ラウラ・ファスト・グロリア-11
フェストラ・フレンツ・フォルディアスは、雨脚が強くなる首都・シュメルの街を走り回っていた。
アマンナを探す為であり、彼女の行動推測を立てた上で、幾つか候補先を探しまわった後に……僅かだが遠くから見据えて景色が変わったように感じた、低所得者層地区近くの森林区画に目をつけた。
荒れる息、冷える身体、それでも彼は鞭を打ちながら走り続けて……随分と多くの木々が薙ぎ倒されている、まるで空爆跡かのような森林区画の状況と、その只中で身体を丸めて静まるガルファレットと、彼の身体を担ぎ上げようとしても、担ぎ上げる事の出来ないアマンナの姿を見つけた。
「アマンナっ、ガルファレット……ッ!」
「っ、お兄……フェストラさま」
疲労が蓄積している様子のアマンナが、フェストラの姿を見据えると、僅かに呼び方を間違えたと訂正する。
しかし彼はそれを気にする事無く……アマンナの小さな身体を抱き寄せた。
「……え? あの……フェストラ、さま……?」
「無事だったか……良かった……本当に、良かった……!」
「その……何が、なんだか……分からないんです、けど……はい、あの、無事……です」
これまで、フェストラはアマンナの無事を、ここまで仰々しく喜んだ事は一度も無い。
アマンナという、腹違いとはいえ妹である彼女には、これまで何度か命の危機に遭遇する事はあり、都度無事かどうかの確認はされた事があっても……こうして心配され、良かったと安堵の息を吐かれた事は、一度も無い。
初めて経験するフェストラの抱擁に驚き、顔を赤らめつつも、無事であると言う事実を伝えると、彼はホッと息をついた。
「えっと、フェストラさまも、ご無事、だったんですね……その、よかった、です」
「ああ。お前達こそ、この状況はどうした? エンドラスとひと悶着あったんじゃないのか?」
「事態が、随分と複雑化していて……どう、説明をすれば、いいか……すぐに整理し、ご報告を」
「いや、いい。……無事なら、それで」
無事を確認すると、それだけで彼は良いと納得し、アマンナの言葉を遮った。聞きたくない、というわけではないだろうが、まるでそれが最優先事項ではないと言わんばかりに。
何にせよ、このまま濡れ続ける事は好ましくないと考えたフェストラは、このまま帝国城に戻るより、低所得者層地区の方が近いと考えた。
フェストラがガルファレットの身体を担ぎ、アマンナが支えながら向かうのは、低所得者層地区の、アルスタッド家。家の鍵はかかっておらず、如何に低所得者層地区の防犯意識が低いかが垣間見えたが、今はその状況がありがたい。
無断ではあるが家に上がり、タオルを拝借。ガルファレットの肩にかけ、何時までも静まる彼へ「大丈夫か」とだけ声をかけると、ガルファレットは顔を上げないまま、しかしペコリと僅かに頭を下げた。
「……すまん、色々と、心配をかけた」
「その……ガルファレットさまは、エンドラスさまに狙われた、わたしを……助けようとして」
「もう良いと言っただろう。話はまた今度にでも聞く。今は、ゆっくり身体を休めていろ」
リビングの真ん中、椅子に腰かけながらタオルで濡れた身体を拭くフェストラとガルファレット。アマンナは少し離れた物陰で服を脱ぎながら、濡れた場所を拭いていく。
「アマンナ、ガルファレット。聞いてくれ」
「なんだ?」
「シックス・ブラッドは解散だ。もう、オレ達は色々な件から手を引く」
突然、彼が放った言葉に、ガルファレットもアマンナも、驚きを隠せなかった。顔を彼に向け、アマンナが何とか捻り出した言葉が、彼に届く。
「……なぜ、でしょうか?」
「色々とあってな。……だがその前に、アマンナにはもう一つ、言ってく事がある」
身体を拭き終え、雨音が屋根や壁を打ち付ける音の中で、アマンナがフェストラの元へと駆け足で向かうと……彼は今にも泣き出しそうな表情で、彼女へ告げる。
「アマンナ、お前はもうオレの部下じゃない。これからは、お前の自由に生きろ」
「え……」
「今までオレは、帝国王となるべき男として、お前を従えて来た。だが、オレはもう帝国王としてこの国を統べる事は、永遠に無い。……だからもうお前は、オレの影として生きなくていいんだ」
そんな事を言われるとは、欠片も考えていなかったアマンナは、全ての思考が砕けるように、頭が真っ白になった。
色々と考え、動き、そして得た情報を咀嚼し、何とフェストラに報告すべきかと考えていた彼女の頭から、全てが消えたのだ。
「あの、意味が、意味が分かりません、フェストラさま……っ! わたし、わたしが、やっぱりだめ、ダメでしたか……? 管制室の占拠、破られるの、早くて……何も、何も情報を得られず……?」
「そうじゃない。情報は十分に引き出せた。引き出せた上で……これ以上は何も、オレ達に出来る事は無いと、判断したまでだ」
詳しくはクシャナに聞け、と。
そう言った彼は、タオルを乱雑に机へ放棄した後、アルスタッド家の扉を開ける。
「お兄さま……っ」
「……今まで、ありがとう。アマンナ」
閉じられた扉の音が、二人に届き。
アマンナはフェストラを追いかけたくても……しかし、心の中で渦巻く数多の気持ちに、頭を混乱させていた。
フェストラを追いかけ、どうしてと問うべきなのか、それとも今のフェストラを一人にすべきなのか、それを考える事さえ出来ない、ゴチャゴチャの頭をかきむしり、ただフローリングに膝をつけた。
「余程、大きな問題を抱えこんだんだろうな」
呟かれたガルファレットの声に、ゆっくりと頭を上げて、首を傾げたアマンナが、混乱する頭を稼働させ、何とか口を開く。
