幸せの容-08
放出されたマナの勢いは、ラウラという男にも強大なモノと見る事が出来た。
青白い光がバチバチと彼の周囲を多い、触れるモノ全てに高圧電流にも似た衝撃を与えようとする姿は、ラウラとしても強大な存在に思えた。
「……ガルファレット・ミサンガ、君はもう少し利巧な男かと思っていたよ」
「利巧とはなんだ。己の利益だけに拘り、他者を犠牲にし、その末に待つ未来が、人ならざるモノからの享受を待ちながら恐々と生きる事だといわれ、それを望む事が利巧だというならば、俺は愚かでいい」
断言するガルファレットの発するマナ、その力の余波に当てられ、一体のアシッドが口を大きく開いて動き出した。
しかしガルファレットはその一体に視線を寄越す事なく、ただ振り込んだ拳で頭を叩き潰し、回し蹴りで隣の部屋とを分ける壁さえ破壊した。
「シガレット様は俺が止める。今の彼女が貴様に在り方を捻じ曲げられた故の存在であるとすれば、それを止める事こそ、彼女の騎士である俺の役目だ」
「貴様程度の男に、あの最強たる魔女を止める事が出来ると?」
「出来るか出来ないかじゃない、やるんだ。……彼女もきっと、俺にそれを求めている」
何にせよ、交渉は不成立で終わりを告げた。
ため息をつくと共に身を翻そうとしたラウラ。しかしそんな彼に、フェストラが声をかけた。
「待てラウラ、貴様だけが言いたい事を言い、オレ達の死を待つというのも不公平だろう。一つ聞いておきたい事がある」
「……なんだ、フェストラ」
「庶民についてだ。奴は今、貴様の手中にあるのか?」
フェストラが何を問いたいのか、ラウラには理解できない。
「それを答える理由が、我にあるとでも言うのか」
「お前はオレの行動がどうにも不気味だと思って、こうして接触を仕掛けて来たのだろう? ならば、オレが何故こんな不利な状況を意図して作り出したか、その答えを特別に教えてやろうと思ってな」
確かに、フェストラの言う通り……ラウラは少し、この状況を不気味に考えていた。
ラウラがフェストラという男や、彼の下に集まる者達を排除したいと考えていた事は事実であり、フェストラはそれに対する防備を何重にも検討していると、ラウラは警戒していた。
しかし実態は、彼とクシャナだけで帝国城へと乗り込み偵察を図るという大胆な行動に加え、戦力的に重要であるクシャナとアスハという二人の人物だけで、アシッド・ギア製造所の制圧へと動いた。
アスハによるアシッド・ギア製造所への襲撃は予見していたものの、そこにクシャナというキィパーソンが来るとは予見できず、ミハエルが彼女を捕らえた時には、僅かだが思考や展開を崩されたように感じていたものだ。
そして極め付きは、ルトによるレナ・アルスタッドの監視、メリーとアマンナによる独自行動と、戦力の分散は続く。防備を固める所か、積極的に防備を薄くしただけでは飽き足らず、今回アスハとヴァルキュリアがアジトを離れ、ファナを連れ出すという始末にも陥っている。
――良い機会だと考えてアシッドでの制圧作戦を敢行はしたが、これがフェストラによる策略であるように思えた事は確かなのだ。
翻そうとした足を止め、視線をフェストラに戻した後、ラウラはため息交じりに問いかける。
「……聞かせて貰おうじゃないか」
「その前にこっちの質問に答えて貰う。クシャナ・アルスタッド、庶民の身柄はお前が帝国城にて確保しているのか?」
「いいや。彼女の身柄は貴様達に手出しが出来ない、次元の彼方に送らせて貰った」
次元の彼方。そう聞いた瞬間、フェストラの口元が僅かに動いたと感じたが、ラウラは気にせずに続けた。
「どこへと送られたか、それは我も関知しておらん。適当な別次元への扉を開き、その次元に彼女を放流する。人が生きられる環境にあるのか、それとも無いのか定かではないが、彼女は元々アシッドだ。どんな極限状況に置かれても、死ぬ事はない」
「次元の彼方、か。例えばそれは……チキューとかいう星がある世界、という可能性も?」
「あり得はするが、可能性は低いな。空間魔術の応用とも言えるが、多元世界と言うべき次元の壁を越えた先の世界への放出を果たしたのだ。別次元は幾千、幾万と存在し、太陽系第三惑星・地球のある次元は、その内のたった一つでしかない」
またも、フェストラの口元が動いた。
今度はラウラにもその口がどう動いたか、それを認識した。
フェストラは笑いを堪える事が出来なかったと言わんばかりに、強く噴き出して声高らかに笑い声をあげた。
「ハハハッ! いや、本当にありがとうと言わせて貰うよ、ラウラ! オレとしてもかなり危ない橋を渡っていたのだが、どうやら橋は渡り切れたようだな!」
「……何を言っている? 遂に気でも狂ったか?」
「これが笑わずにいられるかよっ! お前は数多ある選択肢の中から、たった一つだけ選ぶ事の出来る、唯一オレ達にとっての希望となる方法を選んでくれたんだからな! いや、まぁそうなるように仕向けたと言う側面もあるがな!」
