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第2話 闇中の鼓動

「――ラウと申します。改めて、よろしくお願いします」


 秋の月。窓の鎧戸を開け放った明るい室内の中で、ラウは恭しく頭を下げる。

 これまでとは違い、久しぶりのメイド服姿で。すらりと気品の感じられる黒いワンピースにシンプルな白いエプロン――着替えれば自然と背筋が伸び、気持ちが引き締まる。

 屋敷の使用人たちは男が六名、女が八名。男の一人は弟・ロインだ。

 いくら姉と弟とはいえ私情を持ち込むつもりはない。ロインも同じつもりなのか、特別さを感じさせない素っ気ない面持ちで列に並んでいた。


「掃除の日は三日に一度、前日にカトゥス様に報告してね。窓や扉を全開にしてやるから」


 赴任の挨拶を済ませると、ラウはさっそくルーシーから仕事を教わる。


「毎日の掃除は、窓を開けた区画だけ?」

「そうね。といっても、あまり大きくはしないかしら」


 日差しが明るく照らす廊下を歩きながら、ルーシーは天井を見上げた。

 ラウも同じように顔をあげてみれば、目に灰色にくすんだ板張りの天井が映る。


「やってもキリがないのよね」


 それは達観にも似た言葉だった。

 天井を這う梁までボロボロで、叩けば崩れ落ちそうだ。


「これ、天井落ちてきたりしないの……?」

「まだ大丈夫……らしいわ。多分」


 帝国バローナで使われている建築方法であるらしい。

 もし燭台の火が燃え移ったりすれば、たちまち天井にまで火が昇りそう。

 そんなラウの不安に気づいてかいまいか、


「明かりの持ち運びは本気で気をつけてよね……?」


 白日の下に曝された真相を前にしながら、ルーシーは重みを含めた口ぶりで告げるのだった。


 ルーシーにはには弟が三人、妹が二人いる。

 メイドになったのは『中身のない女は淑やかに立っていろ。そうすれば男の方からやってくる』と祖母が言っていたからのようだ。


「――私はべつに口減らしした親を恨んでないわよ。ここは仕事が楽な割に収入がいいし。……まあ、肝心の男がいないのが難点だけど」


 厨房の中。他愛もない会話をしながら、エビの殻を剥いてゆく。

 こちらでは仕事らしい仕事は料理ぐらいなもので、こうして何か出来るというのはありがたくてしょうがない。


「私の一生ってエビの皮むきで終わるのかなー……なんて思っちゃうけど」

「確かに多いけど」


 ラウは厨房をぐるりと見渡した。


「そんなにエビの皮むくの?」


 正面のテーブルには“おがくず”を敷き詰めた木箱が一つ。中には十五センチほどの茶色のエビが大量に眠るそれが、厨房にたくさん積まれている。


「知らないの? ウェントス人はエビしか食べない、と言っても過言ではないわよ?」

「えぇっ!?」


 ラウはエビの背に指を入れたまま、しばらく固まってしまう。

 何か催しがあるとばかり思っていた。まさかこれらは、自分たちが消費する分だと言うのか。


「ターリースは帝国の影響受けて肉料理も多いけど、基本的に毎日三食エビ三昧。初日から『エビ美味しいー! もっとー!』なんかやんない方がいいわ。雑草が美味しそうに見えてくる時期が早まるだけだかんね」

「う、ウェントスってそんなにエビが獲れるの?」

「国の旗標がエビになるくらいね。締まりがないからサソリに変わったのよ」


 ラウはふと、ロブスターのダイアクラスを思い出していた。


「サソリ? ロブスターじゃなくて?」

「ロブスターなんて、太ったザリガニじゃない」


 ステルダムの戦争のあとで知ったことだが、ダイアロブスターはウェントスの水域を住み処としていたらしい。

 もしかすれば、何十年、何百年と土地に定住する種族がおり、人間はそれを土地の象徴としていたのかもしれないとラウは推察した。


「そう言えば、ラウはダイアロブスターを見たんでしょ? どんなだったの?」

「えぇっと……ギギギと笑って踊る、陽気なエビ……?」

「……それはもはや別の生物じゃないの?」


 ルーシーは怪訝な表情を浮かべたものの、他に表現のしようがない。

 海底には金銀財宝がたくさんあり、最近ではそれを拾っては食料と交換するなど、どこかの鷹の横着まで覚えた始末なのである。


「ただねえ、カトゥス様は養殖業を始めようとしているぽいのよね」

「養殖業……ってなんの?」

「エビよエビ。きっと一時期うちに出入りしていたジェヴァのオバさんに吹き込まれたんだわ。あれからだもん、リュイエール方面の道整備を始めたの」


 ラウは『まさか』と感じた。

 それは恩師・エルメラのことに違いない。ルデラ国との戦争のあとターリースに滞在していたらしいが、まさかその提案のためにやってきていたのだろうか。

 だが答えの出ない疑問である。胸が悶々とするのを誤魔化すように、ラウは黙々とエビの皮を剥き続けた。


 ◇


 赴任してから一ヶ月が過ぎ、二か月が過ぎ……。

 暇に慣れず、兵役時の習慣も抜けきれないラウは、自然と仕事の合間にトレーニングをするようになっていた。

 主たる訓練は、走り込みや射撃、大鷹の騎乗。屋敷の前は広々とした平原で、すぐ裏が山なのもトレーニングにはうってつけだった。


(帳簿に不備はないけど、気になるのは修繕費よねえ……)


