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第13話 道迷う青年と山娘

 リュイエール西部に置かれた帝国の関所。

 そこから東に進んだ川辺に、黒柄の剣を握る青年の姿があった。


(ベルゴール卿の剣……やはり凄いな)


 初陣の折りに、この剣が振るわれるのを見た。

 猛将の名に相応しい戦いぶりは今も鮮明に。青年ことエドワードは、祈るように剣に頭を傾けた。


(ベルゴール卿、申し訳ありません……。俺が、もっとしっかりしていれば……)


 銃弾に首を撃ち抜かれたその光景が蘇り、エドワードは柄を強く握り締めた。

 夜明けの空。子供の頃から慕ってきたその人は、大鷹の騎手が放った銃弾によって倒れた。

 目に焼き付いている、遠のいてゆく巨大な鷹の後ろ姿と、


 ――帝国の兵士さーん、私のお尻はそんなに魅力的かしらっ?


 エドワードはハッと我に返り、違うと首をぶんぶん振った。

 上に乗るのは美しい女であるらしい。

 それゆえに仲間から『どんな女だったか』と訊かれる。確かに美しい顔だったかもしれないのだが、エドワードが覚えているのは、挑発に揺さぶる大きな尻ばかりなのだ。

 慌てて立ち上がると、水を飲んでいる馬に目を向けた。


(今は苦肝でも何でも舐めてやるさ)


 サダルト峡谷での遭遇戦と、水の都での大敗。

 貴重なワイバーンを三体も失ったことで、『ハロン家の者はジェヴァに買収されているようだ』など、根も葉もない噂が流れるようになったのである。

 エドワードはこれに激昂し、酒場で語っていた男を捕らえて処断した。

 男は酒場でも人気の話術士であった。面白おかしく尾ひれをつけていることが許せなかったのだが、貴族なら何をしても許されるのかと民が反発――これを危惧した父・ヴァンドは、エドワードに前線基地送りを命じたのだった。


(後から文句を言うだけの、何の役にも立たん愚民どももそうだが、関所の兵士もああではな……リュイエールごときに苦戦するはずだ)


 本国の父から報せを受けたのは十日前のこと。

 関所から東に半日の場所にある前線基地に居たエドワードは、すぐさま馬を馳せ、確認と受領に向かった。

 ダイアホークの騎手から受け取ったと言うのでまず間違いない。

 商談にゆくのは口実で、バザラにダイアクラスの討伐にゆくに決まっているはず。

 何故その時に斬らなかったのかと、唾を飛ばしながら兵士を責めたのだが、


 ――()()ってのは、坊ちゃんが思うほど単純じゃねえんでさ


 兵士の口ぶりには悪びれる様子がなかった。

 あのヘラヘラした様子を思い出すと、エドワードに怒りがこみ上げてきた。


(あんな連中に、どうしてうちの家が報償を与えねばならん)


 エドワードは石を拾い、目の前の川に向かって投げた。

 それはほんの小さな水飛沫をあげただけで、すぐに波紋ごと流れに飲まれる。冬の日差しを受けキラキラ光る水面を眺めていると、不思議と気持ちが落ち着いてくる。

 小さく息を吐き、左手の山に視線を向けた。


(そう言えば……あの山を真っ直ぐ抜ければ、駐留地まですぐじゃないか?)


 懐から地図を取りだし、地形を確認してみる。

 大きな山の裾野が現在地で、そこをぐるりと迂回した場所に駐留地がある。しかし、山を越えれば半日もかからないのではないか。


 ――エドワード様、山には入らねえでくださいよ

 ――山の向こうで狼のダイアクラスが居るって話ですし


 基本的には軍の中でも鼻つまみものが送られる基地で、彼らにとって“貴族の息子”というのは“世間知らずガキ”という認証らしい。


「こんな山くらい俺でも登れる」


 エドワードは山の入り口を探し、足を踏み入れた。


 ◇


 山は馬では入れそうになく、歩きとなる。

 整備された道はすぐに途絶えた。……と言うよりも、目指している方向とは反対側だと途中で方向転換してからなのだが。


「……うむ」


 登り斜面が続き、太陽の位置が真後ろにある。

 森もより深まっていることで、ついに自覚した。


「迷った……か?」


 シン……と虫の鳴き声すらなく、耳が痛くなるような静けさが広がっている。時おり、カサ、カサ、と風に揺れる落ち葉の音が響き、そのたび腰から提げた剣に手をかけた。

 なんのこれしき、訓練を思えば造作もないこと。

 エドワードは周囲を警戒しながら足を運ぶも、集中力は長く続かない。


「はー……ダメだ……」


 傍にあった樹の根に座り込み、長い長い息を吐いた。


(やはり父上のようにはゆかぬ。七光りと言われても仕方ないのか)


