幸せの容-07
そこで、長々と会話をしている余裕も無くなったと言っても良い。
「来るぞ、ガルファレット」
「下がっていろ」
積み上げていたバリケードが、次第に崩れていく様子を捉えたガルファレットは、そのバリケードが完全に瓦解し、アシッドの数体が扉の奥から見えた瞬間を見計らって、己の身の丈程に巨大かつ質量の大きい剣を逆手持ちで握り、腰を捻った大振りで投げ放った。
一直線に伸びる剣、それが何体かのアシッドを貫きながらも、僅かな失速もせず外へと飛び出し、木々を巻き込んでいく。
それにより、アシッドの数は全体の五割を戦闘不能状況にした上で、まだ尚も五体弱のアシッドが駆け出し、涎と呻き声を口から漏らしつつ、二人に襲い掛かる。
「ゴルタナ、起動」
フェストラが懐から取り出し、放り投げたゴルタナが展開される。その黒光りする外装が彼の身体に纏われると、ガルファレットも同様に全身から青白い光を放出した。
「お前の目算として、オレはどの程度暴れればいい?」
「自我は残しておけ。そして、可能ならばこのアジトは壊すな。敵の目はこちらに引き付けておきたい」
二人はそれぞれ襲い掛かるアシッドの攻撃を躱しながら、フェストラが金色の剣を構えつつ指を鳴らして出現させた魔術兵を迎撃に当たらせつつ、一体一体の首を丁寧に斬り裂いていく。
「フェストラ!」
「オレの生死は鑑みなくていい! お前はお前が生き残る事を考えていろ!」
反してガルファレットは全身より迸る青白い光と共に、両腕を大きく振り回し、その腕に接触するアシッド達を吹き飛ばす。
「チャ――ッッ!!」
声に込めた気合と共に、ガルファレットは掴んだアシッドの首を捻る様にして千切り、その頭部を別のアシッドへと向けて全力で投げ放ち、血飛沫と同時に肉片が飛び散る事で僅かに動きを止めたアシッドに対し、身体を蹴り付け、地面に倒した後、その首を力強く踏みつけ、踏みにじる。
それによってアジトへと侵入したアシッドの一部は確かに一度無力化されたが……しかし、次第に再生を果たし、起き上がる。
そして、先ほどガルファレットが投げた剣によって身体を貫かれ、四肢がもげたり身体が両断されたアシッド達も同様に、再生を果たして次々にアジト内へとなだれ込む。
「フェストラ、一つ聞かせろ。この状況で生き残る事が出来る手段はあるのか?」
「無くはない。……が、可能性としては非常に低い」
「それはどういう方法だ」
「オレの策が成就する方法だ。そして、その為の布石は既に打ってある。……今は、この状況を持続させ、可能な限り時間を稼ぐ事が必要だ」
再生を果たそうとするアシッド達をフェストラとガルファレットが同時に蹴り飛ばし、フェストラの背後から出現した空間魔術が、その内部から幾数十本にも及ぶバスタードソードを射出し、その降り注ぐ剣の波に圧され、アシッド達は二人に近付く事は出来ない。
「時間を稼ぎ、アジトも壊さず、こちらにアシッド達を釘付けにする……か。随分と無茶を言うじゃないか」
「難しいと判断すれば逃げても良いぞ。オレの死ぬ可能性が増えるだけだ」
「馬鹿を言うな。――教師として、生徒を残して逃げる訳にいくか」
「言うじゃないか」
剣の射出が次第に勢いを失っていく。
ガルファレットはバスタードソードが顔面に突き刺さったままのアシッドを押し倒しながら、その剣を抜き放って別のアシッドを斬り裂いていく。
と――そんな時。
アシッド達の動きが、一斉に止まった。
「っ、なんだ」
「……気にするなガルファレット。ただの慢心だ」
「慢心……?」
「そうだな。慢心と言われても致し方あるまい。しかしこれは慢心というより、恐怖心という言葉が近いと、我自身は認識している」
カツカツと、足音と同時になる床を叩く音が響き、フェストラもガルファレットも、声を発した主に視線を寄越す。
「ラウラ王」
「君と話すのは初めてかな。ガルファレット・ミサンガ」
アシッド達の流した血や唾液に塗れた床を歩きながら、その右手に握る杖で歩行を補助する、初老の男性――ラウラは、フェストラ達のいる広間の中央で、まずはガルファレットに視線を向けた。
「こんな場所までノコノコと、直接のご登場だ。それが慢心と言わず何と言う?」
「我は既に、アシッドという力を得て神域に至っている。君達という人間に殺される程、ヤワではない」
「果たしてどうかな。完全な狂化を果たしたガルファレットとオレが二人がかりで襲い掛かれば、一矢報いる程度は可能かもしれんぞ」
「頭が高いぞフェストラ。貴様は既に、王の右腕として大成を果たす可能性を自ら紡いでいる咎人だ。数刻とはいえ、生き長らえている事が出来ているのも我が貴様に与えた温情だ。それを理解するがよい」
言葉の勢いは、普段のラウラと変わりはない。しかし言葉の中に込められた怒りは感じ取れる。
フェストラは何も言う事は無く――しかしラウラにも認識出来る確かな笑みを以て、それを返事とした。
「何が可笑しい」
「いや、別に。それよりただの慢心でなければ、何の用があってここに来た」
「……単純な事だ。ガルファレット・ミサンガに、少し話があってな」
