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幸せの容-09

ここでも、少し時を遡る必要がある。


ファナやアスハと分かれ、アジトへと戻る途中であったヴァルキュリアは、水浴びと同時に夜風に当たって僅かに冷えてしまった身体を、ブルリと震わせた。



「……いかんな。風邪を引くかもしれん」



 体調を整える事は普段から心がけているが、身体が冷えればそれだけ体調不良を招きかねない。身体を温める方法を考えながら木々の間を歩いていると――そこで、木々の陰から姿を現す、一人の男性に気付いた。



「……父上」


「今日は、お前と良く会うものだな」



 笑みを浮かべる事無く、ただ真剣な表情を以てヴァルキュリアと向き合う人物は、彼女の知る初老手前の男性。


エンドラス・リスタバリオス……ヴァルキュリアの父であり、夕刻の時に果たし合った男でもある。



「少し、お前と話がしたい」


「母上の願いを、言葉にしてくれる気になったのであるか?」


「……お前は、ガリアの願いを知らずに、幸せだけを享受して欲しいのだがな」



 どちらも、グラスパーの柄を握りはしない。


これからすべき事は、果し合いではない。ただの語らいだ。


剣を握る事はあるやもしれない。しかしそれが必要であるか否かは、語らいの末に決めるべきである。


それを、二者は既に理解している。



「何も語られず、何も知らずに、ただ父上の命令に従える筈も無い。今の父上が行う所業は、それほどまでに邪悪であると、理解しているのだろうか?」


「邪悪、か。そうかもしれない。私はこれまでに、多くの部下を見殺しにしたよ。……正直、これで本当に良かったのか、今は悩みもする。ガリアにも、怒られてしまうかもしれない」


「ならば何故、未だにラウラ王の悪業に加担する……っ!」



 つい叫んでしまったヴァルキュリアに反して、エンドラスは微笑とも、苦笑とも言うべき表情を浮かべながら、押し黙る。


そうしていると――激しい足音や剣戟、更には呻き声のようなモノが小さく聞こえてきて、ヴァルキュリアはハッと顔を上げ、アジトの方向を見据えた。


幾多ものアシッド達が、アジトの方向からこちらへと目掛けて駆け出してくる姿。それに思わずグラスパーの刃を握りそうになったが……。



「案ずるな。お前を狙ったものじゃない。……お前を、襲わせたりしない」



 一瞬、ヴァルキュリアが視線をエンドラスから逸らした時を見計らい、眼前にまで駆け寄っていたエンドラスが、グラスパーの柄を握ろうとしたヴァルキュリアの手を握り、そのまま彼女の身体を抱き寄せた。


少し冷えているヴァルキュリアの身体を、彼の肌から伝わる体温を与えるように、強く、強く抱く。



「……大きく、なったものだな」


「そんな……そんな、当たり前の家族めいた言葉を、言いたいわけではあるまい……!」


「そう思われても、仕方のない時間を、お前と過ごしたものだ。……しかし、これこそガリアの願いだったんだよ、ヴァルキュリア」



 エンドラスの胸に押し付けられた顔、その鼻孔から感じるのは、エンドラスの加齢によって僅かながらに漂う、父の香り。


抱き寄せられる事にも、父と触れ合う事にも慣れていないヴァルキュリア、しかしそんな香りだけでも、新鮮な気持ちがあった事は確かだった。



「ガリアはな、お前や私と、普通の家族として共に居たかったんだ」


「……え」


「彼女も、亡くなる寸前まで気付いていなかった。ただ、お前をリスタバリオスの血を繋ぐ者として育てあげる事こそが自分の使命だと、それが母親としての役割だと、そう自分に課し続けて来た彼女が……死の間際に、私へ後悔を口にしたんだ」



 僅かに自分の頭が、濡れていると気付いた。それは先ほど水浴びをしたからではない。今、まさに何かが滴って、ヴァルキュリアの頭部を濡らしていた。


自分より頭一個分大きな、エンドラスの目から零れ落ちる涙であると……それを確証するには、十分すぎる程に、エンドラスの声は震えていた。



「幸せの容は、色々とあるだろう。私とガリアにとっては、帝国軍人として名をあげ、国を守り、力無き民を守り、そして優秀な子供を作って次世代に繋げる事こそが、本当の幸せだと思っていた」



 ヴァルキュリアの母であり、エンドラスの妻であったガリア・リスタバリオスは、帝国軍人として優秀な女性だった。


第四世代魔術回路を持ち、騎士としての剣術技量も確かだった彼女は、自分と同じく魔術にも剣術にも優れ、また汎用兵士育成計画という国防論文を公表したエンドラスに、強く惹かれた。


