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アスハ・ラインヘンバーという女-09

 フェストラも、私も動じない。あくまでポーカーフェイスを貫くが、別に彼女としても私達の態度を見て謀ろうというわけではないだろう。……ただ、彼女からすれば、事実を述べただけに過ぎない。



「……良いでしょう。こちらとしても、レナ・アルスタッドの様子を把握できるのは好ましい」



 ポン、と私の背中を叩いたフェストラと、そんな彼に促される形となってしまったが、お母さんの様子が気になっていた私は、お母さんの居るべき部屋へと入って、中の様子を確かめた。


広々とした部屋で、ただ一人縫物をしているお母さんの姿がそこにあって、彼女は部屋のドアが開かれた音に反応し、顔を上げた。



「クシャナ」


「えっと、ただいま」



 何を話せばいいのか、それが少しわからなくて……私がつい言葉を濁すように挨拶をすると、お母さんも様々な感情を入り混じらせた、微笑みとも苦笑ともとれる表情で、出迎えてくれる。



「おかえりなさい。……ファナは、どうしたの?」


「ちょっと、色々あってさ。……実は、私もこれから、しばらくファナと家を空けないといけない用事が出来たんだ。でも、安心してよ。ちょっとフェストラの仕事を手伝うだけで、給料も出るし危険な事なんて一つも」



 事実を語るか、語るまいか。せめてそれだけをフェストラと話し合っていればよかったと思いながら、とりあえず喋れる事だけを語ろうとした私の事を、お母さんはずっと見ていたけれど……腰かけていた椅子から立ち上がって、私の前に立つと、まるで私と背比べをするかのように、背を伸ばした。


 私の方が十センチ近く背が高く、お母さんは私に背伸びしないと、視線を等しく合わせる事が出来ない事を確かめると、クスと微笑みを見せるのである。



「ふふ、本当に貴女って、大きくなったのね」


「お母さん……?」


「産まれたばかりの頃は、あんなに小さくて、身体が弱かったのに……今じゃお母さんの方が小さくて、貴女の方が立派で、身体も丈夫なのだもの」


「……うん、そうだったみたいだね。私も、ちょっと不思議なんだ」



 産まれたばかりの私は……否、クシャナ・アルスタッドという幼い命は、どんな魔術師達が治療を施しても処置しようのない危機に晒されていて、お母さんはそんな幼い命を守ろうとしてくれた。


結果として、その命は私という異端の存在が入り混じった事で一命を取り留めたけれど……でも、お母さんの心には傷が残ったままだったのだという。



「ねぇ、クシャナ。私ってば、つい人の言う事を信じちゃう馬鹿な母親だから、頭の良い貴女の言葉が、本当なのか嘘なのか、昔から分からないの」



 多く嘘をついてきたつもりはない。


けれど、お母さんは確かに人の嘘にも、悪意にも鈍感で、時に自分の幸せをかなぐり捨ててでも、誰かの幸せを望もうとする。


それは美徳であるけれど、正しい行いではあるかもしれないけれど、必ずしもそれで幸せになるとは限らない。



……いや、お母さんはずっと、そうして「誰かの幸せを望む事」で自分の心に小さな幸せを積み重ねてきたのだ。



でも、そうした小さな幸せが積み重なっても、何時か小さな幸せが崩れ去り、不幸として降り注ぐ事は、人の世においては往々にしてあり得てしまう。


否、必ずいつか、そうなってしまう。私はプロトワンの時代から、赤松玲の時代から、ずっとそういう人ばかりを見続けてきた。


だからこそ、お母さんにだけは……そうした不幸の訪れが無い事を望んで、必要ならば嘘をつく事も厭わなかったのだ。



「だから、こんな馬鹿な母親に教えて頂戴。今の言葉が、嘘かどうか。嘘でも怒ったりしない。もし嘘だったとして、本当の事なんか言わなくていい。……嘘でも、貴女が幸せでいてくれる事が本当なら、それで良いの」



 ――嘘じゃない?



そう語り掛けるお母さんの手が、私の頬を撫でた。


その手に残る僅かな温かみ、お母さんの体温が、私の心を撫でるような、そんな感覚がした。


 私は……こんな温もりを持った手に頬を撫でられ、お母さんの温かさを感じて、それに対して嘘をつけるような、そんな人でなしであった覚えも無い。



「……ごめんなさい、お母さん。嘘なんだ」


「そう」


「本当は、私もファナも、危険な事に巻き込まれてる。でも、でもそれは誰かを貶める為なんかじゃなくて――!」



 思わず声を荒げそうになってしまった私の言葉を遮る様に……お母さんは、私の身体を抱き寄せるようにして、頭を撫でながら、耳元で優しく声をかけてくれた。



「良いのよ、必死に弁解なんかしなくてもいいの。お母さんは馬鹿だけれど、貴女とファナが、誰かを不幸へと陥れる為に、嘘をつけるような子供じゃないって、信じてる」



 何だか、懐かしい感覚がする。お母さんに抱き寄せられた事なんて、何年ぶりなのだろうか。


ファナを引き取ってからは、ずっとお母さんもファナに付きっ切りで、私は自立したお姉ちゃんとして過ごしていたものだから……お母さんに抱き寄せられたのは、それこそ二歳から三歳の頃ぐらいの思い出かもしれない。



