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クシャナ・アルスタッドという女-08

 クシャナは何故、アルステラがこうした場所でクスリの取引をしているという情報を手にしたか、それは言わない。


それはフェストラという男に頼み、彼の側近であるアマンナが調べた結果なので、その事実を伝えてしまうとアルステラを下手に刺激してしまうかもしれないと考えたが故であったが――クスリを吸引した事で思考を乱しているアルステラは、それが彼女による策略だと考えた。



「そう、この事、最初から知ってたんだ。それを学院にチクるつもりでつけて来たんだね」


「違うよ、アルステラちゃん」


「でも平気よ。この薬はまだ危険薬物に認定されていないグレーなもの。確かにそれでも普通の生徒なら退学にさせられるけれど、お父様が揉み消してくれるわ。この場所も、証拠も全部含めてね」


「聞いてくれ、アルステラちゃん」


「証拠さえ掴まれなければ、フェストラ様でさえ私を罰する事は出来ないわ。ホント、残念だったわね庶民! これが上流階級と下流階級の違い、生まれながらの違いって奴なのよ――ッ!!」



 そう叫ぶ、アルステラの表情を見据えて、ヴァルキュリアは息を呑みながら、思わず一歩、後退った。


彼女の目は、あの広場に居た者達と同じだった。


目が据わっていて、異質な空気を醸し出している――人間の在り方から外れてしまった者の目だ。



「……分かるかい、ヴァルキュリアちゃん。君が『せっかくだから』とか『一回だけだから』と言われて、口にしようとしたものの魔力が」


「ま、魔力……? もし、もしや、これは魔術で作られた……」


「いいや違うよ、あのクスリは魔術的な製造工程など踏んじゃいない。クスリはキッカケさ。……人間と言うのは魔術なんかなくても、ほんの少し間違うだけで、ああも狂えてしまうんだよ。人間が産まれた時から持ち得ている、原初の魔力……と言っても良いかもしれないね」



 将来が約束されていた筈のアルステラが、何故クスリという物に辿り着いてしまったかは定かじゃない。


家からの重圧、将来への不安、色々と考える事は出来るが――しかし、クスリという手段に走ってしまった彼女は、やがて周りを巻き込む事を始めた。



「ヴァルキュリアちゃんもそうして仲間に取り入れ、私から遠ざける事で、私を孤立させようとした――いや、それだけじゃないね。ヴァルキュリアちゃんを手籠めにする事で、ようやく私への警告がなせるんだ」


「警告……?」


「アルステラちゃんに逆らう者は、クシャナという存在に近づく者は、皆こうしてやるぞ、っていう警告だ。……確かに有効だよ。もしこの手段が本当に成功していたら、流石の私もショックどころじゃないね」



 自分に近付く者が皆、ああなってしまうのだという事実をもし、クシャナが知ってしまえば、今後の犠牲者を出さぬよう、自主的に学院を退学していた可能性は否めない。


クシャナは、自分の幸せなど、片時も考えてはいない。


クシャナが学院に通うのは、あくまで母や妹の手前だけが理由だ。


母が苦労をして学院に入学させてくれた結果、自分から辞める事は出来ずにいて、妹が優秀な成績を収めているから、彼女が揶揄されないように、自分もある程度真面目に勉学へ励む。


