第3話 雀百まで踊り忘れず。鷹は飯を忘れず
「……やはり、先生は長くないのですか?」
翌日の深夜。ラウはフレリアに呼ばれ、診療所の応接室に入っていた。
目の前に差し出された紙には【腹部に腫瘍、ほか】と書かれている。
「もって二週間、短ければ夜明けまでというところよ」
「そんな……」
あんなに壮健そうだったのに、実際は余命幾ばくかもないなんて。
恩師の残された時間を告げられ、ラウは失意に陥った。
だが肋骨が浮き出るほど痩せていたり、起き上がるのも困難を極める様子から覚悟は決めていた。しかしこうして、医師から宣言の前ではショックを隠せない。
『まったく、ここぞとばかりに人の怨念がやってくるよ』
頭は聡明なままで、煩うたび口癖のように繰り返す。
この様子ならばまだ半年くらい猶予がある――そうと思いたかったのだ。
「実はね……ラウが来るまで、明日も分からない状態だったのよ」
誰もが時間の問題だと思っていた。
しかし呻きに音が含まれていることに気づいたフレリアは、口元に耳を近づけてみると、濁った呼吸の中に『ラウ』との言葉を聞き取った。
咄嗟に『ラウを呼びますから』と呼びかけてみれば、その途端、恩師はそれを待つかのように容態お落ち着かせたと話す。
これにラウはポロポロと涙を零した。
「言葉は全部聞き取れなかったけれど、『ラウ』『屋敷』って単語を言っていたわ。それと……『問題』かしら」
「問題、ですか?」
「今際の際に昔の記憶を見る人もいるけれど、私が思うに……あれは何とかして伝えようとしていたように思えるわ。入院した時から、しきりに残された時間はどれだけかと訊いてきてたし」
ラウも介添えをしていた最中、似たようなことを言っていたと思い出す。
――ラウ、私が死んだらルデラの屋敷は貴女が管理しなさい
――そして何があっても、すべて終わるまで屋敷から出るんじゃない
――葬式、その他の大きな事件があっても
――私は予定よりも早いお迎えがきそうだからね
その時は『先生はまだまだ生きますよ』と笑った。
だがフレリアの言葉を聞いた後では、何かを待っているような口ぶりに思える。
◇
涼しく柔らかな風が吹いていた。
診療所は小高い場所に建つため、外に出れば生活明かりが灯る街の息遣いが感じられる。
再び涙が頬を伝い始めると、ぬっと脇から大鷹が現れ、濡れた頬を拭うように優しく顔をこすりつけてきた。
「ふふ、ありがとうサニー」
よしよしと大鷹の頭を撫でてやる。
大鷹は嬉しそうに目を細め、ピィピィと鳴いた。
「そうよね。残された時間が短いなら、それまで充実した時間を過ごせばいいのよね」
「ピィ」
「カトゥス様は『こちらの心配はいらない』って言ってたけれど、やっぱりちゃんと報告しておいた方がいいわよね」
紙を取り出し、さらさらとペンを走らせる。
恩師の容態と残された時間、会計官の務めを果たせないことへの謝罪。そしてフレリアが宿を取ってくれたので、しばらくそこに留まること――ここまでは既に頭の中でまとまっていたのだが、最後の一文は少し時間がかかった。
――愛する貴方の胸に飛び込みたい
夜でなければ顔が真っ赤になっていることだろう。
書きなれない言葉なので、字もふわふわとした歪んだものになっている。
「サニー、これをカトゥス様の下に届けてくれる?」
「ピィー……」
面倒くさい、と言いたげに鳴いた。
ターリースでの餌は、人間でも飽きるエビが殆ど。最近ではミミズの方がマシだとばかりに、ロインや相棒のダンに土を掘らせるくらい不満を抱いている。
一方、ここ・ジェヴァには大鷹の好物でもある大鶏・ブラウマを飼育するタリアの養鶏場がある。どちらが美味しい思いをするのかは一目瞭然だった。