視線をガルファレットから移す事なく、ラウラは彼へと語り掛ける。
「ガルファレット・ミサンガ。君が仕えるべき主、シガレット・ミュ・タース様は、かつて君と同じ立場であった者、ミハエル・フォルテ様と共に蘇らせた。この我が」
「……ファナ・アルスタッドの力であると伺っておりますが」
「如何にも。カルファス・ヴ・リ・レアルタの生み出した技術概念を、我が容としたのだ。ファナの力を借りる事でな」
「何故、シガレット様を蘇らせたのです。それを彼女が望んでいたとでもいうのですか?」
「望まなかった筈も無い。君もそうだ。彼女が生きていてくれれば、それだけで君にとっては幸せであろう?」
ラウラと目を合わせるガルファレットの全身から、僅かに青白い光が舞った。ラウラはそれを狂化魔術の昂り故と判断したのだろうが……フェストラには分かる。
あれは、ガルファレットの内面から溢れる怒りが無意識に、強化魔術のリミッターを僅かばかり解除させたのだ。
「クシャナ君にも語ったがな、我としては君に幸せを提供できる王であるつもりだ」
「幸せを提供とは、豪語なされますな、王よ」
「それだけの技術を持っているのだから、豪語もしよう。そして事実、君の人生を彩ったシガレット様を、この我が蘇らせる事に成功した。――後は、君の選択次第だ、ガルファレット君」
杖の先端をガルファレットに向け、問いかける。
「シガレット様にとって、君は大切な帝国騎士だ。故に君を殺すという事は、彼女の離反を招きかねない。彼女という蘇らせた存在を終わらせる事は容易いが、しかし彼女の力が必要である事もまた事実だ」
「つまり、シガレット様を手中に収めておきたいが故に、この俺も手中に収めておきたい、という事ですな」
「理解が早くて助かる。君は優秀な帝国騎士であり、また子供を導く教職に就いていた人間でもある。それだけ頭の回転も速いのだろうな」
どうだ、と。声色も顔色も変える事なく、ただ言葉で問い続ける彼の言葉に、ガルファレットはため息をつきながら、彼の言葉が最後まで語られるのを待っている。
「フェストラを捨て、我の下へ来い。そうすれば、君の幸せを容として提供しようじゃないか。フェストラやアマンナ、ヴァルキュリアという国家反逆者を生かして捕らえるという事も考えてやる」
どこまでも上からの言葉、しかしその内容は少しだけ……ガルファレットの心を動かした。
視線を僅かにラウラからフェストラへと向けると、彼はガルファレットの方を既に見ていた。
そのまっすぐな瞳を向けて、ガルファレットと視線が合うと同時に、首を横に振る。
「お前自身が決めろ。今のオレは、お前達を従える者じゃない。お前が正しいと思った事を、お前がそれでもいいと思う返事をすればいい」
フェストラならば、そう言ってくれると信じていた。
ガルファレットは僅かに笑みを浮かべながら、ラウラと再び視線を合わせ、そして彼の伸ばした杖に向け――バスタードソードを向けた。
「残念ですが王よ。貴方は俺にとって、真の王たり得ない」
「何が不満だ。君もクシャナ君と同じく、自らの望みを持たぬ者か? 自らの幸せを求めず、ただ他者へと義理立てするだけで生きる事を益とする愚か者か?」
「……数多の人々を侮辱するのも大概にしろよ人外――ラウラ・ファスト・グロリアッッ!!」
それまで、ラウラを王として立てる敬語を用いていたガルファレットが、その言葉を最後に敬語を捨て、叫び散らす。
それと同時にまき散らされるマナの濁流に、ラウラでさえも二歩ほど、その場から後退った光景は、フェストラとしても面白い。
「今分かった、貴様は王たる器ではない。そもそも人と同じ立場で物事を語れぬモノが、人としてあろうとするモノを侮辱するなど、言語道断ッッ!!」
「何……?」
ガルファレットが一言一言を放つ度に押し寄せるマナの奔流。それは第七世代魔術回路を持つラウラの周囲に幾重にも展開されていた魔術結界の層さえ、数枚まとめて打ち消す程の迫力を誇る。
「人にとって、死とは掛け替えのない瞬間だ。死ぬ者はこれまでの人生を振り返り、時に自らの罪に嘆き、時に自らの行為を誇り、時に果たし得なかった事を悔やみながらも、朽ち逝く。その最後は人である限り、誰にも一回しか与えられん」
――かつてガルファレットの手を握りながら死して逝った、シガレット・ミュ・タースのように。
「残される者は亡くなる者を想い、嘆き、悲しみながらも、亡くなる者の最後に目を逸らす事なく、それでもまた、何時か会える瞬間を夢見て、送り出すんだ」
――かつて死に逝ったシガレットの手を取りながらも見送った、ガルファレット・ミサンガのように。
「クシャナは確かにアシッドだ。ファナも貴様と同様、新種のアシッド因子を持つ者だろう。
しかし貴様とは違う!
彼女達はレナ・アルスタッドという正しく人であろうとする高潔なる者に育てられ、人として在ろうとする、正しき人間だ!
そんな貴様が、あの二人を自らのモノであるかのように扱うな。
それはこの俺が……教師である事を幸せとした、ガルファレット・ミサンガが許さんッッ!!」





