ラウラ・ファスト・グロリア-05
ファナ・アルスタッドについて。
そう聞いて、メリーは未だ抑えきれぬ怒りと殺意を胸に宿しながらも、しかし確かにその真意を知りたいと言わんばかりに、ラウラの胸倉を放す。
僅かに乱れた胸倉を整えながら――ラウラは僅かに遠い目を天井へと向ける。
「ファナ、か。あの子については、我の自己満足でしかない」
「……自己満足?」
弱弱しく問うクシャナの言葉に、ラウラは「如何にも」と頷いた。
「フェストラはこれまでの流れで、既に予想をつけているのだろう? あの子がどの様にして生まれたかを」
彼の言葉通り、フェストラには幾つか思考していた事だ。
そもそもファナ・アルスタッドの持つ第七世代魔術回路というのは、極めて珍しい条件で無ければ生まれ出ない存在である。
第六世代魔術回路を持つ者同士による交配か、計算上は第九世代以降の人間とそれ以前の魔術回路を有する者との交配によって生まれる事。
しかし、この世界における魔術回路の最上位はカルファス・ヴ・リ・レアルタの有する第七世代魔術回路であり、それ以上はない。つまり、理論上は第六世魔術回路を持つ者同士による交配になるが……もし第六世代魔術回路同士の交配による子となれば国宝級の宝だ、それを捨て子にする筈がない。
ならば――それ以外の選択肢は一つだけだと予想した。
それは『第七世代魔術回路を持つ人間のコピーを作る事』であり――特定人物の遺伝子情報を基に新たな生命を作り出す技術が、この世には存在する。
「……ファナ・アルスタッドは、貴方の遺伝子情報を書き換えて作り上げられた、クローニング体なのでしょう?」
「その通りだ。アメリア領における遺伝子情報を組み替え、クローニングとコーディネイトを同時に行う研究に参加してね。その際に私の遺伝子情報を基に、女性として産まれるクローニング体を作り上げた」
それがファナ・アルスタッドの正体。
クシャナと同様に、ファナもラウラによって作り出された存在であり、クシャナはレナから、ファナはラウラから生み出された存在だったのだ。
「染色体の書き換えは実に面倒だったと伺っているし――本来ならばファナにも生まれついての障害や病気などがあってもおかしくはなかっただろう」
「だから、貴方はファナ・アルスタッドに、クシャナ・アルスタッドのアシッド因子を基に研究・開発を行った、新種のアシッド因子を埋め込んだ」
フェストラはこれまでにも、ファナ・アルスタッドという存在が『第七世代魔術回路を持つ人間のコピー、もしくはクローニング』であるという予想も立てていた。
彼はレアルタ皇国の人間ともコネを持つ。故にアメリア領首都における技術実験保護地域の存在は知り得、そこがどのような研究を行っているかも知っていた。
そしてファナ・アルスタッドは女性であるが故に、コピー、またはクローニング元も女性であると考えていた事も確かだ。
だが東方国・ニージャの第七世代魔術回路持ちであるアマテラス・ランマの遺伝子情報はそう簡単に手に入らない。そもそも彼女とコンタクトを取る方法が限りなくゼロに近い。それほど、東方国・ニージャとの国交は無いに等しい。これは考えにくい。
将国・リュナスの姫君であるミラジャ・カーシャは徹底した管理体制の上で生活を行っており、その遺伝子情報が残る髪の毛や血などは如何な手段を用いても手にする事が出来ない。これも考えにくい。
最終的に考えられるのは、レアルタ皇国第二皇女であるカルファス・ヴ・リ・レアルタだが――これは真っ先に排除できる選択肢だ。
そもそも彼女がそうした遺伝子情報を他者へ渡すようなへまはしないだろうし、あり得たとしてもそうした事実が判明すれば……彼女が黙っている筈もない。如何な手段を用いてでも、そうしたクローニング体を生み出した者達を潰していくだろう。
だからこそこれまで選択肢から排除していたが……残り一人のラウラ・ファスト・グロリアの遺伝子を基に、少女として遺伝子情報を書き換えて生み出したとは、流石のフェストラも思考からは外していたから、これまで考えが及ばなかった。
「……何で、ファナを……?」
クシャナの言葉に、ラウラもフェストラも、メリーも反応を示さない。ただ各々を見据えながら、ただクシャナが続ける事を待つ。
「自己満足……? 貴方は何を、満足したかったって言うんだ……? 何を目的にファナを生み出し、お母さんに育てさせたんだ……?」
「君というレナ君の遺伝子を基に作り出した子供と、ファナという我の遺伝子を基に作り出した子供を、共に在らせる。家族として、我が子として……それを望んだだけの事だ」
本当に、単なる自己満足でしかなかったと、彼は言う。
ファナという少女が、新種のアシッド因子を持つが故に、クシャナと同じ『死ねない』存在として、この世に生み出された理由は……なんて事のない、ラウラと言う男の心を満たす為だけの存在だった。
「お母さんは、それを知っていたのか……!? それを知って、今まで私たちに黙っていたっていうのか……!?」
「彼女は何も知らない。我はただ彼女にファナを任せ、そして彼女は我から託されたファナを、我が子として育てようと決意しただけの事。――だが、何となくは想像をつかせているのかもしれないが」
レナとて考えなしというわけではない。ラウラが彼女へ、何も言わず幼子を任せた時に……ファナという子供がどの様にして産まれたかを考えただろう。
