ガルファレット・ミサンガという男-01
ガルファレット・ミサンガという男は、幼い頃から、力が強かった。
生まれて間もない頃の小さな手で乳母の小指を折った事も、物心ついた時には同い年の友人を悪ふざけで小突いただけなのにも関わらず、肩の骨を砕いてしまった事もあった。
しかし、ガルファレットの父と母は、彼の事を「天才」と称した。
ミサンガ家は高名な軍人家系、故に彼の持つ【暴力】という才能も、親の立場である彼らからすれば「才能」だったのだろう。
「ガルファレット。お前の力はこの国を守る為に必要な力だ。それを暴力などと野蛮な言葉で片づけるではない」
父の言葉を聞いた時、自分にはそうした才能があるのだと理解し、彼は軍人を志した。
当時、彼が十三歳の頃。聖ファスト学院剣術学部に入学した彼は、同学年の子供と比較するまでも無く、常人離れした肉体を有していた。
当時から身長は百八十センチを超え、体重は百キロに到達、肉体を形作る筋肉は屈強と言っても良く、同学年の子からは恐れられ、近付かれる事も無かった。
それで良いのだと思っていた。むしろ近付かれると、何の拍子に傷つけるかも分からない。故に近づかれない方が好ましいと思っていた。
だがそれでも――寂しさは募る。
その頃からガルファレットは聖ファスト学院の近くに家を借り、一人で暮らしていた。
父と母も帝国軍人としての仕事が忙しかったという事もあったのだろうが、まるでガルファレット当人から逃げているような節もあった。
(何故俺は、人と何もかもが違うんだろう)
幼くも屈強な肉体、大人と同程度……否、それ以上の力を有し、父と母はそれを誇りながらも、自分たちに子供を近づけない。
幼い彼でも、自分の身体が人と何か違うと勘繰るには十分すぎる環境の中で、それでもガルファレットはこの力が、きっと将来の自分に役立ってくれるのだと、そう考えて、一人で生きて来た。
そんな彼が二十七歳となり、帝国軍に属してから数年の月日が経った頃、とある帝国魔術師の老婆が、ガルファレットに声をかけてきた。
「貴方、随分と力持ちなのね」
彼は巨体故、大きな荷物を運ぶ際に重宝されていた。その時は十キロの米が入った袋を十程片手で抱えながら、もう片方の手で運ぶ場所の地図を持っていた事を覚えている。
「はぁ」
老婆の事を、ガルファレットは知らなかった。車いすに腰掛け、ニコニコと笑みを崩さぬ女性の姿に、見覚えがなかったのだ。故にそうした曖昧な返事をせざる得なかった。
「凄い筋肉ね。どうやって鍛えているのかしら」
「トレーニングは、特に。軍の訓練時間のみであります」
「そうなの、随分と才能に充ちた子供なのね。私なんかは身体があまり強い方じゃないから、尊敬しちゃうわ」
「ありがとうございます。――自分は職務中でありますので、これで」
あまり人と話す事に慣れていない、という事もあったが、純粋に見知らぬ老婆と話す理由が思い当たらなかった事もあり、ガルファレットはそそくさとその場から離れていく。
しかし、老婆との再会は、それほど時間を経たずにやってくる。転属指令が彼の元にやってきたのだ。
「シガレット・ミュ・タース様の騎士、でありますか?」
ガルファレットの当時所属していた第二〇八防衛部隊から、帝国軍魔術部隊班への転属指令が下り、シガレット・ミュ・タースという帝国魔術師に、騎士として仕えるようにという命令だ。
ガルファレットと同期の者は皆、彼を祝福した。
「シガレット様と言えば、第七次侵略戦争でご活躍なされたお歴々の一人じゃないか」
「経歴としてはこれ以上無いぜ」
確かに、同僚の言葉は真実と言っても良い。
帝国軍人は任期中、帝国魔術師に仕える騎士となる事が求められる。その際に誰の騎士となるかを選ぶ事は出来ない。その指名権は魔術師側にあり、彼らはその命に従い、主を守るだけの事。
そして、ガルファレットもそうして騎士になる事を望んではいたが――シガレット・ミュ・タースと言えばもう七十を超える老婆、それも後方支援を前提とした女性であるからして、彼女を守る騎士という役割では、彼が唯一誇る事の出来る力を振るう事が出来ない。
――まぁ、老い先短い婆に仕えて名が売れれば、次に仕える際の扱いは良くなるか。
そう考えて、彼は転属先のシガレットへと会いに行く。
そうして出会った彼女が、以前米袋を運んでいた時に声をかけて来た老婆だった。
「ガルファレット君の事が、前々から気になってたのよ。次の帝国騎士を誰にするか、相当悩んだのだけれど――もう私も長くは無いだろうし、気になっていた貴方を指名しようと思ってね」
「そうでしたか」
「ねぇガルファレット君。貴方に一つだけ、一つ約束してほしいの」
「何でありましょう」
「貴方は暇でありなさい。私に仕える事で特にやる事なんて無いもの。一緒にお茶を飲んで、一緒にお散歩して……そうして一緒に、のんびりと過ごしましょう。私が死ぬまで……ね?」
くしゃ、と明るい笑みを浮かべる老婆の言葉を。
