王たる者-01
ラウラ・ファスト・グロリアと、ドナリア・ファスト・グロリアの間に、多く会話があった記憶はない。
ラウラは弟のグロリアに対し、多く言葉をかける事は無く。
ドナリアもまた兄のラウラに対し、必要以上に声をかける事は無かった。
というのも、そもそも教育や思想に格差があったから、という面はあっただろう。
ドナリアは上手く理解できていなかったが、ラウラとドナリアの二人共通に、幼い頃から学ばせていたものは基礎学力だけであり、それ以降の学びについてはラウラが聖ファスト学院での学び以外に地政学や帝王学、国際社会学と呼ばれる広い視野を学んでいた事と異なり、ドナリアは聖ファスト学院での学びのみとなった。(ドナリアが帝国軍人を志望していた事も理由ではあるが)
故に兄弟という立場であれど、彼らには共通の話題もなければ、互いと顔を合わせる時間もほとんどなかった。
もしすれ違ったとして、二人が会釈をしたかどうか、それは疑問の余地がある。
それだけ、兄弟の間で会話が無く、仲を深める機会も無かった。
二人が長く語らいあったのは、恐らくドナリアが帝国軍人となり、エンドラスと共に【汎用兵士育成計画】の推進を始めた頃、おおよそ二十代前半程度の頃であろう。
まだラウラの帝国騎士としてエンドラスが着任していない頃、まだ二人が実績を残せていなかった時代だ。
ラウラにアポイントメントを取り、話す時間を取り付けたドナリアは、汎用兵士育成計画に関する概要を記した資料をラウラに提出し、彼もそれを受け取った。
「エンドラスの推進する汎用兵士育成計画は、国防という点においては最良の結果を発揮出来る筈だ。先んじて試験的な導入でも構わない、親父に掛け合ってもらう事は可能か?」
「掛け合う事は可能であるとも。個人的に興味のある題材でもある故な。――しかし、父・バスクがこのような政策を良しとするとは思えんが」
「何故だ? 軍事費用の一部を遺伝子研究に回せる。それはつまり、遺伝子医療にも転用できる技術開発に軍事費用を回す事に他ならない。軍事費用の削減を求める声にもある程度応える事が出来る、好ましい政策に思えるが」
「この国の民がそんな、目先に在らぬ利益を見ると思うのか? であれば、お前は相当世間を知らん。日和見と言われても致し方ない」
今のラウラと昔のラウラで異なる点は、まさに目だ。
昔のラウラは、世界の全てを「見下す」かのような目をしていた。
ギラギラと目を光らせ、その先に理想となる未来を手にするという野望に燃えている。理想となる未来以外はいらぬと言わんばかりに、それ以外を見下す。
だが、ドナリアはそんな兄の目を、それなりに評価していた。
王たる者は、そうした輝きを以て国を従えさせるべきだと。
父・バスクには、そうした輝きが見受けられない。ただ諸外国に良い顔をしようとして、自国に対して苦労を強いる。
それではダメだと、兄・ラウラならば、そんな現在の在り方から脱却を図ってくれると信じるからこそ、彼の言葉を真摯に受け止める。
「いいかドナリア。今、この国に住まう人間の九割以上は、お前の思っている以上に阿呆なのだ」
「そりゃあ、この国の教育システムが行き届いたものだとは思わないが」
「違う、教育の有無などと言う話ではない。もっと根本的な話であり、この国を蝕み続けている元凶とも言えよう――それはあまりに『フレアラス教への信仰』が根付き過ぎてしまった事だ」
ドナリアは表情をしかめる。身に覚えがある限り、ラウラもフレアラス教信仰者であったはずだ。
その信仰者が多い事、社会にフレアラス教が根付く事は、信仰者としては誇らしい事ではないかと考えたが――そこがラウラとドナリアの違いだったのだろう。
「阿呆な者共は、信仰が強ければ強い程、神が自身を救い賜ると信じる。現実に即さぬ考え方であればある程に、神と言う存在を過剰に信じ込み、現実によって打ちのめされる」
「それが、この国の民であるというのか?」
「そうだ。度し難い阿呆の分、動かしやすいという側面は存在する。しかし動かす為には、阿呆にも『利益がある』という目先の餌が必要であり……汎用兵士育成計画には、その餌が無い」
これまでのグロリア帝国という国における王政は、ある意味で圧政を敷く事により、ラウラの語る「阿呆」に発言権を与えぬ事が重要として、国家の統一性が図られてきた。
