自らという存在-07
帝国魔術師であったシガレットと、帝国騎士であったミハエル。
彼らは背中を預け、時に衝突しながらも戦火の中を駆けて生き――そしてやがて、生きながらにして終戦の時を迎える事が出来た。
シガレットは戦火の中で多くの仲間を救いながらも味方を鼓舞し続けた戦女神として崇められ。
ミハエルは彼女の背中を守り続けた、高潔なる帝国騎士として祭り上げられる事となった。
『人殺しィッ!』
――グロリア帝国によって侵略された敵国、ナトラス首都・トライデンにて行われた占領後の凱旋パレードにおいて。
『夫を返してッ、子供を返してッ! アンタたちが殺したのよ!』
――侵略戦争で死ぬ事を免れた者達の怨念を言葉として受け取りながら、それでもシガレットやミハエルは、作られた笑顔を以て手を振り続けた。
『鬼畜グロリア兵め、出てけ!! 俺達が何をしたっていうんだよ!』
――そうして声をあげた者が反乱分子としてグロリア帝国兵によって殺されていく姿も、見て見ぬフリをしなければならなかった。
「私もシガレットも、こうして罵声を浴びせ続けられながらも、笑顔を振り撒き、英雄として過ごす事を求められました。いわば我々も、アスハ・ラインヘンバーと在り方は同様だった、という事ですね」
「同様……?」
「ええ。彼女は軍拡支持派という存在に、障がい者としての存在を政局に利用された。そして我々は、戦争における生き残り・英雄としての存在を政局に利用された。ただ彼女は声をあげる事が求められ、我々は声を挙げる事が許されなかった。この違いは大きくありましたが――彼女も我々も、他者の言葉を聞き届けた結果として、今があるという事に変わりはありません」
アスハは他者の言葉を聞き続けた結果として、障がい者としての在り方を利用された。それが正しい事だと思っていたから。
シガレットやミハエルは他者の言葉を聞き続けた結果として、英雄としての在り方を利用された。それが正しい事だと思っていたから。
だからこそ、ミハエルはアスハという少女の在り方に、共感したのかもしれない。
「――ええ、見事な幻惑でした。『幻によって惑わされる』とはまさにこの事でありましょう。こうして惑わされる事で、私も自戒を忘れずに済むというものです」
幻惑が終わりを告げ、脳に映る映像が次第に薄まっていく。もう視る必要のあるものはない、という事なのか、それともクシャナの中にある動物性たんぱく質の不足から幻惑能力が解除されていくのか、それは分からない。
そうして幻惑を見終わった後、全てのまとめと言わんばかりに顎へと手を当て、自分自身の疑問を解消したかのように晴れ晴れとした表情で、彼は言う。
「ハイ・アシッドとしての能力は、その者の起源が関わっていると聞き及んでいます。なるほど――私の起源には恐らく、あの日あの場所で聞いた悲鳴や嬌声、そして戦後の罵声がずっと耳に残り続けているが故なのかもしれないですね。もう罵声は聞きたくないと、この耳を閉じたいとする私の根幹にある願いが、そうした能力として形作られたのやもしれません」
聴覚断絶という固有能力が何故彼に根付いたか。
それを冷静に振り返るミハエルの姿は……忌々しい過去の光景を魅せられたにしては、冷静そのものに思えた。
「どうして……どうして、そんな、平然としてられるんだ……?」
「平然?」
「だって、そうだろう? こんなの、悪夢以外の何物でもない。幾ら遠き日の記憶だからって、幾らお前が蘇らされた存在で、生前の事であるからと言って、それを簡単に、受け入れられる筈が」
「平然ではありません。簡単でもありません。事実私はこうして、手の震えが未だに止まらずにいる。この状態ではまともに剣を握る事も出来ないでしょう」
先ほどまでと変わらぬ――否、最後まで見続けた当人だからこそある苦悩がそこにあるのか、より強い震えの手を見せるミハエルに、クシャナも息を呑む。
「ですが、そうですね。強いて受け入れられる理由をお話するとすれば……この光景は何十年の間に毎夜、私やシガレットが夢で見た光景ですからね。受け入れるには十分な程、幾度も反芻しているのですよ」
目を閉じ、意識を閉ざした時には、仲間の片足が飛び散ってくる光景が目に映る。
多くの仲間や敵の死体、そして終戦後においても多くのレジスタンスや反乱者が処刑されていく光景も、毎夜脳裏に浮かびながら、彼ら彼女らは眠るのだ。
そうしていく内に、彼らは慣れて、諦めてしまったのだ。
人を多く殺めた事実を受け入れ、思考を逸らす事に。
それは――クシャナにも覚えがある。
