ガルファレット・ミサンガという男-06
「起きろ、クシャナ」
誰かに、身体を揺すられている感覚がする。
少しゴツゴツとした手は、女性のそれじゃないと思える。となるとフェストラか?
そう考えて目を開けると、しかしそこにいたのはフェストラじゃなく、ガルファレット先生の顔だった。
「うわ、ビックリした……先生、何ですか。女の寝込みを襲うのは最低ですよ?」
「そんなつもりは一切ないんだが……疲れているならしっかりと休め。ソファの上では身体を休める事も出来んぞ」
どうやら私はいつの間にか、フェストラの執務室にあるソファで眠っていたようだ。夢を見ていた感覚もないし、相当深く寝ていたみたい。
「まだ、二重の因子による疲れが取れないのか?」
「……ええ、まだ」
アシッド・ギアに籠められていたアシッド因子と、元々私が有している因子という二重の因子が存在する結果、色々と力が増している事は確かだけど身体の不調を招いている事も確かだ。
「例えば、そのアシッド・ギアで増した因子が持つ力を早々に使い切るなどの方法で、体調を早期に戻すという事は出来ないのか?」
「……確かに、それなら出来るかもしれないです」
アシッド・ギアの因子は、言ってしまえば一種の薬物ドーピングのようなもので、因子が持つ力を使い切ってしまえば自然と消滅していく可能性は考えられる。
「例えば、幻惑能力の適当解放とかな」
「いい手段かもしれないですけど、でも今の私が出来る能力って、それこそ他人の深層意識を覗き見る事くらいしかできなさそうな気がする」
以前、アマンナちゃんの夢を覗き見てしまった事と同様に、私の能力と言うのは相手を惑わすまで行かず、相手の深層意識を覗く程度ならば、それほど大きく体力を削られる事も無いし、今の二重に因子がある状態なら可能だろう。
でも、正直そうして他者の深層意識を覗くのは、あまり気乗りがしない。あのフェストラだって、何を抱えているか分かったものじゃないし、簡単に覗き見れるはずもない。
「なら、俺の深層意識でも覗いてみるか?」
「……え、先生の?」
「ああ。俺はお前達のように込み入った事情があるわけじゃない。深層意識に根付いた光景となると、思い当たる節は一つしか無くてな。それを覗かれる程度は特に問題も無い」
私は、正直ガルファレット先生の事は、あまりよく知らない。
勿論、名前や経歴など知っている事はあるけれど、本当に最低限の事しか知らないでいる。
ガルファレット・ミサンガ先生は、かつてシガレット・ミュ・タースという帝国魔術師に仕えていた騎士で、その後は聖ファスト学院教員となり得る帝国軍司令部総務課への異動をし、今はこうして先生として働いている。
彼が何故フェストラに見定められ、シックス・ブラッドへと入る事となったか、何の意味があって戦うのか……。
そして、ドナリアによる聖ファスト学院襲撃事件の時、彼を変貌させていた状態は一体何だったのか。
それが、気にならないと言えば嘘になる。
「……じゃあ、ちょっとだけ、やってみます」
「ああ。お手柔らかに頼む」
お手柔らかに、と言われても、私は相手の深層意識を覗くだけだ。特にする事も無いのだけれど――そう思いながら、何気なく一度目を閉じ、意識をガルファレット先生に向けながら目を開いて、彼の深層意識を覗こうとした瞬間。
そこで見えた光景に、思わず意識を覗き見る事を一度止め、口元を押さえて近くの桶に走る。
「げ、げほっ……、がほっ」
喉元を通り過ぎる吐瀉を吐き出し、桶に入っていた水を汚した後、その水をトイレに流して蛇口をひねる。
ついで、口に残った吐瀉を可能な限り吐き出した後、青白い表情で戻っていくと……ガルファレット先生が、既にコップへミネラルウォーターを注ぎ終わっていて、それを受け取り、飲み干した。
「……嘘つき」
「嘘はついていない。俺は、お前たち以上に込み入った事情は無いと言っただけだ。そしてそれを覗きみられる事に対して、特に何とも思わんとな」
「あんなの……あんなのが込み入ってない事情な筈あるか……! あれを特に何とも思わないとか、先生は聖人か何か!? だとしたらそれはそれで狂ってる……!」
確かに、見えた光景はフェストラやアマンナちゃん、私やヴァルキュリアちゃんとか、ファナみたいに、複雑化した事情じゃない。最も単純で簡単な結論、しかし故に「人に対して行ってはいけない」事のオンパレードだった。
「何を見た。言ってみろ」
「……ガルファレット先生の、全身を……切り開いて、多分、魔術回路を、全摘出して……その回路を改造しているような光景だった……!」
言葉通り、それは人体改造と言っても良い光景だった。
多分、赤子の頃だろう。頭一つ分しかないガルファレット先生の身体を切り開き、魔術回路らしき管を摘出し、その管に対して何か処置を施している光景は、ガルファレット先生本人の姿も無残な光景だったけれど……摘出されながらもドクドクと鼓動を鳴らし、薄緑色に発光をする管という光景は、随分とグロッキーでショッキングだった。
「何なんだ……あの光景は、何なんだよ……!」
これまで私は多くの「才能」という存在を求める、この国の「エリート教育思想」というものを見せつけられてきたと思う。
