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自らという存在-05

 盲目の瞳、再生を終えた目でミハエルを睨みつける。


しかしアスハがミハエルの事を凝視しても尚――アスハには彼を支配できているという実感が、まるで湧かずにいる。



「これは、何故、どうして……っ」


「どうしました? 貴女お得意の【支配能力】が私に通用しない事が、それほど驚かれる事でしょうか?」



 アスハが有するハイ・アシッドとしての【支配能力】は、目を合わせた対象を自分の支配下に置く能力だ。


これまで使用してきた中で、既に何十通りと動作確認を行ってきたが、幾つかの例外を除き、この能力が適用されなかった事はない。


例外は二つ。


一つはアマンナ・シュレンツ・フォルディアスの左目に有する【不干渉の魔眼】だ。彼女の魔眼はあらゆる物理的・精神的な干渉を弾くという性質のモノ故に、彼女の支配能力が適用されなかった。


そしてもう一つは……相手が死者であった場合。


既に死している者に対しては支配能力が及ばない。以前ヴァルキュリアに支配能力を付与した後、プロフェッサー・Kが彼女を仮死状態にする事で支配能力を解除するという荒業を行った事もあったように、死者は支配する事が出来ないと推察できる。



「そうか、貴様は死者だったな……っ」


「どうやら貴女の考えている通りのようだ。偽りの魂、偽りの肉体を与えられ、ファナ・アルスタッドのマナを用いて全盛の状態を維持しているだけの私やシガレットは、貴女の支配能力適用外に存在する、死者にカウントされるようだ」



 まぁ実際に死者なのですが、と微笑みを見せるミハエルは、一度目を閉じた後に、外界からの音をシャットアウトするかのように、自分の耳に手を当てた。



「では、貴女の固有能力を封じた所で、私が有するハイ・アシッドとしての固有能力をお見せしましょうか。――いえ、お見せするというのは相応しくない。体感させましょう、というのが適切な言葉でしょうね」



 しばしの沈黙。その間にアスハは剣を構え、今すぐにでも彼へと突撃してその首を両断してやろうと足に力を込めたが……その瞬間、ミハエルの固有能力が作動した。



「――【何も聞くな】」



 それが、アスハの耳に届いた最後の言葉だと言ってもいい。


キィ――と金属同士の擦れ合うような音に近い電波音が僅かに耳に入り込んだと思った瞬間、アスハの聴力強化を施されている筈の耳に、何も音が聞こえなくなった。



「……これ、は……?」



 自分の発した言葉でさえ、その言葉がしっかりと放たれているのか、それとも頭の中で思考した言葉なのか、それが理解できない。


普通の人間ならば、喉が震えているから恐らく発声は出来ている筈だと認識出来る筈だが、彼女には喉の震えを認識出来る術さえも持たない。



「聞こえますか? 聞こえたのならば、右手を上げてみてください」



 ミハエルの言葉を受けても、アスハは右手を上げない。


僅かに今立つ場所より右にズレてみると、彼女はミハエルがそうして僅かに動いた事を、周辺探知魔術によって認識したようだが……しかし、その事実を僅かに訝しんでいるようにも思えた。



「聴覚というのは意外と人間の五感においても重要な感覚でしてね。視覚情報だけでは補えない部分を補助するという意味では、最良の器官と言ってもいい」



 例えば普通の人間においても、誰かが後ろから近付いてくる足音に気付けば、振り返りながら後ろを向き、それが誰かを確認する。


例えば料理の最中にその場から僅かに離れても、火や水の音を聞き分けて、吹き零れが起きているか否かを判別できる。



「特に貴女は元々視覚情報を得る事が出来ない障がい者だ。故に聴覚という感覚が、貴女を辛うじて『普通の人間』として生きる最低限のラインに留めさせていた、というわけですね」



