クシャナ・アルスタッドという女-10
荒い息を抑える事が出来なかった。
突如として現れた怪物、喉を食い千切られたクシャナ、しかしクシャナは悠然と喉の傷を……致命傷の筈だった傷を癒し、謎の外装を身にまとったと思ったら、怪物を倒してしまった。
そして……倒した彼女は、苦々しい表情を浮かべながら……。
「げ、幻覚……幻覚よ……こんなのォ……ッ」
そんな戦いを僅かに見る事が出来る、物陰に隠れていたアルステラ・クラウスは、地面に座りながら体を震わせ、頭を抱えて視界から入る情報を、全て脳が誤認した幻覚であると思い込んだ。
全てクスリが悪いと、私は正常だと自分に言い聞かせながら震えていたアルステラ。
そんな彼女の前に、何者かが立った気配が感じられた。
「よくもまぁ、こんな小汚い所で座り込める。やはり一代で成り上がった騎士家系なんぞは、この程度か」
聞きなれた声だ。それも、同じ学年だから聞きなれているわけではない。
騎士を志す者であれば、誰もが知る存在――騎士が命を賭して守るべき、十ある王族家系の一つ、フォルディアス家の嫡子――フェストラ・フレンツ・フォルディアスの声だった。
顔を上げると、そこには侮蔑の視線をアルステラへ向けながら、幾人かの従者を引き連れる彼が立っている。
「ふぇ……フェストラ……様……!?」
「おい、発言を許した覚えはないぞ」
酷く、冷めた声だった。
アルステラを見ている彼の言葉に、溢れ出ていた涙も冷や汗も全てが引っ込み、アルステラは震える足を正し、その場で平伏する。
発言を許されていないならば、せめて行動を示さねばという理由だが――その時には既に、彼はアルステラの事など見ていない。
「周囲の包囲網はどうなった」
「……現在、包囲網外からの侵入規制、及び包囲網内の人間を……一人ずつ検査を行っております」
「そうか。このネズミも検査しろ。元締めの方も今日中に潰せよ。日の出までだ、一秒たりとも待たんぞ」
「……はい」
前髪を下ろして表情を見せぬ女性が、フェストラの言葉を受けてアルステラの腕を強引に引いた。
しかし、フェストラにはアルステラを検挙する権利があるが、この女――誰かは知らぬが、顔も見せぬ者に乱雑な扱いをされる覚えはなくて、クスリで上手く動かぬ身体で抵抗する。
「は、離してよっ! わ、私は、私は何も――っ」
「いえ……貴女には、違法薬物所持及び使用……さらには顧客斡旋の容疑がかかっています」
え、と口にしたアルステラに、フェストラが深く、深くため息をついた。
「バカな奴だ。親の威光にだけ縋っていれば、少なくとも何不自由ない生活が歩めただろうに」
「な……何が……わ、私が、私が持ってるの、違法じゃ……違法じゃない……っ」
「違法にしたんだよ。昨日、帝国議会にクスリのサンプルを渡して、品種改良された新種の麻である事を確認してな」
女性――アマンナが、制服のポケットに入っていた、四つの個包装を取り出し、それをアルステラへと見せつける。
「う、うそ……っ、こ、こんなの……こんなの夢よ……幻覚よ、幻よ……あり得ない、あり得ないあり得ないあり得ないぃい……っ」
「ラリってる奴と話してると、こっちまで頭が狂いそうになる。早く処理しろ」
「はい」
アマンナの、素早く鋭い一撃の手刀がアルステラの首筋に叩きつけられ、その衝撃で脳を揺らされた彼女は、唾液を垂れ流しながら気絶した。
その唾液を採取しながら、その場から後にしたアマンナを見届けたフェストラに――遠くから近付いてくる、一人の少女。
魔法少女・ミラージュ……クシャナ・アルスタッドだ。
彼女は未だに足が震えているヴァルキュリアを抱きながら、フェストラへと接近し、小声で言葉を交わす。
ヴァルキュリアには聞こえているが、それをクシャナが良しとしたのならば、フェストラとしても文句はない。
「……どこまでがお前の策略だ、フェストラ」
「分かり切った事を聞くな、庶民」
可笑しいと言わんばかりに鼻で笑った彼に、クシャナが彼にも、ヴァルキュリアにも聞こえるように舌打ちをした。
「何故、今日の授業中にお前が乗り込んできたか、ずっと考えていた。私とお前は始業前に会っている。その時に用を伝える事も出来た筈だ」
「答えは出たのか?」
「お前は、アルステラちゃんがヴァルキュリアちゃんを標的にすると睨んでいた。彼女の人間性、性格を調べ尽くして、彼女の背後関係まで調べた上で」
フェストラは何も言わない。だからこそ、クシャナは言葉を連ねていく。
「授業までお前が私に干渉しなかったのは、私とヴァルキュリアちゃん、アルステラちゃんの三人にひと悶着がある事を待っていたからだ。……ひと悶着あった後なら、彼女はヴァルキュリアちゃんに狙いを定めると読んでいた」
正しいとも、誤りだとも言わぬフェストラに、ヴァルキュリアも驚きながら目を開くけれど――しかし彼は、笑みも、驚きの表情も浮かべない。
フェストラは……ただ周囲を見据えている。
「そもそも私が頼んだ、アルステラちゃんの動向についてを調べあげる時間が短すぎた。当然だ、何せ予め調べてあるのだから、調べた内容をまとめて私に提出すればそれで済む。……つまりお前は、アルステラちゃんがクスリを使用していた事、ヴァルキュリアちゃんをクスリの取引現場まで誘い出す事を読んでいて、見逃した。そうだな?」