「ホントの事は、言えないね」


「……うん。言えない」



 ――今はまだ、という言葉が付くけれど。



お母さんに全てを語ろうとすればラウラ王に対する真なる反逆行為となり……それはお母さんの心に深い傷を負わせるだけでなく、シックス・ブラッド全員に今すぐ危険が及ぶかもしれない。


それに、こうしてお母さんと身体を重ねてみると……やっぱりこの人に、そんな苦しみを背負わせたいとは思えない。



「じゃあ、もう一つだけ、教えて」


「何?」


「貴女とファナは……無事に帰ってくるって、約束出来る?」


「うん。無事にお母さんの所へ帰ってくる。それだけは――絶対に嘘じゃない」



 全然、嘘をつけなかった。私の嘘つきスキルもだいぶ衰えたかもしれない。


名残惜しいけれど、お母さんと身体を離し、いつの間にか僅かにドアを開けて顔を出すシガレットさんが手を振っていたので、私が彼女の事を「お母さんの護衛だよ」と紹介した。



「護衛……私に?」


「ちょっと、これから国内もバタバタしちゃうかもしれないから、念の為にね」



 あまり深く考えなくていい、と作り物の笑顔を浮かべながら、今入室を果たしたシガレットさんとすれ違いながら、言葉を交わす。



「本当に、今ので良かったの?」


「良いんです。私、嘘つきだけれど……約束は破らない女なので」


「良い女に育ったわね。そういう子はモテるわよ」


「え、マジで? モテる? ヴァルキュリアちゃんとかアマンナちゃんとか堕とせる?」


「前言撤回。貴女は少しおしとやかさを覚えなさい。お婆ちゃんからの忠告」



 最後に、お母さんへ手を振りながら別れる。


扉を閉める間際……お母さんは少しだけ寂しそうな表情を浮かべていたけれど、扉が閉まってしまえば、もう見えない。


壁の死角に隠れていたフェストラと視線を合わせ、頷き合う。



「お母さんの無事は確認できたし、お母さんの監視をルトさんが出来る土壌は作り上げた」


「シガレットが約束を守らない可能性も考慮はすべきだが、彼女の性格上から考えて問題は無いだろう」



 可能ならお母さんを連れ出したかった、と言っていた割には、こうした状況に文句はないと言わんばかりのフェストラ。



「さて、帰るか」


「おい、そんな軽いノリで帰れるのか?」


「堂々と構えていた方が対処しやすい事は事実だろう。それに、帝国城内では仕掛けて来ないと思われる」



 周りに怪しまれないようにという意図があってか、ゆっくりとした歩幅で撤退ルートを進んでいく。


コイツの言う通り、帝国城内では特に仕掛けるつもりがないのか、どれだけ兵達とすれ違っても特に何も言われる事は無く、裏手にある使用人通用口から、帝国城を出た。


高くそびえる帝国城の裏手という事もあって、人通りから殆ど見えない死角となる位置。


そこまで来た所で――私もフェストラも、マジカリング・デバイスとゴルタナを取り出した。



「さて、ここからが地獄だぞ。庶民」


「簡単に言ってくれちゃって。あのまま帝国城内でノンビリしていた方が良かったんじゃないの?」


「それはそれで囲まれて捕らえられる事が目に見えている。帝国城内で捕らわれたら、流石に脱出の手段は限られてくるからな」



 呑気な会話と思われるかもしれないが、フェストラに関しては警戒を強めていたようだ。


少なくとも――上空より剣を構えて襲い掛かる二人の帝国騎士に対して、足元から出現させた空間魔術よりバスタードソードを射出し、その動きを抑制させながら私の身体を抱き寄せ、その場から飛び退く位には、動きが機敏であったからだ。



「失礼、フェストラ様。エンドラス様のご命令により、お命を頂戴致します」



 その帝国軍人は身長百八十は優に超える大男で、ガタイもガルファレット先生程ではないけれど、かなり屈強な部類の男に思えた。


言葉遣いも丁寧だが、その手に握る細長い長剣を構えながらフェストラへと襲い掛かろうとする彼に、金色の剣で弾き返したフェストラが、ゴルタナを展開せずに私の腕を握りしめた。



「走るぞ庶民!」


「わ、ちょ――っ!」



 強く踏み出したフェストラに引かれて、シュメルの街中へと一度出たフェストラ。人混みの中では襲い掛かられる事は無いだろうという判断だと思うのだが……。



「お、おいどこ逃げるんだよ! アジトは逆方向だろッ!?」


「良いから黙ってついてこい!」

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