ヴァルキュリア・ファ・リスタバリオスという女-04
「オレはお前に、情報という点において期待しているわけじゃない。あくまでオレが欲してるのは、お前の戦闘能力だけだ」
「クシャナ殿がいる。彼女は、不死であるアシッドを対処する方法も持ち得るのであろう? 拙僧など、居なくとも構わないのではないか?」
「この庶民の戦闘技術はお前の足元にも及ばんよ。確かにあのマホーショージョ、とかいう魔術外装を展開した後の能力には目を張るものがあったが」
すっごい好き勝手言われてるぅ~。ケド正論だから何も言い返せない不思議。
正直、私の変身した『幻想の魔法少女・ミラージュ』としての力は、身体分離と幻影の組み合わせによる応用力が高いから能力としては優秀だけど、戦闘技術という面において、優秀な騎士には劣っちゃうんだなぁコレが。
「お前はエンドラスの提唱していた『汎用兵士計画』を体現する実力者だ。魔術と剣術の双方に優れた戦闘能力は、アシッドを完全に殺す事は出来ずとも、戦いにおいて優位性を発揮できるだろう」
お前はオレの指示に従って力を振るえばそれでいい、と。
フェストラは悪意なく、無知のヴァルキュリアちゃんの力だけを求めているという事を、言葉にする。
――だが、ヴァルキュリアちゃんは今も尚、納得は出来ぬようである。
「……拙僧は頭がよくない。だから難しい事を考えるのは苦手だ」
「そうした些事はオレがすると言っている」
「否、そうではない。難しい事を考える事は苦手だが、分かる事が一つだけあると言っているのだ。――国を害する問題は如何な状況であろうと、国家の然るべき機関が対処を行うべきだ」
フェストラが作ろうとしている対アシッド組織は、言ってしまえば彼が自分の持つ権力を乱用した、私設武装組織と言ってもいい。
確かにフェストラの言う通り、現状は対アシッド組織を運用する上で、その存在が公にならない事は重要だ。
それは人智を越えた存在を知った民衆の混乱を抑える、という意味合いでもそうだが、何よりもアシッドを生み出している組織と繋がっている可能性もある、国政・軍政に関わる者達に対しても、その組織がどう動いているか知られぬように動く必要があるからだ。
だが、ヴァルキュリアちゃんはそうした組織の設立を、好ましく思っていない。
「フェストラ殿が作り上げる組織が、私設組織ではなく、法律や規則に則った公的組織として認可を受けるという事ならば、拙僧も協力にはやぶさかではない。しかしそうでないならば、フェストラ殿の作り上げる組織も反社会的勢力と変わりないではないか……っ」
彼女は真面目だから、そうした組織の在り方にも規則、ルールに則る必要があると叫ぶ。
その規則やルールから脱した存在は、犯罪者集団と一緒だと。
そうしたヴァルキュリアちゃんの言葉を聞いて――フェストラは深く、深くため息をついた。
「規則、規範、法律……ああ、確かにそれは重要な事だろうよ」
「【重要】ではない。【絶対】である。社会というモノは、誰もが規則・規範に則る事で正常に動作するものなのだ。その枠組みから外れた者は、如何な理由があろうと処断されるべきなのだ!」
自分の意見は正しい筈だと、間違っていない筈だと叫ぶ彼女の表情は、どこか険しかった。
まるでその叫びが――自分自身に向けられた慟哭であるように。
「……拙僧は一度、その規律を破ろうとしてしまった。故に、拙僧はこれ以上、自分の過ちを認めるわけにはいかないのだ……っ」
昨日、アルステラちゃんの口車に乗ってしまい、もう少しでクスリを使用してしまいそうになった、己の心を卑下するように、彼女は自分を戒める。
「フレアラス教・新約聖書の第一章一項『人は神ではない。過ちも犯す。故に過ちを認めるべきである』――拙僧は、この教えに背くつもりは毛頭ないッ!」
自らの意思を示すように、フレアラス教の新約聖書から引用をした彼女は、そこで僅かに涙を溜めた瞳を潤わせて、フェストラを見据える。
しかし彼は……落胆の表情を浮かべたままだ。
「オレはお前の事を見誤ったようだな。他の誰でも無く、罪の無い民を守る為に、己が信念を力と代える――そんな、心から騎士であろうとする存在が、お前だと思ったのだがな」
もう、ため息すら浮かばぬようだった。彼は身を翻しながらアマンナに「行くぞ」とだけ声をかけ、彼女は頷きながら――私とヴァルキュリア、そしてガルファレット先生にお辞儀をして、五学生教室のドアを開けた。
「庶民、他に聞きたい事をまとめておく。その女のいない所で、また聞く事になるからそのつもりでいろ」
「はいはい。六学年主席様の仰せのままに」
退室していく二人の姿を見送って、私は安堵の息をつく。フェストラと話すのは、答弁がどうとか関係なく疲れるから、あんまり長時間続けたくないのだ。
まぁ、今のヴァルキュリアちゃんにも、少し奴とは離れて考える時間も必要だ。
彼女は、フェストラとのやり取りを終えたにも関わらず、どこか納得がいっていないように、顔を俯かせている。
自分は間違っていないと信じているが、しかしフェストラの言葉が胸に残り、心を蝕んでいるかのように感じているのだろう。
「ヴァルキュリア」
そんな時、これまでほとんど口を開く事の無かったガルファレット先生が言葉を発し、ヴァルキュリアちゃんは驚く様に顔を上げた。