フェストラは、先日の帝国議会において工業区画で出回っていた、新種の巻紙薬物を違法薬物に認定するよう法案を提出し、可決させた。
その上で情報統制を行い、違法薬物に認定されていた事を民衆に周知させぬようにし、元締めの動きを留めておいた。
そして――その時には既に、アルステラが薬物を常用している事を知っていて、あえて泳がせていた。
そうする事で、彼が狙った事は二つある。
一つは、何も知らぬアルステラがヴァルキュリアを誘導し、取引現場まで連れて行かせ、クスリを売買している元締めの情報を掴む事。
クスリの取引をしているのは通常、ただの売人だ。それをしょっ引いて捜査した所で、元締めまでたどり着く可能性は低い。
だが、紛いなりにも騎士家系の一人娘という、太く大切なパイプとなり得る顧客を、その辺の末端が相手取る筈がない。ある程度元締めと繋がりのある売人が出張る事は予想出来る。
もう一つは――アルステラの情報を渡す事で、クシャナに協力を要請できるようにする事。
それも、クシャナ当人にフェストラから取引を持ち掛けるのではなく、あくまでクシャナがフェストラを相手に取引を持ち掛けるよう誘導する必要がある。だからヴァルキュリアの安全を鑑みなければならない状況まで問題を放置した。
……否、クシャナも今思いついたが、彼の下準備はそれだけじゃない。
不思議な程にタイミングよく、魔術学部から剣術学部へ編入を果たした、ヴァルキュリアの事も、彼の策略だと考えて良い。
「……もしかしてお前、リスタバリオス家に圧力をかけたな?」
「圧力とは人聞きが悪い。リスタバリオスの娘は魔術学部にいるより、剣術学部にいさせた方がいいと進言しただけだ。結果、リスタバリオス家の予定より半年以上早く、リスタバリオスは剣術学部に編入した」
つまり、この状況を作り出す為、進学時ではない今のタイミングで、ヴァルキュリアを剣術学部に入れさせた黒幕が、フェストラなのだ。
軍人家系の娘が剣術学部の事を何も知らされず、ただ編入する事になるとは通常考え辛い。つまり、リスタバリオス家としても予定外の早期編入であった、というわけだ。
彼は……フェストラ・フレンツ・フォルディアスという男は、今この状況を作り出す為に、これだけの策略を練ったのだ。
クスリの元締めを潰す為と、クシャナという人材をその手に握る為に。
「まぁ、アシッドとの遭遇は流石に読めていなかったがな。お前の戦闘能力と、頭の回転速度を再認識出来た事は御の字だったよ。やはりオレの見る目に狂いは無かったな」
「……私は、これまで多くの人間と、神さまを見て来た」
「それで?」
「お前はその中でも、二番目に嫌いだ」
「だから、言っただろう? オレとお前は、好き嫌いの関係じゃない、とな」
クククと堪えるような笑みを浮かべながら、フェストラは幾人かの従者を引き連れて、その場を後にする。
彼の事を憎らしそうに睨むクシャナの表情は――ヴァルキュリアから見ても新鮮だった。
「……その、クシャナ殿?」
「ああ、ゴメンねヴァルキュリアちゃん。私、アイツの事がホントに嫌いでね。つい顔に出てしまった」
「いや、話はよく分からなかったが……しかし聞いているだけで、拙僧もあまり感じが良い風には見えなかった」
ヴァルキュリアは難しく考える事が苦手だ。
故に勉学へ励み、得た知識を活用し、何とか生きる術を見つけようとしているが……この世界はまだ、ヴァルキュリアの知らない事に充ち満ちている。
「それより、あの怪物は何だったのだ……?」
今、複数人の人間が防護服のようなものを着込み、クシャナと立ち回った怪物の死骸を回収しているようだが、ヴァルキュリアにはアレが何か、何が起こっていたかも理解できていない。
「マホーショージョ、というのも何なのか分からないのである! 海外にはゴルタナとかいう外装もあるそうだし、そうした魔術外装なのではないかと思うが、しかし」
「うーん……まぁその辺ちゃんと説明しないといけないよねぇ……巻き込んじゃったワケだし」
面倒臭そうな表情を浮かべるクシャナだったが、しかし首を横に振った。
「でも、今日は一旦帰ろう。何せこれからここは、薬物取引の現場として、帝国警備隊がごった返すだろうし」
「? 今周辺を包囲しているらしき者達は、警備隊ではないのであるか?」
「その辺もちゃんと説明するよ。……明日、学院でね?」
納得がいかない様子のヴァルキュリアを抱えながら、工業区画を出ていこうとするクシャナの姿を、誰も見ていない。
……正確には、一人を除いて。
男は工業区画に存在する一つの空き部屋となっている筈の部屋から遠見の魔導機を用いて、クシャナの事を見据えていた。
口に咥えられた紙巻煙草、乱雑に切られた髪の毛と整えられていない無精ひげ。
しかしその眼光はギラギラと光り、視界に映る情報として、クシャナの事を観察する。
「……アイツか」
男は、笑みを浮かべない。
何も感情を顔に出さない。
ただ――前を見るだけだ。





