ガルファレット・ミサンガという男-02
「そもそも新種のアシッドとやらが何なのか、それは分からないの? プロフェッサー・Kとか、何か知ってるんじゃないの?」
「分からん。プロフェッサー・ケーも最終的にファナ・アルスタッドさえ守る事が出来ればそれでいいと考えている節がある。オレやお前に情報を易々と寄越すとは思えん」
「お前らしくないぞ。分からない事だらけでも、何かしら行動に移すのがお前だと思ってたけど」
「行動は移している。好ましくないが、こうしてお前と付き合っているフリをするのもそうだし、お前とファナ・アルスタッド、ヴァルキュリア以外は全員動かしている」
私とファナ、ヴァルキュリアちゃんの三人以外を全員動かしている、というのは、きっとアマンナちゃんとガルファレット先生の事を言っているんだろう。
「二人は何してるのさ」
「アマンナはルト・クオン・ハングダムの下へ貸し出している。ガルファレットは――まぁ聖ファスト学院の授業再開に向けて動いているとでも覚えておけ」
「って、ガルファレット先生は普段通りじゃんか。それ動かしてるって言えるの?」
「言えるんだよ。今は出来れば、アイツを一人にさせておきたい」
ガルファレット先生を一人にさせておく……その理由がよくわからず、私が首を傾げていると、フェストラは近くの桶に浸かったタオルを絞り、自分の額に乗せた。
「とはいえ、手詰まりを感じているのも確かだ。そもそもオレ達シックス・ブラッドは【帝国の夜明け】の持つアシッドという脅威に対抗する為、設立した組織だ。ルトやエンドラスの様な【命じられし者】が動いていると知った今、下手に両者を刺激するような動きをするべきではないかも、と考えもする」
「随分と弱気だね」
「帝国の夜明けと違い、命じられし者はラウラ王の勅命を受けている存在だ。それを相手にする恐ろしさが分からんほど、お前も愚かじゃないだろう?」
確かに、帝国の夜明けと異なり、命じられし者達の恐ろしさは、何と言っても「ラウラ王というこの国における絶対権力者から勅命を受けている」という所にある。
帝国の夜明けは、言ってしまえばただのテロ屋だ。故に敵やアジトそのもの等の他、資金源を断つだったりの方法で滅ぼす事は可能だ。
勿論アシッドである彼らがそれだけで滅ぼせるわけではないが、脅威度は下げる事は出来る。
でも……命じられし者は違う。彼らはラウラ王によって命じられて動く存在、つまり相手取らなければならないのは、私たちが広義的に守らなければならない国そのものになるのだ。それをおいそれと刺激する事は避けるべきだろう。
「……なら、なんで私を呼んだのさ」
「こうして手詰まりを感じているが故に、幾つか整理して物事を考えたいんだ。分かる所だけ受け答えてくれれば構わない」
顔を濡らしたタオルで冷やしながらも、フェストラは思考を止める事は無い。むしろ冷えたタオルがかかっている事で、より思考を回せると言わんばかりに、私へと言葉を投げかける。
「まず、アシッドと言う存在はお前の元々存在したチキューという世界で、ナルセ・イブキという男によって作られた存在なのだな?」
「ああ。奴の作り出したアシッド因子を脳に埋め込まれた存在がアシッドと呼ばれ、私のように自我を有した個体をハイ・アシッドと呼んでいた」
「そんなお前は十七年前、チキューという世界での死をきっかけにして、この世界へ輪廻転生を果たした、という事だな」
「まぁ、そうだね。そうとしか説明できないと思うんだけど」
「気にしないようにしていたのだが――元の世界でお前は、どのようにして死んだんだ?」
どの様にして死んだ――それは本来ならあまり語られる事は無いだろうが、事アシッドである私ならば、確かにそれは問われるべきだろう。
何せ私達アシッドと言う存在は「死ねない」という特異性を持つが故に、脅威なる存在として認識されているのだから。
「私も、良く分からないんだ。あの日の事はそれなりに覚えているけど……ただ、胸を刺されたんだよ」
「誰に?」
「見知らぬオッサン、とでも言えばいいかな? 口調はかなり堅苦しかったけど、当時二十一歳のお姉さんが横になってる寝床にいきなり現れて、心臓をナイフっぽい何かで一突きされたんだよ。変態だろう?」
「変態はともかく、お前が心臓を刺された程度で死ぬのか?」
「いや、まぁ、当時も不死性は持ってたし、その日も日課の飛び降り自殺を敢行しても死ななかったから、普通なら心臓を刺された程度で死なないと思うんだけど……」
あの時は、私自身もあまり深くは考えていなかったんだけど、私の枕元に立った男は私の心臓を一突きし、それで立ち去った。
そして刺された私は血だらけのベッドを見据えながら――遠くに召されていく感覚と共に意識を閉ざしたのだ。
それまで私が経験した事のない、意識が導かれていく感覚を、私は死と認識した。
「その男が、お前をこの世界に輪廻転生させた……そういう事か?」
「そうだと思う。突然枕元に現れた謎の男に刺されて、気付いたらお母さんに抱かれておっぱい飲んでたんだ。母乳の味って知ってる? ほんのり甘いんだよ」
「いらん情報を付け足すな。――なるほど、それが大体十七年前、か」
「大体というか、十七年前だよ。私が完全に赤ん坊の頃だからね」
「なら聞くが――お前は生まれたばかりの事を覚えているか?」
