ヴァルキュリア・ファ・リスタバリオスという女-02
「私の場合は、例外的に食人衝動が薄いと考えてくれていいい」
「お前は今、確かにアシッドと呼ばれる存在のように、脅威の再生能力を見せつけた。……いや、再生能力じゃないな。『死ねない能力』を見せつけた、と言っても良い」
心臓を一突き、そしてそこから刃を抜き、人間であれば死する筈の出血を果たしたというのに、私は未だにケロリとしている。
血が抜けた事による僅かな貧血こそ起こしているが、再生を果たして傷口も血管の修復も終えた心臓が、次々に血液を全身に供給を始めている今の私が、不死と言わずに何と言うか。
「これまでオレとアマンナが、そしてリスタバリオスが遭遇したアシッドもそうだ。アイツらは例え首を刎ねられようが、胴体を真っ二つにされようが、繋ぎ合わせて再生を果たす。何であれば頭を潰したとして、潰れた部位が再生し、結局の所は生きていた。……お前に倒されるまでは」
「フェストラ殿は、何が言いたいのだ?」
「分からないのか、リスタバリオス。……アシッドと呼ばれる存在は、そうした不死能力を持つが故に、常時エネルギー不足の状態となり、栄養価の低い人間の肉さえも補給したいという欲求に駆られているのではないか、という推論だ。そしてオレは……この推論が概ね正しいのではないかと読んでいる」
読みが鋭い。思考が早い。
フェストラという男は、学生の身でありながら様々な国政にも参加する行動派だ。
今まで学生の身分を用いて、子供たちを相手に問答を繰り返してきた私とは違い、コイツは大人たちに囲まれながら、利益を求める大人たちを出し抜いて、利益を自らの物としてきた男なのだ。
そりゃあ、生半可は筈はない。
「答えろ、庶民。オレはお前がどんな存在であろうと、有能で有用ならば利用する。しかし、もしその存在が民を危険に晒すようであれば、如何に有用だろうと処断する」
コイツは本気だ。必要があれば本気で私を処断する筈だ。
その方法こそ論じねばならないし、私としても処断されたい所ではあるけれど――しかし、今私が処断されてしまえば、アシッドに対する防備を、この世界は整える事が出来なくなる。
「お前の言う通りだよフェストラ。基本的にアシッドが動物性たんぱく質を求める理由は、人間よりも四十八倍も優れる能力、不死性を持つが故に、人間と同じ栄養量では、肉体や思考を維持できないからだ」
「お前はさっき、自分が例外的に食人衝動が薄いと言ったな。例外と言い切れる理由を聞こう」
「簡単な事さ。私は食人衝動よりも自殺願望の方が強いからね。もし私の他に、食人衝動を抑えられるアシッドがいるとすれば、ソイツも食人衝動より強い欲求があるのだと推察できる」
確かに私もアシッドとして、人の肉を喰らう為に強靭な歯と顎を持ち、その骨まで噛み砕ける。
けれど、私はそうして人を食べてまで生きたくない。死にたい。そう考えていれば、食人衝動を抑える事なんか容易だ。
そして人を食べない生活が続いたから――私は今、アシッドの因子が肉体にあろうと、人間と同等程度の力しか出せず、不死性位しか人より優れた部分が無いのだ。
人肉を食べずとも、死ぬ事は無い。ただ力が弱まるだけだ。
それでも、そうした生活を続けていれば――何時か干乾びて死ぬ事が出来るんじゃないか、と淡い希望を抱いてしまっている事も、間違いじゃない。
「……何故最初、私がアシッドと戦いたくなかったか分かるか、フェストラ」
フェストラは知っている筈だ。
初めてこの世界でアシッドと遭遇した時、私はアシッドに自ら喰われようとした。
しかしそれを止め、立ち向かうと決めたのはコイツだった。
そしてそんなフェストラに従い、戦ったのはアマンナちゃんだった。
「アシッドに喰われる事こそ、不死の私が唯一死ぬ事の出来る方法なんだよ。お前とアマンナちゃんが一緒に居なければ、私はあの時、自らアシッドに自分の身体を差し出し、死んでいたよ。……これこそ私が、例外的に食人衝動が薄い理由だ」
理由としては弱いかもしれない。
ここにいる全員――否、本当に自らの命を絶ちたいと考える人間など、そう多くは存在しない。
これまで私は、多くの死を望む者と出会ってきたけれど、その誰もが、心の底から死を望んでいたとは言い難いし、私自身もその気持ちはわかる。
死は確かにあらゆる事柄から解放される為の救済手段ではあるけれど、しかし救済の先には【虚無】が在るだけで、決して心は救わない。
命在る者はそれを本能的に察するからこそ、辛い現実や行き場の無い感情を終わらせる死を時に選びたくなるけれど……より強い感情に動かされ、結局は死を選べない。
もし、何も憂いなく死を選ぶ事が出来る者は――死の先に虚無しかない事を知り、その上で虚無さえも受け入れたいとする者だ。
ガルファレット先生もそうだけれど――人間でその境地に達する事が出来るのは、よほど濃密な人生を歩んできた者くらいだろう。
私は――その濃厚な人生を歩んできた者だと自負している。
だからこそ、私はもう生に執着など無い。
私の生は……生きる価値あるものを救う為のものであり、生きる為に人を喰らう、アシッドとしての在り方は、もう必要ないのだ。
「嘘ではないな」
彼の言葉は、私に対する問いかけではない。自分が納得したという心の整理を口にしただけで、その言葉に対する回答など、フェストラは求めていない。
