王たる者-06
人混みの中を抜け、人通りの少ない低所得者層地区へと入っていくメリー。
彼の背を追いかけながら、クシャナは周りの光景に見覚えがあり「家の近くだ」と呟くが、しかしメリーが「ここは通り道でしかない」と口にした。
「通り道? けどこの先は」
「壁がある――そうだろう?」
グロリア帝国首都・シュメルは、首都防衛上の観点から首都を高い壁が囲んだ造りとなっている。首都外への出入りには厳重な審査が行われ、また壁の外や中から出入りがなされないように警備も多く存在する筈だ。
実際、何十分と歩んでいった先の開けた土地にそびえ立つ壁が目に映り、クシャナは数十メートルにも及ぶ高い壁の姿に圧倒される。
「【帝国の夜明け】を支援する団体は、主に十二団体存在する。その内の一つには、帝国警備隊に強い影響力を持つ組織もあり、我々の活動を支援してくれている」
壁の警備に携わるのは、帝国警備隊壁面警備部と呼ばれる部署だが、この部署は【帝国の夜明け】構成員達により固められている。
その為、配備書を確認しただけでは分からない、外壁警備の穴が在るという。
実際、メリーと共に外壁の近くへと向かっていった先、帝国警備隊の人間と思しき人間は一人もおらず……メリーは薄茶色の外壁に触れて強く押すと、外壁の一部が隠し扉のように回転し、ゴゴゴゴ……と音を立てながら動き出した。
隠し扉の向こう側は、木々が伸びて日の光が差し込まない緑生が濃い一帯。
メリーと共に隠し扉の向こう側へと抜けていき、しばし森の中を歩いていると……古びたコンクリート造りの建物が森の中に一軒だけ建てられていて、その二階へと上がる出入口の階段を、メリーが先に昇っていく。
「ここが、アジト……?」
「内の一つだ。ここ以外にも幾つかあってね。状況に応じてアジトを使い分けている」
重い鉄製の扉が音を立てて開かれると、中の部屋には既に灯りが点けられていて、部屋の隅で一人の少女を抱き抱えながらナイフを一本掴み、こちらを警戒する様に殺気を放つ、女性がいる事に気付く。
「私だよ、ルト。……やはり、居たね」
「……兄さん」
両手を上げ、交戦意思が無い事を伝えるメリーと、彼の姿勢にナイフを降ろしたルト・クオン・ハングダム。
彼女の腕に抱かれているのは……
「ファナっ!」
「お姉ちゃん……っ」
自分を守っていたルトの腕から離れ、姉であるクシャナの胸に抱きついた少女……ファナ・アルスタッドの小さな体を抱き寄せたクシャナは、彼女が無事であることを喜ぶと同時に、こんな所に何故ファナがいるのか、それを驚くしか出来ずにいる。
「何が、どうして……?」
「君がファナ君と別れた後に彼女の周囲を偵察していた所、ルト以外にファナ君と接触を仕掛けた一人の女性がいる所を見てね。どうやら高位の魔術師であるようだったが、状況から察するにラウラの手の者と見るのが妥当と判断したんだよ」
帝国の夜明けアジトの一室、その隅に用意されていた椅子に腰かけたメリーは、小さな瓶から三つほど錠剤を取り出して、その錠剤を口に含んだ後、水を用いる事無く噛み砕いて服用した。
「そこからラウラ王の企みについて、ルトもファナ君も聞くと予想を立てた私は、ルトがファナ君を連れて逃亡を図ると考えた」
「ルトさんが……?」
「ラウラ王のやり方は、理想がどう在れ『クシャナ君やファナ君という子供の命を利用する』方法だ。故に、ルトであればそんなラウラ王の在り方に納得できる筈も無いと考えたわけだよ」
「……兄さんにそこまで見破られるなんて、思ってもみなかったわ」
「何だかんだ、私はルトの兄であるからね」
とは言っても、メリーもルトが必ずこう動くとは考えていなかったらしい。
ルトも模範的な帝国軍人というわけではないが、自分一人の考えでグロリア帝国という存在を敵に回す程、愚かしい女性ではない。
となれば「諦める」事に慣れた大人の一人として、意に沿わないながらもラウラのやり方に理屈付けて納得をし、彼の下に居続ける事も考えられる
――否、恐らくルト一人であれば必ずそうなっただろう。
しかし、そこで不確定要素となり得たのが、ファナ・アルスタッドという存在だ。
「もしかして、ファナ……全部、聞いたの? ラウラ王から」
「……うん。お父さんと、会ってきた」
クシャナの胸で涙を流しながら、頷いたファナ。
彼女は涙を押さえようとしても押さえられずにいて、クシャナが潰してしまわないように、それでも力を込めて抱きしめる。
「ルト、一つ聞きたい。あのファナ君を連れて行った女性は、何者だ? 帝国魔術師について、ある程度情報を集めていた筈の私も、見た事の無い女性だった」
