王たる者-05
ピクピクと青筋を立てるラウラ。彼の表情を見据え、ルトはすぐさまこの場から撤退する事を考えるが――しかし帝国城は彼の手中、となればファナを連れたまま撤退も難しいだろう。
どうするか――そう思考した瞬間、シガレットが立ち上がり、足に履いたヒールをカツンと打ち付けるようにして、撒き散らした暴風が、ルトやファナを襲った。
「きゃ……っ」
「っ、!」
ファナの身体は床に転び、そんなファナを支えながらも、ルトは自分の身体が吹き飛ばぬよう、姿勢を正す。
――やはり彼女も敵になるか、と。
ルトが冷や汗を流すが……しかしそこで、バリン、と耳に響く音と共に、細やかなガラス片が上から降り注いでくる光景が目に入った。
「まさか」
ルトがシガレットに問うよりも前に、身体は動いていた。
ファナの身体を抱え上げ、懐から取り出すのは伸縮性の強いワイヤー。
勢いをつけながら天に向けて高くワイヤーを放り投げると――先ほどシガレットの攻撃によって割れたステンドグラス造りの天井より向こう側へとワイヤーは届き、また天井に重しが引っかかった。
だが、それを昇る事を許さぬと言わんばかりに、ラウラが杖を強く握り横薙ぎすると、放出されたエネルギー弾のような物が刃状に形成され、ワイヤーに向けられた。
しかし……それを防ぐのもまた、シガレットである。
放たれたエネルギー弾と同等のマナを投与しながら触れ、魔術相殺によってかき消す事に成功したシガレットが、ガルファレットの胸部に人差し指を向け、拳銃のような形にすると「バン」と言葉を発しながら、指を僅かに上ずらせる。
瞬間、先ほどラウラが放ったよりも高出力なエネルギー弾が、指先から疾くラウラの腹部へと向けて放出された。それに反応する事も出来ずに叩きつけられ、彼は呻き声をあげながら、地面を何度も転がる他に、衝撃を緩和させる方法を持たなかった。
チラリと、ファナの方を見据えるシガレットに。
ルトは頭を下げながら、地面を強く蹴り付け、伸ばされたワイヤーを伝うようにして、天井から帝国城の外へと出る。
「ファナちゃん、口を閉じててッ!」
「へ、へあああああ――ッ!!」
「口を閉じてってば!」
数十メートル以上ある帝国城の天井より飛び上がり、高く舞い上がったルト。
彼女の行方を目で追いかけられた者は、少なくともいないだろう。
ラウラは身体全体が軋むように痛む感覚に苛まれながらも、シガレットから与えられたダメージを新種のアシッド因子が持つ力を用いて再生をしながら、声をあげる。
「シガレット様……何を……!」
「言ったでしょう? ラウラ君の掲げる理想は、私なんてお婆ちゃんには理解できないって」
「敵になると言うのか……!?」
「気に食わない事をこれでチャラにしてあげるってだけよ。これからは、ラウラ君の望むように動いてあげるわ」
「我が計画にファナの力が必要である事は、貴女が一番理解できている事でしょうに……!」
「それは分かってるけれどね、理解できない貴方の願いにただ協力するなんて、納得できないんだもの。あまりにワンマンショーになるのも、あの子達が可哀想。お婆ちゃんになると、若い子達をどうしても応援したくなっちゃうのよ」
もし納得できないのなら――シガレットはそう言わんばかりに姿勢を正し、ラウラを強く睨みつける。
足を僅かに開き、両手を何時でも動かせるようにしておく。それだけが、シガレットにとっての戦闘態勢。
年老い、車いすに座るしか出来なかった彼女とは異なり、最盛期の魂と肉体を持つ今の彼女は、自由に四肢を扱える。
であるのに、魔術回路や短縮詠唱についての知識は年老いた彼女と同等のレベルを誇る。
魔術回路の質も、魔術の冴えも、身体機能も優れた今のシガレットは……第七世代魔術回路を持つラウラであっても、強大な敵として映る。
ため息交じりにラウラが杖を降ろすと、シガレットは若干不満げに「止めちゃうの?」と煽る。
「貴女の性格を理解しながらも、蘇らせたのは我の判断だ。故に、以降は我の望み通りに動くと言うのならば良しと判断したまでの事」
「あらそう。今の貴方とどの程度張り合えるか、知っておきたかったのだけれど。若い身体って駄目ね、どうしても荒っぽくなっちゃうわ」
「その代わり、貴女は今後エンドラスに代わり、レナ君の護衛を命じます。ファナもクシャナ君も、シックス・ブラッドの誰も近づけぬよう。命令を遂行できぬ時は」
「蘇った私の命もそこまで、って事ね」
ハイハイ、と応じながら、シガレットは王の間から退室する為に歩き出す。
しかしそこで、丁度警備の人間達の横を通り抜け、王の間へと訪れようとしていたエンドラスとすれ違い……二人が足を止める。
