家族-09
誓約書を書き終え、自らのサインを記すと、親指の肉を僅かに噛み、溢れる血を朱肉代わりとしたフェストラが、拇印を押した。
その上で同じ内容の記された二枚の書類をサーペストとレガリアスの二人に手渡し「サインと拇印を寄越せ」と命じる。
受け取るか、受け取らないか、それをまともに思考の回らない頭で考える二者に、フェストラが苦笑するしかない。
「もし押さなければ、今すぐ貴様らの身柄をひっ捕らえ、すぐにでも帝国警備隊へとしょっ引き、訴訟へと取りかかろうじゃないか。だがもし押せば、ラウラ王による行動が成されない限り、お前達は訴えられる事も無く、帝国軍もこれまで通り。ラウラが本当に正しい判断をすると信じるのなら、サインをする事が得策と思うが」
どうだ、と笑うフェストラの言葉に、荒い息を上げて、震えながら手を書類に伸ばす、サーペストとレガリアス。
だが――そんな二人を裏切るかのように。
一人の声が、聞こえた。
「破り捨てて良いぞ、サーペスト。……その紙は今から、ただの紙切れと変わりゆくのだからな」
声と共に、高速で飛来するナニカの存在に、サーペストとレガリアスの二人は、反応をする事も出来なかった。
それぞれの背後より迫る、人差し指程度の長さをした一本のデバイス。
「あ、が、あぁああっ!」
「ぐ、ごお……っ!!」
そのデバイスの先端にある四ミリ程度の接続具が二人の首筋に挿し込まれる事により――二人は呻き声をあげながら身体をボゴボゴと肥大化させていき、フェストラはクシャナの腕を強く引きながら、二人から距離を取った。
「まさかコレ……っ」
「ラウラか」
「如何にも。……全く、本当に君は優れた男だ。まさかあの状況において、ここまでの判断を下せるとは思わなんだ」
杖を地面に付けながら、似つかわしくない工業区画の薄暗い通りを一人で歩く男……ラウラ・ファスト・グロリアは、その額を僅かに動かしながら、クシャナとフェストラ両名の前に現れた。
そんな彼に意を介す事無く……否、違う。思考を向ける余裕すらないのは、サーペストとレガリアスだ。
突如として飛来し、挿し込まれたアシッド・ギアによって、肉体を徐々に肥大化させ、アシッドとして変貌していく彼ら。
彼らがそれぞれ雄叫びをあげながら、目の前にある二つの肉……つまりクシャナとフェストラを求めるように、手を伸ばし突撃を開始。
振り込まれた拳に、フェストラは武器を構える余裕も無く頬を捉えられ、強く地面へと叩きつけられると、クシャナがマジカリング・デバイスを取り出しながら、レガリアスの変貌したアシッド体に跳び蹴りを叩き込み、距離を置いた。
「フェストラ!」
「っ、大丈夫だ」
口元についた血を拭いながら、フェストラが立ち上がる。
マジカリング・デバイスを取り出すクシャナと横並びで金色の剣を構えると……ラウラがパチンと指を鳴らし、二体のアシッドを止めた。
そしてゆっくりと歩み寄り、先ほどの攻撃でフェストラが落とした、誓約書二枚を手に取ったラウラは、その紙を破り捨てていく。
「もうサーペストとレガリアスは、まともな人間として生きてはおらん。つまり、この誓約書は無効と言う事だ」
「お前、どこまでも卑怯な事を……っ」
クシャナの表情にも浮かび上がる憤怒、しかしフェストラは、まるでこうなる事を予見していたかの如く、平静な口振りで「構わん」と、風に流されてきた紙の残骸を蹴り付けた。
「アマンナを逃がす時間を稼ぐ事が第一目標だ。そもそもこんな小手先の交渉で、本当にラウラから逃れられる等とは思っていない」
「ほう」
フェストラの言葉に、ラウラも思わず声を漏らす。
「つまりフェストラは、我に逆らうつもりはない、とでもいうのか?」
「いいや。状況が状況だ、お前の下で燻っていても何も成し得ないのならば、行動する他あるまい。ファナ・アルスタッドがお前と敵対してしまったというのなら尚更な」
「この我を裏切るという事だな」
「裏切る? そもそもオレはお前に絶対の忠誠など誓っていない」
どこか吹っ切れた様子のフェストラが述べる言葉には、迷いは感じられない。むしろこれまでクシャナが聞いてきた中でも、最も彼を彼らしく彩る勢いに包まれているような気もする。
「この国の総意とも言うべき我からの離反を宣言する割には、随分と余裕綽々といった様子であるが」
「当たり前だ。お前を出し抜く方法など、イレギュラー込みで既に何通りも想定している。こちらが帝国の夜明けと共闘できるのならば、それ以外の手も幾つか思案できるさ」
