クシャナ・アルスタッドという女-11
私、クシャナ・アルスタッドが翌日に妹のファナと学院へ向かう時、こんな会話をした。
普段ならば何時ものフレアラス様についての可愛いお説教がある時間、ファナは少し気を使うような口振りで、私へ「お姉ちゃん」と言葉をかけてきた。
「剣術学部の五学生、お姉ちゃんの他には残り一人になっちゃったんだって?」
「……うん。アルステラちゃんっていうリーダー格がいたんだけど、この子が新聞にも載ってたクスリをやってて、それを五学年の子達ほぼ全員にやらせてたからね」
アルステラちゃんは五学年の中で最も発言権と権力を持ち得ていた。だから他の子達は、アルステラちゃんに逆らう事が出来なかった。
私への嘲笑、虐めも、どれだけ本気だったか分からない。全てアルステラちゃんがやらせていた事かもしれない。
……まぁ、それはそうだよね。一度だけって言われてクスリやらされて、それをネタに脅されたら、誰だってそうなる。あの子達を責める事は出来ない。
ただ、クスリをやっていた事は事実だ。結果として全員、違法薬物所持及び使用の疑いで書類送検。
勿論、これまで違法では無かった事、違法となった事の広報が遅くなってしまった関係上、逮捕というわけではないが、少なくとも今まで脱法扱いでグレーゾーンだったクスリの使用が学院にまで知られてしまったのだ。
学院としては規律と社会的規範の遵守という意味合いを込めて、クスリを使用していた生徒の退学処分をせざるを得なかった。
「……こんなつもりじゃ、無かったんだけどな」
「? お姉ちゃん、何か言った?」
「今日もファナは可愛いなぁ、抱きしめたいなぁと言ったんだよ」
「んもー! お姉ちゃんは何時もアタシの事を子供扱いし過ぎーっ!」
「だってファナは妹だからね、可愛い妹だからね、可愛い可愛いしたくなるのは、お姉ちゃんの性というものさ」
後ろから頭一つ分小さなファナを抱きしめ、ぷりぷりと怒るファナを堪能する事で、色々と発散する事とする。
そうして学院にまで辿り着き、ファナと別れた後――剣術学部の通用口前で、ヴァルキュリアちゃんがすんごい形相をしながら、私の事見て来た。
「おはよう、ヴァルキュリアちゃん」
「……おはよう、クシャナ殿」
チラリと、彼女が私の首元から胸元辺りにかけて視線を向けて来た。私のナイスバディなおっぱいを見ているわけじゃない。
「良し、今日はりぼんを忘れていないであるな」
「私としても、無意味に校則違反をしたいわけじゃないからね」
彼女の隣を抜け、五階へと向かう階段を昇る中、会話は無い。
恐らくヴァルキュリアちゃんも、色々と聞きたい事がある筈だ。
それでも彼女が今、何も問わないのは――事態の異常性に、彼女も気付いているのだろう。
教室の扉を開け、時間を確認する。
ガルファレット先生が来て授業が始まるまで、十分ほど猶予はある。
私は席に着き……私とヴァルキュリアちゃん以外誰もいない、教室を一望する。
「この教室、こんなに広かったんだね」
「……クシャナ殿のせいではないのである。それに、拙僧も一歩間違えれば、ここには居られなかったのだ」
誰もいない教室の異質さを、彼女も感じ取っていた。
だからこそ――彼女は声を張り上げ、私の据わる机を叩いた。
「何故、あの人喰いの物の怪が、広報に載らないのであるか? 少なくとも、一人は死んでいるのである!」
「一人じゃない。……アイツは、私たちの見た男以外にも喰っている筈さ。自我を有していたから、それなりに栄養を補給していただろうし、それは確実だ」
「一体あの物の怪は何なのだ!? それに、何故拙僧は何も咎められないのだ!? ……拙僧は、罰せられるつもりだった、拙僧の心が弱かったが故に、もう少しであの薬物を口にしそうになったと言うのに……っ!」
一晩経過して、彼女は色んな考えに蝕まれた事だろう。
もう少しで薬物を使用しそうになってしまった己の心を断じたい気持ち。
突然現れた謎の怪物によって目の前で人が殺められた事への困惑。
そして多くの人の命を守る為に、怪物の身体を両断したにも関わらず、再生を果たしたモノへの圧倒的な恐怖。
そして、五学年中の生徒が罰せられたにも関わらず、自分が罰せられない事への不安。
故に彼女は、声を荒げるしかない。
「教えてやれよ、庶民。じゃなきゃ、オレがその女の関与を揉み消した理由が無くなるだろう?」
ドアが開く音は奏でられなかった。
いつの間にか、五学年の教室へと足を踏みいれていた男――フェストラ・フレンツ・フォルディアスの言葉を聞いて、ヴァルキュリアちゃんが目を見開く。
「フェストラ殿……? フェストラ殿は、何か知っているのであるかッ!?」
「知っているも何も、お前があの取引現場にいた事を揉み消したのはオレだからな。……お前には、詰まらん理由で退場してもらっては困る」
広い教室の正面にある教卓、普段はガルファレット先生が立つ場所に彼が腰かけた事で、確かに色々と語れる準備は整った。
……だが、私もフェストラに問わなければならない。
「フェストラ、お前はもしかして今後も彼女を巻き込むつもりか?」