 アスハという人間は、視覚情報を持てない弱点を聴覚強化と周辺探知魔術で補った。


今までその二つが当たり前のように作動する事を前提に、彼女は普通の人間と同じような生活を歩めるように、自分を鍛えたのだ。



――今のアスハは、その弱点を補う方法の一つを、失ってしまっているのだ。



「その最低限必要なラインの一つ、聴覚を封じる。それが私の持つ固有能力【聴覚断絶】です」


「お前……お前ェ――ッ!!」



 剣を乱雑に構え、振るうアスハ。しかしそのスピードも剣筋も正確ではあるが、僅かに動揺が隠せていない。


その隙を見計らうように、ミハエルは大きく身体を動かしてその場から飛び退き、彼女の件から逃れていく。


そうして何度も何度も避け続けていると……アスハは動きを止め、ハッ、ハッ、と荒い息を整える事が出来ず、冷や汗を多く流すようになっていく。



「わ、私から……聴覚まで奪うというのか!? 私を、私を普通の人間でいさせてくれた、耳まで……御爺様の教えて下さった、普通の人間としての在り方を奪うのかァッ!?」


「丁度いい機会ではありませんか。貴女は他者の言葉に頷く事で」


「どこだ、何処にいる!? 本当に貴様はそこにいるのか!? 大人しく、大人しく斬られろォッ!!」


「……そうでした。聞こえねば会話にもなりませんね。それに、今の状況は貴女にとって絶望だ。まともでいられる筈も無い」



 アスハは目が見えない弱点を聴覚と周辺探知魔術で補う事で克服した。しかしそれは「周辺探知魔術で相手の居場所をある程度認識し、聴覚によって得た情報で裏付けする」というものだ。


人やモノは、時が動き続ける限り、最低限音を発する。例えば無機物においても風の流れを一部分とは言え変え、音波を反響させる要因にもなり得る。


周辺探知魔術で得た相手の居場所を、そうした僅かな空気の音や、普通の人間には聞こえない低周波数の音波さえも聞き分け、他者の居場所をより正確にコンバートする。普段のアスハはそうして、辛うじて普通の人間と同じ生活を歩めているのだ。


その情報精査をする為に必要な聴覚を奪うという事は、アスハという人間にとって、非常に残酷な事であろう。


ミハエルは、それを分かっているからこそ――今のアスハが繰り出す攻撃や身体に当たる事なく、攻撃を避け続ける。


そうする事で、彼女はより訝しむのだ。



周辺探知魔術が示す場所は、本当に正しいのだろうか、と。


敵の居場所はここじゃなく、本当は別の場所にいるんじゃないか、と。



――見えない相手が、聞こえぬ相手が、怖い、と。



「聴覚さえも失った貴女に伝えられない事が心苦しくもありますが、先ほども言ったでしょう。私は昔の貴女……アスハ・ラインヘンバーとして誰かの言葉を自らの言葉であると偽る貴女が、しかしそれが誰かの為になるならばと妄信する貴女が、可憐に見えていた」



 足を止め、ブンブンと剣を振るしか出来ずにいるアスハ。


彼女は荒い息を整えようとしても整える事が出来ない、過呼吸のような状態に陥り、やがて不安から込み上げる吐き気を我慢できず、喉元を通り過ぎる吐瀉物を、吐き出した。



「こひゅぅ……、こひゅぅ……ッ!」


「貴女の後ろに大きなパトロンがいる事は、貴女がそのパトロンにあらゆる綺麗事を言わされている事は、見る者が見れば明らかだった。しかしね、確かに貴女の決意は本物だったのですよ。同じような苦しみを背負う者達に、少しでも何かをしてあげたいという願いは、確かなモノだった」



 アスハは、確かに父や母が望んだ言葉を叫び、多くの崇拝を集める為の道具に過ぎなかった。


けれどその言葉に込めた決意は、熱意は、想いは、本物であった。


ミハエルは十九年前、当時八十三歳だった。彼は当時八歳だったアスハ・ラインヘンバーという幼い少女が叫ぶ言葉を聞き、深く感銘を受けたのだ。



――私達は政治によって、信じる神さえも踏みにじられるのです。


――次期帝国王となられるラウラ・ファスト・グロリア様の提唱なされる政教分離政策は愚策であるとしか言えません。私はそれを断じて許す事が出来ません。


――私は目が見えない。触れても何も感じない。しかしそれでもこうして生きている。それは、信じるべき神に祈りを捧げ、日々を生きる糧が得られるからであります。


――人は、何か自分が信じられる、崇拝出来るモノがあれば、生きていける。我々グロリア帝国の民にとって、信じる事の出来る神はフレアラス様でしかあり得ない。


――さぁ、私と同じ苦しみを背負う者達よ。共に立ち上がりましょう。立ち上がる事の出来ぬ者は声をあげましょう。声を挙げられぬ者は立ち上がりましょう。


――そうする事が、この国を変える第一歩なのです。躊躇わず、前へ進む事こそが、我々にとって必要な事なのです。



「貴女の想いは、貴女の願いは、あの脚本通りの言葉に全てが込められていたのです。その想いを受け取り、私は貴女そのものに惚れ込んだのです。――だからこそ、私は『誰かの言葉を聞き続ける』という呪縛から、貴女を解き放とう」

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