周りの子達に影響を与えないようにはしたいけれど、それが出来ないならせめて自分がサンドバッグになろうとする。


だが、そうした在り方が――アルステラという人物を、傷つけてしまったのかもしれない。


 そう考えて、クシャナは胸元を抑え、涙を流した。



「ねぇ、ヴァルキュリアさん。一つここで取引をしないかしら?」



 そうして涙を流すクシャナを前に、アルステラが声を上げた。


声は、ヴァルキュリアに向けてであり、彼女は未だに困惑から抜け出せぬように、名を呼ばれた事でアルステラの方へ顔を向ける。



「と、取引……とは、何だ……?」


「ああ、貴女は特に何もしなくていいの。……ただ、私がソイツをここで殺すから、貴女は私のアリバイを証言してくれればいいのよ」



 彼女が腰に携えていた、海外製のバスタードソードを抜き放ちながら、少しずつクシャナへと近付く。


クシャナは涙を流しながら、彼女の剣を見据え、表情を引き締める。



「な、何をバカな事を……! そんな事、拙僧が認める理由などどこにも」


「バカはどっちよ? 貴女がこの取引に応じなかったら、ここでクスリを買ってたって学院中にバラすと言ってるのよ」



 ぐ、と息を詰まらせるヴァルキュリアに、アルステラもクククと笑みを浮かべる。


彼女は確かに、クスリで正常な思考こそ失っているけれど、しかし知恵を巡らせることは可能なようだ。



――本来ならば、回す事の無い方向へ知恵を回したことが問題ではあるが。



「私のお父様もお母様も、何度かこういうのを揉み消してくれてるけれど、貴女のお父様やお母様はどうでしょうね? リスタバリオス家はバリバリの軍人家系って聞いてるし、相当厳しいのでしょう? 揉み消しなんか、きっとしてくれないわね」


「それは……っ」


「でも私なら、どれだけでも情報を揉み消せるわ。ソイツに義理立てして約束された将来を反故にするか、私と協力して互いに明るい将来に向けて歩き出すか……よっぽどのバカじゃ無ければ、答えなんて一つよね?」



 答えなど聞く必要も無いと分かっている、そう言わんばかりに剣を振り上げつつ、クシャナの前に立つアルステラ。


しかしクシャナは――彼女の事を見据えながらも、命乞い一つしない。



「アンタの、そういう平静な所、本当に嫌い」


「……ゴメンね、アルステラちゃん」


「それが遺言で良い? じゃあ、さようなら」



 振り下ろされそうになった剣。


しかしその寸前、ヴァルキュリアが声を叫ぶ。



「ま、待つのだアルステラ殿――ッ!」



 その声に驚き、ふと腕の動きを止めてしまったアルステラ。


しかし、そこでクシャナは目を見開き、アルステラの肩を掴んで、自分の後ろにいるヴァルキュリアへ向けて、突き飛ばした。



「な――お前っ」



 先ほどまで、命乞いをする様子の無かったクシャナが何をしているのか、それ自体は気になったが、アルステラの手首を捻る事で、持っていたバスタードソードを落としたヴァルキュリアは、そのまま彼女を羽交い絞めにして、捕らえる事に成功。



「離、離せッ」


「クシャナ殿ッ」



 捕らえたぞ、安心しろ、という意味を込めて叫んだ名前。


しかしクシャナは、アルステラやヴァルキュリアの方など、見ていない。


その視線の先には――先ほど二人とすれ違った、グレッセルの通りを塞いでいた男が、血まみれの状態で、三人のいる通りまで現れたのだ。



「た――助け、助けて、っ!」



 彼は、左腕を失っていた。


多くの出血で、既に視界も朧気になっているのか、両足を何とか動かしながらクシャナたちへと駆け寄ろうとした男。


何が起こっているか分からず、ヴァルキュリアが呆然とし、彼女に羽交い絞めされているアルステラはクスリによる幻覚を見ているのかと疑う中で――クシャナが二人に「逃げろ」と言った。



「く、クシャナ殿……?」


「逃げろ二人とも! 今すぐにここから離れるんだ!」



 彼女らしからぬ、荒げた声が聞こえたと同時に、彼女は男の手を取る為に前進した。


しかし――男の身体は、今やってきた通りを、まるで引きずられるように連れ戻されていく。



「あ、ああ、ああ――ッ、嫌だッ!! タスケ、助け」



 言葉の途中で、ぐしゃりと……何かが潰れるような音が響き、通りから大量の血が流れて来た所が見えた。


何が起こっているか、ヴァルキュリアはアルステラを羽交い絞めしながらも、僅かに前へ進んで、男の様子を見据えようとしたが……クシャナが腕を広げて、通させない。



「く、クシャナ殿……な、なにが」


「見ちゃダメだ。女の子には、刺激が強すぎる。いいから早くここから逃げ」



 またも、言葉の途中であった。


全身を血で塗れさせた、中肉中背の男が、ヒタヒタと足音を鳴らしながら、今三人のいる通りまで、訪れた。


彼は据わった目と共に、視線をクシャナの方へ向け――その口をニヤリと歪ませる。


笑みを浮かべた瞬間……その口に残っていた、肉片がべちゃりと地面に落ち、まるで床に落ちた食材を慌てて食すように拾い上げたソレは……グチュグチュと音を立て、咀嚼する。