「納得はしていないが、理解はした。ならより詳細に聞かせてもらう」
頷き、アマンナちゃんが私の血液を採取し、試験管の中に注ぎ終わった事を確認してから、ヴァルキュリアちゃんに視線を向ける。
「大丈夫かい?」
「しょ、正直……ついていく事がやっとである……」
「済まないね。今はフェストラが詳細を知りさえしてくれれば問題はない。ヴァルキュリアちゃんの疑念にも、後でちゃんと答えるから」
頭を撫で、微笑んで見せる。混乱している時は、無理に理解しようとしなくても良いのだよ、と彼女へ言い聞かせるように。
すると彼女も、唇を結びながら顎を引き、聞く態度を見せたから、貧血が治りかかっている私も、フェストラへ向き直った。
「何を聞きたい?」
「お前は先ほど、自分の名を『アカマツ・レイ』と名乗ったな」
「ああ」
「聞いた事の無い名前の並びだ。東洋の方では近しい名前があるようだが」
「それはそうだろうね。何せ私が前世で使っていた名前だから」
「前世?」
私の正体がアシッドだ、と聞いた時よりも驚いた表情のフェストラに、少しおかしな感じがした。コイツは輪廻転生とか、そもそも神という存在すら信仰していなさそうだから、思考から全く存在しなかったのかもしれない。
「私は元々、地球と言う世界で暮らしていく為に必要な名前として、赤松玲と自分で名付けた。もう一つの名である【プロトワン】……試作一号を意味する言葉は、成瀬伊吹……私を、アシッドとして産んだ【神】如き力を持つ男が授けた名前だ」
「前世、神……か、正直オレにはピンと来ない響きだが……そのナルセ・イブキという神が、お前を、そしてアシッドという存在を作り出した、という事か?」
「その通り」
成瀬伊吹という、比喩ではなく本物の神如き力を持つ男がいる。
この男は私たちアシッドよりも強大な不死性を持つが、同時に私と同じく自殺願望を持っていた。
死を望むが死ぬ事の出来ぬ男は、やがて死ぬための方法を多角的な方向性から求め始めた。アシッドも、自らが死ぬ為の方法を捜す為の実験でしかない。
不死性を持つ存在を作り出した時、その者達がどの様にして死へ至るかを観測するために作り出したテストケース……それが【アシッド】だ。
私はその中でも一番最初に作り出された試作品……だからこそ【プロトワン】と名付けられたが、後に彼の元から離反、人間社会で暮らす為に赤松玲という名を名乗り、二十一歳の死亡まで生き抜いた……というわけだ。
「だがまぁ、何の因果か死んだ後、クシャナ・アルスタッドとして生まれ変わってしまった。もう一度死んでやろうとしたけどさぁ……」
「この国には、いや、フレアラス教の十戒には自死が含まれていた」
フレアラス教の教えは旧約が「個々の自由意思を尊重した人間の行動原理」を、新約が「人間社会での規律遵守」が多く提示されているけれど、共通する「フレアラス教十戒」があって、十戒の中には「自死を禁忌とする」という内容が含まれているのだ。
まぁ旧約が「死は救済じゃないから、前を向いていこうね?」という内容だったのに対して、新約が「死ぬより他にやる事あるだろ働け」って意訳になってたのは笑ったけど。神の言葉を意訳し過ぎだと思うな。
「自分から死のうとすると、十戒破りって事でお母さんとか妹に迷惑かかるじゃないか。だから死ねずに困ってた、ってわけ」
「しかし、分からんな。お前の不死性は、そしてアシッドという存在が産まれたのは、お前の前世……そのチキューという世界での出来事なんだろう?」
「そう、私にも分からない所がそこだ。なんで今の私も死ねないのかなぁ?」
「オレが知るか」
あくまで不死性を持っていたのは、アシッドと言う存在があったのは、地球と言う世界……赤松玲という女が、成瀬伊吹という男が存在する世界の筈であり、輪廻転生を果たして別世界で、クシャナ・アルスタッドという別人になった私がどうして不死性を有しているか、何故アシッドがこの世界にも存在しているのか、それは分からない。
もしかしたら私がアシッドだと思い込んでいる奴らは、この世界で産まれた全く別の何かなのかもしれないが……私の知るアシッドとそっくりそのままの存在だから、恐らく同一のものと考えていいだろう。
「だが、正直皆にとって重要な所は、そこじゃないだろう? 如何に私が魅力的でエロい身体付きのお姉さんだったとして、そんな事より人を喰う怪物の方が重要案件の筈だ」
「前者はともかく後者はその通りだよ。もうお前についてはどうでもいい」
マジでコイツ一回ブッ殺してェ~。
「話をアシッドに戻すぞ。アシッドは不死性を持ち、頭部を完全に消滅させる事が出来なければ、死する事は無いとの事だな」
「うん。頭部を完全に消滅させる手段さえあれば、私が処理をしなくとも、アシッドを倒す事は可能だ」
先ほど私は「アシッドに喰われる事が唯一死ぬ方法だ」と言ったが、現実味の無い方法ならまだ一応ある。
例えば一瞬で私の肉体が完全に消滅するような熱量……それこそマグマとかマントルとか核の炎によって、再生が間に合う暇も無く焼かれるという手段だったりは存在する。
ただ生前……赤松玲だった時はマグマに入ろうとすると日本社会じゃ難しかったし、核なんか以ての外だった。
アシッドに喰われる事も、あんまり痛いのヤだし好んで「ひゃっほう喰われるぜー!」という気分にはなれなかったし、そもそも私の自殺願望が湧き出た時には、既に私以外のアシッドは全て居なくなっていたしね。