だが、答えを知れば彼女は、きっとその事実を黙っていられない。レナは嘘をつく事も、他者を傷つける事も苦手だ。故に考えぬようにしていたとは考えられる。
「なるほど、合点がいきました。ファナ・アルスタッドの事をルト・クオン・ハングダムに守らせた理由は、第七世代魔術回路を持つから、という理由だけじゃない。ファナ・アルスタッドがそもそも貴方のクローニング体だから、でしたか」
「とはいえ、如何にクローニング体と言えど遺伝子書き換えを行っている時点で、既に別人と言ってもいい。魔術回路の質は同じだが、それを知った所でどうとなるわけではない。本質的には第七世代魔術回路を持つが故に、守らせていた側面が大きいな」
良く勘違いする者もいるが、クローン人間と言うのは「遺伝子情報的に同じ人間が存在する」だけの事であり、体格も性格も、暮らした環境等によって左右される。遺伝的に似た人間は生まれやすいが、しかし全く同じ人間が出来上がるわけじゃない。
あくまでファナとラウラは別の人間であり、ラウラは自分の身代わりを作る為でもなんでもなく、それこそ究極の自己満足として彼女を生み出したに過ぎないのだ。
「……何だよ、それ。そんな事の為に……お母さんや、貴方の欲求を満たす為に……私は、ファナは……こんな普通の人間に必要ない力を有して、生み出されたって言うのか……?」
まだ今日の事を、クシャナは覚えている。
ガルファレット・ミサンガという男が生み出され、その魔術回路に施された改造の意図を、彼女は知った。
その上で、ガルファレットの両親が、彼の事を愛していたが故にそうした福音として、魔術回路の改造を遺したと。
だが――クシャナやファナは違う。
ラウラという男が、レナという女との間に、愛の結晶として子供を欲しがった。
故に、クシャナとファナという子供を技術によって生み出し、技術によって賄いきれない身体の障害を、アシッド因子という力技によって癒し、永遠とも言うべき命として遺す。
まさに、究極の自己満足が形となった存在とでも言うべき二人が……クシャナとファナなのである。
「……本当に、それだけなのですか、王よ」
訝しむように、フェストラが問いかけると、彼は僅かに口角を上げたようにも思えたが、しかし次の瞬間には口を戻し、彼へと向き合った。
そして、メリーも彼の「自己満足」と言った言葉に、理解はしても、納得はしていない。
「貴方は、王だ。それを私は……いや、言葉を着飾る事を止めましょう。オレはそう理解している」
「そうだとも。我は王であり、この国を統治する者。そして、この国の統治において我以上の存在は在り得ない。――君は、フェストラは我の右腕として相応しい実力を有していると考えているが」
「そう、その通りだ、王よ。故にフェストラ様も、私は訝しむしかない。この状況は、あまりに出来過ぎている。貴方にとって都合のいい状況が作られ過ぎている――!」
フェストラとメリーは、声を荒げる。
クシャナが至る事の出来ない思考、それに困惑するしかない彼女に、彼らは回答を次々に言葉とした。
「先ほどフェストラ様が仰っただろう、クシャナ君。レナ・アルスタッドが産んだ子供である君にアシッド因子が付与された、その転生魔術による効果は、あくまで前置きでしかないんだ」
「確かにラウラ王がお前と言う赤子を救いたいと願った事は事実だろう。だがラウラ王はお前を救うという一つ目の目的を果たした後、二つ目の目的としてアシッド因子の研究に没頭した。その理由は間違いなく、アシッド因子を『自分の為に』利用したいと考えたからだ……!」
アシッド因子を、自分の為に利用する。
フェストラの言葉に、クシャナは目を見開き、ラウラ王の背中を見据えるしか出来ずにいる。
「ファナ・アルスタッドを自己満足で生み出した? いや、違う。彼女に新種のアシッド因子を埋め込んだ理由は、技術によって産まれた彼女を生かす為だけじゃない。ラウラ王とほぼ同様の遺伝子配列を有する身体に新種のアシッド因子を埋め込んだ場合、どうした反応を起こすか、その実験という側面もあった筈だ!」
「そして実験は成功し、ファナ・アルスタッドが無事に作り出された事を確認した貴方は、計画を実行した。その結果がコレだ――ッ!」
メリーがラウラの右腕を掴み、その肩と右腕の付け根に向けて、勢いよく手刀を振り下ろした。
ハイ・アシッドとしての肉体が有する打撃力と、その強引な勢いを以て砕かれた関節と肉は裂かれ、今彼の右腕が身体から別った。
噴き出す血の量は多い。地面に尻もちをつくクシャナの身体を染めていく程の血液量は、数分もしない内に彼を失血死させていく事だろう。
――だが、ラウラは一切動揺も無ければ、そうなることを予見していたと言わんばかりに、傷口に触れた。
瞬間……無くなった筈の右腕が、僅かに蠢く様に反応を起こし、やがてグニュ、グチュ、と音を鳴らしながら、砕けた骨や裂けた肉を再生し、繋ぎ合わせ……数分もしない内に、新たな腕を生やしたのだ。
「ラウラ王が……アシッド……?」
「そうだ庶民、ラウラ王は……この男は、今やただの人間じゃない。新種のアシッド因子を埋め込み、不死性を高める事で『永遠なる王』として、この世に君臨する事を目論んだ存在だ……っ」





