幸せの容-02
メリーと同様に、ゴシップ記事を多く世に提供する広報事業社の一つであるレガスラスクープ社へと訪れていたアマンナは、編集長室のソファに腰掛けながら、渡された過去の紙面を読み進め、同じくウォング・レイト・オーガムの疑惑についての記事説明を受けていた。
目の前に座る編集長であるマスタ・リャージュは白髪混じりの紺髪が目立つ初老の男性で、少し中年太りした恰幅の良い体形が目立つ。
紙巻き煙草を加えながら火を点ける事無く、フェストラの書いた書面を読み進めている。
「アマンナ様は、フェストラ様の妹さんでしたっけ。何度かウチとか、ガレッタさんの所にも行ってるって話聞いてますけど」
「……えっと、はい。その、ここは、しゅ、春画が多くて……あんまり、多く立ち寄った事は、ないです、けど」
「ウチ、青年向けのコラムも掲載してますしねぇ。下世話なエロ話、苦手っすか?」
「……はい、その」
「ごめんなさいね。若い子が買う事想定してないから、どうしてもエロで釣らなきゃ客喰いつかない時もあるんで」
商売っすよ商売、と。仮にも十王族家系の一人であるアマンナを相手にしているとは思えぬ言葉遣いで接していた彼は、書面の内容を見て「うぅむ」と首を傾げた。
「その、何か問題が……?」
「いや、何時もの事なんすけど、どうしようかなと。フェストラ様のタレコミって、結構マジネタが多いんすよ。でも今回はちょっと、意外というか何というか、あくまで疑惑の段階で……コレ、他にどこかタレコミ予定があるんすかね?」
先ほどまでのあっけらかんとした表情とは違い、随分と真剣な面持ちで、渡した書面を示す。しかしアマンナは、自分の渡された書面とメリーに渡った書面、それ以外の社へ流す予定の書面がどう言った内容かを知らないので、首を傾げる事しか出来ずにいる。
「私は……内容を伺っては、いないので」
「あ、そうでしたねぇ。まぁフェストラ様ってウチ以外のゴシップ社と繋がってますけど、何時もウチへタレコミする時は、別の社に流さないよう留意してくれてますし、多分問題無いのかなァ」
「あの……どういう内容、だったんでしょう……?」
これを聞く事が良い事かは分からなかったが、しかし既に情報は引き渡した後だ。この後に知る事があったとしても構わないだろうという、好奇心が僅かに勝った行動。
マスタはそれまで咥えていた煙草にようやく火を点し「オフレコっすよ?」と確認した後、内容を口にした。
「ウチへ流されてんのは、十一年前の農産省が取り決めた農作業自動化の動きについて。アレ、魔導機開発メーカーのグテントへ早期定年の帝国魔術師を天下りさせる理由があったって一時期問題になってましたけど、実はそれだけじゃなくて、ラウラ様によるインサイダー取引の可能性もある、って話ですわ」
「インサイダー、取引」
「知ってます?」
「えっと……為替や株式市場における値動きへ、影響を与える重大情報を、事前に知る事が出来る立場の人間が……公表前に特定証券取引を、行う事……ですよね」
「そーそー。まぁ正確に言えばラウラ様は、株式取引が出来ないお立場にある方なんですけど、ラウラ様に昔仕えていた給仕さん名義の取引口座で、グテントの株が事前に現物買いされてて、株価急上昇した後に売られてるみたいなンすよねェ」
どこまで本当かは分からないケド、と煙草の煙を吐き捨てた彼だったが、アマンナにはその内容に心当たりがある。
――その取引をしていたのはクシャナ・アルスタッドで、取引口座の名義はクシャナだと取引が出来ない為、レナ・アルスタッドの名義で作られていた。
そして、その取引によってアルスタッド家は大量の貯蓄を得て、聖ファスト学院に二人の子供を入学させるまでに至ったというわけだ。
しかし、グテントの株価が急上昇するという情報は、少なくともラウラから与えられたものではない。それではインサイダー取引と言えるモノではないだろう。もし仮にそうであったとしても、それを証明する事など出来る筈も無い。
「あの、それは……記事に出来るん、でしょうか……?」
「出来ますよ。調べ方なんて幾らでもあります。第一、完全に調べる事が出来なくたって、疑惑のままほっぽっても全然問題ないですしね」
「疑惑の、まま……?」
「ええ」
褒められたやり方じゃねェですけど、と笑うマスタに、アマンナは黙るしかない。彼は煙草をフィルター付近まで吸い終わった後、灰皿に押し付けながら立ち上がると、デスクの近くに置いてあったファイルを手に取った。
「例えば、これまで十王族の方とか、ラウラ様や前帝国王のバスク様が関与したと思われる、未解決疑惑ってどんだけあると思います?」
「……ごめんなさい。わからない、です」
「少なくとも数百は下らないっすよ。特に前帝国王・バスク様なんてのは女癖がスゲェ悪かったみたいで、あの行方不明になってる軍拡支持派のドナリア様は、行きずりの女が産んだ子供だ、なんて疑惑もある位っすからね」
