家族-11
ルトがレナ・アルスタッドの護衛より席を外し、ファナの護衛へと向かって早数時間は経過しただろう。
思いの外、クシャナやファナの話で長く時間が経過していた事に気付いたガルファレットは、もう何回淹れたか分からぬ紅茶を口にしながら「そろそろルト様がお戻りになられる頃かと思うのですが」と、話の話題が尽きぬ中で時計を見た。
「あら、もうこんな時間なんですね。クシャナの先生とこんなにお話が長く続くなんて思っていなかったです」
最初は心を傷つけていたレナだったが、今は顔色も良くなり明るくなっている。最後に淹れた茶が無くなった事もあり、そろそろお暇して外での警護に切り替えるか、そう思案した時の事である。
扉の向こう側、帝国城の廊下に何者かが立っている気配を感じた。
レナは気付いていないようだし、気付かれても困るので、ガルファレットが口調や語調は先ほどまでと変わらぬように心掛けながら、席を立つ。
「では、私はここで失礼いたします」
「申し訳ありません、ご心配をおかけしたみたいで」
「なに、生徒の心配をする事こそが私の仕事であります。若さとは振り返る事のない生き様を言い、教師は若さを持つ子供たちを受け入れる事こそが仕事なのです」
では、と言葉を残しながら、ガルファレットは一礼しつつ退室し――その扉を閉じた瞬間から、表情を変えた。
無表情、ではない。
それは怒りに近い感情であるのだろう。
扉の傍で背を壁に預けながら、美しい女性が純白のワンピースに身を包みながら、ガルファレットに微笑んだ。
「昨日ぶりね、ガルファレット」
「……シガレット様」
「感情のコントロールが随分と上手になったわね」
「教師と言う子供を導く聖職に就く以上、自分の感情を子供に曝け出すわけにはいかんのです」
「でも、魔術回路は開きかかってるわよ。落ち着かないと、こんな壁一枚すぐにブチ破って、レナちゃんを怖がらせちゃうわ」
ガルファレットに向けて伸ばされた女性……シガレット・ミュ・タースの手。しかしガルファレットは僅かに身体を動かし、彼女から二歩ほど遠ざけながら「そんな世間話をする為に来たわけじゃないでしょう」と話題を遮った。
「レナ・アルスタッドの護衛ですか」
「……ええ。貴方達【シックス・ブラッド】と【帝国の夜明け】に加えて、ルトちゃんも彼女に近付けないよう命じられたわ」
僅かに遠ざかった、かつての騎士の姿を見て、どこか寂し気な表情を一瞬だけ浮かべたシガレットだが、すぐ切り替えるように笑みを浮かべ直し、手を引っ込めた。
「だから、貴女にもレナちゃんへ近付かれると困るの。この場は見逃すから、どこかへ行って頂戴な」
「断ると言えばどうなるのです?」
「殺しはしないけれど、排除はする」
浮かべられた笑みが、すぐに消えた。
両足で床を蹴りながら、軽やかなステップを踏む彼女の姿に、ガルファレットは視線も眼力も変える事無く、右手を拳に作り替えた。
右手の拳に滾る力、マナの濁流とも言うべき力の渦。
その渦を感じ取ったシガレットがハァ――と深くため息をついた瞬間。
二人はそれぞれ動き出した。
疾く駆け出した二者が互いに正反対の通路を駆け出すと、そのまま廊下の窓を開け放って外へと飛び出し、壁を蹴りながら帝国城の天辺にまで登った二者は、その城の端と端にそれぞれがいる事を認識しつつ、空へと跳び上がった。
魔術師同士の戦いにおいては、天地による戦術など大きな違いはない。
空中へ我が身を飛ばせば操作魔術において空中で姿勢制御を行い、地上で在れば操作魔術が多く必要ではないというだけの事。
空中へ跳んだ二者が、互いの位置を認識しているならば、後は近付く事さえ出来ればいい。
空を蹴る様にして、空中を駆け出したガルファレットの振るう右拳、しかしシガレットが振るわれた拳を人差し指で触れた瞬間、パキンと音を鳴らしながら迸るマナの濁流が消滅し、ただの拳へとなり果てる。
そして人差し指で受けるシガレットの手には、魔術相殺と同時に展開された強化魔術がガルファレットの拳を受け止めたばかりか、力の流れを受け流すように、ガルファレットの姿勢が崩れた。
崩れたガルファレットの腹部に、細く綺麗な足の膝がめり込む。
ゴ――と唾液と胃液の交り合ったモノを吐き出しつつ、蹴り飛ばされる彼が空中で身体を制御しながら、商業区画の建造物屋上に足を乗せる。
しかしシガレットによる追撃は止まらない。ほとんど瞬間移動さながらの高機動を以てして蹴り飛ばした筈のガルファレットに近付くと、彼女は両腕を頭の上で組んで振り下ろすダブルスレッジハンマーを勢いよく叩き込もうとするが、ガルファレットの「チャ――ッッ!!」と言う嬌声を放つと同時に放出したマナの勢いによって返した。