そしてまた、エンドラスもガリアの強さと精神力に惹かれたのだ。



――私達の遺伝子が合わさった子が、また強き子供と結ばれ、血を繋げていく。


――そうすれば、いずれこの国に、優秀で強靭なる防衛力が生まれ、安寧なる世界をもたらす事が出来る。



結果として、二人は結ばれた。だがそこに、愛があったかと聞かれれば……それはどうなのだろうと、当時の二人は首を傾げたらしい。


二人は根っからの軍人気質だった。互いに異性を良く知らなかったし、互いの強さを認め合った間柄だったと言ってもいい。


だからこそ、子供が生まれてからは、役割を別った。


エンドラスは日々の職務に加えて、産まれた我が子であるヴァルキュリアの鍛錬に精を出し。


ガリアも日々の職務に加えて、ヴァルキュリアの将来を定める為の根回しに精を出した。


ヴァルキュリアの聖ファスト学院入学までを取り決め、五学年までは魔術学部で学ばせた後に、六学年から剣術学部で名を挙げるように計画したのも、ガリアであった。


エンドラスとガリアが身体を重ねたのも、ヴァルキュリアを妊娠するまでの間だけ。


それ以降は、必要以上に多く会話もしなかった。


冷めきった関係というより、それ以上何をすればいいか、互いに理解していなかったのだ。



そう……エンドラスもガリアも、互いに不器用すぎたのだ。


ただ、自分たちはヴァルキュリアの将来までを見届けようと。


汎用兵士育成計画の体現者として、ヴァルキュリアを育て上げようと。


それこそが――親から子供に授ける事が出来る、唯一の愛情なのだ、と。



「だが……彼女の本当の願いは、違ったんだ。こんな風にしてお前を、母として抱き寄せたかったんだ、母として、お前とただ笑い合いたかっただけだったんだよ……っ」



 ヴァルキュリアが十一歳の頃。今から六年前の、雨の日。ガリアは乳がんで亡くなった。


見つかった時には既に乳がんの進行は進み、骨や心臓へと進行が進んでいた。治癒魔術師における治療も成す術は無く、また医学治療として用いられている薬剤療法も、延命以上の意味をなさなかった。


ガリアが亡くなる寸前、薬剤治療の副作用によって、全ての髪の毛が抜け落ちた彼女と、エンドラスは話す事が出来た。


そこで彼女は、自分の人生が如何に満ちたものだったかを語った。


ヴァルキュリアが帝国軍人として大成する姿を見られぬ事が残念だと言いながらも、エンドラスへ後は任せると口にしながらも……笑顔を浮かべていた。


けれど、最後の最後に――死期を本当に悟ったのだろう。



彼女は突如、涙を流し、上手く回らない頭を使って、拙い言葉を捻り出し、エンドラスに懇願したのだ。




――ヴァルキュリアやエンドラスと、普通の家族として過ごしてみたかった、と。



 それが、ガリアという女性の人生が終わりを告げる時に、嘆かれた言葉。


語られれば呆気の無い、そして、今生にありふれた嘆きが、そこにはあった。


ヴァルキュリアはガリアという女性について、よく覚えても居ない。会話した回数そのものが少ないからこそ、思い出も無い。


だからこそ……彼女は母が死んだと聞いた時でさえ、涙も流せなければ、悲しいと言う感覚があったかさえも分からなかった。


そんな母の願いを聞いて……ヴァルキュリアは、思ってはいけない事と知りながら、それでも心から思う言葉が胸に巣食った。



「ヴァルキュリア。ガリアは、勝手だと思うか?」


「……正直、思う」


「そうだな、私もそう思ったよ。……だが、その言葉を聞いて、私は理解したんだ。本当に私は、彼女とお前を愛していた。彼女と共に、お前を優秀な子供に育ててやりたいと願い、そして……お前は事実、優秀な子供に育ってくれた」



 少し、杓子定規な面もあるが、しかし正義と平和を愛し、民を守る為に自分の命を賭ける事も厭わず、戦う。


その姿が……ガリアの面影を重ねているようで。


エンドラスはその身体を一度自らより剥がしたが、しかしその手は、ヴァルキュリアの肩を掴んだままだった。



「ガリアの願いは……私とお前を含めた三人で、何気ない家族として暮らす事。そして私の願いは……ラウラ王の手によってガリアを蘇らせ、ガリアの願いを叶える事だ」



 なんて事の無い願い。


しかしその願いを叶える為に――エンドラスは多くを犠牲にし、ラウラという男に従うとしたのだ。



――帝国の夜明けという、かつての同胞を裏切って。


――自分を慕っていた軍拡支持エンドラス派の人間さえ操って。


――果たしたかった事は、愛する妻と子供、そして自分の三人が、幸せな家族としてある形を望んだ。


――ただ、それだけだったのだ。



「ヴァルキュリア。お前も、ラウラ様に下れ。そして、私と……父と共に、母の願いを果たそう。もう少しだ、もう少しなんだ……ファナ・アルスタッドさえ手中に収める事ができれば、ラウラ王の造り上げた蘇生魔術によってガリアを蘇らせる事が出来る。それは、既にシガレット様とミハエル様で証明済みだ……!」



 一見すると、ヴァルキュリアには父が狂っているように思えたが……しかし、それは違う。


彼は、狂って等いない。むしろ、純粋過ぎたのだ。


彼がこれほどまでに純粋でなければ、死した人間を蘇らせよう等と考えはしなかっただろう。


純粋だからこそ……目の前に差し出された悪魔の誘いに手を伸ばし、救いを求めた。


だがしかし、それは本当に……エンドラスが悪かったのだろうか?

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