王たる者-04
噛みしめるように言い放つラウラ。彼はルトが机に置く茶を飲みながら「どこから話せばいいか」と整理しながらも……語り始める。
彼が、レナ・アルスタッドとの間に愛情があり、彼女との子を望んだが、しかし自分が閉塞性無精子症となってしまった事が要因で、子が望めなかった事。
だからこそ、レナの有する卵子情報のみで子を作る技術を用い、クシャナ・アルスタッドという娘が産まれた結果、彼女が多くの病に犯され、幾度となく命の危機に直面した事。
幼いクシャナを救う為の研究によって転生魔術を編み出し、実験としてドナリア、メリー、アスハの三人を用いた後、地球で暮らしていた赤松玲の特性と魂を、幼いクシャナへと移植する事で彼女をハイ・アシッドとし、生き長らえさせた事。
そして……クシャナが有しているアシッド因子を研究し、新種のアシッド因子という存在を作り出した上で、自分の遺伝子だけを基に作り出したクローニング体であるファナ・アルスタッドの受精卵に予め投じ、彼女を造り出した事。
「……新種の、アシッド因子……?」
「簡単に言えば、クシャナ君が有するような食人衝動に犯される事無く、再生能力だけを有したアシッド。つまり、擬似的な不死を体現した存在……それが君なのだよ」
自分の胸に触れ、口を開いたまま呆然とするファナ。
そんな彼女の肩にルトが触れると、ファナはビクリと震えながら、息継ぎをした。
「……どうだね。君にとっても辛い事実が多いだろう? レナ君は君の事を『ラウラの遺伝子を用いて生まれた子である』以上の事は知らぬだろうが、クシャナ君が伝えようとしなかった理由は、何となく理解できるものと思う」
ラウラが事実を語る時、シガレットはただ耳を傾けたまま、ルトの淹れた茶を飲むだけだったが……しかし表情に笑みは無かった。
ただ、ファナの顔を見て、彼女がどれだけ表情を変化させるかを見ていたが……しかし、ファナは確かに驚愕こそしていたが、あまりの事実に居ても立っても居られない、というような表情ではなかった。
――むしろ、今の話を統括した上で、どこか腑に落ちない点を見つけたかのように、ラウラへと問いかけた。
「……なんで、お姉ちゃんのアシッド因子を、研究したの……?」
「この国の再生を図る為に、アシッド因子という力が必要だったからだ」
「帝国の夜明けが持ってるアシッド・ギアっていうのは、まさかお父さんが……?」
「そうだ。彼らにアシッド因子を埋め込んだ事も、彼らにアシッド・ギアという技術を横流ししたのも我だ」
「どうして、どうしてそんな事を……?」
「帝国の夜明けという組織が、反政府勢力の不満を取りまとめる受け皿として最適であるからだ。その為に必要最低限の技術として、アシッド・ギアを授けた。それだけの事だ」
「っ……!」
彼の言葉を聞き続け、しかしそこでファナの我慢が限界を迎えたように――彼女は勢いよく立ち上がり、その小さく柔らかな手を握り締めた上で、ラウラの顔面に向けて、彼女なりの全力を以て、鼻っ面を捉えた。
ゴッ、と重たい音が、広々とした空間に響いた。
ラウラはファナの全力を以て振り込まれた拳を受けたが、表情一つ変える事無く、ただファナを見据えている。
「いっ……たぁ……っ」
むしろ……ファナは今まで人を殴った経験も無く、鼻の骨とぶつかった中指が痛いと押さえ、涙を流す。
それでも、ファナは強く、ラウラを睨みつけた。
「……ふざけないでよ。それじゃ、お姉ちゃんは今まで、お父さんのせいで戦ってたの……!?」
「あの子に生きる目的を与える為でもあった」
「それを誰が望んだの!? 少なくともアタシは望んでない、お母さんだって望んでないに決まってる! ――お姉ちゃんは、お姉ちゃんは戦いなんて嫌いで、でも戦わなきゃアタシたちを守れないから戦ったって、そう言ってたッ!!」
ルトはこの時初めて、ファナが本当に怒る光景を目にした。
彼女は感情表現に富んだ女の子だ。故に、クシャナのいい加減な態度に怒るファナは見た事もある。
しかし……ここまで激昂し、他者へ本気で手をあげる光景は、一度たりとも見た事は無い。
彼女は、それだけ他者を殴ると言う痛みを、根本的に理解している筈だ。
だがそれでも――彼女はラウラという男の事を、本気で許せないと感じたのだろう。
自分の生み出された理由では無く「戦いが嫌いなお姉ちゃんを戦いに誘った」という理由で。
「アシッドにされちゃった人は、皆お姉ちゃんが倒した……ううん、殺したんでしょ!? それを、お父さんが仕組んだせいでさせられてたのなら、アタシは絶対、絶対お父さんを許さない……っ!」
「理解してほしいとは思わぬ。しかし、レナ君の幸せを望んだからこそ、我はクシャナ君にそう在れと願った」
「願い? 耳触りの良い言葉を使わないでよ。お姉ちゃんがそう動くって分かっててやったなら、強制じゃんか。お母さんにとっての幸せを勝手に決めつけて、お姉ちゃんに全部背負わせてるだけだ――ッ!!」