けれど、それは人間が行える範疇の遺伝子改良の結果でしかなく、その結果として悲しい事件はあったけれど、その生まれた命はあくまで本物だった。
「俺は第二世代魔術回路を持つ両親の間に産まれた子供だ。つまり、俺の魔術回路は本来第三世代、ヴァルキュリアやアマンナのような第五世代や、フェストラの様な第六世代、ファナのような第七世代魔術回路には、逆立ちしたって敵う筈のない世代さ」
魔術回路は世代ごとに性能が跳ね上がる。百年前は最先端だった第三世代さえ、時が経てば前時代のモノとなり、今や倍の世代を経ても尚勝ちようのない第七世代魔術回路なんてものも存在する。
けれど――ガルファレット先生の回路は。
「両親は、子供の俺にもっと大きな才能を与えたいと野心を抱いた。だから『魔術回路そのものの機能を拡張する』という計画を立て、実施した」
ガルファレット先生は、私の手をとって、自分の胸に手を当てさせた。
「まだ続きはあるだろう。見ておくといい」
「……これ以上見た所で、何になるっていうんだ……!」
「お前は多分これから先、今覗き見た俺の深層意識以上の闇を見る事になる」
「……何を」
「俺も詳しくは知らん。だが、フェストラはそうした闇を暴こうとして動いている」
フェストラが何をどう動いているか、それは私にも分からない。
けれど彼が自分の命を危険に晒してでも調べあげようとしている何かがあって、その何かが私の心を蝕む事もあり得ると、ガルファレット先生は言う。
「俺の経験した事など、大した事は無いのさ。ただ、生まれた家がそうした思想に囚われてしまっただけ。俺はそうして親のやる事を拒絶できない赤子の時に、そうした闇に身を浸してしまっただけの事だ」
「……だから先生で慣れておけと? これから先、どんな闇が待つかもわからず、ただ不気味で恐ろしい先生の内面を見て慣れておけって言うのか?」
「そうだ。……それに、お前の見た光景以外に、私はもっと色んな事を経験している」
見ろ、と。そう命じるガルファレット先生の真意は、私にも分からない。
けれど、どっちにしたって私は自分の中にある因子を消去しなければならないし……気にならないと言えば、嘘になる。
だから、私は今一度目を閉じて……ゆっくりと目を開く。
そこには――先ほど見た時と同じように、赤子のガルファレット先生の全身から魔術回路を摘出し、その薄緑色に発光する魔術回路へと、何か魔術を付与している二人の男女の事を見る。
『どうだ、そっちの拡張は』
『ダメ、これ以上拡張させたらガルファレットが持たないわ。常にマナを使い切るまで放出するようになってしまう』
『発動トリガーを設けよう。トリガーを設ければ自分の発揮したい力を状況に応じて使い分ける事が出来る。幼い頃は力の制御が難しいだろうが、歳を重ねるごとに精度は高まる筈だ』
摘出後の身体は、恐らく出血死が起こらないようにされており、また細菌などが侵食しないように注意はされていた。
だが二人の意識は完全に魔術回路へと向けられていて……そうして汗を流しながら術を施す姿は、どこか狂気じみたものがある。
「……魔術回路の機能を拡張して、何が出来るって言うんですか……?」
「さて、両親が俺にどうなって欲しいと望んでいたか、それは今の俺にも分からない。予想はつけられるが、あくまで予想だ」
摘出・施術を終えた魔術回路を、再び赤子の身体へと戻していく。そこから先は私も見ていられない。
他のアシッドならば見慣れた光景なのかもしれないけれど……私はこうした光景が嫌いで、肉が嫌いだったと言ってもいい。
そして景色は移り変わる。
小さな頃……おおよそ五歳から七歳程度の小さなガルファレット先生は、しかし他の子と比較すれば圧倒的に大きな体格を有していた。
「拡張させた魔術回路は、マナ貯蔵庫と直結して常に微弱な強化魔術を放つようにされてしまっていた。コレも両親が望んだ結果かは分からないが、少なくとも俺の肉体は強化魔術の効果によって肥大し、常に強化魔術と身体を馴染ませていた事もあり、瞬時に高出力の強化を用いる事が出来るようになった」
結果として――幼い頃のガルファレット先生は、少し相手の肩を小突く程度で、同い年程度の子供が有する柔い骨を砕けさせるには十分な程の力を有してしまっていた。
「俺の身体には、魔術回路とマナ貯蔵庫の間に発動トリガーを設けた。それが俺の怒りと連動し、魔術回路全体が強化魔術の触媒として機能する強化を越えた固有魔術・【狂化】だ」
怒り狂ったガルファレット先生は、怒りのレベルに応じて体内の魔術回路全体が狂化に染まる様に設定されている。
ドナリアが目論んだ聖ファスト学院襲撃事件の折り、全身に青白い光を放出しながら凶暴化した姿は、その狂化に染まった姿で、あの状態になると並大抵の魔術や物理攻撃を無効化する事が可能なのだという。
だがしかし――あの時のガルファレット先生でさえ、狂化レベルは中間程度だったという。
狂化の名にふさわしく……怒りに身を任せ過ぎると、僅かな理性さえも残さず、目に映る全てを破壊するように暴れまわる様になってしまうから、あの乱戦状態では怒りをセーブする事を余儀なくされていたのだ。