「あはっ」
「――ッ」
シガレットはまだ余裕がありそうに思えるが、ガルファレットは違う。
彼は今、本気を出す事が出来ずにいる。シガレットを止める為には、生半可に力を制御しているだけでは勝てない。改造された魔術回路を全力稼働させて、ようやく彼女へ一矢報いる事が出来るかどうか――それが元々、シガレットとガルファレットの力量差だ。
にも関わらず、今のシガレットは若さ故の五体満足に加えて、ガルファレットとは違って「全力を出せるが意図して制御している」だけに過ぎない。
ガルファレットが全力を出せぬ理由が街への被害を鑑みた結果だとすれば、シガレットが全力を出さぬ理由は「あくまで出す必要が無いから」に他ならない。
マナの放出によって攻撃を弾かれたシガレットは、しかしそのまま着地する事なく、上空という優位を確保するかのように浮遊を続け、そのまま空中で座る様に足を組んだ。
「本当に、制御が上手になったわね。もしかしたらお婆ちゃんの私程度なら倒せるかもしれないわ」
「……今の貴女には勝てぬ、とも聞こえるのですが」
「うーん、どうかしらね。身体がやっぱり若い頃の状態だと、逸っちゃってしょうがないのよ。だから今は貴方の方が冷静に対処が可能でしょうし、勝ち目はあるかもしれないわ」
それは、ガルファレットにもある程度理解が出来る。
そもそもガルファレットの知るシガレットは、こうして自分から率先して攻撃行動に移る女性ではなかった。そもそも晩年の彼女が両足を不自由にしており、車椅子での生活を余儀なくされていた事も理由の一つだが、そもそも彼女は交戦意思というものがほとんどない女性だったのだ。
それが今は、第七次侵略戦争に参加していた頃、それこそ二十歳近くにまで若返った姿に対し、魔術の質や精度については往年の経験を経た上のモノとなっている。
結果として彼女の中で齟齬があり、上手く身体と精神が合致できず、彼女にも自覚できる程好戦的な戦闘方法を取らざる得ない状態となっているのかもしれない。
だがそれは「老化によって防衛戦に優れた戦略を取り入れている」か「若さによって攻略戦に優れた戦略を取り入れている」かの違いに過ぎない。
戦略がそもそも違えば対処法も違う。ガルファレットには勝てるビジョンというモノが一切脳裏に浮かばなかった。
「どうやって私に勝つか、それを貴方が見つけられれば、私はまた土に還る。私にとってはそれが一番の楽しみかもしれないわね」
老婆の時と同じ、品のある微笑を浮かべる彼女の表情は見慣れたものだ。思わず鼻を鳴らしてしまったガルファレットは、心に残る懐かしい感慨を抱えたまま、問いかけた。
「俺に、貴女を殺せと?」
「……違うわ、ガルファレット。私はもう既に故人、この体は仮初のモノ、魂も作られたモノに過ぎない。だから貴方がするのは、私を殺す事じゃなく、私を壊す事よ」
「確かに、俺という存在にとっても、貴女は故人だ。しかし……俺には壊す事と、殺す事の違いなどない」
両手を包む、温かなマナの奔流を抑え込み、ガルファレットは静かに口を開く。
彼の言葉に、シガレットもただ黙りこくって、笑みを崩した。
「俺なんて男には、貴女がどうして蘇ったのか、仮初の体とは、作られた魂とは何なのか、良く分からない。だが分からない存在だからと、何も考える事無く力を振るう……そんな愚か者が貴女の傍に仕えていたのだとは、認めたくない」
「……ずっと、私の言葉が、貴方の心を蝕んでいたのね。まるで、呪いのように」
「違う。貴女の遺した言葉は、呪いなんかじゃない。俺と言う力を振るう事しか出来ないと塞ぎ込む男にとって、希望だった――力を振るわなくても、誰かと共にあり、誰かを守るという願いを以て戦う。そんな在り方を、貴女は俺に与えてくれたんだ」
――貴方は暇でありなさい。
――人は、自分以外の人を殺した時から、決して幸せになる事はない。
――輪廻転生があるのなら、誰かの命を救える存在になりたい。
そう涙を流し、嘆きながらも笑顔を作り続けていたシガレットの言葉は、ずっとずっと……ガルファレットの心を支えている。
「だから俺は、貴女という存在を壊さない。貴女を壊したが最後、俺はきっと貴女との約束を守れなくなる」
「私と言う女を殺さずに、壊さずに止める事が出来ると? 私はいずれラウラ君に命じられて、貴方の大切な世界を壊すかもしれない。それでも――貴方は私の呪いに従い続けると?」
「何度でも言いましょう。貴女の遺した言葉は呪いじゃない……希望だと」