「……大きな、問題?」
「恐らく、ラウラ王についてだ。そして……これ以上動けば、俺達シックス・ブラッドの全員が危険に晒される可能性を察し、俺達を遠ざけようとしているんだろう」
「でも……でも危険なら、わたし達も……っ」
「アイツは、そういう奴なんだよ。何時だって盤面を見据えて、数字だけを見る政治家タイプ……だが、その数字を一つだけしか失いたくないと、常に周囲を見ている、不器用な奴だ」
そして……盤面にある数字で、フェストラが自由に動かせる駒は、何時だって死なせて良いと考える駒は、たった一つ。
――フェストラ自身の命だ。
「俺は、少なくとも手を引くつもりはない」
ガルファレットの言葉はまだ弱弱しく感じられたが、しかし先ほどまでの、困惑に満ちた声だけではない。
「あのシガレット様が何なのか、蘇生魔術とは何か、死者を蘇らせる意味が何か……全てを知り、納得できるまでは、フェストラに何と命じられようと降りる気はない……!」
僅かにガルファレットの周囲を舞った青白い光、しかしそれはほんの一瞬で収まった。
ガルファレットが心を昂らせ、狂化状態が一瞬だけ解除されてしまった事を意味するのだろうが……それだけ彼は、事態の混沌に怒っている。
「アマンナは、どうだ」
「……どう?」
「お前は、これからどうする?」
これから――考えた事も無い言葉に、アマンナは口を開く事が出来ない。
否、違う。
考えてもいなかったんじゃない。
考えても、答えが見つからなかったのだ。
ヴァルキュリアに問われた言葉――自分に与えられた役割に沿っているだけの、虚構というべき幻想の願いを与えられたのではないか、という問いにも、彼女は怒り、耳を背けるだけだった。
そしてファナという存在と出会い、彼女の在り方を知って、何時かは自分の歩むべき道の分岐点を見つけたい、とは考えていた。
けれど……その分岐点が、こんなにも早く訪れるなんて、思ってもいなかったのだ。
「難しいことかもしれない。だが、お前はもう分岐点に立ったんだ。フェストラは、もうお前を影としてではなく、一人の少女として……一人の妹として見てくれる筈だ」
そうでなければ、フェストラが人目も憚らず、アマンナの無事に安堵し、抱き寄せ、ありがとう等と口にする筈はない。
「これからお前がどう生きるかは、お前自身が決めるんだ。ただ、お前が望む道に、歩みを進めていけ」
獣道でも、荒野の道でも構わない、ただアマンナだけの生きる道――それを見つけろと、ガルファレットは言う。
「わたし……わたしは……っ」
「……雨が、上がるな」
通り雨が過ぎ、雲の隙間から差し込む月明かりが窓ガラス越しより注がれる。
ガルファレットは立ち上がり、自分とフェストラの身体が拭かれたタオルを、綺麗に畳んだ上で机の上に置き、フェストラと同じように扉へと向かう。
「もし悩んだら……友達を頼れ」
「……友……達?」
「そうだ。仲間と言ってもいい。お前が信じる事の出来る人、お前が理想とする者を頼って、その上で自分の心を決めれば良いんだ。……俺は、そうして支えられ、これまでの人生を生きる事が出来た」
これからも、そうした生き方を続けていくと、そう述べたガルファレットが去っていき、ついに一人だけ取り残されたアマンナは……ただ、その場で足が固まり、痺れるまで膝をつき続けていた。
それ以外に、出来る事が無かったから。
**
玉座に腰掛けるラウラ・ファスト・グロリアの前に、帝国軍服の上着一枚を羽織っただけの女性……シガレット・ミュ・タースが立った。
彼女はしばしの時、ラウラが語る言葉に耳を傾け続けていたが、その間も微笑みを崩さず、口も挟まずに居続けて、彼の言葉が止まったと同時に口を開いた。
「ラウラ君の野望は、私なんてお婆ちゃんには理解できないわ」
「手厳しいお言葉ですな」
「そもそも私の主義に反しているもの。貴方のやってきた事は、どれだけ国の為と言葉を着飾ろうと、帝国の夜明けという組織を用いた人体実験。それを『善し』と言える筈も無いじゃない」
「ならば、我が野望に与するつもりはない、と?」
「そうね。……けれど、私もかつて貴方の研究に手を貸した者の一人。その責任は、取らないといけないかもしれないわね」
シガレットは階段の設けられた玉座より降りて行き、今王の間へと訪れたエンドラスに「これ、ありがとうね」とだけ感謝の言葉を告げ、上着を返却しながら、どこかへと去っていく。
彼女の綺麗な背中を見据えながら……ラウラは今訪れたエンドラスに向けて、フッと微笑んだ。
「娘との語らいはどうであった?」
「いささか緊張いたしました。娘はどうも、むらっ気がありまして。下手をすれば殺されていたやもしれません」
「何にせよ、よくやったエンドラス。これで、フェストラも『暗躍家ごっこ』を止め、今後は我の右腕として動いてくれるだろう」
「恐れいります。……が、あまり安心召されない方がよろしいでしょう」
「ほう、その言葉の真意を聞こう」
「若いというのは、それだけで力です。故に、シックス・ブラッドはまだ王の脅威として立ち塞がる事でしょう。そして、それは【帝国の夜明け】もそうです――手負いの獅子程に恐ろしい者はおりますまい。例えば弟君、ドナリアの底力は、元同胞である私が保証いたします」
「……ドナリア、あの阿呆か」
ドナリア、その名前を聞き、口にする時だけは……ラウラの表情が歪んだように見える。
その歪み方はエンドラスから見て……ドナリアが表情を歪めた時と、そっくりに思えた。





