第8話 叶わぬ夢
真っ暗な山道を、複数の男女が走っていた。
使用人とメイド。その中には、ダンとルーシー、そしてロインがいた。
(屋敷が、静かになった……)
急斜面の山道から、めらめらと燃える屋敷を振り返る。
おい、とダンは進ませようとするが、他のみなも寂しげな目でそれを眺めた。
「今は、進まなきゃならないんだろ」
ダンは言葉を詰まらせながら。
みなも応じるように足を前に運んだ。
(あの屋敷や街が、燃えやすい構造になってたなんて……)
どうして屋敷を修繕しなかったり、不可解な木製の塁壁を設けたのか。
姉が不思議に思っていた理由が分かった。
すべて、このターリース炎上のためだったのだ。
(カトゥス様、申し訳ありません……俺は……)
ロインは胸の中で、謗ったことを領主に詫びた。
――今宵、この街は終わる
――それは帝国の侵略でも、ワイバーンの襲撃を受けたからではない
――農家の子、商人の子、孤児……
――屋敷に務めるのは、みな身分の低い平民ばかり
――名を遺すことは決してないだろう
――ダイアホークの騎手などでない限り、な
――私は王族だが、肩書きだけの人間としては出来損ないの男だ
――陽を浴びれば、火で炙られるような苦痛が生じる
――暗闇の中でひっそりと死を待つだけの領主なのだ
――だが、お前たちはこの街で生きた。その証くらいは遺してやれる
領主・カトゥスはみなの前で“裏切り”の策を明かした。
(俺以外のみんなには先に伝えていたんだな)
次に集まった時はみな武装して――鍋を被ったり、擂り粉木や火かき棒を持つ姿、屋敷に出入りしていた老婆は、『これを持てば、みんなわしを恐れたよ』とカッカッと笑って大根を掲げた。
殆どが仕事着だが、一部のメイドは給料を貯めて買ったドレス姿で。
ロインたちは火があがると同時に屋敷を抜けるが、彼らは帝国の兵士たちに“抗う”ために残った。
それは決して帝国に一矢報いてやろう、などではなく――
「おい、馬が来るぞ!」
「くそっ、もうちょっとだってのに!」
後ろから呪う言葉がした。
ロインを始め、全員の顔が強張り後続の者たちに目を向けた。
「あーあ、可愛い女騎士ならいいんだけどな」
「一人くらい倒して、みなに自慢してやろうぜ」
好き好きなことを言いながら剣を抜く。
「アレックス、ジャン、ウィン、レイミー、エナ。――またな」
ダンが声をかけると、みな「おう、またな」と笑顔を向けた。
逆走する彼らを背にして、ロインたちは足を前に運ぶ。
目指す橋はもう間もなくだ。
夏の夜。虫の音は騒々しいのだが、背後から短い、悶着の音がとてもよく聞こえた。
馬の打音と『近いぞ!』との声が聞こえると、三名が顔を見合わせて足を止めた。
「疲れた」
「はー……ほんとね……」
残るはダンとルーシー、ロインだけ。
坂道の角度が緩やかになり、水の流れる音が大きくなり始める。
「橋が見えたぞッ、急げロインッ」
藍色の闇に浮かぶ、木の橋が見えるとダンが声を張った。
「ロイン、ちゃんとカバンを持ってるな?」
橋の真ん中に到達すると、ルーシーがロインの傍に立つ。
ルーシーと二人で川に飛び込み、ダンは抜け道を使って一足先にルデラ国に通じる街道に出る手はずとなっている。
「水がなくてそこは永遠の闇、なんてないよな」
見下ろす川は真っ暗で見えず、しかしその激しさは音だけで分かる。
帝国の追っ手はすぐ近くまで迫っているのに。
ダンとルーシーは、そんな呑気なロインの言葉に顔を見合わせ、声をあげて笑った。
「わははは! お前らしいな!」
「あっはっは! もう、こんな時に!」
そして二人して頷き合うと、
「大丈夫よロイン。この川は、ちゃんと故郷に繋がっているわ」
ルーシーの言葉に、ロインは「え?」と聞き返した。
いや、本当はそうではないかと思っていた。
「ルーシー。お前、本当にいいのかあ?」
「大丈夫よ。『男に襲われそうになったら、これを突き刺してやりなさい』って、お母さんから渡されたピックが使えるんだもん」
「じゃあさ、最後に一発ヤらせてって言ったら?」