叫び疲れたのか、荒れた息を整えるファナ。彼女はやがて、全てを諦めたように振り返り、来た道を戻ろうとして、歩き出す。
「今の話を聞いて、どこに行くと言うのだ?」
「お母さんに全部伝える。お父さんがお姉ちゃんをどうしたかったのか、アタシがどうやって産まれたのか」
「やめろ」
初めて、ラウラの声が僅かに上ずったように、ファナは感じた。
振り返り、ラウラの方を見据えると、彼は立ち上がって眼力を強め、ファナを見据えている。
「レナ君は何も知らぬ。何も知らぬからこそ、幸せでいられる。ファナよ、お前は彼女の不幸を望むと言うのか?」
「違う。アタシはともかく、お姉ちゃんは確かにお母さんの子だ。だから、お姉ちゃんに何が起こってるのか、それをお母さんは知る義務がある」
「義務……?」
「お母さん、言ってた。お姉ちゃんの事を絶対に幸せにするって」
それは、ファナがふと尋ねた「お父さんってどんな人?」という問いに対する答えの中で出た、レナの決意。
かつて幼いクシャナが幾度も死にかけた時、クシャナの手を握りながら、彼女の生を望んだ時にした決意。
――『もしこの子がちゃんと、人としての生を歩めるようになったなら、私はこの子の事を絶対に幸せにする。母として娘に全てを捧げ、この子が「生きていてよかった」と思える人生にさせてあげたいって』
そう語ったレナは――瞳に涙を浮かべ、しかし今のクシャナが元気でいる事を尊ぶ、一人の母親であった。
そんなレナには、母親であるレナには……クシャナの苦しみを理解する義務があると、ファナは断言する。
「お母さんはそう願ったんだ。ならアタシは、お母さんに伝えなきゃいけない。『お姉ちゃんはお父さんのせいで、今まで戦いを強いられて、心を傷つけさせていたんだよ』って。お母さんの誓いを果たさせる為に、アタシはお母さんに全部を打ち明ける……!」
「止めろと言った――ッ!!」
大声を上げ、殺気が放たれる。
全身を凍えさせるような冷たい空気が一帯に蔓延って、ファナだけでなくルトでさえ、思わず身体を竦ませる。
……しかし、それでも。
ファナは、殺気に恐怖を感じながらも……しかし目だけは、ラウラを睨み続けている。
「一体、レナ君に真実を伝える事に、何の意味がある。それに今やシックス・ブラッドも役目を終え、クシャナ君も戦いから解放された。もう彼女が戦う必要は」
「……戦うよ。お姉ちゃんは戦う」
ルトは困惑するしかない。
数々の戦いを経験していたルトでさえ、身体を竦ませる程の殺気を放つラウラに、ファナは一切身を引かない。
むしろファナは……ラウラよりも強い決意を言葉にするかの如く、口を開く度に、ルトの心を震わせる。
――まるでルトにとっての【王】が、ラウラではなくファナであるかのよう。
「アタシ、お父さんなんて大っ嫌い。お父さんがいたら、お姉ちゃんもお母さんも幸せにならない。だから、アタシはお父さんと戦う」
「……戦うだと? お前に何が出来る」
「何も出来ないかもしれない。でも、お父さんが間違ってるっていうのは分かる。だからアタシはお父さんに対して『間違ってる』って言い続ける。それが、アタシにとっての戦いだ」
「それは戦いなどと言わん。それに、そんな無為な戦いをした所で、誰も幸せになどなれぬのだぞ」
「少なくともお姉ちゃんの傍にいて、お姉ちゃんの幸せを望み続ける事は出来る。お母さんもきっとそうする筈だ。だってお姉ちゃんもお母さんもアタシも、皆家族が大好きだもん。――今のお父さんを、そんな家族の輪に入れてやらない。入れてやるもんかっ!」
「ファナ――ッ!」
手に握る杖の先端を、強く地面に打ち付けたラウラ。
瞬間、打ち付けた杖を中心として、強い斥力場のようなエネルギーの波がファナへと襲い掛かろうとしていたが――
しかし、ファナの身体を抱き寄せ、その場から飛び退いた者がいる。
ルト・クオン・ハングダムだ。
ファナを抱き寄せた身体を床に転がし、勢いを保ったまま立ち上がったルトは、自分の背中にファナを隠し、汗を流した。
「ルト。貴様、どういうつもりだ?」
「……失礼。ファナちゃんを御守りするのが、ご命令でしたので」
命じられし者として、ルトはファナの命を守る事をラウラに命じられていた。
故にファナを守る為に行動した事は過ちで無いと考えているし――そうでなくとも、ルトは動いたのだろうと、自分の心に想いを宿す。
「私もファナちゃんに賛同いたします」
「……なんだと?」
「母親にとって、子供と言う存在は自分の命よりも大切なモノ。故に、レナさんには真実を知る義務が確かにあるのです。子供が苦しんでいる時に、誰よりも連れ添ってあげたいと願い、その為に生きる【母】なら、彼女もそう願う筈」
「我と同じ子を産めぬ存在が、生意気を言うでない……!」
「自分のお腹で子は産めずとも、育める。そして私は、自分で子を産めぬからこそ、母や子という存在を尊びたいのよ……!」