「お前は正しい。社会というのは如何なる時も、社会的規範に則った行動が求められ、その規範から逸脱した者は、処罰が与えられるように定められている」
「……はい」
先生に認められた事で、自分の正当性を実感できたのか、そこで思わず安堵するヴァルキュリアちゃんだったけれど――しかし、ガルファレット先生の言葉は、続いた。
「だが、アシッドに対抗できる組織は今の所存在しない。お前の言うように、公的機関が組織されたとしても、組織されるまでの間に、どれだけの犠牲が発生するかも定かではない」
「それは」
「必要な犠牲と言うか? 社会的規範が守られたのだから、それに伴う犠牲は必要であったと」
「そうではないっ! 拙僧は犠牲など求めていないっ!」
首を大きく横に振り、そうではないと、自分はそんな酷い事を考えはしないと、その意思を伝えようとする彼女の想いは、ガルファレット先生も理解している。
彼は、教卓の前に立って、授業を執り行おうように、ヴァルキュリアちゃんを諭すような口調で、言葉を綴る。
「フェストラも同じだ。奴は自分が守るべき民を、一人だって無駄に殺さぬよう動いているだけだ」
時には規範に則って動き、時には規範を越えて行動する。
それは確かに、ヴァルキュリアちゃんにとっては過ちかもしれないけれど――過ちの先に誰かの命を救う事になると、フェストラは信じている。
そして、ヴァルキュリアちゃんもきっと、同じ想いを抱いてくれると、彼は信じていたのかもしれない。
その気持ちを、彼は裏切られた。だから酷く、ヴァルキュリアちゃんに対して落胆をしていたのかもしれない。
「ヴァルキュリア、お前はお前なりの考えと意思を貫けばいい。だが、時には誰かの理想や願いを許容出来るように、立ち止まって、考える事も重要だというのは、忘れるなよ」
「……なら、ガルファレット教諭殿は、何故フェストラ殿の組織に与する事を決めたのであるか?」
「救える命がある。その為にこの老兵が戦える戦場がある。それだけで、剣を振るう理由としては十分すぎるだろうよ」
ガルファレット先生の過去は、とある帝国魔術師に仕えていたが、その魔術師が老衰で亡くなられた後、帝国軍司令総務部教育課に回された、という以上の事を、私も知らないし、多くを知っている生徒はいないだろう。
だが彼は、間違いなく主を守る騎士であった過去があり――教師となった今でも、その心は変わらないのだろう。
「遅くなってしまったが、授業を始めるぞ。……お前たち二人となってしまい、随分と寂しい所はあるがな」
一度に多くの生徒を失ったガルファレット先生の、少し寂しそうな表情に、ヴァルキュリアちゃんもそれ以上、何も言えなかったらしい。
ヴァルキュリアちゃんは広い教室の空いている席にではなく、私の隣に着席して、その上で彼の方を見据える。
……ガルファレット先生の声は静かで聞きやすいから眠ってしまいやすいのだけれど、二人しかいないから眠っているとバレバレなのは難点かもしれない。
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リスタバリオス家の客間、埃一つない六畳間の小ぢんまりとした空間に、二つの座布団が敷かれ、上座の一つには、白を基本色とした帝国軍服の襟を正して正座する、エンドラス・リスタバリオスの姿があった。
「本日は、如何な御用だろうか」
対面に敷かれた座布団の上で足を組み、座る男性の目に光は無い。
その乱雑に切られた耳元まで伸びる黒髪と、整えられていない無精ひげ、着込まれる紺色の洋装もだいぶ着古された様子が見受けられた。
男は、目の前に置かれた茶を一瞥する事も無く、腰に携えた剣を畳に置き、頭を深々と下げる。
「エンドラス。俺が、俺達だけが、この国の退行を食い止める事が出来る、防波堤であると理解してほしい」
「……理解は難しい。確かに、この国は退行へと進んでいるが、しかしだからとて、今の平穏を享受する民達をいたずらに傷つける貴公の考えを、認める事は出来ない」
二者は動く事なく、ただ唇を震わせて会話をするだけだ。
しかし――エンドラスの前に腰かける男は、彼の言葉を受け取りながら、尚も言葉を投げかける。
「お前の妻……ガリアの願いを叶えたくはないのか?」
「叶えるともよ。その為に私は、フェストラ様へ忠義を尽くすと決めたのだ」
「フォルディアス家の嫡子……あの天才か。しかし、奴はフレアラス様の教えを信仰してなどいない。奴がこの国を治めた時、確かに国は動く事になるだろう。が、それは我々の望んだ国の在り方ではないだろう」
「今の私はただ、亡き妻の願いを成就する為に、この国を守る一刀であるだけの事」
「お前が動けばより良き方法で、ガリアの願いを叶える事が出来ると言っている」
「済まない。……今日の所は、お引き取り願おう」
会話の途中で、エンドラスは立ち上がり、閉じていた襖を開け、男に退室を申し出た。
男も、エンドラスの申し出に渋々と言った様子で立ち上がり、しかし別れ際――彼へ言葉を残す。
「お前の娘は、フォルディアス家の嫡子によって利用される事となるだろう」
目を見開き、動きを止めた一瞬の間に、男は手を伸ばしても届かぬ距離に、歩を進めていた。
追いかけて問う事も出来た筈だが……しかし、エンドラスは手を伸ばす事もしなかった。
その瞳には、男の背中が見えている。
男の背中を見据えて……エンドラスは、男の背が、酷く汚れているように見えたのだった。