なお、ドナリアの疑惑に関しては事実なのだが、一般には公表されていない情報だ。しかしそれが疑惑として出る程までに、こうしたゴシップ紙におけるタレコミは多いらしい。
「ウチ等ゴシップ紙は、そうした情報を調べる所まではやりますけど、ホントにそうであるかなんてどうでも良いんですよ。疑惑の存在そのものを民衆に広める事が出来て、分かってる情報だけ真実を伝えればいい。後は然るべき調査機関がちゃんと調査するから」
「……お兄さまは、それで何をしようと、してるのでしょう……?」
「さぁ。でもあの人がラウラ様関連のタレコミ流してくるって相当珍しいですよ。何時もは何だかんだ、今動いて欲しくない重鎮連中を押さえておく為か、民衆のコントロールする時にウチ等を使うのに」
マスタも訝しむような表情で考えている。アマンナの思考が至らなかった部分を既に考える事が出来る点は、この業界で長く生き続けているが故だろう。
「……押さえておく?」
「こういう疑惑が出てる時って、民衆の疑念を完全に晴らすまでは、何したって裏目になりますからねェ。また例え話になりますけど、この情報が表に出てすぐに、例えば政策でも発表したら、それによって株価の値動きがあった企業を見て『またインサイダー取引か』って疑われるんすよ」
「もう、イチャモンのレベルじゃないですか……?」
「ええ。でも悪魔の証明を民衆は求めるんすよ。『やってないならやってないという証拠を出せ』ってね。『出せないなら黒だ』って言い出す輩には、流石の俺達もどうかと思いますケド、大切なお得意様候補ではありますよねぇ」
そしてこうした疑惑を晴らす方法が無ければ、疑惑をかけられた側が取るべき行動は一つしかない。沈黙だ。
「時間経過と共に疑惑ってのは忘れ去られていくもんなんすよ。特にこんなの、被害者も誰もいない事件だ。二、三ヶ月位情報が世間に出回って、散々帝国城辺りを忙しなくさせた後、いつの間にか別の事件が流布されて、忘れ去られていく」
「でも、出来るのは時間稼ぎだけ……それに、何の意味が」
「……あー、俺何となくわかっちゃったかも」
頭をガシガシと掻いたマスタ。彼は「多分なんすけど」と真実と相違がある可能性もあると注釈した上で、彼なりの予想を口にした。
「例えばもし他の社にタレ込まれた情報とかウチの受け取ったこの情報とかの内、どれか一つだけでも事実だと判明したら、どうなると思います?」
数多くあるラウラ王へのタレコミ情報が、一つでも真実であったとしたら。
同時期に出回ったスクープ、ゴシップ情報の数々、そのどれか一つだけでも事実が混じっていた場合……民衆がどう声を挙げるか、予想は容易い。
「……全ての疑惑が本当であるかのように見えて、ラウラ王の信頼は、失墜する」
「その通り。フェストラ様はそれを狙ってるんでしょ。ンで、もしどこかのスクープに事実があれば、帝国政府は火消しと証拠隠滅に躍起となる筈だ。帝国城は少なくとも、しばらくドタバタが収まらないでしょうね」
「そして、もし火消しと証拠隠滅をしていると、世間が知った場合……小火は大火事へと変化する」
「大火事、で済めばいいですけどね。ラウラ様の大スクープが真実だと世に出たら、それこそ国内の混乱は計り知れない。ラウラ様の支持率にも直結する大問題だ。そこまで行きゃ、ラウラ様の言葉になんて民衆は誰も耳を傾けなくなる。……いやマジで、フェストラ様は何考えてんです?」
参ったなぁ、と口にしながらも、しかしながら面白そうな表情を浮かべたマスタは勢いよく立ち上がった。
「すんません。こっから俺等、明日の朝刊に間に合わせるようにしなきゃいけないんで、これで」
「あ……はい。どうもありがとう、ございます」
「いえ。こっちこそタレコミ、ありがとうございます。フェストラ様にもお礼、言っといて下さい」
編集長室を先んじて出て言ったマスタが「おい誰か手ェ空いてるヤツいるかァ!?」と叫び声を上げた所で、アマンナもレガスラスクープ社を後にし、二件目の社へと向けて歩き出す。
「……つまりお兄さまは、帝国城内の混乱を誘い出し、それと同時に民衆のラウラ王に対する支持率を、急落させる事を、目論んでる……?」
「そうだろうね。ラウラ王は民衆の信仰を自らへ集める事を目的としているが、しかしそれよりも前に自分の支持率が急落していれば、その状況で何を言い出しても、民衆は耳を傾けなくなるという訳だ」
いつの間にか隣合って歩くメリー。アマンナは彼に向けて視線を向けない。
「加えて帝国政府施設にもなっている帝国城内部が混乱すれば、確かにクシャナ君の救出をする為に動く事も難しくない。仮にもし大スクープによって民衆の怒りが爆発し、デモやストライキでも起これば尚更、帝国警備隊も帝国軍も治安維持の為に出動を余儀なくされるし、こちらとしては都合がいい」