「い……いや……いやぁああああっ!!」



 あまりにもショッキングな光景に、一秒でも早くその場から逃れたいと足掻くアルステラの力と、あまりの光景に羽交い絞めしていたヴァルキュリアの力も弱まっていた事が合わさり、アルステラは二人から離れ、転びながらもその場から逃げて行ってしまう。


 しかし彼女に気を向けている余裕も無いヴァルキュリアは、事態の把握を最優先――その得体も知れないモノが、先ほどの男性を殺め、信じられない事に、その死肉を食していると判断。



「……物の怪めッ!」



正体も分からぬソレに向けて、思わずヴァルキュリアは自分の剣に手を伸ばしてしまう。



「、駄目だヴァルキュリアちゃん、逃げるんだっ!」


「否ッ! この者を放置しては、中通りにいる者達が危険である!」



 そう、ヴァルキュリアはここに至るまで、名こそ知らぬが多くの人間を見て来た。決して褒められた生き方では無かったけれど、確かに生きている者たちを。


まだ距離こそ離れているが、もしこの化け物がまた血肉を求めた場合、身を守る術がない者達が危険に晒されると、考えてしまったのだ。



――彼女は生真面目であるが故に、自分がやらなければという、使命感に駆られてしまった。



「壱の型――ッ」


 ヴァルキュリアは全身に巡っている魔術回路を認識しながら、体内のマナ貯蔵庫からマナを一定部位に向けて展開。


展開箇所は、両足と右手。


両足に展開したマナは脚力を増幅させる為の強化魔術を展開する為であり、右手に展開したマナは、右手を通じて、自らの愛剣である【グラスパー】にマナを浸透させる為だ。



「【ファレステッド】――ッ!!」



 彼女の剣、グラスパーは【グラッファレント合金鋼】という魔術によって加工された特殊合金製故に、マナを浸透させることで強度をあげる事が出来る。


壱の型・ファレステッドは、極限にまで強化された一閃を対象に向けて居合抜きする抜刀術で、両足を強化したマナにより、そのバケモノとすれ違うタイミングに合わせ、刃を抜き放ちながら斬る事で、その肉体を両断する。


マナの浸透した白銀の刃は、闇夜でも綺麗な銀を輝かせ、さらには斬った者の血を、決して刃に残さない。


血の油も全てが弾き飛ばされ――その刃を拭う事無く、ヴァルキュリアは刃を鞘に納めるのである。



「は……、はぁ……っ」



 何分、訓練以外で、人形以外を相手に真剣を抜き、斬った事など初めてで、つい呼吸を乱してしまったが、上手くいった。


そうため息をついた彼女だったが――しかし、背中からゾワリとした感覚が、彼女を襲う。



「……本物の、物の怪だ……っ!」



腹部から背中まで、一刀で両断されたはずの肉体が、再生しようとしていたのだ。


それも、遅々としたスピードではなく……もう既に、立ち上がる事が出来る程に。


再生を終えたその怪物に、ヴァルキュリアは思わず動きを止めたまま、固まってしまった。


それがいけなかった。


クシャナの言う通り、彼女は逃げるべきだったのだ。


今、再生を終えた怪物は、その唾液と返り血を滴らせる口を大きく開けて、ヴァルキュリアへと向けて、その身体を強く前へ出した。


首筋を狙った噛みつきは、きっとヴァルキュリアの喉を噛み、数多の神経を引き千切りながら、彼女を殺す。


そうした光景を、想像できてしまう事が恐ろしかった。


ヴァルキュリアはそれでも――恐怖の声をあげずに、最後まで抵抗が出来ぬか、脳から身体へ信号を送り続けていた。


やがて帝国軍人になる人間として、逃げたくなかった。


いずれ騎士となり、主を守護する者となる為に、逃げるわけにはいかないと、ただそれだけを考えて。



――それでも、怖いものは怖い。



死が、殺される事が、怖くない者などいない。


だから一筋……恐怖の涙だけは、浮かんだ。



そんな彼女の眼前に立った、何者かがいる。


何者かは、自分の死を惜しむ事が無いように、笑みを浮かべながらヴァルキュリアへと迫る怪物と、ヴァルキュリアの間に立ち、その首筋を強く噛み千切られた。



吹き出る血飛沫、突き飛ばされる体。



 ヴァルキュリアは尻もちをつきながら、自分の身を挺して助けてくれた者の――クシャナ・アルスタッドの最後を見届ける。

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