 再びどこからか、カサ、カサ、と音がする。

 吐く息が白いことに気づいて、ようやく寒さを思い出したその時だった。

 落ち葉かと思っていたその音の他に、掻き分け、上から踏みしめ、こちらに向かってくる足音が混じっていることに気づく。

 剣を引き抜こうと、柄に手をやったと同時、


「――ッ!?」


 左隣の五メートルもない茂みの向こうに。

 巨大なシルエットが、ゆっくりと横切ってゆくではないか。


(こ、こんな場所に、だ、ダイアクラスだと……!?)


 獣。輪郭からして狼か。


 ――山の向こうで狼のダイアクラスが居るって話ですし


 気がつけば奥歯が鳴っていた。

 寒さではなく、初めて感じる威圧と恐怖によって。


(ひと太刀くらいは浴びせられるが……)


 様子を窺っていると、ふいに狼の影がこちらを向いた。

 エドワードは身体を強張らせたが、狼のダイアクラスはすぐに視線を戻し、左脚でガッガッと地面を掻いた。

 土が足下まで届くのだが、それは『取るに足りぬ相手だ』と言いたげで。エドワードはムッとして睨んだが、狼のダイアクラスは悠然と離れて行った。


「ええいッ、俺と相手しろッ!」


 茂みを飛び越えたものの、そこには巨大な土掻きの跡があるのみ。

 不自然に左斜め前――北北西に向いている。

 それはまるで『そこに向かえば山から出られる』と言わんばかりに。


「ぐぬぬうッ! ば、バカにするなよッ!」


 エドワードは掻いた方向とは逆の、北北東に進路をとる。

 ただ反骨心がそうさせた。藪やツタに阻まれた道なき道であっても、引き抜いた短剣で刈りながら道なき道を。突き出る枝で外套や衣類が綻びようとも、草木の汁で汚れようとも気にせず進み続けた。


 ――俺は騎士だ


 馬に乗り、脇に槍を抱えて戦場を駆ける武人なのだ。

 己に言い聞かせるエドワードであったが、足元への注意が疎かになっていた。急に地面が()()()いることに気づかず、そこに足を踏み入れた途端、がくんと視界が揺れる。

 うわー、と情けない悲鳴が出た。

 急な斜面にごろごろ転がり続けた末、やっと止まったその場所で四肢を投げ出したまま荒い息を吐き続ける。


「か、神よ……お、俺が何をしたと言うのか……」


 そこは拓けた場所だったが、山道ではないらしい。

 ヨロヨロと立ち上がって周囲を窺うと、視線の先にボロボロの小屋を発見した。

 しめた! しかも捨てられた山小屋ではなく、屋根から白い煙が昇っている。


(ダイアクラス討伐の際、山師の案内を受けると聞く。きっとその者だろう)


