔術回路を持つ人間が存在する。武将国・リュナスのミラジャ、東方国・ニージャのランマ、そしてレアルタ皇国のカルファスと、グロリア帝国の王である我だ。この中で最も最弱とされるのが我である」
戦闘能力という面においては、ニージャのアマテラス・ランマを超える逸材は存在せぬとされている。
多種多様の魔術に精通するという意味合いにおいては、レアルタ皇国のカルファス・ヴ・リ・レアルタに勝る逸材は存在せぬとされている。
魔術投影という技術については、ミラジャ・カーシャに勝る逸材は存在せぬと言われている。
それぞれ独自の観点から最高位の魔術師と呼ばれる彼女達。
そんな彼女らに劣らぬ魔術回路を持ち得ながら、しかし際たる特徴を持たず、国家の繁栄を目的として魔動機開発に従事してきたラウラは、独自の魔術に精通しているとは言い難い。
だが、一つだけ彼女達三人に勝る技術をラウラは会得していると言ってもいい。
「我は元々カルファスの持ち得ていた空間魔術理論を、様々な形で発展させた。時空間の並行移動技術や異空間作成、時の流れからも断絶された固定空間の作成……お前達が使用していた空間移動用のゲート技術も、元々は我が第四世代回路相当の魔術回路でも利用できるようダウングレードし、横流しした技術だった」
今一度、カツンと杖が地面を強く打ち付ける。
その音が響くと同時に、今度はドナリアの左腕が消え去り、その切断面から血が噴き出すと、彼は苦痛に表情を歪めながら、地に背中から倒れ、立ち上がろうとしても再生を終えていない左足が、それを阻む。
「以前、フォーリナーという存在が現れた時に、時空間の捻じれを発生させてその中に閉じ込め、圧縮して消滅させた事もある。それだけ、空間魔術というのは汎用性の高い重要な魔術だ」
そんなドナリアに一歩一歩ゆっくりと近付き、目の前まで辿り着くと、杖の先端をドナリアの腹部に突き付け、思い切り振り下ろした。
「がぁ……ッ」
「その中でも戦闘技術として発展させたものが……空間消滅魔術とでも命名すれば良いか」
細かく指定された空間の座標を、一瞬にして消滅させる。例えその空間に肉体があろうと人の目で見えぬモノがあろうと、その内部にあるあらゆる存在を消滅させる。
一瞬だけその空間が消滅する際に、半透明な光が肉眼でも確認できる。理論上、その消滅した空間は全く何も存在しないデッドスペースとして世界に残り続ける筈であるのだが、そこは世界による修正力でも働くのか、空間はすぐに修復が成されていく。
それこそが――ラウラ・ファスト・グロリアという男が持つ、どんな存在にも劣る事のない、唯一無二の固有魔術と言って良いのかもしれない。
「分かるか。貴様らアシッドの頭部を完全に消失させる手段を、我は持ち得ている。つまり貴様ら帝国の夜明けを恐れる理由は何ら存在しない、という事だ」
「だ、だが……っ、マナとて、無限じゃない……、それだけ、高位な魔術使役となれば……っ」
「そう、その通りだ。マナも無尽蔵では無いし、一度に空間消滅出来る範囲は、せいぜいが身体の一部を消失させる空間座標一つ分だ。これでは連続戦闘及び多人数戦闘を想定できん」
――だが、それは多人数戦闘においては弱点が発生するというだけだ。
――そして、ラウラは慎重な男だ。つまり、絶対に多人数戦闘が無いように動き、一人ひとり確実に始末出来る状況を造り出せる。
――今まさに、ドナリアがラウラによって圧倒されているように。
「さて、ノンビリとしても居られぬ。貴様を殺すのは戦力の削減という意味もそうだが、あくまで我の苛立ちを解消する為のもの。いわばサンドバッグと言っても過言ではない。こんな事に時間をかける程、我も暇人ではないのだ」
「……酷い言い様じゃねェか、ナァ!」
残る右腕を真っすぐ突き出し、その爪がラウラの顔面に向けて突き出された。
しかし、彼の顔面よりも前に、何か空気による壁でもあるかのように爪は弾かれ、その鋭利かつ強固に伸びた爪が砕けた。
それだけではない。ラウラは先ほど腹部に突き刺した杖を引き抜き、ドナリアの喉に突き立て、幾度も幾度も、杖の先端を突き刺していく。
「……お前は本当に、どこまでも愚かだなドナリア! 何故今、我の顔面を狙った!? 我が新種のアシッド因子を有すると知っていただろう!? それで殺せぬ我に、何故その程度の攻撃が通じると考えたッ!?」
「あ、が、ぐ、ぎゃ」
「そもそも、お前がもう少し利巧ならば、我は貴様を幾らでも従えた。それだけではない。もし貴様がフェストラの爪先程でも思考を回せれば、貴様を我の副官に沿え、共にこの国を導いていく事も出来た! 我は貴様という存在を、貴様とエンドラスの理想を、最初は高く評価していた。だから兄として幾度も貴様に、もう少し利巧になれと教えて来ただろうが……!」