「尻の穴にぶっ刺してあげる。アンタはラウのがいいんでしょ」
「ちぇー、高望みすんじゃなかったぜ」
二人は明るく会話しながらロインの脚を掴むと、
「お、おい――!?」
「そーら!」「それー!」
ぐっと持ち上げ、川に放り込んだ。
「うわあああああああああああーーっ!?」
浮遊感の中、親友と想い人が遠のいてゆく。
――今宵、みなは君のために死ぬ
――生きた証を伝えられるのは、ロイン、君だけなのだ
演説のあと、領主からかけられた言葉が頭をよぎる。
「ロインッ……ラウに、『またね』って言っておいて……!」
涙声の愛し人の声を最後に、ロインは川に沈んだ。
想像以上に深い。早い流れに揉まれ、上下左右が分からなくなる。
カバンの浮力のおかげで何とか浮き上がったものの、その時にはもう、友と目指した橋は見えなくなっていた――。
◇
親友が自慢していた通り、木のカバンはプカプカと水に浮いた。
しかしその様は、水に流れる木の枝の如く。真っ暗闇の中ではどこに上陸していいか分からず、流れが緩やかになるまで身を委ねるしか出来ない。
『おい、何かが流れてきたぞ!』
流れがやや緩やかになる頃、暗闇の中が騒がしくなった。
やはり帝国の兵が待ち構えていたか。だが、ここまで来て捕まれば水の泡――ロインは覚悟を決め、腹に隠していたナイフを握る。
流れが緩やかになるカーブに魚取り用の梁――魚の流路に斜めに網を張った大がかりな漁具――が設けられており、ロインはその真ん中に乗り上げた。
松明が列をつくり、ガチャガチャと金属音が迫ってくるのを聞きながら、ぐっと網の上で身構える。
『よぉーし、帝国兵をぶち殺してやるぜェー!』
帝国兵? と首を傾げたが、それよりもその声に聞き覚えがある。
『あの、隊長……。目的忘れてません……?』
『うん? 川に帝国の捕虜を流し、アタシらは棒でシバいて沈めるんだろ?』
『戦うたび知能が落ちてませんか……?』
呆気にとられたロインは抵抗意識を欠き、その間に兵士に引っ張り上げられた。
暗くてよく分からないが、紺色のサーコートを着ているらしい。
『ラウの弟を知るのはコーデリア隊長だけなので、顔検めに選ばれたんでしょう』
『おお、オンナ教えてやったアイツか! イチモツも顔も覚えてないが、あうあう言ってて面白かったな。にゅわっはっはっはー!』
『申し訳ありませんが、明日、転属願い出していいですか……?』
コーデリア――その名に、封じていたロインのトラウマが蘇る。
松明の光に照らされ、その赤髪のたくましい顔つきの女が覗き込んできた。
「おー、この顔は知ってるぞ! そーかそーか、帝国で諜報活動してたのはお前か! ご苦労ご苦労、お前の情報はアタシらがちゃんと届け、連中をぶち殺してやるぞ!」
だから違います、と部下らしい者が淡々と正す。
「ですがラウの弟で間違いないようですね」
「おう。だけどカバンの中を検めさせてもらう。敵の配置が分かるもんあれば、このままぶち殺しに行くぞー!」
「幼少期、毒とか盛られてません? それで頭がパーンってなったなら、隊長がパープーなのも分かるんですが」
「いやー覚えてねえなあ。落ちてるモンはよく食ったけどなー……って、アタシのことはいーの。カバンだよカバン、カーバーン!」
コーデリアに急かされ、ロインは留め具を外した。
(そう言えば、何入っているんだ?)
流れていた最中、何かがカタカタと動いていた。
松明の中でそっと開いた途端――ロインの視界がじわりと滲む。
「お、おいおい……急に泣き出すなよお……!?」
それは堰き止めることが出来ず、ポタポタと涙が零れ落ちる。
「何で、何で……だよ……」
「な、なんだよお、何が入ってんだよお!?」
親友から託された宝箱の中には、
【いい男だったゾ♡】
と、書かれた麦酒のレシピと、
「そんな、だっせえ名前で……誰が……馬鹿野郎……」
【俺たちの店計画】
【※ソーセージの作り方は門外不出だぞ!】
下手な字で題打たれた書類の束が、入っていたのである。