「まったく、こんな時ぐらい素直に『はい』と言いなさい」
「ピューピ」
「しょうがない、ロインにパンを焼いて、ダンにはソーセージを与える手紙も入れておくわ」
「ピッピ―ッ♪」
その言葉を待ってた、とばかりに大鷹は嬉々として飛び立つ。
地上から見送るラウは「ホント、現金な鳥なんだから」と首を振っていた。
◇
夜更けに入る頃、ターリースの厨房では二つの影が揺らいでいた。
作業台の上に飲みかけの麦酒を置いて、腰をかけたルーシーと抱き合うロインの姿。貪るような口づけを交わし続けながら、ルーシーはメイド服のボタンを上から外してゆく。
ロインにはまだ自制がなく、情事への期待に興奮を抑えない。
風が強く吹いているのか、ドンドンと扉を叩く音がしても、女の襟に両手を差し入れ、肩からするりと服を剥ぐ――たわわな乳房が露わになると、いよいよ我慢が出来なくなる。
「ああ、ルーシーさん……」
「ふふ、いいわよ……」
ルーシーは艶めかしい笑みを浮かべ、両ひざを持ち上げたその時――バァンッと扉が勢いよく蹴破られた。
「ゲェェェェェェェェェーーッ!!」
「うわあッ!?」
「きゃあああーッ!?」
けたたましい咆りをあげたのは大鷹であった。
ロインは咄嗟にルーシーから離れ、ルーシーは慌てて胸元を隠す。
「ゲェェェェェェェェェーーッ!! ゲェェェェェェェェェーーッ!!」
大鷹は翼をばたつかせ、勝手口前で怒る。
何度もノックした、と言いたげだ。
「わ、悪かったサニー……っ、だから、な、怒るな!」
「ゲェェェェェッ!!」
大鷹の怒り収まらず、強引に勝手口の壁を破壊しかねない勢いで頭を突っ込み、身体を入れようと前進する。
「うわああっ!? ま、まてまてっ! 姉ちゃんは、姉ちゃんはいないのかっ!?」
ロインは慌てて姉の姿を探した。
だが、どこにも姿が見えない。
「ケェッ!」
大鷹は鞍に据えたカバンに首を伸ばし、そこから一通の手紙を取りだした。
ロインは姉からだと思い、受け取って中身を確かめる。
【ロインとダンへ
サニーは嫌々そっちに向かっているので、パンとソーセージを与えてあげてね。
それともう一通はカトゥス様に渡してちょうだい。
PS.中は絶対に見ないこと 】
ああ、と思い振り返る。
翌日の仕込みの最中で、生地をこね終えて発酵させるところだった。
そこにちょうどルーシーがやってきたのだが――
「ああっ!?」
ロインは思わず声を上げた。
机に置かれていたコップが倒れ、中に入っていた飲みかけの麦酒が、生地をひたひたに浸けていたのである。
パン生地に麦酒を使う地域もあると聞いている。
しかし麦酒の風味と甘みが強いので、一度やってダメだと判断したのだ。
「あちゃー……」
ルーシーも『しまった』と言う顔だ。
「まぁ、ちょうどサニーのに出来るか」
ロインの言葉に、大鷹は「ゲェー?」と下から睨む。
「い、いや、この生地の分、全部食べられるってこと」
「ケェ」
ならよし、と大鷹は満足そうに。
すると騒ぎを聞きつけたメイドや使用人たちがそこに、手にホウキや木の棒などを握って駆けつけてきた。
群衆の先頭はダンであり、大鷹の姿を見て驚いたが、
「ああ、ダン。ちょうどよかった、姉ちゃんがサニーにソーセージをって――」
「いや」
ロインの言葉を遮り、ダンは大鷹からルーシーに目を向けた。
ワンピースの背中ボタンは一つだけ留めたまま。スカートの尻部分が白く、その足下には白い布きれが一枚――
「あ゛っ!?」「あ゛っ!?」
慌てて拾い上げるルーシー。
そして苦笑いで誤魔化そうとするのだが、同僚たちはみな呆れかえっていた。