気味が悪いと、ラウラはフェストラの様子を見て、そう思ってしまった。
確かにフェストラは頭の回る少年であり、ラウラとしても右腕に相応しい策謀に富んだ子供であると認識していた。
しかし、あまりに見ている光景が異なる者の言葉は――どこか、異質にも思えてしまうのだ。
「この状況はあの庶民を救い出す為に必要な一手だったんだよ。戦力の分散も、オレ自身の窮地も、言ってしまえばファナ・アルスタッドというキィを失う可能性まで含めて、全てな」
フェストラの口調は軽い。しかし窮地を脱したと断言する彼の言葉がラウラの耳から離れる事無く、彼はフェストラへと視線を釘付けにされていた。
「例えば帝国城には、十王族の一人であるオレにもまだ理解できていない構造部分が存在する。一部の特別な権限を与えられた人間だけが入る事を許されている地下施設もそうだし、ハングダム家だけが使用を許可された工房もある。もし庶民をそこに投獄でもされていたら、助け出せる可能性は絶望的な値だった」
帝国城自体の大きさはそう広いものではない。しかし帝国政府棟などの一部施設を除けば、確かに立入が厳重に管理され、その全貌を知り得る者はほんの一握りしかいない。
「だがこれにもリスクが伴うとお前は考えた訳だ。帝国城の全貌を知り得るのはお前と、十王族や帝国王の内偵が主な職務となるハングダムの人間。つまり、元々ハングダム家の嫡子だったメリーや、現ハングダム家当主であるルトがこちら側にいる現状では、確かに助け出せる可能性は僅かにあった。だからお前は、まずその可能性を潰す為にこの案を却下した」
それもまた事実だ。
確かに帝国城の一部厳重管理された場所へクシャナを投獄し、事が終わってから彼女を開放するという手段はあった。
だがメリーやルトという人間が、クシャナの投獄された場所を見つけ出し、助け出すという可能性は低いが捨てきれない。
……そして、ルトという人間がレナ・アルスタッドを遠巻きから警護をしている為に、帝国城でクシャナを拘束している場合、どこに捕らわれているかを割り出し、脱走の手助けを行える可能性があると思考を回した経緯もある。
「次に考えられる手段は、一時的に奴の身柄を国外へと連れ出して拘束するという手段だが、国外での拘束ならば、お前の権威も完全には通用しない事と加え、帝国の夜明け連中は国外における外交ルートに通じてる。奴だけでも逃げ出す事は可能だろうし、帝国の夜明け連中が救出できる可能性も十二分に高まってしまう。当然採用できる筈も無い」
更に言えば、クシャナ・アルスタッドという少女の外国語習得能力が他の人間よりも圧倒的に高い事が、この案における不安定さに拍車をかける。
クシャナはグロリア帝国で用いられる帝国語の他にレアルタ皇国で使われる皇国語、武将国・リュナスにおける武烈語、ユランシャ合衆国や一部欧州で用いられる麗語にも長けている。
個人投資家として活動する為に必須と言える各国経済紙等も輸入契約している為、それぞれの国家事情にもある程度精通している。国外での拘束から逃亡した後、各国に潜む帝国の夜明け構成員達と合流する手段などどれだけでも存在するのだ。
「それ以外にも幾つか、あの庶民を拘束しておく手段はあるが、どれも信頼性に欠ける。一番信頼性がある方法は帝国城での投獄だが、先ほどの理由もあってお前としては憚られた。だからこそ異次元への放流が最適解だと踏んだのだろうが……オレにとってはそれこそ、最も選択してほしいと考えていた解だった、というわけだ」
「我がもしこの方法を執ると予見していたとしても、どんな方法を使って、クシャナ君を助け出すつもりだ。この我でさえ、年単位で彼女の送られた次元を調べる予定であったのだぞ」
「おいおい、理解が遅いな。お前も既に彼女の事を知っているだろう? ――お前に次元航行技術や転生魔術、蘇生概念についてを教えた女がいる事を、既にオレ達も知っているんだぞ?」
ラウラの目が、クワッと見開き、フェストラを捉えた。彼の言葉と同時に、様々な思考が脳を巡ったのだろう。
ラウラは指を鳴らすと同時に「疾く殺せ」とだけアシッド達に命じると、その場から立ち去っていく。
それまで動きを止めて呻き声だけを挙げていたアシッド達が、一斉に動き出した。
フェストラとガルファレットによる迎撃の音がアジト内に響き渡る。
一時の休息が終わり、再び勝ち目のない戦いが始まった……と、ガルファレットは思ったのかもしれない。
それでも……フェストラの表情には、笑顔が浮かんでいた。
「事情が変わったぞガルファレット! 可能な限りオレを守り通せ! この戦い、勝てる戦だ!」
「どういう事だ? 俺には全く理解が出来なかったのだがっ!?」
「――あの庶民が生きて、この場所まで帰ってくる。それまでオレ達は、生き残る為に戦えば良いって事さ!」