しかし、その統一性を壊してしまったのは……何の因果か、二人の父親であるバスクの締結してしまった軍縮条約、加えて国際社会への参加である。
「この国が歪な形となったという、エンドラスやお前の言葉も正しくはあるだろう。王が国の在り方を定める王政国家にも関わらず、国際社会に根付いた自由主義を無意味に取り入れた結果、国民は自らの利益を求める声を簡単に掲げられるようになった」
「つまり兄貴は……厳粛なる王政国家の在り方を求めている、という事でいいのか?」
「端的な言葉に直せばそうだ。勿論、諸外国との無益な争いを望んでいるわけではない。しかし、国家に必要なモノは無秩序なる自由ではない。秩序ある不自由だ。これを国民に根付かせる事が出来るまで、汎用兵士育成計画という目先の利益が無いものを、阿呆どもが認める筈も無い」
ドナリアは、自分がラウラの言葉がどれだけ理解できているのか、それをしっかりと判断できたわけではない。
しかし、ラウラの言葉に、嘘偽りがあるかどうか、その真意が本当のものなのか、それを見極める目はあるつもりだった。
故に……彼は兄を信じる事にした。
「何時かは、認めてくれるんだな?」
「さて、時とは移ろいゆくモノ。エンドラスの提唱が何時まで現実に即したものであるかも分からぬ中、確実とは言えんが、父への提言は約束しよう」
「ありがとう。俺は、兄貴のような頭の良い身内がいる事を嬉しく思う」
ラウラの自室で行われた提言を終わらせ、退室しようとしたドナリアに……ラウラはため息交じりの声を漏らす。
「お前は、もう少し人を疑え。我の言葉がどれだけ事実であるか、それを確信なく信用するなど、それこそ阿呆のする事だぞ」
「俺には、良く分からないんだ。そこまで人って悪性に充ちたモンか? 誰だって心に善性を持ってて、それを信じて進む事が出来る存在だろう?」
「分かってない。人にとっての善悪基準等、時代によって移ろいゆく。故に善悪で判断をするな。それが出来ぬからこそ――人々は愚かさに包れた生命となるのだ」
「……ごめん、兄貴。やっぱり、俺にはよく分からない」
ドナリアは兄の言葉を理解できない。
ラウラはどうだったのだろうと、今にして彼は考える。
――兄は、弟である俺の言葉を理解した上で否定したのだろうか?
――それとも、言葉を理解していても、言葉の中に含まれる意味を正しく理解してくれず、否定をしたのだろうか?
それが分からぬまま――彼とラウラの間には、大きな溝が出来た。
この溝が埋まる事は、永遠に無いのだろうと、ドナリアは考えている。
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シガレット・ミュ・タースと名乗った女性に手を引かれ、ファナは帝国城にまで戻ってくることとなる。
しかし、彼女が用いるフォルディアス家邸宅を利用した部屋ではなく、以前まで良く使われていた、十王族としてのフェストラが利用する執務室とも違い、帝国王の為に用意された帝国王棟――その出入口は幾数もの警備設備が働いており、また警備達も常に警戒を怠らずにいる。
そんな帝国王棟の出入口、二人の警備達が両手を広げ、美しい金髪の女性に対して「止まりなさい」と警告をする。
「ここからは正式な謁見許可を得ていない者の立ち入りは禁止されている」
「あら、伺ってない? 少し確認をして頂戴な」
シガレットが首を傾げながら、優し気な微笑みを見せる。しかし警備達はその微笑みにほだされる事無く、他の警備に顎で指示をした上で、彼女の取り出した一枚のカードを受け取った。
カードを認証機材にスキャンさせ、印字されるIDを持ったまま確認作業に入る警備達。
シガレットの後ろに隠れたファナは、初めて立ち入る帝国王棟の出入り口をキョロキョロと眺めているだけしか出来なかったが……その時間も短かった。
「確認いたしました。ラウラ様が王の間でお待ちでございます」
「ありがとう。職務に忠実なのは良い事よ」
行きましょう、と力を強めずファナの手を引くシガレット。
そこから先の道は、警備どころか人っ子一人いない長い通路、しかし、歩めば歩むほどに、ファナは何か異質とも思える気配を感じていた。
「ファナちゃんはラウラ君と会うのは初めて?」
「え、あの……はい、その……写真とか、遠目で見た事は、あるんですけど」
「それはそうよね。あの子が理由なく、ファナちゃんとの接触を望むはずもないもの」