 トレーニングの他に記帳も忘れない。

 屋敷の記帳程度のつもりだったが、何とカトゥスは実にあっさりとターリースの帳簿まで差し出したのである。


 ――ジェヴァの会計官ゆえに


 帳簿は国の機密文書、見る者が見れば破滅まで追いやることが出来る。それを預けるのは絶対的な信頼を寄せられている証拠と言えた。


(エルメラ先生が見たとしても、何か妙なのよね)


 黒革表紙の帳簿を紐解いてみたところ、ラウはすぐに“ある疑問”を抱いた。

 何度も算盤(そろばん)を弾きなおしても結果は同じ。

 屋敷は修繕費をケチるほど困窮していると思っていたのだが、決してそうではない。むしろ準備金などの純資産などを着実に増やし続けている。


(道の整備は結構な予算を投じているようだけれど、優先すべきは西のリュイエール方面じゃなくて、南のウェントス方面じゃないかしら)


 顎に指をかけながら何度も唸る。

 帳簿からは人の性格や考え方、目的が見えてくる。主君はやりくりが上手だが、これでは利益はあまり生み出せそうにはない。

 新参者が口を挟むべきかどうか……しばらく思案を続けたラウだったが、その日の夜になって、意を固めて立ち上がった。


「――カトゥス様、夜分遅くに申し訳ありません」


 ラウは半地下にあるカトゥスの居室を訪れた。

 真っ暗な部屋の中で、ランプ消灯後の煙香が漂っていた。


「申し訳ありません、お休みになられるところでしたとは……明日にさせて頂きます」

「構わぬ。それでどうしたのかね」

「それがその、帳簿のことで気になったことがあって……」


 胸に帳簿を抱きかかえながらおずおずと。

 カトゥスは暗闇の中でも目を瞠ったのが分かり、僅かな沈黙を挟んだのち、朗らかな笑い声をあげた。


「ははは! やはりジェヴァの会計官だ。勘定のこととなると居ても立ってもいられないのだね」

「も、申し訳ありませんっ! その、都合が悪ければまた――」

「構わぬ構わぬ。こちらに来て教えてくれないか」


 灯されたランプの橙火が、ふわりと闇を押しのける。

 カトゥスはベッドの脇に腰をかけたまま、皮手袋をした腕を伸ばして丸テーブルを引き寄せた。

 ここに置けと言うのだろうか。

 ラウは恐縮しながらそこに帳簿を置いた途端、カトゥスはその手をぎゅっと掴んだ。


「きゃっ!?」


 ラウは小さな悲鳴をあげ、すとんとカトゥスのベッドに座り込んでいた。


「あ、あのっ!?」

「こうした方が分かりやすい」


 目は有無を言わさぬ“領主”のもので。

 肩を抱かれながら帳簿を向かされたラウの顔は、人知れず橙色の灯り強めていた。


「それで、気になることとは?」

「えっ、あ、ああ、その、この屋敷の修繕費が気になって、計算していたんですけど……」


 準備金などは道路整備にあてている。

 しかしその箇所は、まず水の都ステルダムや経済都市ジェヴァに繋がる南部を優先するべきではないか。正直なところ、西部のリュイエールはあまり()()()が感じられない。

 取引の額、見込み、内容の規模……ラウは会計官としての考えを話し続ける。

 それは叱責覚悟であったが、カトゥスは真剣に聞いてくれていた。


「エビの養殖に着手されたい考えを聞きました。ステルダムやジェヴァへの侵攻が失敗した今、帝国はリュイエールを攻める可能性は大いにある。いくら堅牢とは言え、万が一、攻め落とされれば道の整備はかえって相手の利になってしまうのでは、と思ったのです。南部の道の整備をおこなえば、収支は今よりも――」


 話しながら、ラウは“コウモリ公”と謗られる所以(ゆえん)を感じてもいた。

 しかし仮にそうであれば、南部の整備も捨ててはおけないはずだ、と自らの考えを否定する。

 勤めて分かったことだが、町民は領主であるカトゥスを慕っている。もし帝国に対して融通を図っていれば、彼らは笑顔を浮かべたりはしないだろう、と――。


「…………」

「…………」


 すべてを話すまでカトゥスは口を挟むことなく、ラウに小さな不安が生じ始めるくらいの沈黙を保ち続けると、


「――惜しいな」


 小さく、しかしハッキリとした口調でそう言った。


「え?」

「聞くに劣らず、実に惜しい才だ。場所が場所であれば、もしウェントスであればすぐさま内務卿の下で働くことになっていただろう」


 カトゥスは微笑み、そしてラウの肩に手を回して引き寄せる。

 静かな闇の中で、ラウは耳に心臓の鼓動を聞いていた。

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