「それはそうでしょうね。何せあの人は、既に故人である筈の、シガレット・ミュ・タース様なのだから」
シガレット・ミュ・タース。その名を聞いて、クシャナとメリーは目を大きく開いた。
「シガレット、って……確かガルファレット先生が元々仕えていた帝国魔術師の女性だろう? お婆ちゃんで、もう亡くなっている筈じゃ」
「恐らくだが、擬似的な魂と肉体を結びつかせる形で蘇らせた【蘇生魔術】、という所だね。ラウラ王の記録にも、蘇生魔術に関する研究は記されていた。確かに技術的には不可能じゃないのかもしれない」
「死者を蘇らせるなんて、トンデモ技術じゃないか。そんな奴相手に、私たち小市民が出来る事なんて」
「本来ならその通りさ。だが、神秘に近付けば近付く程に、魔術というのは使役が困難となる。蘇らせた後の維持をする必要もある。人を際限なく蘇らせる事など、出来る筈も無い。――ラウラ王が持つ手の内も、そろそろ出し切っていると見た」
何があった、と直接ルトに尋ねるメリーの言葉に、ルトはファナへ視線を向けると、彼女はまだ涙を流しながらも、クシャナにギュッと抱きつきながら、小さく頷いた。
ラウラの野望は【永遠なる王】となる事。
そして、クシャナはその計画を実行するために必要な存在として、この世にもたらされた。
ルトが語っていく言葉は、クシャナにとって既に知り得ている事がほとんどだ。
だが彼女の中にある因子を研究し、帝国の夜明けという組織を立ち上げ、その対処をさせられるクシャナという姉に、ファナは強く怒ったという。
何を以て怒ったか、その事実を知った時には、抱き寄せる小さな身体が、大きく思える程の勘当を覚え、思わず抱きしめる腕に力を込めてしまった。
「――私はファナちゃんの言葉に、納得しか出来なかった。大人ぶって『それは子供の考えだ』という事が出来ず、子供を愛するレナさんの想いにも理解しか出来ない。反面、ラウラ王の野望には、納得は出来ても、理解が出来なかった。だから、私はファナちゃんを守りたいと願ったの」
「だがラウラ王は、そんな離反を許す筈も無い。故にシュメル内では追っ手が来る可能性を考慮し――私たちのアジトに逃げ込んだ、という事だね」
フ――とため息にも近い安堵の息を吐いたメリーが、深く椅子に腰を落ち着ける。
考えはしていても、この状況になると確信を以て言えなかったが故に、上手く行った事にホッとしているという様子だ。
「後は――残るシックス・ブラッドの面々だけだ。ドナリアやアスハが、上手く動いてくれれば良いんだが」
「……何を企んでいるんだ、お前」
「何、ラウラ王の性格はある程度熟知しているつもりだからね。――権力者だが、他者を根底から信用せず、能力や数だけで人を見る事の愚かさを知らない、政治家タイプの人間には読めない状況を、あえて作り出している、という事さ」
メリーの瞳、それは実際の瞳とは違う可能性もあるが、その奥底で爛々と輝いているよう、クシャナには映った。
「ここまでは計算通り、かつ運頼りの部分も上手く行った。だが反してこれからは、どう動くか私にも予想を付ける事が出来ない。……鍵は、ドナリアとフェストラ様にあるからね。あの二人の動きは、流石に私も行動を予測できないのが辛いね」
彼が何を言っているのか、クシャナにもファナにも、ルトにも理解が出来ない。
しかしメリーは気にする事無く、三人に椅子へ腰かけるよう、手で指示をした。
「これからの話をしよう。ラウラ王への反旗は、言ってしまえば国家への背信行為だ。どんな悪逆で、どんな大義名分をかざして彼を討ったとしても、その事実は変わらない」
「だからフェストラは、シックス・ブラッドって組織を解散させたんだろ? ……私達をこれ以上、巻き込まない為に」
「そうだね。だがラウラ王には弱点が存在する。――アルスタッド家の三人と、フェストラ様だ」
ラウラの野望はあくまで【永遠なる王】としてこの世に君臨する事であるが、彼にはもう一つだけ、願望がある。
それは「彼が愛したレナ・アルスタッドという女性の幸せ」だ。
「レナ・アルスタッドさんを幸せなまま生かす為には、どんな状況においても、彼女が娘として愛するクシャナ君とファナ君の、社会的生存が必要となる。例えばクシャナ君が犯罪者として立件されれば、レナさんは心に大きな傷を作り、二度とその傷を癒す事は出来なくなる」
結果として、クシャナやファナによる反旗は全て、無かった事として扱われる。彼がそのように情報を操作するという事だ。
対ラウラという意味合いにおいて、クシャナとファナはこれ以上にない程に最適な人物でもある、という事だ。