この時のガルファレットは、理解する事が出来なかった。
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「良いかしらクシャナ。幾ら十王族のお妃とは言え、貴方も妻となるのなら炊事洗濯などの家事は自分で出来て損はないのよ」
「……へい」
「何が『へい』ですか! そんな汚い言葉遣いは駄目よ! 復唱なさい。『分かりましたお母さま』よ!」
「分かったっつの母ちゃん」
「クシャナ!? 貴女今までそんな言葉づかいもしてないし『母ちゃん』なんて呼んだ事なかったじゃない!? あ、でも『母ちゃん』なんて呼ばれ方も、少し思春期の女の子みたいでいいわね……貴女もファナもいい子に育っちゃったから、個人的には呼ばれてちょっと嬉しい……」
どうしよう、今まで特に何とも思ってなかったんだけど、最近のお母さんが私に花嫁修業ばっかさせようとしてきて若干ウザい……世にいる思春期の女の子がどうしてグレるか何となくわかった気もする……。
これも全部フェストラがお母さんやファナを帝国城で守る為に『私とフェストラが結婚を前提に付き合ってる』なんて方法を採りやがったせいだ。
ちなみにフェストラも私と付き合っているという噂を流されるのが基本的に嫌なのか、ここ数日熱っぽいらしい。因果応報とはこの事だ。
「じゃあクシャナ、ここに貴女の好きなお野菜があるわ。この採れたてお野菜をフェストラ様にお出しすると思って調理なさい」
「ラッキー、採れたてで泥ついてるのばっかじゃん。じゃあこのままドレッシングだけかけてやればアイツ喜んで喰うよきっと。『泥とドレッシングと新鮮野菜のハーモニーやでー』って言いながらボリボリむさぼり喰うだろうね」
「クシャナ! メッ! せめて泥は洗いなさい!」
ツッコむ所はそこだけでいいのだろうかと思いつつ、調理場に用意された野菜を洗って、キュウリの先端を噛み切ってプッと吐き出した後、ボリボリとかじっていく。それだけで超美味しいのは新鮮な証拠だろう。
「クシャナ、貴女最近ちょっと変よ? 元々男の子の事をそんなに好きじゃないとは知っていたけれど、お付き合いしているフェストラ君にもそんな態度じゃ、何時か見捨てられちゃうのじゃないかと心配ね……」
「大丈夫だよお母さん。アイツって超ドMの変態なんだ。だから私くらい包容力のある女じゃないとダメなんだろうね」
「そうなのかもしれないけれど……」
その返しもどうなのだろう、と思っていると、私とお母さんのいる調理場にフェストラが顔を出す。
「しょ――クシャナ。少しいいか?」
お母さんの前では「庶民」と言えないフェストラが、私の名を呼ぶ。私もキュウリを頬張りつつ、彼へと「何さ」と応じる。
「少しだ。お義母様、少しクシャナをお借りします」
「ええ、どうぞ! クシャナ、あんまり失礼をしちゃだめよ?」
「分かってるってば、もう」
頑張って、と何を応援されているか分からぬまま、私は調理場から離れてフェストラの執務室へと同伴する。
執務室の椅子に腰掛けてぐったりとしているフェストラと、ソファに悠々と腰掛ける私の態度は反していると言ってもいい。
「調子が狂う……」
「私だってそうだっての。あ、今度私が料理する事になったらお前に振舞うと思うけど残さず喰えよ? 泥付きの野菜にドレッシングだけはかけてやる」
「それは料理と言わん……!」
そうそのツッコみが欲しかったんだよ。
とはいえそんなどうでもいい詰まらん漫才をする為に、フェストラも私を呼んだわけじゃない。彼はフッと息をつきながら椅子を回し、外を見据えながら言葉を綴る。
「あれから数日経過したが、特にレナ・アルスタッドの周囲も怪しい人物は確認されていないし、ラウラ王も特に接触を仕掛けて来ない。エンドラスも同様だ」
「エンドラスさんは、お母さんを守るようにラウラ王から命令を受けてるっぽいんだよね?」
「ああ。例のビースト騒動時にも彼女を守っていたという証言もある。恐らく確定で良いだろう」
ラウラ王は、ファナとお母さんの二人を守る為に、ルトさんとエンドラスさんという【命じられし者】を動かしていた。
何故、ラウラ王がそうして二人の事を守るのか、私にはさっぱり見当もつかないけれど、ラウラ王はお母さんと旧知の間柄だったとも聞いているし、それ故に守ろうとしているのかもしれない。
「ファナの事だけど――あの子が【新種のアシッド】とやらである事は」
「言えるわけが無いだろう。調べてみたが、ルトの証言は真実と言っていい。あの娘は不死性と魔術回路以外には何も特出した力は持たん。他のハイ・アシッドと違い、固有能力を持つかどうかも怪しい所だ」
ルトさん曰く、ファナは「生まれながらにして新種のアシッド因子を埋め込まれた存在」らしい。
確かに、ファナは私の目の前で心臓を刃で貫かれ、普通の人間ならば生きている筈の無い出血をしても尚、生き長らえていた。そんな彼女が普通の人間であるとは、流石に姉である私も言える筈がない。