 エドワードはいそいそ小屋へ。

 外に干している服は建物と同じくらいボロボロである。随分と細身で、実際の山師とはそのようなものなのかと顎を揉む。

 獣の皮を垂らしただけの野性味あふれる幕布を見つけると、


「もうし――」


 腕で持ち上げながら中に声をかけた、その時だった。


「――!」


 ヒュンッと顔の横を何かが掠めた。

 瞬時に『矢だ』と判断し、顔を背けていなければ左目に命中していた。

 小屋は薄暗かった。しかも矢に意識を向けたため、正面の奥に(うずくま)る人影があり、それが地面を蹴ったことに気づくのが遅れた。


「うわっ!?」


 しかし、騎士の血は反応していた。

 エドワードはほぼ条件反射で上背を反らし、突き出されたナイフを()()()のところで躱す。そして腕を掴んだと同時、『ん?』と違和感を覚えた。


 ――腕が細い


 まさか相手を確かめようとするも、相手は持っていたナイフを放すと同時に空いた手を持ち上げ、両手を組んだ。


「ふッ!」


 そして、ぐっと手前に引き寄せながら腕を下に――掴んでいた腕が、驚くほど簡単に振りほどかれ、しかもガラ空きとなった顔に向かって拳が飛んでくる。


「せいやァーッ!」

「――がッ!?」


 今度は避けきれず、エドワードは眉間を思い切り殴りつけられた。

 目に火花が散った。身体に力が入らず、ふわっと意識が遠のいてゆく中で、


「あはははっ、弱っちい男っ」


 と、愉しげに笑う女の声を聞いていた。


 ◇


 耳にパチ、パチと燃木が爆ぜる音が届く。

 薄らと目を開くと、橙の光輪に影が躍る天井があった。古めかしく、今にも崩れ落ちそうだ。

 エドワードがしばらくそうしていると、近くで「おっ」と声が起こった。


「お、目が覚めたか」


 それにハッと思いだし、飛び起きたのだが、


「……ッ!?」

「ははは、無理すんな無理すんな」


 ズキリとした痛みに顔をしかめると、その者――女は明るく笑った。

 湯気立つ鍋を挟み、囲炉裏の向こうに胡座をかいている。

 ぼさぼさの赤髪は長く、胸部と肩部、膝から下は白い毛皮を纏う。それ以外は木綿と思われる衣服だった。

 一言で言えば“蛮族”である。

 しかし、エドワードは彼女よりも目の前の鍋に向いていた。


「……」


 肉と香草を焚いただけのスープのようだ。


「何だ、腹が減ってるのか」


 う、と唸った。

 思えば昼に少し携行食を囓っただけ。腹が減って当然である。

 女はその反応に口端を持ち上げ、傍に置いていた椀にスープを注いだ。

 ほれ、と突き出された椀を両手で受け取ったエドワードは、一瞬の躊躇を見せた。


「獣の肉を使っているが」

「あ、いや」


 促されるように、木のスプーンを使って恐る恐るひとくち啜る。


「お……!」


 双眸を開いた途端、警戒心は消え失せた。

 肉と香草を焚いただけのスープである。


「う、うまい……っ、何と言う……っ」


 ハッキリと感じる肉の味、香草の芳しさが更にそれを引き立てる。

 これまで屋敷で食べてきたものより何より美味い。

 がっつくようにスプーンを口に運び、あっという間に中身をたいらげてしまっていた。

 物足りなさを覚えると、女は腕を伸ばして椀を要求し、おかわりを入れてくれた。


(山師の娘か? だがあの身のこなしは、山賊など相手に備わるものではない。……となれば、父御が教えたか)


 腹が満たされ、考える余裕が生まれた。

 椀を傾けながら小屋の様子を窺う。


「――ここには、貴嬢だけか?」

「キジョウではない。ジェルメーヌだ、父様はジェルと呼んだ」

「父殿がおられるのか。飯の礼がしたいが、どこにおられる」


 ジェルメーヌは人差し指を下に向けた。


「お前の真下にいる」

「……は?」


 エドワードは板敷きの下に目を向けた。

 立て付けが悪く、小さな隙間からヒュウヒュウと空気が抜けている。


「かなり前に死んだ。言われた通りにそこに埋めた」

「な……!?」

「どうして驚く。みな時が来れば死ぬ。土に還り、次の命に繋げるのが山の掟だと父様は言っていた」


 やはり山師の娘か、と思ったが、


(それにしては、最初に獣肉が入っていると言ったが)


 聖職者や敬虔な信徒は肉を食わない。

 貴族において、その確認は重要なことであった。


(山師ならば巡礼者への配慮は学んで当然だが、娘の仕草、先ほどの襲撃からしてあまりそのような常識も備えているとは思えぬ)


 ジェルメーヌもスープを啜る。

 大口を開け、口の端からポタポタ零し、肉に齧り付く――路地裏の子供のような食い方だ、と思うほど品がない。

 動かないのを不思議に思ったのか、ジェルメーヌは椀におかわりを注ぎながら、ニマッと笑みを向けた。


「ヌシ様が送った奴だ。もう殺さない」

「……ヌシ様?」

「この山の王だと父様は言った。白く大きな狼」


 ハッとエドワードは思い出した。

 まさか、あの狼のダイアクラスは自分が反対側に向かうのを見越して?


「お前弱いけど、私の攻撃を躱したから偉い。だいたい最初の矢で死んで、次のナイフで死ぬ」


 あそこまでいったの父様以来、とジェルメーヌはカラカラと笑った。

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