「庶民、お前が昨日言っていた事は正しいが、足りなかった所がある。……オレがこのヴァルキュリア・ファ・リスタバリオスを剣術学部に編入させるよう手をこまねいたのは、何も昨日の為だけじゃない」
舌打ち、立ち上がった私と、フェストラの交互を見据えるヴァルキュリアちゃん。
この三人――否。
今、教室の扉を開け、現れた二人の人間も、今回の事態に関わっている。
アマンナ・シュレンツ・フォルディアスちゃん。
ガルファレット・ミサンガ先生。
二人は教室の中に入ると、ガルファレット先生が一番手前の席に座り込み、視線をフェストラへ向ける。
そしてアマンナちゃんはフェストラの隣に立ち、ヴァルキュリアちゃんを見定めるように、前髪で隠れた瞳をギラつかせた。
「リスタバリオス、お前が昨日遭遇し、戦った怪物はどうやら【アシッド】と呼ばれる存在らしい」
「……アシッド、であるか?」
「ああ。このオレも詳しくは知らん。以前、そこの庶民とアマンナの三人で遭遇した事があり、それ以降、あの存在が何時か国を脅かす可能性があると認識し、対策を取る為に準備を進めていた。だがオレ一人では人手が足りない、故に人を集める事とした」
結果、フェストラは信用できる人間を自分の手元に置く為、準備を進めていたわけだ。
その人間が……私や、アマンナちゃん、ガルファレット先生……そして。
「お前もその一人だ。……魔術学部五学年で最優秀の成績を収め、剣術にも優れるお前の才能を、オレは買っているという事だ。誇るといい」
「……意味が分からぬッ!」
フェストラの自分勝手な物言い、そして尊大な態度が余程頭に来たのか、彼女は机を思い切り殴りつけ、その板一枚を拉げさせた。
「アシッドとは何か、ここにいる者が何故、どのような理由で選ばれたか、フェストラ殿が何を企んでいるのか、全てが有耶無耶にされている気分だ! 拙僧はここにいる誰よりも頭が悪いと自負している故、分かるように説明を要求するのであるッ!!」
「ハハハハッ! やはりお前は面白いよリスタバリオス――良いだろう」
激昂するヴァルキュリアちゃんの事を笑いながら、教卓から降りて彼女の前に立ったフェストラが――私へ指を向ける。
「アシッドについては、オレ達もこれからこの庶民に聞くところだ。……それを聞いてから、色々と話し合おうじゃないか、リスタバリオス」
「望む所である……っ」
視線を私に向ける一同に、ため息をつく。昨日のイザコザで、色々な人たちを巻き込んでしまった自責の念に駆られている私に、酷な事をさせるものだと考えながらも――私は口を開いた。
「アシッドは、とある【神】が作り出した……人肉を主食とした【新人類】だ」
皆、口を開かない。私としても都合が良い。いちいち問いに返していては、時間がどれだけあっても足りないからね。
「アシッドは、人間の肉体に【因子】と呼ばれる細胞核のようなものを埋め込む事によって作り出す事が出来る。その因子は元々の肉体が持つ能力を47.896倍まで引き上げる事が出来る反面――極度に動物性たんぱく質を求めるようになる」
「人肉で無くとも構わないのか?」
フェストラが問う言葉は最もな質問だ。
そもそも、人間の持つ肉は他の動物の肉と比べて、圧倒的に栄養価が低い。故に本来は人間の肉を求める理由は無く、何か代替となる動物性たんぱく質の補給路がある場合、アシッドはそれを狙う筈だという意見でもある。
「一時的に食欲を低下させる手段として、他の肉から動物性たんぱく質を補給しても構わない。だが、一度食欲発作を起こせば、大抵のアシッドは理性を無くし、手当たり次第に辺りの肉を喰おうとする。……人間よりも四十八倍も優れた肉体を持つ、怪物としてね」
そしてこの人間社会で、一番多く肉を有している存在が何か、それを想像できない彼ではない。
「なるほど――人間がひしめく街中で発作を起こしたが最後、辺りの人間も含めた肉が高級食材に見えて襲い始める……というワケか」
「それも、極度に腹を空かせた獣のようにね」
「……何故、クシャナ殿はそのアシッドについて、知っているのであるか……?」
ヴァルキュリアちゃんが問うた言葉に、皆が沈黙する。
私も、コレを説明しなければ……以降の説明を信用してもらう事など出来ないだろう。
「ならば、改めて自己紹介をしよう」
「自己紹介は不要だ。クシャナ殿は、クシャナ・アルスタッド殿であろう?」
「いいや、そうじゃないよ。確かにその名も正しいが――足りない」
懐から、剣術授業で用いているコンバットナイフを取り出して、私は鞘を抜き、その刃を――あばら骨にも当たらぬ角度を計算した上で、心臓に向けて突き立てた。
呆然とするヴァルキュリアちゃん。だけれど、誰も止めなかった。
そして私も、この程度の痛みには慣れているし、死にはしない。
……まぁ、痛いものは痛いし、口から出る血が酷く不快なのだけれど。
「私は、赤松玲……またの名を【プロトワン】……人類を越えた新人類【アシッド】の実験体として……神に作り出された存在。
つまり私も……アシッドというわけさ」