「だが、今までそんな素振りを一向に見せる事は無かった」
「それはそうだろう。あくまでお前を出し抜く為には、シックス・ブラッドの面子がポテンシャルを発揮しなければならない。そして、シックス・ブラッドが国盗り合戦に巻き込まれる事を、懐疑的に思っていた事も確かだ」
あくまでシックス・ブラッドの存在意義は「【帝国の夜明け】が有するアシッドへの抑止」であり、ラウラとフェストラ、帝国の夜明けも含めた政治的な側面からの国家変革ではない。
もしそうした戦いにシックス・ブラッドを巻き込む事になれば、国内における安全を保障する事も難しい。
だからこそ、フェストラはこれまでラウラからの離反方法は模索しつつも、それを実行しようとは欠片も思っていなかった、というわけだ。
「ならば何故……貴様は我からの離反を覚悟したと?」
「簡単な事だ。――お前は、オレにとって最も大切な妹を、アマンナを傷つけた」
金色の剣を構え、ラウラに切先を突き付け、声を僅かに荒げるフェストラに、静止を続けるアシッドたちが思わず動こうとするが、しかし今一度指を鳴らしたラウラが、その動きを止める。
「そうだ。お前の統治法は完璧だ。オレと言う存在が王にならずとも、お前が恒久たる平和を勝ち取り、民に安寧がもたらされるのならば、オレはお前の右腕として尽くすのが正しい在り方だろうと考えた」
「その恒久たる平和や安寧という、尊ぶべき未来の在り方を、たった一人の妹を守る為だけに覆すと?」
「ああ。【王】であるよりも前に【兄】であるオレにとって、妹を傷つけようとする者を許しておけるはずがない。アマンナは、生涯を捧げて守らなければならない、大切な存在だ……!」
彼の決意ともとれる言葉に、ラウラは深く深くため息を溢す。
これまでフェストラに向けていた期待が、全て無駄になったと言わんばかりの表情に加えて、ラウラは「下らん」と吐き捨てた。
「お前は我と同じく、理想なる国家を作り出す為には如何なる犠牲をも許容する覚悟を持つと期待していたのだがな」
「果たしてそうか? オレにはお前が、そんな大それた王には見えないがな」
クククと笑いながら挑発する様に声を発するフェストラ。その言葉に、ラウラは目を細める。
「何?」
「そもそも貴様以上に自分の願望へ執着する者もいないだろう? 愛する者と繋がり、子供という容を望んだ、三文小説クサいラブストーリーを展開した貴様には――多くの弱点がある」
最後の言葉を述べる時だけ、フェストラの笑みは途絶えた。
そしてその言葉に、ラウラは目を見開き、ワナワナと震えながら、今その杖を力強く地面に叩きつけた。
フェストラが何もない虚空を斬る様に金色の剣を振るうと、ラウラの放出した暴風じみたエネルギーの濁流が斬り裂かれた。
クシャナの身体が僅かに浮くかと思ったが、しかし彼女の手を握るフェストラは、足に杭が刺さっているかの如く、平常を保っている。
「貴様、まさか」
「安心しろ。お前の弱点を今すぐ突ける程、オレは用意周到ではない。――だが、お前の弱点がアルスタッド家の面々にあるという現実は変わらん」
幾多にもお前を失脚させる手はある、と。
フェストラはクシャナの手を強く握りながら、そう宣言する。
「お前が本当に理想なる国家を造り出すに相応しい王ならば、レナ・アルスタッドなど切り捨てろよ。クシャナ・アルスタッド等という不確定要素は排せよ。ファナ・アルスタッドという王足りえる者を排せよ。それが出来ないならば――お前はオレの前に片膝をつく事になるだろう」
「……フェストラを殺せ」
感情を殺した――否、感情に呑まれるからこそ、無情なる言葉がラウラより放たれた。
彼の言葉に合わせ、長く沈黙する事を命じられていたサーペストとレガリアスの二者は、それぞれがフェストラへと突撃を開始。
距離が置かれているわけではない。その差を詰めるには一秒も必要のない時間の中で――クシャナは顎を引きながらフェストラの前に立ち、二者の振るう拳を、彼の代わりに受けた。
「ごぅ――ッ!」
顔面と腹部に受ける、アシッドという脅威の身体能力を持ち得る者達の攻撃が直撃した事で、クシャナの首は骨が折れたかのように痛みを残し、また腹部は内臓まで圧迫されて、口から強く血を吐き出した。
だが、そのクシャナがやられる隙を見計らうように展開したフェストラの空間魔術より射出された刃が、サーペストとレガリアス、二名の頭部に突き刺さり、動きが止まった隙を見計らって、クシャナも距離を置く。