生まれたばかりの頃。
それが私の言っている、お母さんのおっぱいを飲んでいた時期じゃなくて、生まれて本当に間もない頃の事を言っているのだと気付く。
「……覚えてない、というか私に意識が芽生えた時は、もうベビーベッドの上で呑気に寝てたよ」
「まぁ本来なら赤ん坊の記憶を有している事自体がおかしいのだがな。だが都合は良い。この国の産婦人科では出産から最低一月程度は入院を命じられる。乳児と産婦の経過観察にその程度の時間が必要だとしてな」
つまり、私が意識を取り戻した時……クシャナ・アルスタッドとしての自我を有した時には、数ヶ月以上は経過していた可能性が高い、という事か。
「それに加えて、どうやらお前は出産直後、随分と身体が弱かったと記録も残っている」
「……へ? 私が?」
「ああ。お前は出産時、息すらしていなかったそうだ。治癒魔術を専攻としている帝国魔術師数人がお前にかかりきって、軌道の確保をし終えたら血管に膨張が確認され、そのまた次には肺炎が……と、検査の度に問題が会った事を残している」
フェストラの机から出て来た資料を渡され、私も半信半疑に読み進めていくが……どうにも本物の資料と思っても良いだろう。
しかし、私が覚えている限りでも、私は風邪一つ引いた事もなければ、大怪我を負った所で再生する人間だ。赤子の時だってアシッド因子があれば、そうした肉体の異常はすぐに再生を果たすハズなのに……。
「オレは、この世界にアシッドと言う存在がもたらされた理由が、お前にあると考えている」
「私に……?」
「ああ、でなければ説明がつかん。アシッドと言う異世界における存在が、この世界へと現れ、そしてそのアシッド因子を持つお前がこの世界に転生されてきたとなれば、そう考えん方がどうかしている」
確かに、そう言われればそうかもしれない。
もし、私という存在の事を知り、私の脳細胞に書き込まれたアシッド因子という存在を知った帝国の夜明けが、アシッド・ギアを製造した……?
いや、違う。奴らは私がアシッドである事を知らなかった。何ならアシッド・ギアが有する因子は私の因子よりも圧倒的に弱く、十日程度で脳から因子が消滅していくらしいし、それをおかしいとも考えていなかった。
「そして同時期に行方不明となった帝国の夜明け主要メンバー、さらにそこから二年後にはなるが、赤ん坊だったファナ・アルスタッドに、お前や帝国の夜明けが持つ因子とは、異なる角度の新種因子が埋め込まれていた……十七年前に何があったか、それを知る事が、全てを知る鍵になる」
その為には――フェストラはそう述べた後、顔に乗せていたタオルを桶に放り投げて、私を残して部屋を出ていく。
「どこ行くんだよ」
「少し頭が冴えた。オレは一人で動くから、お前はしばらくこの家で大人しくしていろ」
「大人しくしてろったって」
「二重に因子があるせいで、身体が不調状態にあるという事は分かっている。今は頭と身体を休めていろ、という意味だ」
ぐ、と言葉を飲み込むしかなかった。
先日、メリーと戦った際にアシッド・ギアを挿入し、通常私が持つ因子にプラスしてアシッド・ギアからもたらされた因子が、二重に私の身体からエネルギーを奪っている。
結果として肉を喰った事による食人衝動もそれなりにあって、正直あまり人里を出歩きたくない、という考えは見抜かれていたようだ。
「帝国の夜明けもどう動くか分からん中、無闇にお前が出歩いて体力を消耗する事は避けるべきだ。いざという時にお前が動けんでは、こちらとしても困る」
「……はいはい。でも、お前がどう動いているかも分からないんじゃ、こっちとしても気分悪いんだけど?」
「何――少し、死罪になる可能性も鑑みながら、諜報活動へ移るだけの事だ」
何を言っているのかを問う時間も与えられなかった。
パタンと閉じられた扉、伸ばした手は何も掴む事は無く……私はソファの上で寝転ぶしか、何もする事が出来なかった。
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ガルファレット・ミサンガは、以前ドナリア率いる帝国の夜明け襲撃の際に破損した聖ファスト学院の修繕作業が終了したと報告を受け、他の教員と共に設備確認をし終わった後、一人で自身の受け持つ五学年の教室へと足を運んだ。
当日、ファナを守る為に、帝国の夜明け構成員の一人を叩きつけた床も綺麗に修繕がなされていて、その床をなぞる様に触れる。
「あの時のガルファレットさん、ちょっとだけ本気出してましたもんね」
「……プロフェッサー・ケーか」
「数日ぶりですね」
ガルファレットしかいない筈の教室、椅子の一つにいつの間にか腰かけていた女性――プロフェッサー・Kが、目を隠すマスク越しにガルファレットを見据えている。
彼女が就いている席も、あの時ファナを隠した机であった。
「そうか、あの時ファナ・アルスタッドを避難させてくれたのは、貴女だったのか」
「ええ。私はファナちゃんを守りたい。ガルファレット先生については気に入ってこそいますけど、助けなきゃいけないと思う程じゃなかったので、手出しはしませんでした」
「素直な事は良いが、君は相手に伝える情報が一つ二つ余計だぞ。改めねば君の今後が心配だ」
「へー、学校ってこんな感じに怒られるんだ。やっぱり生徒側って新鮮かも」