「レナちゃんの護衛、私が受け持つ事になったから。お婆ちゃんに任せて頂戴な」
「お願いいたします」
「ようやく手空きになれたわね。貴方の願い……いえ、ガリアちゃんの願いを、ヴァルキュリアちゃんに教えてあげた方が良いんじゃないのかしら」
「教えた所で、あの娘が認める筈も無い」
「エンドラス君も、ラウラ君と同じね」
「……何ですと?」
「他者を勝手に見定めて、自分以外の存在を勝手に印象付ける。結果として他者がどういう判断を下すか、それを想像の中だけで完結させ、決して言葉を交わそうとしないから――すれ違う」
言葉の通り、すれ違い様にする言葉のやり取り。それを終わらせたと言わんばかりに、シガレットは出入口より抜けてどこかへと去っていく。
その後ろ姿だけを見届けた後、エンドラスは王の間へと抜けた所で――王座に腰掛け直し、腹部を押さえたラウラに、膝をついて頭を下げた。
「エンドラス・リスタバリオス、参りました」
「可及的速やかな対処が必要な要件である」
そうとまで断言するラウラは非常に珍しい。普段の彼は、そうした状況にならぬように幾重にも手段を講じている筈だ。
その結果として、速やかな対処が必要であるのか、彼が想定していなかった事態によって対処が必要であるのか、それは分からなかったが、内容はすぐに理解できた。
「ルトが離反した。加え、彼女に教育を施されたアマンナ・シュレンツ・フォルディアスの有する諜報能力も厄介だ。速やかに二人を見つけ出せ。捕縛が困難となれば、殺しても構わん」
彼の口から放たれたのは、意外な内容であった。
ルトの離反を想定していなかったのだろうかという疑問と、アマンナ・シュレンツ・フォルディアスの捕縛・殺害にまで事が及ぶとは思わなかったという驚きもある。
確かに先日、エンドラスもアマンナの殺害を試みたが、しかしそれはフェストラに対する牽制を意味しての事だ。この状況において、アマンナの殺害に踏み切る理由は大きくないように思えるが……しかし、命令であれば遂行する存在こそが、自分である。
「御意に」
「もう少しだ、もう少しで我が願いは成就される。君の……ガリアの望みも叶える事が出来るだろう」
耳さわりの良い言葉、しかしエンドラスはその通りだと心の中で疑念をかき消す。
ラウラが何を望み、どんな世界を果たそうとしていても構わない。
それがこの国の亡国であろうと、崩壊であろうと、世界を破壊する事であろうと構わない。
ただ――妻・ガリアの願いを成就させる事が出来る唯一の存在が、ラウラであるというだけの事。
立ち上がり、頭を下げながら退室を果たそうとするエンドラス。
彼の足に淀みは無い。
ただまっすぐ、ラウラからの勅命を果たす為に歩き出し、進んでいく彼は……しかし誰の目から見ても抑えきれない殺気を放っているように思えた。
**
クシャナ・アルスタッドは、メリー・カオン・ハングダムの背中を追いかけたまま、自分がどこに連れていかれるのかを模索する様に周囲の警戒を怠らず行っていた。
「首都・シュメルの基本的地理は頭に入れてあるだろうか」
「……とりあえず、地図は頭の中にあるつもりだけど」
声を発した彼に返すと、メリーは「結構」と口にしながら、ポケットの中より一つの折り畳み式携帯電話……所謂ガラケーと呼ばれる種類の、日本製携帯を取り出し、それを後ろを歩むクシャナへと投げる。
携帯電話の裏面、バッテリーカバーの表面にP、という型番が刻まれている事から、開発は恐らく日本の大企業に名を連ねる、あの通信工業だろうとは、クシャナにも想像がつく。
「……コレ、携帯?」
「ああ。二千二年頃となると私も知識の上でしか知らないけれど、折り畳み式ケータイや写メの普及が成された時期だろうから、分かると思う」
「でも、なんでコレを? この世界じゃ通話やiモードも使えないだろ?」
「iモードか、懐かしい。けどそれはあくまで、この世界における魔導機に改造した通信機器でね。ガワの性能だけで見れば、どんな魔導機よりも頑丈だから採用しただけさ」
防水防塵耐衝撃の機能を兼ね備えた日本企業の有する無駄に強靭性を重視するモデルの一つさ、と口にするメリーに、クシャナはたかだか連絡手段の一つである筈の携帯電話にそこまでの堅牢性を与える等考えが及ばず「今の日本ってどうなってるんだ?」と問いかけたが、答えは帰ってこなかった。
「通信可能範囲は首都内全域。基地局を各所に設置してあるから、PHSよりは安定性を保証しよう。今後は連絡用として持っていて欲しい」
「それより今から私をどこに連れていくのかを説明してほしいんだけど」
「私たちが用いるアジトだよ。現状からの推察だから恐らくだけど……彼女達がそこにいる筈だ」