「貴女もそうでありましょう? アカマツ・レイ……否、プロトワンとお呼びした方が正確なのでしょうね」
「……うるさい」
「貴女の事は、ラウラ様より伺っております。多くの同胞を喰らったという過去についても、唯一生き残ったアシッドとして、チキューという世界で生き続けた存在であるという事もね」
「うるさい……っ」
「ええ、分かります。大変な辛さがそこにあったのでしょう。それに貴女は、何時でも死ぬ事が出来た私やシガレットと異なり、頭が消滅しなければ永遠に死ぬ事が出来ぬアシッドだった。その辛さは、私達以上のモノがあったのでしょうね」
「うるさいっつってるんだよぉ――ッ!!」
変身を解除しているクシャナが、荒れた息を整える事も無く、ただミハエルへと殴りかかった。
しかしその程度の攻撃、ミハエルには目を瞑っていても避けられる。
身体を僅かに動かして拳を避けると、そのまま彼女の足を掛け、転ばせ、それと同時に彼女の左手を捻りながら持ち上げると――彼女が寸前まで操作していたと思われる、スカートのポケットから落ちた携帯電話がカラカラと音を立てて転がった。
「おや、アレは……通信用魔導機の類、ですかね」
「っ、」
開かれた画面には、日本語で『通話中』の表記と共に、相手を『メリー』と表示させていた。先ほど幻惑能力を展開する前にポケットの中からメリーへと電話をかけ、至急の救援を求めていたのだ。
しかしその文字を読む事が出来ずにいるミハエルは「誰に連絡をしていたかはわかりませんが」と言葉にする。
「しかし、もう遅い。アスハ・ラインヘンバーはここで死に、貴女はラウラ様の下へとお連れ致します」
「……それは、どうかな……っ」
ドタドタと、人の足音が多く聞こえる。クシャナ達の居る部屋の近くに押し寄せた、ラウラの息がかかったこの施設の者達が、装備を整えた状態でミハエルへと近付き、クシャナの身柄を拘束していく。
そして未だ気絶しているアスハの身柄は――多く訪れた内の一人が抱き上げ、その肩に腕をかけた所で、ミハエルがピクリと反応を示した。
「……そこの、待ちなさい」
アスハを担いだ一人の男へ向けて、ミハエルが声をかける。
男はしばし無言のままだったが、しかしミハエルが近付き、男の肩に手を伸ばそうとした瞬間、その右手を懐に入れ、懐の中から一丁の自動拳銃――ベレッタM9を抜き放つと、そのトリガーを引いて発砲した。
至近距離で発砲された銃弾はミハエルの顎から後頭部へと貫通し、彼はブルリと頭を震わせながら倒れた。
その異常事態にどよめく者達だが、男はそのまま近くにいた者達に向けて、トリガーを引いて幾度も発砲し、その凶弾で幾人も殺めていく。
「クシャナ君!」
クシャナはその男に見覚えは無かったが……しかしその声とベレッタM9という銃で、男が誰かは分かった。
メリー・カオン・ハングダムだ。
「っ、アスハさんを連れて逃げろメリーッ!」
「しかし君が」
「私は殺されない、連れていかれるだけだ!」
アスハを担いでいるメリーは戦闘がし辛い状態にある。その上クシャナは既に拘束されていて、この状態から抜け出す事も難しい。
だがアスハとメリーが逃げるだけならば、いくらでも方法はあるだろう。そう言葉に込めたクシャナの願いを聞き届けたのか……メリーは下唇を噛みながら、着ていた服の内部に仕込んでいたフラッシュバンのピンを歯で抜いて、それを乱雑に放り投げた。
数秒程のラグを経て、強烈な破裂音と同時に強い光を発したフラッシュバンに、多くの人間が恐怖と驚きに包まれている中、メリーはクシャナへと視線をやる。
彼女は多くの人間によって羽交い絞めにされているだけでなく、圧し掛かられている事で身動きを獲れない状態だ。
これでは救出も出来ない――そう考えたメリーは「すまない」と口を開いた後、彼女の言葉通りアスハを連れて、その場から逃走した。
強い光に目を焼かれた者、強烈な音が至近距離で響いたショックを受けて失神する者もいる中、顎から後頭部が銃弾を受けて貫通している筈のミハエルが立ち上がり、未だ耳鳴りのする空間の中で、舌打ちを溢した。
「追う――のも無理でしょうね。相手がメリー・カオン・ハングダムであれば、幾らでも見つからず逃げる方法はあるでしょう」
フラッシュバンの発した光と爆音によって、クシャナ当人も失神している。
彼女の身柄を確保する事に成功したミハエルは、クシャナの身体を乱雑に抱き寄せ、ただ一人で製造所から退去していく。
クシャナを連れた彼がどこへ向かっていくのか、それを知る者は、誰もいない。





